五幕『この記憶の果て』
「なんだいそれ? 見たことのない技術だ……!」
驚くシュラの前で、少女は激しくせき込んでしまう。
「げほ、げほげほ……」
「大丈夫か?」
ルナンが少女の身を案じる。
今度は、己の傷が痛むこともなかった。
「ねえ、きみ。その力、人前ではあまり使わないほうがいいよ。体調が悪くなるなら尚更ね」
緑髪の青年に言われ、少女がこくりと頷いた。
少女を起きあがらせると、ルナン自身も地に足着けて立ち上がる。
ロネが右腕を布で拭きながら、言った。
「まァ何にせよ、コイツは一大事だ。何せ、これまで誰がナニをやろうと、ウンともスンとも言わなかった遺物が、光って石版を吐きやがったんだ。ビッグニュースだぜ?」
「それは……事実だね……」
シュラが男に同意する。
あいつらが言うのなら、今回のことは希にみる大きな収穫なのだろう。
大男が続ける。
「オレはコイツを調査進捗として、一旦、拠点に持ち帰る。後のこたぁ、騎士団に引き継いでおきゃ何とかなんだろ!」
先ほどから、やけに心臓の音が煩い。
ルナンは頭を押さえた。
今は重要な話をしている筈なのに、思考が阻害されて、ほとんど頭に入ってこない。それどころか視界にモヤが掛かっていき、目の前がどんどん見えづらくなっていく。
俺はこの感覚を、知っている。タチの悪い夢を見るときの感覚だ。
悪夢は、もう懲り懲りだ……。
「ルナン!?」
「ルナンさん!」
青年の視界は揺らぎ、ぷつりと闇に覆われた。
◆
目が覚めると、見知らぬ天井があった。
寝ていた?
これは、夢か?
ルナンは、質の良い布団を跳ね飛ばすようにして上半身を起こすと、その部屋には既に先客が居た。
「うぅわ! ビックリした!」
緑の頭が振り向いた。椅子に座って、珍しく黄色い薄型ゴーグルを目元に装着している。
「シュラか」
悪夢持ちにしては、いやに夢見がいい。
故に、これは現実であろう。
見れば質素な部屋の隅には、分厚い書籍が山積みにされていた。
俺の部屋より本が多いな、などと思う。
相手は突然半ギレになった。
「シュラか、じゃないよ! きみ、自分が一体どれだけ寝てたと思ってるんだい!?」
どれだけ寝ていたかなど、今まで寝ていた人間に聞かれても困る。まず、何故この知らん部屋で自分が寝ているのか、理由が知りたい。
「俺は何故、此処にいるんだ?」
その言葉を聞くと、シュラは盛大にため息をつき、人を論破する感じの口調で言い放った。
「倒れたんだ、きみは。あの遺跡で倒れて、ここまで運ばれたのさ。全く、脳みそが寝たままなのかい? そりゃあそうか、丸三日もぐっすり寝てたらね」
ルナンは、目がちかちかする感覚を覚えた。
「……三日? 俺が、三日も寝ていたのか?」
「そうだって言ってるだろ。医者に診せたら、単純な“寝不足”だってさ」
馬鹿じゃないのかい、と悪態つく彼の言葉を、青年は脳内で何度か反芻した。
「寝不足」
「ああ。もう説明しないよ。僕は忙しんだから」
そう吐いて、シュラは机に向き直って作業の続きを始めた。
ああ、そう言えば、クルミと出逢う前からの数日間——五日程だろうか? 徹夜や見張り続きで、まともに眠っていなかった。そういえば、食事らしい物を摂ってもいない気がする。
人間は寝ないと疲れるのか。
青年は、健康に無頓着すぎたようである。
忙しなく、階段を駆け上がる音がする。
「ルナ——ン!」
このソプラノの声、クルミだ。
金髪の少女が部屋に飛び込んでくる。
いや、正しくは懐目掛けて突進してきた。
「ぐっ……」
野生の猪も顔負けの勢いで来て、むぎゅ! とルナンを抱き締めた。ベッドに腰掛けているのだが衝撃があまりある。
あのとき傷は綺麗に塞がったものの、骨を少々痛めているのかもしれない。まあすぐ治るだろうが。
「いつ目が覚めたの?! わーんよかった! もうおしゃべりできないかもって思ったよーー」
涙目の瞳が青年を見上げる。
寂しかったのだろう。彼女なりに、俺を心配していることはわかった。
「そうか。すまなかった」
ルナンは仕方なく、謝っておいた。
「……そういえば、これ」
シュラが引き出しから何かを取り出した。その物体——分厚い封筒を、手渡される。
「なんだ?」
「ディオルって奴から預かってた」
「そうか……」
