五幕『この記憶の果て』
視界に入り込む、草木の切れ端。
一面の豊かな草原の中で、ただひたすらに過ぎ行く風景を眺めている。
金属が日の光を照り散らす。静かな駆動音と、土けむりの匂い。
僕はこの感覚が好きだ。
愛用の白いバイク──正式名称『MAF08』。使う機会はあまり多くないけど、僕のお気に入りの陣機械のひとつ。
それが今、出せる限りの全速力で走ってくれている。
〈マーキナ遺跡〉に待ち合わされている僕を乗せ、昼の大地を走行していく。
発掘調査の進む〈最先端の陣機械遺跡〉に足を運ぶのは僕にとって喜びだ。でも、今日ばっかりは気が進まない。
構ってやらないとうるさい旅ギルドの連中に目を付けられて以来、研究の一つも集中出来ない。だから今日は、呼ばれたついでに文句をつけに行く。
「一人にして欲しいんだけどな……」
ここ最近よく絡まれる。そういえば、ついさっきも僕に構ったやつらがいた。
若干年上っぽい男と、妙に気の抜けた女の子。それから、眼鏡のスーツ男。
素人のくせに「遺跡に入らせて欲しい」だとかって、おかしな三人組だった。
わざわざ断ったってのに、彼らが後を追ってきていたことには、もっと驚いた。二人は購買店の影にしゃがみ込んで。もう一人はその壁なんかに張り付いて。隠れてるつもりかは知らないけど、こっちのバックミラーからは丸見えだった。
まだ、追ってくるつもりかな。
彼らは、どこか切羽詰まった雰囲気だった。
懲りずに後をつけてきたとして、どういう手段で遺跡に入るつもりなんだろう。
わざわざ、関係者でないと無理だって伝えてやったのに。ろくでもない手を使うのかもしれない。
「はあ……ついてこようが、別にいっか」
僕ははっきり断ったんだから、無関係だ。
そう結論付けて、黒手袋越しのアクセルを捻り直した。
◆
「ふえ……んえぇぇ……」
タイヤ痕を追いかけて走る鉄の馬。
「ルナンさん。もう少しスピード出ないんですか?」
三人乗りという無茶な乗り方をされた大型のバイクは、かなりの速度を出して草原を爆走していた。
「バカ言うな。前が見えんのかお前は」
先頭の銀髪男が悪態をつく。
「ふえぇっ……ふぐっ……」
先刻からずっと、半泣きの呻き声が聞こえている。
後ろにしがみついている金髪少女の体が震えていた。大方、怖いか酔っているかのどちらかだろう。
これ以上スピードを出すことは出来ない、そう判断していた。
「まあ可哀想ですが、長引くともっと可哀想ですよ」
シュラさんもどんどん先行っちゃいますし。と、後方に立ち乗りをした茶髪の男が、呆れたように言う。
ルナンと呼ばれた青年は降り向かず答えた。
「否、恐らくだが、そろそろだ」
山々の手前、人工物らしき遠景が見えていた。
「ああ……」
木々を抜ければすぐそこに、遺跡がある。
ここまで走ってきた距離に比べればすぐだ。
もうすぐ着きますよクルミさん、とディオルが言うと、ほんとう!? と喜ぶ少女の明るい声が響いた。
しばらくして、生い茂る木々に隠すようにしてバイクを停める。
埃くさい石造りの地面。
懐かしい土の匂い。
マーキナ遺跡、到着だ。
「わああ~! すっごく古いねえ!」
遅れて降りれば、クルミのいつものソプラノ声が聞こえる。少女は黒いバイクから降りた途端、遺跡に向かってパタパタと走り出した。
酔っていたんじゃないのか、あいつ。
「おい。あまり大声を出すな。そう声を出すと……!」
「そこのあなたっ、止まりなさーい!」
石柱の奥から、若い女の声がした。遠目にもやはり気覚えのある、赤い制服の兵士だ。
「わあ。正義の味方のお出ましですよ」
「……厄介になった」
ルナンは頭を抱えた。
こうも早速王国騎士に見つかっては、潜入もへったくれもあったものではない。
「止まってくださいー!」
黄み掛かった茶髪の騎士が走って、クルミに近寄っている。知らない奴だ。内心で、たまたまここがカイナの持ち場じゃなくて良かったと思った。
「お願いだから、止まってくださいよぅ! 何なんですかぁ!」
「ふえ?」
ショートヘアの、妙になよなよした雰囲気の小さな女騎士だ。
