夕刻の手紙


四幕『旅ギルドなんて嫌だ』


 
  


 涼しい顔をした年長の男が、一歩歩み出る。
 姿勢を崩す概念など持たぬと言わんばかりに、腰を折り深いお辞儀をした。
「初めまして。ディオル・カラーンと申します。旅人です」
 手は後ろで組まれている。何度見ても、丁寧な物腰だ。
 ……もしや、クルミはディオルの挙動から、あんな敬語を学んだのだろうか?
「大層丁寧な挨拶をするんだな。どこの人なんだい」
「あれっ。王国ではしないんですか?」
「しないよ。あえて聞くけど、民間で誰もが最敬礼をしてる場所があるのかい?」
「はぁ、私は……存じませんが」
 困り顔で眼鏡を押し上げる男の後ろにて、少女がまだそわそわしていた。
「えと、お兄さん。お名前……」
 やはりか。
「だから無理に聞くな。失礼だろうが」
「だ、だって! お兄さん、いっぱい教えてくれたから……お名前、きになるよ」
「お前な……」
 そんな二人のやりとりを見て、向かいの青年が呆れ返っていた。
「もう良いよ。本当に、知らないんだなぁ」
 視線こそ逸らされていたが、シュラは初めて、笑っていた。
 嫌味な嘲笑ではない。厚い雲間から一筋、日が差したような……そんな笑顔だった。
「うん! 知りたい」
 クルミのソプラノを聴いて、男が冷酷な視線を向けることはもうなかった。
 小柄目な男は、左手を腰の後ろに回す。
 かかとをピタリと合わせ直立してから、胸に手のひらを当てた。
「僕は、シュラ。この街に住んでる理系の庶民、かな」
 怒りの矛先を仕舞ったシュラはどこか大人びて見えた。
「そっかぁ……。お話ありがとう、シュラ!」
 クルミは一段と愛らしい笑顔を咲かせた。
「シュラか。改めて、先ほどは粗相をして悪かったな。水に流して貰えると助かる」
 ルナンは真面目に謝ったが、これを聞いた男の目は点になっていた。
 ふっ、と鼻で笑われた。
「久しぶりだよ。きみたちみたいな嫌えない馬鹿に会えたのは」
 体の横に拳を表返す仕草。左手首に、妙ちきりんな腕輪が見えた。
 馬鹿とは、好意と受け取ってよいのだろうか。
 そう思っていたところ、深みのある声音が言った。
「若き陣機械クロムディア研究者……“若年の天才”シュラ・エーデル」
 振り返ると、紺色スーツ姿の男が、シュラを見据えていた。
 合点がいった、そんな様子だった。
「あなたの呼び名と、フルネームです。シュラさん、違いますか」
「そうかい。きみは知ってたか」
 シュラは、一気に冷めた声で肯定した。
 正直、何のことだか分からぬルナンは、本人へ聞き返す。
「若年の天才?」
 何をしているやつなのか。主語がないではないか。否、ディオルは陣機械クロムディア研究者と前置いた。差し詰め、その手の専門家というやつか。
「身内の研究者が呼び始めた、ぼんやりした二つ名さ。勝手に広まって、僕は迷惑だよ」
 本人は曖昧に苦笑しているが、要するに、秀才なのでは。凄いなこいつ。
 座学を好かないルナンは尊敬した。
 スーツ男は、殊更にっこりと笑んで尋ねる。
「シュラ・エーデルさんだということは、“持って”ますよね?」
「なんのことかな」
「当然、マーキナ遺跡の調査権です。陣機械クロムディア研究の著名人なんですから」
 交渉再開、とルナンは見た。
 ふとクルミはどうしているのかと思うと、ちゃんと隣にいた。
 大人二人の話で、頭上にはてなマークを浮かべている。相変わらずで良かった。
「……きみは、僕の名と腕が目的かい」
 ディオルが詰め寄るにつれて、シュラの顔つきが険しくなってきている。
 雲行きがまずい。そう感じた俺は迷わず援護に入った。
「こいつは只の旅人だ。遺跡に用があるのは、むしろ俺たちの方でもある」
「一般人の、きみたちが?」
 そんな、胡散臭そうな目はやめてほしい。
「事情を話すと長くなるのだが、どうしても奥地まで行かねばならない。盗賊まがいのことはせぬ。遺跡内に、入れてさえくれれば良いんだ」
 シュラの沈黙が否定ではないことを願う。
 俺は右の拳を胸に当て、頭を下げた。
「どうか、お前の力を貸してくれ」
 ディオルとクルミが続いて頭を下げる。
 男はむず痒いらしく、頭を掻いた。
「……それ、僕の知識をタダで売れって話じゃないよな?」
 頭を上げてみる。しょうがないな、と前置きが聞こえたのは、空耳だったかもしれない。
「あ。報酬自体は、私が出します」
「数千リルでなびくとか思ってないだろうね」
 茶髪の男に対してだけ、やたらと風当たりの強いそいつはジト目になった。
 長身を活用したディオルが、ひそやかに耳打ちをする。ほんの一瞬の説明だった。シュラは口の端を歪めていたものの、見るからに顔色が変わった。
「えぇっ!? ……ほ、ほんとだろうな?」
 シュラが本気でビビっている。何を提示したのか知らないが、効果てきめんである。
 ディオルは一歩離れると、どんと胸を叩いた。
「はい。万が一、報酬に偽りがあった場合、指名手配してくださっても構いませんよ!」
「うわー……本当だったら乗ってもいい条件なんだけど、あいにく用事があるんだよね」
「おや、そうなんですか」
「シュラ、依頼、むずかしい?」
 少女のソプラノが問う。
「実は、大至急進めないとならない研究があってね。君たちに悪いからこっちに知人を寄越そうかな」
「あなたの知人なら、研究者の方ですか」
「シュラのおともだち?」
「まあ、僕のツテだ。知識は保証するよ」
「本当か!? 助かるぞ」
 ルナンが息を吐いた。
「で、引き受けたときは、僕らはどういう形式で仕事になるんだい?」
 シュラはこちらへ、聞き直してきた。
 ルナンは真っ直ぐに相手を見る。
「依頼という形だ。旅ギルド・闇夜の流星に協力して貰いたい」
「──ハァ? 旅ギルドだって!?」
 力強い声だ。また嫌な顔をされたかと錯覚したが、ルナンはすぐに思い直した。
「……信じられない。前言撤回」
「な……」
 尋常ではない、恐怖の色。
「前言撤回だよ」
 そう二回繰り返した。
 シュラの表情は、得体の知れぬ畏怖を宿していた。
「ええ……」
「ふ、ふえ? でもさっきおともだち居るって」
「……ごめん。あいつも巻き込みたくないや」
「そうか……」
 何か思うところがあったのだろう。他の二人も、考えの追い付かない顔をしている。

 


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