四幕『旅ギルドなんて嫌だ』
重い沈黙を破ったのは、彼らの中の誰でもなかった。
電子音、だった。
──リリリリ、リリリリ。
シュラの腕からだ。甲高い音は、妙ちきりんな腕輪から聞こえていた。同じ音が繰り返し響き続ける。
茶色いベルトに青い円盤のようなものがついたそれは、バイクの前部分にある金具と、似たような雰囲気だった。男は円盤の左側にあるボタンを、忌々しげに押した。音が止む。
「とにかく僕らは旅ギルドなんて嫌だ。絶対、お断り」
ハッキリと言い捨てると、男は振り返らずに出口に向かって歩いた。
──リリリリ……。
男を煽るタイミングで、止まったはずの電子音が鳴り始める。
出口付近の本棚の前で、シュラは諦めたように立ち止まった。息を整え、また別なボタンを押す。
「──はい」
俯いて発言した。
『おいゴラァ! さっき切っただろテメェ!』
「なーんだ、きみかよ……」
腕輪のブルー部分から聞こえる電子声に、シュラはうなだれた。
「通信、ですね……」ディオルの呟きだ。
「つうしん?」
「昨日、ルナンさんが猫さんと遠距離会話していたでしょう。あれと同じです」
少女とディオルの会話を、ルナンは、半ば上の空で聞いていた。
何故だろう。いつからか分からないが、肩が重いし、足腰も痛く感じる。視界がぼんやりと霞むのだけは、気力で抑え込んだ。
『なんだとは何だ、クソガキがァ! 人が折角、指令伝えてやろうってのによォ』
こちらまで微かに届く音声は、短気な乱暴者の印象を受ける。シュラが嫌いそうなタイプだな。
「ふーん。手短に頼むよ。それから、絶対に“呼ばないで”」
『……オウ。じゃ一度しか言わねえぜ──《正午までにマーキナ遺跡へ来い》』
「は……?」
『どうだ、最短で済ませたぜぇ?』
「ハァアアッ!? ふざけんな、僕用事あるし! 大体街の馬車使っても、三刻は掛かるだろ!? もう昼前なのにっ」
シュラは大声で不服を訴えていた。周囲の一般人が、そんな男を見て怯えている。
『出来るだろ。あんたなら』
「……クソッ!」
『てーか、オイ──……』
男が腕輪に触れると、音声はブツ切れた。
「どいつもこいつも、どこまで僕を利用するんだ……!」
煮えくり返るはらわたを隠そうともせず、シュラは毒吐いた。賢明な人物だろうに、まるで、衆目を忘れたようだった。
男は力任せに木製の扉をこじ開けて、外の街へと繰り出した。
「シュラ……怒ってた、ね」
ぽつり、クルミは感想を零した。
図書館〈学びの樹〉は、シュラがいなくなっても比較的にぎやかだ。
なおも多くの人々が本棚の書籍を探し、いくつかのテーブルを囲み、そして談義に花を咲かせている。
「あいつは、旅ギルドと何かあったのだな」
「うん……すごく、辛そうだった」
落ち込んでいる少女が視界に写る。
少女の頭上に右手を置いて、艶やかな金髪を雑にかき混ぜてやった。
「後を追うぞ。俺たちも遺跡に向かおう」
ルナンはいよいよ、腹を据えた。
「彼なしでは、門前払いですよ?」
「なるようにしかならん。無理ならば、見張りを人質にしてでも入るまでだ」
「いいえ。一旦、頭を冷やすべきです」
ルナンのとんでもない発言に、ディオルはきっぱりと反論した。青年が返す。
「……アイツの言った別の協力者を探す、ということか?」
頷いた男を見上げて、少女が声を荒げた。
「だめだよ! シュラのこと、助けてあげなくちゃ!」
当然、それ以外の選択肢なんてない、そこまでの熱意がこもった真剣な瞳だった。
少女のなかでは、シュラはとうに『お友だち』なのだ。例え、ルナンやディオルからは、赤の他人でも。
俺自身は今さら何をしようが、どうせ重罪人だ。それに目的もある。クルミのお人好しに、付き合ってやってもいいと思っている。
あとは、ディオルがどんな意見を持っているのか。それだけだった。
「そりゃ、シュラさんの事情は心配ですが……しかし」
依頼主の目を、青年は見た。
