五幕『この記憶の果て』
“第30話 騎士と少女”
隣の少女が進み出て、頭を下げた。
「ごめんなさい! でも、どうしても遺跡が見てみたかったの」
赤い制服の女騎士は急に慈悲深い表情になると、そっとしゃがんで、両肩をつかんだ。
「ここは、あなたみたいな子どもが来たら、危ないんだよ。ねっ?」
騎士の男は、立ったまま見下したように言葉を吐いた。
「お嬢ちゃんはさっさとお家に帰りな」
ルナンは後ろでそれらの騎士の台詞を聞き、少しではあるが、体が硬直してしまった。
クルミには家はおろか、帰る場所すらないのだ。それなのに家に帰れなどというのは、この少女に掛けるには最も酷な言葉に聞こえた。
「あのね……この中を見られたら、なにか分かるかもしれないの。だからっ……」
少女の声が段々震えていく。
「ごめんね……」
応えられない、というように、女騎士が落ち込んだ顔で謝る。もう片方も悪いことをしたと思ったのか、青年の方を見ながら言った。
「あんた、保護者か? だったら教育をもう少しまともにしてやった方がいいよ」
「助言、ありがたく受け取ってやろう」
「なんだよ。偉そうに」
こちらこそ偉そうに言われたはずなのだが、不思議と怒る気分ではなかった。事情を知らぬ以上、双方悪気がない言葉だったのだ。仕方がない。
「……はぁ」
柄にもなく気持ちが沈んでいることを自覚し、ルナンは盛大にため息をついた。
まったく、連れがいると計画通りに動けたものではない。
「あのー、すみません」
ディオルが後ろから謝る。確かに謝りたくもなるような空気だ。
「……あ……」
「うお」
しかし、青年のため息気分とは裏腹に、兵士の言葉が止まった。二人とも、ピタリと止まって、じっとこちらを見て言葉を失っていた。
「どうしたの……? キシさん」
少女がキョトンとした様子で尋ねる。
青年も一瞬、その間の意味に頭を巡らせた。彼女は青年の後ろを見ている。ルナンは、全ての煌力を、皮膚に集中させた。
背後。ゴソ、と何かが動く音。
殺気はほんの僅か。
左腕の、挙動。金属の音。
背後を見ずに理解できたのは、そこまでだった。
途端に騎士が態度を変える。
「ホンモノだな」
「たっ、たた大変失礼しました! これまでのご無礼をお許しください!」
なんと、王国騎士に頭を下げられた。
「はー、先に言えっちゅうの。警戒して損したわ」
「こちらへどうぞ! よかったら……お詫びに案内しますよっ」
見れば、騎士たちが穏やかな表情で道を案内しようとしているではないか。
ディオルが安堵の声を漏らす。
「良かった! さてみなさん、行きましょうか」
「いいの!?」
「ええ、どうぞどうぞ……!」
足取り軽くなったクルミが、ぴょんと跳ねた。
「遺跡のキシさんたち、ちょっと良いひとだね!」
歓迎されただと? まさか。
明らかにおかしい、とルナンの第六感がビシビシ訴えていたが、入れないより良いのは間違いない。
今、文句をつけてシュラみたいに意見がひっくり返ったら困る。
考えてから兵士の後をついていく。
若干一名を後ほど問い詰めるとして、ひとまず黙っておこう。
「ところで、皆様はどういったご関係なんです……?」
前を歩く女騎士は、背後の背高な男を見上げて問いかけた。
「そうですね。ギルドの依頼主と依頼者、といえばわかるでしょうか?」
ともに遺跡に入りながら、にこやかな笑顔でディオルが答えた。相変わらず胡散臭いことこの上ない。
「そう、なんですねっ……」
ルナンははたと目がいった。
よく見ると、二人ともカイナとはやや制服の形状が違っている。
小さな女騎士の方はスカート型、男の方はゆるめの長ズボンだ。他の門番などの騎士の多くはタイトなズボンに鉄の量産型ブーツをはいていることがほとんどなのだが、彼らは特注なのだろうか。
もしかすると、騎士団内での成績がいい人間、所謂エリート組なのかもしれない。意外ではあるが。
考え事をしていたルナンの前に、手が差し出されていた。
「じゃ、あんたはこれ持ってけ」
「これは……」
差し出された小物を受け取ると、それは己の穴あき手袋とよく馴染む紫色をしていた。
半円のような、奇妙な形の笛だ。掠れているが、赤い模様が入っている。
「内部でも、また警備に声かけられんだろうから。そのときは、こいつを見せときゃ話は伝わるぜ」
成る程。許可証みたいなものか。
ルナンは、静かに黒ズボンのポケットに笛を突っ込んだ。
「助かる」
内部への入り口らしき門にたどり着くと、兵士が手をかざして道を開けてくれた。
「この先、遺跡の仕掛けも少しですが残っているので……充分、お気をつけて!」
「……間違って引っかかるなよ」
左の胸に握り拳を添える姿勢。騎士団式の略式敬礼を受けながら、三人は内部へと進んだ。
「ありがとう~、ちょっといいキシさん!」
去り際、ルナンは言葉の代わりに、彼らと同じように左胸に拳を当てていた。
異質な遺跡を進む一行。
道中、壁は冷たい銀の鋼で覆われ、装飾らしい装飾は石柱のみの、物寂しげな雰囲気のする場所であった。
「おい。あれはどう言うことだ」
無言で歩き、騎士の姿が見えなくなった頃、ルナンはディオルを問いただした。
「どう、とは? 私、さっぱりわかりませんね〜」
「しらばっくれるな」
当然先ほどの兵士の態度についてだ。
シュラから聞いた話と違いすぎる。
「はは。バレちゃってましたか」
ルナンは眉間に皺を寄せた。
背高な男は気に介さないように笑っている。
「実はですね。シュラさんからこれを頂きまして☆」
男の手にはキラリと光るバッジが煌めいていた。赤い鳥のマーク。なんらかの組織証だろうか?
「ディオル、いつの間にもらったの?」
否、もらっていないに違いない。
俺から見てもそんな暇は無かったのだ。
大方、近づいたときにでも盗んだのだろう。
「彼が特別にくれたんですよ。これが友情の証だと……!」
「ディオルもシュラと仲良しなんだね~!」
少女が嬉しげにうんうんと頷いた。
こいつ、奴の小芝居がかった演技にすっかり騙されている。
「……どうなっても知らんぞ」
にごして返事をする。
クルミには本当のことは黙っておこう。教育に悪そうだ。
ルナンは自分のことを棚の上に放り投げて、そう心に決めた。
「おや、行き止まりのようですよ」
「えー」
ディオルの言葉通り、そこは行き止まりの様に見えた。
こういった静寂な場に向かって他者と議論する気にはなれない。ルナンは黙って目の前の異質な壁へと歩いて行き、垂直に手のひらを向けた。