大きなスカイブルーの瞳を潤ませながら、少女に向かって拳をぶんぶん振り回している。
「勝手に入っちゃ、ダメダメ! それで怒られちゃうの私なんですよぅ!」
「あうぅ!」
まずい。クルミが気圧されて半泣きになっている。
ひとまず青年が割って入った。
「お前、騎士団だな? 俺たちは旅人だ。悪意はない。この通りだ」
両腕を広げて、適当なホラを吹いて見る。
「右に同じく旅人です!」
背後のディオルも、にっこり笑顔で同調した。
「はいっ! 旅人さんなら、すぐに町に行ってください!」
「道に迷ってだな……」
ルナンが嘘を口にしている間に、奥からもう一人の騎士がやってきた。
「へー。こんな、見晴らしいい王国で、道に迷うやつとかいるんだ。やべーな」
ダークブラウンのハネた髪を揺らして悪態ついている。騎士にしては態度の悪い男だ。
「ライラ! なんでそんな人を怒らせるようなこというんですかっ!?」
「いや事実じゃん。こいつらふつうに不審者だって。正直そうだろ。何でここきたん?」
「否……そうは言われてもな……」
騎士に詰め寄られる。こうも粘着質だと、本気で道に迷った奴に抜刀されそうだな。
小柄な女騎士の方がおずおずと聞いてきた。
「あのお……、さっき道に迷ったって仰ってましたよね?」
「うむ。その通りだが」
「ひゃい!」
肩が跳ねた。こっちは、丁寧というよりはビビりだな。こんなあからさまな臆病者は、警備としては致命的であろうに。
おかしな騎士もいたものだ。
「よかったら、地図! さしあげましょうか!?」
紙と共にさっと差し出された手を、隣の男が手刀で振り落とした。
「ラスイチの物品上げるの禁止な。フレア」
「ひーん……」
「ひーんじゃねえ。まず取り調べが先だろ」
ルナンが眉根を寄せる。
漫才のような会話の中、取り調べという単語が出てきたではないか。
取り調べだけはまずい。俺はもとより騎士団には目を付けられているし、王都騒ぎの件が奴らに知られていないとも限らない。
一瞬、他人事のように青年はそう思い、対処法を考えあぐねていた。
隣の少女が進み出て、頭を下げた。
「ごめんなさい! でも、どうしても遺跡が見てみたかったの」
赤い制服の女騎士は急に慈悲深い表情になると、そっとしゃがんで、両肩をつかんだ。
「ここは、あなたみたいな子どもが来たら、危ないんだよ。ねっ?」
騎士の男は、立ったまま見下したように言葉を吐いた。
「お嬢ちゃんはさっさとお家に帰りな」
ルナンは後ろでそれらの騎士の台詞を聞き、少しではあるが、体が硬直してしまった。
クルミには家はおろか、帰る場所すらないのだ。それなのに家に帰れなどというのは、この少女に掛けるには最も酷な言葉に聞こえた。
「あのね……この中を見られたら、なにか分かるかもしれないの。だからっ……」
少女の声が段々震えていく。
「ごめんね……」
応えられない、というように、女騎士が落ち込んだ顔で謝る。もう片方も悪いことをしたと思ったのか、青年の方を見ながら言った。
「あんた、保護者か? だったら教育をもう少しまともにしてやった方がいいよ」
「助言、ありがたく受け取ってやろう」
「なんだよ。偉そうに」
こちらこそ偉そうに言われたはずなのだが、不思議と怒る気分ではなかった。事情を知らぬ以上、双方悪気がない言葉だったのだ。仕方がない。
「……はぁ」
柄にもなく気持ちが沈んでいることを自覚し、ルナンは盛大にため息をついた。
まったく、連れがいると計画通りに動けたものではない。
「あのー、すみません」
ディオルが後ろから謝る。確かに謝りたくもなるような空気だ。
「……あ……」
「うお」
しかし、青年のため息気分とは裏腹に、兵士の言葉が止まった。二人とも、ピタリと止まって、じっとこちらを見て言葉を失っていた。
「どうしたの……? キシさん」
少女がキョトンとした様子で尋ねる。
青年も一瞬、その間の意味に頭を巡らせた。彼女は青年の後ろを見ている。ルナンは、全ての煌力を、皮膚に集中させた。
背後。ゴソ、と何かが動く音。
殺気はほんの僅か。
左腕の、挙動。金属の音。
背後を見ずに理解できたのは、そこまでだった。