五幕『この記憶の果て』
「お前ら、何処へゆく!?」
青年が叫ぶと、ディオルはこちらに向けてウィンクをした。
「すみませんがルナンさん、事前の打ち合わせ通りに、お願いします!」
打ち合わせと言われ、カフェでのギルド依頼が頭に浮かんだ。
戦え、ということか。
「了解した!」
ではまず、やることがある。
青年は二本指を作り、眉間の間で印を結んだ。
『――我――契約を重んずる者なり……』
黒いブーツの下が淡く発光する。
『其こそは我に使役されし意思・此処に示せ・汝の忌み名――』
普段よりも比較的早めて唱えながら、前方で赤黒い塊が形成されるのを確認する。
「チッ……」
聞いたことねェことしやがんな、と舌打ちしながらも、大男はルナンに重ねて詠唱した。
『蒼・波・省け――《水ノ防護》!』
最早、信じられないほどの疾さで唄が出来上がり、鉄の右手から青色の防護壁が溢れ出した。
ルナンは己が微かに身震いしたのを感じた。
間違いない。こいつは、強者だ。
『いでよ! アールズ=シェルミク……!』
目の前では化け猫が現れ、くるりと着地する。
「ご主人さま! お呼びですかニャ? ナデナデするニャ!」
ルナンは思わず、ひきつった笑いが出た。ナデナデとは、恐らくだが、アールズを異界へ帰すときに撫でてやるやつのことを言っているんだろう。相も変わらず、場を読む才の無いしもべである。
「今はいい。アールズ、クルミを守れ! 俺は頼んだからな!」
「はいにゃあ!」
アールズは、ディオルに抱えられたクルミの元へ急いだ。
男の低い声が聞こえる。
「あンだ。攻撃じゃねェなら、先言ってくれよなァ」
「わざわざ言う必要があるのか?」
両手をひらひらさせながら、冗談っぽく壮年の男が語る。
「オイオイ、男が一戦交えようってんだ。一声名乗りを上げンのが、礼儀ってモンだろ?」
「そうなのか?」
元盗賊の身だ。戦いの作法なんぞ、逆に知らぬが。
大男は、しゃあねェな! と吹き出すと、鉄に覆われた右腕を構えて、空を掴んだ。
「オレは〈夜明の剣〉のボス、ロネ・ウッズベルト!」
高々と名乗ったその男――ロネは、濃紺の衣服を長身にまとい、その背には何らかの西洋剣を帯剣しているように見える。短い灰色の髪と髭、深緑の瞳だけが異様に目立つ、貫禄のある男であった。
ルナンは負けじと叫んだ。
「ルナン・シェルミク! ――〈闇夜の流星〉のボスだ!」
ルナンは心中で、決まったと思った。
実はギルドの読みなど登録していないのだが、言われたら返すのが礼儀のような気がしたのだ。突貫ながら、イケている。惚れ惚れする出来だ。
ルナンのセンスは、こっち一辺倒なようだ。
青年は相手の男と似たポーズで右手を掲げた。
『来い――闇よ!』
呼べば、右手に集結した黒々とした紫色の煌力が一本の横長な形を生成し、それはルナンの大剣となった。
手慣れた手つきで闇色の大剣を構え、攻撃体勢に入る。
「その他は手ェ出すなよッ!」
叱声と、大足の踏み込みがほぼ同時であった。大男は左の背から抜きはなった長物を差し向け、人体の中核である頭部を狙いすます。
大男の巨体に似合わぬ速さで贈られた剣先を身を躱し避けたルナンは、自ら踏み込み、斬撃をお見舞いせんとする。
「――ハァッ!」
いつものルナンらしからぬ気合いが声にされると、漆黒の衝撃破が弧を描いてロネの脇へと飛んだ。
「甘ェなァ!」
大男は手空きの右腕を自ら斬撃に押し当て、ほこりを払うかのように軽く一掃する。仮にも古代魔煌をだ。
「なっ……」
刹那、広げた腕を見れば、ルナンは絶句した。
奴の鉄の右腕は、男としては奇妙に細身であり、その鉄と肉体の結合部は胸元までも浸食している風に見えたのだ。きちんとした袖だ、と思っていた衣服の右半分は、焼け焦げたように切れてはだけてしまっていた。
ほんの一瞬の硬直が命取りだ。
「義手の男を見ンのは初めてか? ボウズ」
男はニヤッと歯を見せたかと思えば、目にも留まらぬ勢いで殴り掛かってきた。
――反撃の隙が無い!