封筒と言うことは、中身は手紙なのだろう、それにしては厚みがありすぎるのが気になるところではある。
クルミは、右手に持った封筒をじっと見つめていた。
「ルナン。それ、なあに?」
「手紙、だろうな」
本人は今何をしているのか、とシュラに問おうか迷ったが、あの丁寧な奴のことだ。きっと、手紙に書いてくれているのだろう。
読んでみようと、分厚い封筒の封を切ってみる。
中には、一枚の便せんと、もう一つの分厚い封筒が入れ子になっていた。
青年はほんの少し迷ってから、先に便せんと思わしき方を広げて、読み始める。そこそこの達筆で、以下の文章が書かれていた。
『親愛なるルナンさんへ。あれから体調はいかがでしょうか? 今、これを見ているのならきっと、あなたは完全復活をなさっているのでしょう。お体、固そうですもんねー。』
「…………」
不思議と小馬鹿にされたような気がしたのは、気のせいだろう。
寝ぼけ眼で、続きに目を通す。
『今回は、私の依頼を快く引き受けてくださり、誠にありがとうございました。おかげさまで、よい遺跡探検ができました。遺跡マニアとして、心より御礼申し上げます。なお、報酬はこちらに同封しておきましたので、ご確認をお願いします。』
その一文を見て、思わず中身の二重封筒を確認する。そちらも開封したところ、自分の人生では未だ見たことのない程の分厚い札束が詰められていて、思わずギョッとしてしまった。
手紙を覗いている少女には、リルの札束がなんなのか、まだわからないようである。
青年は無言で封筒に戻した。
便せんに視線を戻す。
『私は一足先に旅立ちます。急ぎ足でして、、、このような別れの形となってしまったことを、お詫び申し上げます。重ねて、素敵な旅路をありがとうございました。いつかまたご縁があれば。気ままな旅人・ディオルより』
「勝手なやつだ……」
こちらは、まだ礼の一つも言えていない。仮にも、初めての依頼主であったというのに。
もう、行ってしまった後だ。嘆いても仕方ないのだが。
「ディオル、なんて書いてるの?」
隣から、少女が訊いてきた。
「いや。依頼ありがとうと、自分は先に旅立ったと、そういうのが書いてあるな」
「……そっか!」
内容を簡潔に伝えると、少女は嬉しそうな顔で納得していた。もっと泣くかと予想したので内心意外な反応だったが、察するにクルミは奴に別れを言えたのだろうか。
もう一度手紙を見れば、欄外の空白に追記があった。
『P.S. 古代遺跡と高額ご依頼探しは、隣国〈クレルヴィ〉へ、と提案致します。金脈いっぱいですので。良き旅路を!』
手紙はそこで終わっている。
金脈いっぱいとは何を指すのか、直接聞いておきたかったな。ディオルは俺よりも見聞深い人間だ。そんな旅人の言うことなのだから、一応信用はできるんだろうが……。
顔を上げたところ、シュラがこちらの様子を見ていた。
「変わったヒトだよね。あの男」
「……ああ」
ルナンが満足げに笑う。
ディオルの旅路にも、幸多からんことをと、青年は心の中で祈った。
同時に低めの声が落ちる。
「あのさ。あの時は、ごめんね」
「む?」
シュラの声だ。突然謝罪をされて、青年は面食らった。なんのことだか、さっぱり分からない。
隣のクルミも、目をぱちくりとさせている。
「ほら、遺跡で……僕、きみたちに向かって銃を撃ってしまったじゃないか。あの時は本当に、ごめん」
場を収めるのに必死でさ。と付け加えられたその謝罪は誠実で、いつもの嫌味など全く感じさせないまでのものだった。
すると、少女がニコっと笑った。
「だいじょうぶ! 猫ちゃんもきっと、怒ってないよ」
二人とも、アールズを気に掛けてくれているようだ。クルミも一応撃たれた側だろうに。
ルナンも緩やかに首を振った。
「こちらこそ、すまんかった。元はと言えば、勝手について行った俺たちが悪いんだ。気にやまないでくれ」
「そ……」
居心地悪そうに、緑髪の青年は俯いている。生真面目な奴だ、とルナンは思った。
「あのさ」
シュラがまた、こちらを向いて呼びかけた。
「何だ?」
「きみが寝てる間、僕も色々考えたんだけどさ……。実は、本業の研究に休暇を貰ったんだよ。ひとつき程ね。だから、僕は今珍しく暇なんだ」
銀髪の青年はなにかが引っかかった。
——さっきは確か、忙しーとか言っていなかったか?
