夕刻の手紙


四幕『旅ギルドなんて嫌だ』


 
  


「僕は、シュラ。この街に住んでる理系の庶民、かな」
 怒りの矛先を仕舞ったシュラはどこか大人びて見えた。
「そっかぁ……。お話ありがとう、シュラ!」
 クルミは一段と愛らしい笑顔を咲かせた。
「シュラか。改めて、先ほどは粗相をして悪かったな。水に流して貰えると助かる」
 ルナンは真面目に謝ったが、これを聞いた男の目は点になっていた。
 ふっ、と鼻で笑われた。
「久しぶりだよ。きみたちみたいな嫌えない馬鹿に会えたのは」
 体の横に拳を表返す仕草。左手首に、妙ちきりんな腕輪が見えた。
 馬鹿とは、好意と受け取ってよいのだろうか。
 そう思っていたところ、深みのある声音が言った。
「若き陣機械クロムディア研究者……“若年の天才”シュラ・エーデル」
 振り返ると、紺色スーツ姿の男が、シュラを見据えていた。
 合点がいった、そんな様子だった。
「あなたの呼び名と、フルネームです。シュラさん、違いますか」
「……物知り顔だな、きみは」
 シュラは、冷めた声で肯定した。
 正直、何のことだか分からぬルナンは、本人へ聞き返す。
「若年の天才?」
 何をしているやつなのか。主語がないではないか。否、ディオルは陣機械クロムディア研究者と前置いた。差し詰め、その手の専門家というやつか。
「身内の研究者が呼び始めた、ぼんやりした二つ名さ。勝手に広まって、僕は迷惑だよ」
 本人は曖昧に苦笑しているが、要するに、秀才なのでは。凄いなこいつ。
 座学を好かないルナンは尊敬した。
 スーツ男は、殊更にっこりと笑んで尋ねる。
「シュラ・エーデルさんだということは、“持って”ますよねぇ」
「なんのことかな」
「当然、マーキナ遺跡の調査権です。陣機械クロムディア研究の著名人なんですから」
 報酬ははずみますよ? と、ディオルは笑みを浮かべた。
 交渉再開と見た。
「……きみは、僕の名と腕が目的かい」
 シュラの顔つきが険しくなってきている。
 雲行きがまずい。そう感じた俺は迷わず援護に入った。
「こいつはただの旅人だ。遺跡に用があるのは、むしろ俺たちの方でもある」
「一般人の、きみたちが?」
 そんな、胡散臭そうな目はやめてほしいのだが。
「事情を話すと長くなるのだが、どうしても奥地まで行かねばならない。盗賊まがいのことはせぬ。遺跡内に、入れてさえくれればいいんだ」
「きみさ──ルナンだっけ。きみは、どこまで『知ってる』んだ?」
 ルナンは、緑髪、小柄な男のブラウンの瞳を見た。物事を見定めんとする者のまっすぐな目だ。己もまた、周囲の者たちに対して、確かに向けてきたような目だ。
 遺跡探索に潜るのは、クルミのためか? それとも、ディオルの依頼のためか──否。違う。そんなものは、後から付随したオマケにすぎない。
 黒衣の青年は静かに口を開く。
 
「俺は知らん。ただあの遺跡に、俺の会うべき人間が居るやも知れぬ。それが答えだ」
「……はぁ……」
 絶句する男を前に、青年は右の拳を胸に当て、頭を下げた。
「どうか、お前の力を貸してくれ」
 
 ──そう、すべては、俺自身の復讐のためだ。
 嘘は吐いていない以上、シュラの沈黙が否定ではないことを願う。低頭するルナンを前に、シュラは頬を掻いた。
「へ、変なヒトだな……。別に、受けてやらないでもないんだけどさ」
「本当か!? 助かる!」
 ルナンが息を吐いた。
「その前にだよ、もし引き受けたら、僕はどんな形式の仕事になるんだい? 委託? 同行?」
 シュラはこちらへ聞き直してきた。
 ルナンは真っ直ぐに相手を見る。
「同行依頼という形だな。旅ギルド〈闇夜の流星〉に協力してもらいたい」
「──ハァ!? 旅ギルドだって!?」
 力強い声だ。また嫌な顔をされたかと錯覚したが、ルナンはすぐに思い直した。
「……信じられない。前言撤回」
「な……」
 尋常ではない、恐怖の色。
「前言撤回だよ」
 そう二回繰り返した。
 シュラの表情は、得体の知れぬ畏怖を宿していた。
 沈黙が落ちる。
 他の二人も、考えの追い付かない顔をしている。
 
 重い沈黙を破ったのは、彼らの中の誰でもなかった。
 電子音、だった。
 ──リリリリ、リリリリ。
 シュラの腕からだ。甲高い音は、妙ちきりんな腕輪から聞こえていた。同じ音が繰り返し響き続ける。
 茶色いベルトに青い円盤のようなものがついたそれは、バイクの前部分にある金具と、似たような雰囲気だった。男は円盤の左側にあるボタンを、忌々しげに押した。音が止む。
 
「とにかく僕は旅ギルドなんて嫌だ。絶対、お断り」
 
 ハッキリと言い捨てると、男は振り返らずに出口に向かって歩いた。
 ──リリリリ……。
 男を煽るタイミングで、止まったはずの電子音が鳴り始める。
 出口付近の本棚の前で、シュラは諦めたように立ち止まった。息を整え、また別なボタンを押す。
「──はい」
 俯いて発言した。
『おいゴラァ! さっき切っただろテメェ!』
「なーんだ、きみかよ……」
 腕輪のブルー部分から聞こえる電子声に、シュラはうなだれた。
 
「通信、ですね……」ディオルの呟きだ。
「つうしん?」
「昨日、ルナンさんが猫さんと遠距離会話していたでしょう。あれと同じです」
 少女とディオルの会話を、ルナンは、半ば上の空で聞いていた。
 何故だろう。いつからか分からないが、肩が重いし、足腰も痛く感じる。視界がぼんやりと霞むのだけは、気力で抑え込んだ。
 
『なんだとは何だ、クソガキがァ! 人が折角、指令伝えてやろうってのによォ』
 こちらまで微かに届く音声は、短気な乱暴者の印象を受ける。シュラが嫌いそうなタイプだな。
「ふーん。手短に頼むよ。それから、絶対に“呼ばないで”」
『……オウ。じゃ一度しか言わねえぜ──《正午までにマーキナ遺跡へ来い》』
「は……?」
『どうだ、最短で済ませたぜぇ?』
「ハァアアッ!? ふざけんな、僕用事あるし! 大体街の馬車使っても、三刻は掛かるだろ!? もう昼前なのにっ」
 シュラは大声で不服を訴えていた。周囲の一般人が、そんな男を見て怯えている。
『出来るだろ。あんたなら』
「……クソッ!」
『てーか、オイ──……』
 男が腕輪に触れると、音声はブツ切れた。
「どいつもこいつも、どこまで僕を利用するんだ……!」
 煮えくり返るはらわたを隠そうともせず、シュラは毒吐いた。賢明な人物だろうに、まるで、衆目を忘れたようだった。
 男は力任せに木製の扉をこじ開けて、外の街へと繰り出した。 

 


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