DR+20


四幕『旅ギルドなんて嫌だ』



 重い沈黙を破ったのは、彼らの中の誰でもなかった。
 電子音、だった。
 ──リリリリ、リリリリ。
 シュラの腕からだ。甲高い音は、妙ちきりんな腕輪から聞こえていた。同じ音が繰り返し響き続ける。
 茶色いベルトに青い円盤のようなものがついたそれは、バイクの前部分にある金具と、似たような雰囲気だった。男は円盤の左側にあるボタンを、忌々しげに押した。音が止む。
 
「とにかく僕らは旅ギルドなんて嫌だ。絶対、お断り」
 
 ハッキリと言い捨てると、男は振り返らずに出口に向かって歩いた。
 ──リリリリ……。
 男を煽るタイミングで、止まったはずの電子音が鳴り始める。
 出口付近の本棚の前で、シュラは諦めたように立ち止まった。息を整え、また別なボタンを押す。
「──はい」
 俯いて発言した。
『おいゴラァ! さっき切っただろテメェ!』
「なーんだ、きみかよ……」
 腕輪のブルー部分から聞こえる電子声に、シュラはうなだれた。
 
「通信、ですね……」ディオルの呟きだ。
「つうしん?」
「昨日、ルナンさんが猫さんと遠距離会話していたでしょう。あれと同じです」
 少女とディオルの会話を、ルナンは、半ば上の空で聞いていた。
 何故だろう。いつからか分からないが、肩が重いし、足腰も痛く感じる。視界がぼんやりと霞むのだけは、気力で抑え込んだ。
 
『なんだとは何だ、クソガキがァ! 人が折角、指令伝えてやろうってのによォ』
 こちらまで微かに届く音声は、短気な乱暴者の印象を受ける。シュラが嫌いそうなタイプだな。
「ふーん。手短に頼むよ。それから、絶対に“呼ばないで”」
『……オウ。じゃ一度しか言わねえぜ──《正午までにマーキナ遺跡へ来い》』
「は……?」
『どうだ、最短で済ませたぜぇ?』
「ハァアアッ!? ふざけんな、僕用事あるし! 大体街の馬車使っても、三刻は掛かるだろ!? もう昼前なのにっ」
 シュラは大声で不服を訴えていた。周囲の一般人が、そんな男を見て怯えている。
『出来るだろ。あんたなら』
「……クソッ!」
『てーか、オイ──……』
 男が腕輪に触れると、音声はブツ切れた。
「どいつもこいつも、どこまで僕を利用するんだ……!」
 煮えくり返るはらわたを隠そうともせず、シュラは毒吐いた。賢明な人物だろうに、まるで、衆目を忘れたようだった。
 男は力任せに木製の扉をこじ開けて、外の街へと繰り出した。
 
 
 
「シュラ……怒ってた、ね」
 ぽつり、クルミは感想を零した。
 図書館〈学びの樹〉は、シュラがいなくなっても比較的にぎやかだ。
 なおも多くの人々が本棚の書籍を探し、いくつかのテーブルを囲み、そして談義に花を咲かせている。
「あいつは、旅ギルドと何かあったのだな」
「うん……すごく、辛そうだった」
 落ち込んでいる少女が視界に写る。
 少女の頭上に右手を置いて、艶やかな金髪を雑にかき混ぜてやった。
「後を追うぞ。俺たちも遺跡に向かおう」
 ルナンはいよいよ、腹を据えた。
「彼なしでは、門前払いですよ?」
「なるようにしかならん。無理ならば、見張りを人質にしてでも入るまでだ」
「いいえ。一旦、頭を冷やすべきです」
 ルナンのとんでもない発言に、ディオルはきっぱりと反論した。青年が返す。
「……アイツの言った別の協力者を探す、ということか?」
 頷いた男を見上げて、少女が声を荒げた。
「だめだよ! シュラのこと、助けてあげなくちゃ!」
 当然、それ以外の選択肢なんてない、そこまでの熱意がこもった真剣な瞳だった。
 少女のなかでは、シュラはとうに『お友だち』なのだ。例え、ルナンやディオルからは、赤の他人でも。
 俺自身は今さら何をしようが、どうせ重罪人だ。それに目的もある。クルミのお人好しに、付き合ってやってもいいと思っている。
 あとは、ディオルがどんな意見を持っているのか。それだけだった。
「そりゃ、シュラさんの事情は心配ですが……しかし」
 依頼主の目を、青年は見た。
「では問おう。お前自身は、どうしたい?」
 眼鏡の奥の瞳を見開く、その男。
 ディオルは、言の葉を噛みしめるようにして、こう言った。
「……追いかけましょうか」
 青年と少女は、二人して頷いた。
 
