DR+20


五幕『この記憶の果て』



「ルナ——ン!!」
 響き渡ったのは、ソプラノの声だった。
 クルミが、走っていた。金の髪を風になびかせ、こちらに向かって、まっすぐに。
 少女の瞳に必死の色が浮かんでいるのを、ルナンは初めて見た。
「だめニャ、まつニャ! 危ないニャ!」
 アールズが小さな四つ足で、急いで追いかけている。珍しく、笑みのないディオルが走り出す様子も奥に見えた。
「馬鹿者が! 来るな!!」
 ルナンが怒号を飛ばすが、止まらない。
 苛ついたようにシュラが前に出た。
「バカばっかだね。本当にっ!」
 その手に握られた光線銃が下向きに発射され、クルミたちの足下を襲う。光線弾が次々に乱射され、桃色のワンピースが揺れる。
「ニャ!?」
 一発の光線弾がアールズの後ろ足を掠っていた。冷たい声が落ちる。
「君たちってさ、死にたいの?」
 当たりどころが悪かったのか、アールズは遺跡の球体側に伏せて、ぷるぷる震えていた。
「痛ってェ! テメ何してンだ……うお!?」
 弾丸はロネにも当たっていたらしい。奴の刃は空中で静止している。
 駆けつけた少女が、大男に体当たりをした。
「ん!!」
 ルナンは思わず己の目を疑う。
 俺を助けようと言うのか?
 あんな小さな体で。
「やだ、やだよ!」
 少女が、左右の腕や足を使って一生けんめい大男の脚を叩いてはいるが、相手の体幹はびくともしていない。
「…………」
 ロネは見下げたまま、ただ沈黙していた。
 クルミの細っこい両手が男のズボンを掴む。大きなしわができるほどには。
「やめてよ、わるいひと!」
 まだ幼い顔を上げて、男を睨みつける。
「ルナンを傷つけないでっ!」
 今は歪んだ丸い瞳に大粒の涙を溜めて、少女は必死に訴えかけていた。
 視線の先。ロネの気配を探れば、奴の闘志は、途端に小さくなっていった。
「……チッ」
 舌打ちが落ちる。
 逸らされた顔と同時に、銃剣が静かに地に下りた。戦う気が失せた、というように。
「救急隊! いいから早くきて……マーキナだよ、場所はわかるだろ!? 急いで!」
 シュラはというと、例の妙ちきりんな腕輪で救助要請を掛けているようだ。
 誰のために? と思い、体を見下ろせば、確かに切り傷まみれにはなっているが、そう重傷ではない。俺は気にしていないのに、律儀なやつだと思った。
 直後、ルナンは身構えた。
 確かに感じ取ったはずの気配は、しかし俺の方を向いていなかった。
「きゃ!」
 クルミがよたよたと向こう側に下がった。
 ロネが剣を向けた先——見慣れたスーツの男がナイフを振りかぶって襲い来ている。
「失礼!」
 茶髪の眼鏡男がナイフを左で突きつければ、大男の鉄腕がそれを難なく弾き返す。
 ロネは剣先を手向けて短気な顔をしかめた。
「外野はスッこんでろッつったろ!」
「いいえ。万が一、こちらの女の子に手を出されては困りますので!」
 笑って追撃するディオルだが、果物ナイフなどというリーチ最悪の得物で殴りかかっても無意味だ。ロネの長柄に一瞬で弾き返されている。
 ルナンが覚えたのは、微量の苛立ち。
 こいつら、まるで本気を出していない。その剣戟はお遊びにすら見えた。
「アァ?」
「……主に、ルナンさんが困りますので!」
「イミが分からねえ。テメェは何が目的だ」
 大男が剣側を相手の額に押しつけようとするも、ディオルは体ごと首を下げて避けている。
「さあ〜……」
「おトボケかよ!」
「あなたもです」
 長身を曲げた勢いで、語りながらディオルが蹴りのモーションに入った。
「どうせ彼を殺める気、なかったんでしょう? ええ、見れば分かりますよ! さっきから殺気のカケラも無いんですからッ」
 靴底で長柄を捕らえながら押し返す。
「えぇ!? そうなのかい!?」
 シュラの奇声が飛び出た。
 ピタリと剣戟が止まるや、ロネは横目でシュラを見て、即答した。
「オウ」
「はぁ!?」
「コイツは明確な敵じゃねェ。殺ッてもイミねェだろ!」
 つまみ出せりゃいいンだ、と続けたロネに、ディオルはやれやれという風に頭を抱えている。
「なんだって!?」
 しかしルナンも、それには最初から気が付いていた。
 奴の放つあからさまな殺気は、偽物だ。
 俺を殺す気などは、恐らく毛頭ないこと。それは即ち、よく言えば善性、わるく言えば舐められているのだ。そんな相手にも、弱い自分にも、心底腹が立つ。
 俺は、王都で力を使い過ぎた。これもまた言い訳に過ぎないが。
「きみさぁ、もう少しわかりやすく演技してよ!! 危なっかしいな!」
 小さめの青年が何故か怒っている。
「だから、充分わかりやすかったろが!」
「この僕が、親切にも止めようとしてあげたのに、ただ無駄銃を撃っただけになっちゃったじゃんか!」
「知るかァ!!」
 シュラの毒舌にはかなうまい。
 ロネの反論もむなしく、説得力のない感じになっている。
 横で話を聞いていたクルミが歩み出て、一言告げた。
「……ルナンのこと、もう、いじめないでね?」
 大男が頭をポリポリ掻く。
「しゃあねェな。今日のところは嬢ちゃんに免じて、このまま逃がして……」
 逃がす、という言葉に少女の頬が膨らんだ。パンが焼けたようにふっくらと。
「やだっ!」
「?」
 クルミは大男に背を向けて小走りし出した。
 向かった先は、翡翠色の球体陣機械クロムディア
 そうだ。少女がどうしてもあれを近くで見たいと言って聞かなかったのを、青年は今になって思い出した。
「オイ!」「よせ、危ないぞ!」
 大男の怒声と、ルナンが叫び声を上げたのが同時だった。
 すぐそば、たどり着いた少女の手のひらが、それに触れる。
 瞬間。
 突如、球体が黄金色に輝きだした。色こそ違っているが、それは遺跡で青白く光った石碑と同じ類の、独特な光り方をしていた。
 硬質な球体が動き、バラケて、別の形を成してゆく。
 それらと同期したように、少女の小さな体が中心から美しく発光し出したではないか。
「クルミ!」
 呼んだが、彼女は応えない。
 遺跡の破片が共に浮いていた。少女のシルエットが光に包まれ、広間全体が目映い光に支配される。
「う……」
 小柄な青年が、腕で片側の視界の光を遮る。
 全員の動きが停止し、異様な景色に注目していた。
 
