五幕『この記憶の果て』
“第34話 少女の勇気”
「ルナ——ン!!」
響き渡ったのは、ソプラノの声だった。
クルミが、走っていた。金の髪を風になびかせ、こちらに向かって、まっすぐに。
少女の瞳に必死の色が浮かんでいるのを、ルナンは初めて見た。
「だめニャ、まつニャ! 危ないニャ!」
アールズが小さな四つ足で、急いで追いかけている。珍しく、笑みのないディオルが走り出す様子も奥に見えた。
「馬鹿者が! 来るな!!」
ルナンが怒号を飛ばすが、止まらない。
苛ついたようにシュラが前に出た。
「バカばっかだね。本当にっ!」
その手に握られた光線銃が下向きに発射され、クルミたちの足下を襲う。光線弾が次々に乱射され、桃色のワンピースが揺れる。
「ニャ!?」
一発の光線弾がアールズの後ろ足を掠っていた。冷たい声が落ちる。
「君たちってさ、死にたいの?」
当たりどころが悪かったのか、アールズは遺跡の球体側に伏せて、ぷるぷる震えていた。
「痛ってェ! テメ何してンだ……うお!?」
弾丸はロネにも当たっていたらしい。奴の刃は空中で静止している。
駆けつけた少女が、大男に体当たりをした。
「ん!!」
ルナンは思わず己の目を疑う。
俺を助けようと言うのか?
あんな小さな体で。
「やだ、やだよ!」
少女が、左右の腕や足を使って一生けんめい大男の脚を叩いてはいるが、相手の体幹はびくともしていない。
「…………」
ロネは見下げたまま、ただ沈黙していた。
クルミの細っこい両手が男のズボンを掴む。大きなしわができるほどには。
「やめてよ、わるいひと!」
まだ幼い顔を上げて、男を睨みつける。
「ルナンを傷つけないでっ!」
今は歪んだ丸い瞳に大粒の涙を溜めて、少女は必死に訴えかけていた。
視線の先。ロネの気配を探れば、奴の闘志は、途端に小さくなっていった。
「……チッ」
舌打ちが落ちる。
逸らされた顔と同時に、銃剣が静かに地に下りた。戦う気が失せた、というように。
「救急隊! いいから早くきて……マーキナだよ、場所はわかるだろ!? 急いで!」
シュラはというと、例の妙ちきりんな腕輪で救助要請を掛けているようだ。
誰のために? と思い、体を見下ろせば、確かに切り傷まみれにはなっているが、そう重傷ではない。俺は気にしていないのに、律儀なやつだと思った。
直後、ルナンは身構えた。
確かに感じ取ったはずの気配は、しかし俺の方を向いていなかった。
「きゃ!」
クルミがよたよたと向こう側に下がった。
ロネが剣を向けた先——見慣れたスーツの男がナイフを振りかぶって襲い来ている。
「失礼!」
茶髪の眼鏡男がナイフを左で突きつければ、大男の鉄腕がそれを難なく弾き返す。
ロネは剣先を手向けて短気な顔をしかめた。
「外野はスッこんでろッつったろ!」
「いいえ。万が一、こちらの女の子に手を出されては困りますので!」
笑って追撃するディオルだが、果物ナイフなどというリーチ最悪の得物で殴りかかっても無意味だ。ロネの長柄に一瞬で弾き返されている。
ルナンが覚えたのは、微量の苛立ち。
こいつら、まるで本気を出していない。その剣戟はお遊びにすら見えた。
「アァ?」
「……主に、ルナンさんが困りますので!」
「イミが分からねえ。テメェは何が目的だ」
大男が剣側を相手の額に押しつけようとするも、ディオルは体ごと首を下げて避けている。
「さあ〜……」
「おトボケかよ!」
「あなたもです」
長身を曲げた勢いで、語りながらディオルが蹴りのモーションに入った。
「どうせ彼を殺める気、なかったんでしょう? ええ、見れば分かりますよ! さっきから殺気のカケラも無いんですからッ」
靴底で長柄を捕らえながら押し返す。
「えぇ!? そうなのかい!?」
シュラの奇声が飛び出た。
ピタリと剣戟が止まるや、ロネは横目でシュラを見て、即答した。
「オウ」
「はぁ!?」
「コイツは明確な敵じゃねェ。殺ッてもイミねェだろ!」
つまみ出せりゃいいンだ、と続けたロネに、ディオルはやれやれという風に頭を抱えている。
「なんだって!?」
しかしルナンも、それには最初から気が付いていた。
奴の放つあからさまな殺気は、偽物だ。
俺を殺す気などは、恐らく毛頭ないこと。それは即ち、よく言えば善性、わるく言えば舐められているのだ。そんな相手にも、弱い自分にも、心底腹が立つ。
俺は、王都で力を使い過ぎた。これもまた言い訳に過ぎないが。
「きみさぁ、もう少しわかりやすく演技してよ!! 危なっかしいな!」
小さめの青年が何故か怒っている。
「だから、充分わかりやすかったろが!」
「この僕が、親切にも止めようとしてあげたのに、ただ無駄銃を撃っただけになっちゃったじゃんか!」
「知るかァ!!」
シュラの毒舌にはかなうまい。
ロネの反論もむなしく、説得力のない感じになっている。
横で話を聞いていたクルミが歩み出て、一言告げた。
「……ルナンのこと、もう、いじめないでね?」
大男が頭をポリポリ掻く。
「しゃあねェな。今日のところは嬢ちゃんに免じて、このまま逃がして……」
逃がす、という言葉に少女の頬が膨らんだ。パンが焼けたようにふっくらと。