「くッ!」
咄嗟に構えていた大剣を盾にして、鉄の打撃を受け止める。
ロネはすかさず、右手首を正反対へ――仮に人体ならば折れているだろう方向へと捻る。すると、手首がぱっくり割れ、あからさまな吸引音が聞こえてきた。
「――何ッ!?」
青年が危機に反応し鉄腕を跳ね返したのと全く同時に、割れた手首から複数の弾が射出された。火薬臭いそれは、爆発するタイプのタチの悪い兵器であると、戦士としての勘が警鐘を鳴らす。
「まだ……くたばるンじゃねェぞ?」
大男が残酷に唸る。
青年の大剣に触れた弾薬が、大爆発を起こした。ルナンは半ば想定通りの光景を見やると、火種で長手袋の隅が焼けたことも気にせず、背後に跳躍した。
後ろに下がらされること自体が屈辱であるが、楕円状に広がる爆弾モドキを全て避ける為には、体勢を立て直す必要があった。
唱えるならば、今しかない。
『――漆黒――闇ノ力よ……』
そのまま急いで反撃の詠唱に入ったものの、相手の方が何倍も速かった。
『朱・お生憎・サマだなァ! 《猛火ノ鉄拳》!』
詠唱短縮だ。
見る間に大量の炎が奴の剣先から具現化し、巨大な炎の拳が掲げられた。平和な日常では使用者皆無の、限りなく上級に近い朱魔煌。
怪人の炎の拳が振るわれれば、たちどころに周囲の弾薬が誘爆される。床のコード類は焼き切れ電気を放電し、辺りに充満した炎の海が青年を襲った。それらは相乗効果でとんでもない威力にまで膨れ上がっていた。
この爆風では、たき火の弱っちい炎などは、一瞬でかき消されてしまうほどだろう。
ルナンは更に下がって豪炎を避け、爆発の一つ一つを間を縫うように躱そうとするが、火傷は免れない。
黒マントの先が、焼け焦げた臭いがする。
「終わりだ。ルナン」
死にものぐるいの中で顔を上げれば、目の前に剣――否。銃口の付いた長物の銃剣だ――其れを、振り上げた大男の姿があった。
「……ッ……!」
息をのむ。
炎の来ない中央で、振り下ろされた剣を避けようとした。
切っ先が、肩口を切り裂いた。
剣を持つ右手を動かそうとしたが、火傷で張り付いたようになり、うまく動かない。
「くそッ!」
力任せに大剣を一振り回せば、ロネの構えた銃口から弾道が見えた気がした。銃弾が頬を掠める。
「なあ。このままだとテメェ――死んじまうぜ?」
いいンか? と、近づいた壮年の男が問う。
いつの間にか、辺りの炎は火種を無くして立ち退き鎮火していた。
「……死ねるか」
「あっそ」
言いながらも、ルナンの動きは鈍い。既に疲労困憊状態なのだ。
――この男、明らかに格が違う。
最初から、それを悟っていた。それでも、未だ意思は折れていない。
ルナンは静かに息を吸い込み、ありったけの敵意を込めて怒声を上げた。
『闇よ――奴を裂け!』
呪文にすらならないような単文を唱えれば、黒々とした紫電の閃光が大男を襲う。
「グッ!」
それは受け身をとったロネの長柄に受けられ、鳩尾にほんの少しだが、衝撃破を与えるに至った。
やや困ったように、男は一笑する。
「たまげたなァ。まだ元気があったとは。だが――」
ルナンはふっと息を漏らした。
まともな抵抗にもならない、か。
「なんで戦うんだよ! 早く逃げろ!」
シュラの大声が聞こえる。
残念ながら逃げない。そう決めている。
「……終わりだ」
ロネは殺気を迸らせ、横振りの一撃を叩きつける。空気が唸るほどの速度で。
その銃剣の切っ先が、容赦なくルナンの首筋を斬ろうとしているのだと、素人目にも見えた。