「そうなんだな」
とりあえず、相槌を打つ。
「だから……詫びというかさ、その……」
肝心な部分で口をどもらせる相手に、ルナンは突っ込みを入れた。
「まだ言いたいことがあるなら、ハッキリ言え」
そう言われ、俯いたその賢い頭を上げると、シュラは立ち上がった。俺の方に向き直り、黄色いゴーグル越しにもやや赤くなった顔のまま告げた。
「僕のっ、個人的な依頼を受けてくれないか? クレルヴィ、だろ? 予定。どうしても、僕も研究してみたい場所があるんだ、それでさ——! ……あの……」
そこで、彼は言葉を詰まらせた。
恐らく、人に物を頼むことに、大変不慣れなのだろう。その気持ちは俺にも分かる。
ルナンはフッと笑って、胸を拳で叩いた。
「構わん。寧ろ、大歓迎だ」
「そ、そうかい! じゃあ、あれだね……」
シュラはパッと明るい表情になった。その後で、顎に手を当て、少し考えるような所作をする。そして緑髪の研究者は、したり顔でゴーグルを上げながら、言った。
「まず、うちでゆっくり軽食でも食べていきなよ。話は、それからさ」
「お……」「ごはん!」
嬉しい提案である。青年と少女は、それぞれ笑顔で頷いた。
◆
眼鏡の代わりに掛けたのは、黒塗りのサングラス。
この瞳に映る都は動乱。
黒膜に覆われてしまえば、その光景に現実味は湧かずにいた。
温暖な王国のど真ん中で、藍色の全身コートが蒸し暑く感じる。
これを羽織ったのは、果たしていつぶりだろうか?
王都アベルツで、自分を知る者はいない。人々の無関心が妙に心地いいのは、昔から染み付いた“逃亡者”のサガなのだろうか?
周囲の動乱は、しきりに目撃情報を伝え合っている。
自分もこの目で見た。
風の噂に流れる、気色悪い色のアザに、闇色の大剣を持つ男を。
──ピピピッ。
三度鳴った電子音。上からの知らせだ。路地裏に入り、ボタンを押す。
「確認、オーバー」
「問題無し、良好。報告する……ラスクの件だ」
「あの進軍の日から、随分と待たせてもろうたなぁ、ワレェ!」
自らの心にない謝罪を口にする。
「申し訳ありません」
「業沸くのう。報告を許可する!」
「元帥。彼は確かに【闇者】だった」
そうかそうか、と心底愉快そうな相槌が聞こえた。
電話口の相手は、嘲るような笑い声を収めると、淡々と告げた。
「ならば、このワシの目に収める瞬間までは、見失うたら……ワレ、解っとるな?」
「わかりました。そろそろ……」
切る。そう言おうとした自分の声は、電話口に響いたノイズで遮られた。
聞き慣れた短い咳き込み。それは決まって、部下に対する牽制の合図だった。
「ディオル! もう一度言う。ルナン・シェルミクを——貴様の命に代えても、逃すやぁ無いぞ」
「了解」
素っ気ないひとつの電子音が、僕の心を冷ました。
「号外! 号外——!!」
大量の手配書が、降ってくる。
同時に押し付けられたニュースペーパーを受け取るだけ受け取って、配っているものへ金銭を払う。全ては事務的で、脳死な作業。
いまだやまぬ騒ぎは他人事だった。
明日から、彼の行くであろう方角を見た。
ここからずっと南東。
乾いた、発展途上の地だったか。
かの地へと赴けば、いずれ彼自身の黒い魔煌が居場所を告げるだろう。
彼のあのチカラと、破天荒な行動力は、少々悪目立ちし過ぎる。
「やっと見つけたんだ。僕が、追うまでだ」
彼を追うのに、今更、迷う必要などない。
五日前のあの日。ガルニア帝国軍・ギース元帥は言っていた。
──あれは、世を狂わす【大罪人】なのだから、と。