「では問おう。お前自身は、どうしたい?」
眼鏡の奥の瞳を見開く、その男。
ディオルは、言の葉を噛みしめるようにして、こう言った。
「……追いかけましょうか」
青年と少女は、二人して頷いた。
◆
先頭の黒い男に言われるがまま、私たちは遠くからシュラさんを追っていきます。
街の外に向かったと思われた彼の背は、反して街の奥へと向かっていました。
たどり着いたのは、薄汚れた小屋。
いかにも爆発のひとつやふたつは乗り越えていそうな、小さな家屋です。
彼はなんの躊躇もなく、そこへ入って行ったのでした。
「あれ……? いせき、いかないのかな?」
「尾行がバレているってことは、無いのでしょうが」
私は正直に、そう呟きました。
青年はもちろん、少女もそれなりに隠れてくれている。
あの軟弱そうな研究者に限って、尾行に対策する能力が高いはずありません。
「おかしいな……、むっ」
ルナンさんの低音に被さり、小屋の重そうな扉が開きます。
「ふう。疲れた」
シュラさんです。
身を乗り出していた私たちは、慌てて物陰に隠れます。
「なるべく利用したくなかったのにね……」
建物の影に忍んでいれば、なにか、特徴的な音が耳に届いてきました。
連続した、地面を転がる硬い音。
断続する、繊細な金具の擦れた音。
「はぁ~……昨日と今朝は、散々だ。きみなら、分かってくれるかな?」
彼が、誰かに語りかけています。
……人が増えたのでしょうか。
気配を探り、恐る恐る顔を覗かせてみると、一人で居るシュラさんの姿。
通信をしているわけでもなさそうです。
ただし、彼の隣にあったのは──純白のバイクでした。
小振りな彼に良く似合う、上品さを感じさせる中型の陣機械。
もしかすると、無機物と電波的な会話を……?
まっさか。そんなヘンな話はありませんよ。
私の一人芝居をあざ笑うかのごとく、彼はそのハンドルを愛おしそうに撫でておりまして。えらく素直な声音で。
「そうだね。今こそ、頑張らないと……」
会話のような独り言を、良しとしてました。
ふむ。これは、見てはいけないシーンだったかもしれません。私は忘れてあげませんがね。
ゴーグルを首元へ落として、白いヘルメットを着用したシュラさんが、バイクの背に跨ります。
彼は手慣れた操作を行い、最後にハンドルをひねりました。
「はやく終わらせよう。僕が〈サイフェル〉に居られるうちに」
陣機械が発進。直後、ルナンさんが少女と共にしゃがみ込みます。彼は、こちらの物陰のほうへ来ているのです。
とくに急いで壁に張り付いてはみましたが、所詮は建物の影。三人で居ると目立ちます。向かって真横の道すじを颯爽と通りにくる、白いバイク。
今度こそバレた。
そう思ったのですが、彼はこちらに目もくれず通過。
南の方角へと、路地を折れて行きました。……杞憂だったでしょうか。
あっけらかんとした小屋前の路地で、陣機械の吐いた煙たさだけが私たちを包みます。
真っ先に口を開いたのは、黒い男でした。
「おい、まずいぞ……探そう! 北入り口前だ!」
いつになく切迫した声音です。
ルナンさんはそのまま、少女を横抱きに。クルミさんはびっくりです。
「ひょわぁ!? さ、さがす? なんのこと?」
「例の黒いバイクだ、俺たちも陣機械で追いかける! ただでさえ遠いんだ、あいつに距離を離されては、遺跡周辺で迷いかねない!」
ぼやっとするな、急げ!
ルナンさんの叱咤で、一足先に駆け始めます。
北入口・検問所先の茂みまで──。
(さて、私も……腹を括りましょうかね)
いつもの私なら同意しないだろう、破天荒な作戦に乗っかってしまったのは何故か、今でも正直わかりません。しかし、行けば新たに分かることもあるでしょう。
踏みしめた地は石。足を沈めさせず、頼もしい造りのこの街。時刻は昼前。
私は少し、今日、という日が楽しみになってしまいました。
──ちょっとした、嵐の予感です。