夕刻の手紙


五幕『この記憶の果て』


 
  


「やだっ!」
 クルミは大男に背を向けて小走りし出した。
 向かった先は、翡翠色の球体陣機械クロムディア
 そうだ。少女がどうしてもあれを近くで見たいと言って聞かなかったのを、青年は今になって思い出した。
「オイ!」「よせ、危ないぞ!」
 大男の怒声と、ルナンが叫び声を上げたのが同時だった。
 すぐそば、たどり着いた少女の手のひらが、それに触れる。
 瞬間。
 突如、球体が黄金色に輝きだした。色こそ違っているが、それは遺跡で青白く光った石碑と同じ類の、独特な光り方をしていた。
 硬質な球体が動き、バラケて、別の形を成してゆく。
 それらと同期したように、少女の小さな体が中心から美しく発光し出したではないか。
「クルミ!」
 呼んだが、彼女は応えない。
 遺跡の破片が共に浮いていた。少女のシルエットが光に包まれ、広間全体が目映い光に支配される。
「う……」
 小柄な青年が、腕で片側の視界の光を遮る。
 全員の動きが停止し、異様な景色に注目していた。
 
 ────……
 ────…………
『キミ、逃げて!』
 金髪の少女の叫びが、脳髄を貫く。
『フフフ……ルナン。その名は既に、闇と共に在る──』
 ぼんやりとセピア色に薄ぼけた景色の中で、白髪の幽霊男──スローグと、あの日の少女が戦っている。青年がまだ少年だったとき……。ただ一方的にスローグに襲われた己が見た光景、そのままで。
『──様。いけません。今は引いて……!』
『嫌ッ!』
 鈍色の髪の人影の叫びに、幼い少女は力強く首を振った。
『絶対に嫌。もう二度と繰り返さないために……×@+※*!』
 酷いノイズにかき消された幻想の場所。
 少女のまん丸い桃色の瞳が、再び、青年を見つめていた。
『ありがとう! ねぇ、あなた・・・がわたしを助けてくれたの?』
 ────…………
 ────……
 
 暫くして、徐々にクルミに光の帯が収束して、ぱたり、と止んだ。
 まるでリンクしたように、クルミが地に落ちる。
 中央にあった球体の陣機械クロムディアは、今ではこの遺跡の雰囲気にはやや似つかわしくない——古ぼけた石碑へと、変貌を遂げていた。
 先程の幻影は? いや、それよりも。
「おい! 大丈夫か!?」
 ルナンがよろつきながらも、急いで少女の元へ駆け寄る。石碑のことなど今はどうでもいい。少女が倒れてしまったのだから。
「ん……」
 肩を優しく揺すってやると、ゆっくりとクルミが瞼を開いた。
 大事はないようだ。青年の顔に、笑みが浮かんだ。
「よかった……! おい、怪我はないか? 痛いところは?」
「だいじょうぶ」
 ニコ、と微笑むクルミは、これまでになく大人びて見えた。
「ルナンこそ、ひどい傷……」
 少女は、青年の肩口の傷を痛々しそうに見る。
「俺も大した傷ではない」
 少々見栄を張ってやると、クルミはしょうがないなあ、と言うかのように、口元で笑んだ。
 少女は、石碑を視界に入れて呟いた。
「ルナン。わたし、思い出したの」
 たったそれだけの言葉だったが、ルナンは確信を得た。
「何? 記憶をか!?」
 思わずまた肩を揺さぶる。
 ルナンの腕に上体を任せたまま、少女はとつとつと、語り始めた。
「うん。やっと、思い出せた。触れたときに。あれは……五年前のこと。わたし、だれかを助けることを、してた気がする」
「そうなのか」
 真剣に耳を傾ける。
 周囲の人間は、呆気にとられたように、彼女の言葉の先を今かと待っていた。
「誰かと来て。ここまで、仕掛けを解き明かして貰って。それで、このクロムディアに石碑を直して。色んなものを、直して回ってて。これで“あの子”に喜んで貰えるねって、笑って——誰かに——誰に……?」
「……今、思い出したんですね」
 そうだ。記憶喪失であることを、ディオルたちにまだ言葉に出来ていなかったが——もう、必要ないようだ。
「誰と、居たのだろうな」
 俯いて、思案する。
 ルナンは、少女の語った内容が自分の見た記憶とズレがあることを不審に思った。しかし、彼女の言う言葉を信じるのであれば、俺は過去の少女の不思議なチカラに助けられたひとりと言うことになるのかもしれない。
「わからない……」
 少女がまた、その表情を曇らせてしまった。
 わからない、と零す横顔は、先ほどまでしっかりと喋っていたクルミの面影はなく、出逢ったばかりの頃の不安げな少女の姿と重なっていた。
「少し思い出せただけでも、上等だ」
「ルナン……」
 褒めてやっても、少女の表情は晴れない。
 彼女の唇が、問うた。
「この記憶の果てには——そこには、一体なにが待ってるんだろう?」
「大丈夫」
 青年は殊更優しい言葉を掛けて、少女が安心できるよう、右手で背中を叩いた。
 その際うっかり、負傷した手にダメージが伝わってきてしまい、僅かに顔をしかめる。
 利き手を負傷すると、想像よりも不便なものなのだ。ルナンは学んだ。
「ああ……確かね。わたし、こうしてたの」
 ふと何かを思いついたのだろう。
 クルミは、石版のそばで眠る猫のアールズを拾い上げて、ぎゅっ、と抱きしめる。
 すると、少女の胸元が再び金色に光り輝く。その光は、すぐ側のルナンをも包み込んだ。
「うお……」
 見る間に傷が癒えていく。
 光と共に、すっかり傷口は塞がり、擦り傷なども一緒に徐々に消えてしまった。猫の体も綺麗になっている。
 光が少女に収束した。
「なんだいそれ? 見たことのない技術だ……!」
 驚くシュラの前で、少女は激しくせき込んでしまう。
「げほ、げほげほ……」
「大丈夫か?」
 ルナンが少女の身を案じる。
 今度は、己の傷が痛むこともなかった。
「ねえ、きみ。その力、人前ではあまり使わないほうがいいよ。体調が悪くなるなら尚更ね」
 緑髪の青年に言われ、少女がこくりと頷いた。
 少女を起きあがらせると、ルナン自身も地に足着けて立ち上がる。
 ロネが右腕を布で拭きながら、言った。
「まァ何にせよ、コイツは一大事だ。何せ、これまで誰がナニをやろうと、ウンともスンとも言わなかった遺物が、光って石版を吐きやがったんだ。ビッグニュースだぜ?」
「それは……事実だね……」
 シュラが男に同意する。
 あいつらが言うのなら、今回のことは希にみる大きな収穫なのだろう。
 大男が続ける。
「オレはコイツを調査進捗として、一旦、拠点に持ち帰る。後のこたぁ、騎士団に引き継いでおきゃ何とかなんだろ!」
 先ほどから、やけに心臓の音が煩い。
 ルナンは頭を押さえた。
 今は重要な話をしている筈なのに、思考が阻害されて、ほとんど頭に入ってこない。それどころか視界にモヤが掛かっていき、目の前がどんどん見えづらくなっていく。
 俺はこの感覚を、知っている。タチの悪い夢を見るときの感覚だ。
 悪夢は、もう懲り懲りだ……。
「ルナン!?」
「ルナンさん!」
 青年の視界は揺らぎ、ぷつりと闇に覆われた。
 
 

 


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