 ────……
 ────…………
『キミ、逃げて!』
 金髪の少女の叫びが、脳髄を貫く。
『フフフ……ルナン。その名は既に、闇と共に在る──』
 ぼんやりとセピア色に薄ぼけた景色の中で、白髪の幽霊男──スローグと、あの日の少女が戦っている。青年がまだ少年だったとき……。ただ一方的にスローグに襲われた己が見た光景、そのままで。
『──様。いけません。今は引いて……!』
『嫌ッ!』
 鈍色の髪の人影の叫びに、幼い少女は力強く首を振った。
『絶対に嫌。もう二度と繰り返さないために……×@+※*!』
 酷いノイズにかき消された幻想の場所。
 少女のまん丸い桃色の瞳が、再び、青年を見つめていた。
『ありがとう! ねぇ、あなた・・・がわたしを助けてくれたの?』
 ────…………
 ────……
 
 暫くして、徐々にクルミに光の帯が収束して、ぱたり、と止んだ。
 まるでリンクしたように、クルミが地に落ちる。
 中央にあった球体の陣機械クロムディアは、今ではこの遺跡の雰囲気にはやや似つかわしくない——古ぼけた石碑へと、変貌を遂げていた。
 先程の幻影は? いや、それよりも。
「おい! 大丈夫か!?」
 ルナンがよろつきながらも、急いで少女の元へ駆け寄る。石碑のことなど今はどうでもいい。少女が倒れてしまったのだから。
「ん……」
 肩を優しく揺すってやると、ゆっくりとクルミが瞼を開いた。
 大事はないようだ。青年の顔に、笑みが浮かんだ。
「よかった……! おい、怪我はないか? 痛いところは?」
「だいじょうぶ」
 ニコ、と微笑むクルミは、これまでになく大人びて見えた。
「ルナンこそ、ひどい傷……」
 少女は、青年の肩口の傷を痛々しそうに見る。
「俺も大した傷ではない」
 少々見栄を張ってやると、クルミはしょうがないなあ、と言うかのように、口元で笑んだ。
 少女は、石碑を視界に入れて呟いた。
「ルナン。わたし、思い出したの」
 たったそれだけの言葉だったが、ルナンは確信を得た。
「何? 記憶をか!?」
 思わずまた肩を揺さぶる。
 ルナンの腕に上体を任せたまま、少女はとつとつと、語り始めた。
「うん。やっと、思い出せた。触れたときに。あれは……五年前のこと。わたし、だれかを助けることを、してた気がする」
「そうなのか」
 真剣に耳を傾ける。
 周囲の人間は、呆気にとられたように、彼女の言葉の先を今かと待っていた。
「誰かと来て。ここまで、仕掛けを解き明かして貰って。それで、このクロムディアに石碑を直して。色んなものを、直して回ってて。これで“あの子”に喜んで貰えるねって、笑って——誰かに——誰に……?」
「……今、思い出したんですね」
 そうだ。記憶喪失であることを、ディオルたちにまだ言葉に出来ていなかったが——もう、必要ないようだ。
「誰と、居たのだろうな」
 俯いて、思案する。
 ルナンは、少女の語った内容が自分の見た記憶とズレがあることを不審に思った。しかし、彼女の言う言葉を信じるのであれば、俺は過去の少女の不思議なチカラに助けられたひとりと言うことになるのかもしれない。
「わからない……」
 少女がまた、その表情を曇らせてしまった。
 わからない、と零す横顔は、先ほどまでしっかりと喋っていたクルミの面影はなく、出逢ったばかりの頃の不安げな少女の姿と重なっていた。
「少し思い出せただけでも、上等だ」
「ルナン……」
 褒めてやっても、少女の表情は晴れない。
 彼女の唇が、問うた。
「この記憶の果てには——そこには、一体なにが待ってるんだろう?」
「大丈夫」
 青年は殊更優しい言葉を掛けて、少女が安心できるよう、右手で背中を叩いた。
 その際うっかり、負傷した手にダメージが伝わってきてしまい、僅かに顔をしかめる。
 利き手を負傷すると、想像よりも不便なものなのだ。ルナンは学んだ。
「ああ……確かね。わたし、こうしてたの」
 ふと何かを思いついたのだろう。
 クルミは、石版のそばで眠る猫のアールズを拾い上げて、ぎゅっ、と抱きしめる。
 すると、少女の胸元が再び金色に光り輝く。その光は、すぐ側のルナンをも包み込んだ。
「うお……」
 見る間に傷が癒えていく。
 光と共に、すっかり傷口は塞がり、擦り傷なども一緒に徐々に消えてしまった。猫の体も綺麗になっている。
 光が少女に収束した。