     ◆     
 
 先頭の黒い男に言われるがまま、私たちは遠くからシュラさんを追っていきます。
 街の外に向かったと思われた彼の背は、反して街の奥へと向かっていました。
 たどり着いたのは、薄汚れた小屋。
 いかにも爆発のひとつやふたつは乗り越えていそうな、小さな家屋です。
 彼はなんの躊躇もなく、そこへ入って行ったのでした。
「あれ……? いせき、いかないのかな?」
「尾行がバレているってことは、無いのでしょうが」
 私は正直に、そう呟きました。
 青年はもちろん、少女もそれなりに隠れてくれている。
 あの軟弱そうな研究者に限って、尾行に対策する能力が高いはずありません。
「おかしいな……、むっ」
 ルナンさんの低音に被さり、小屋の重そうな扉が開きます。
「ふう。疲れた」
 シュラさんです。
 身を乗り出していた私たちは、慌てて物陰に隠れます。
「なるべく利用したくなかったのにね……」
 建物の影に忍んでいれば、なにか、特徴的な音が耳に届いてきました。
 連続した、地面を転がる硬い音。
 断続する、繊細な金具の擦れた音。
「はぁ~……昨日と今朝は、散々だ。きみなら、分かってくれるかな?」
 彼が、誰かに語りかけています。
 ……人が増えたのでしょうか。
 気配を探り、恐る恐る顔を覗かせてみると、一人で居るシュラさんの姿。
 通信をしているわけでもなさそうです。
 ただし、彼の隣にあったのは──純白のバイクでした。
 小振りな彼に良く似合う、上品さを感じさせる中型の陣機械クロムディア
 もしかすると、無機物と電波的な会話を……? 
 まっさか。そんなヘンな話はありませんよ。
 私の一人芝居をあざ笑うかのごとく、彼はそのハンドルを愛おしそうに撫でておりまして。えらく素直な声音で。
「そうだね。今こそ、頑張らないと……」
 会話のような独り言を、良しとしてました。
 ふむ。これは、見てはいけないシーンだったかもしれません。私は忘れてあげませんがね。
 ゴーグルを首元へ落として、白いヘルメットを着用したシュラさんが、バイクの背に跨ります。
 彼は手慣れた操作を行い、最後にハンドルをひねりました。
「はやく終わらせよう。僕が〈サイフェル〉に居られるうちに」
 陣機械クロムディアが発進。直後、ルナンさんが少女と共にしゃがみ込みます。彼は、こちらの物陰のほうへ来ているのです。
 とくに急いで壁に張り付いてはみましたが、所詮は建物の影。三人で居ると目立ちます。向かって真横の道すじを颯爽と通りにくる、白いバイク。
 今度こそバレた。
 そう思ったのですが、彼はこちらに目もくれず通過。
 南の方角へと、路地を折れて行きました。……杞憂だったでしょうか。
 あっけらかんとした小屋前の路地で、陣機械クロムディアの吐いた煙たさだけが私たちを包みます。
 真っ先に口を開いたのは、黒い男でした。
「おい、まずいぞ……探そう! 北入り口前だ!」
 いつになく切迫した声音です。
 ルナンさんはそのまま、少女を横抱きに。クルミさんはびっくりです。
「ひょわぁ!? さ、さがす? なんのこと?」
「例の黒いバイクだ、俺たちも陣機械クロムディアで追いかける! ただでさえ遠いんだ、あいつに距離を離されては、遺跡周辺で迷いかねない!」
 ぼやっとするな、急げ!
 ルナンさんの叱咤で、一足先に駆け始めます。
 北入口・検問所先の茂みまで──。
(さて、私も……腹を括りましょうかね)
 いつもの私なら同意しないだろう、破天荒な作戦に乗っかってしまったのは何故か、今でも正直わかりません。しかし、行けば新たに分かることもあるでしょう。
 踏みしめた地は石。足を沈めさせず、頼もしい造りのこの街。時刻は昼前。
 私は少し、今日、という日が楽しみになってしまいました。
 
 ──ちょっとした、嵐の予感です。