DR+20


四幕『旅ギルドなんて嫌だ』



 涼しい顔をした年長の男が、一歩歩み出る。
 姿勢を崩す概念など持たぬと言わんばかりに、腰を折り深いお辞儀をした。
「初めまして。ディオル・カラーンと申します。旅人です」
 手は後ろで組まれている。何度見ても、丁寧な物腰だ。
 ……もしや、クルミはディオルの挙動から、あんな敬語を学んだのだろうか?
「大層丁寧な挨拶をするんだな。どこの人なんだい」
「あれっ。王国ではしないんですか?」
「しないよ。あえて聞くけど、民間で誰もが最敬礼をしてる場所があるのかい?」
「はぁ、私は……存じませんが」
 困り顔で眼鏡を押し上げる男の後ろにて、少女がまだそわそわしていた。
「えと、お兄さん。お名前……」
 やはりか。
「だから無理に聞くな。失礼だろうが」
「だ、だって! お兄さん、いっぱい教えてくれたから……お名前、きになるよ」
「お前な……」
 そんな二人のやりとりを見て、向かいの青年が呆れ返っていた。
「もう良いよ。本当に、知らないんだなぁ」
 視線こそ逸らされていたが、シュラは初めて、笑っていた。
 嫌味な嘲笑ではない。厚い雲間から一筋、日が差したような……そんな笑顔だった。
「うん! 知りたい」
 クルミのソプラノを聴いて、男が冷酷な視線を向けることはもうなかった。
 小柄目な男は、左手を腰の後ろに回す。
 かかとをピタリと合わせ直立してから、胸に手のひらを当てた。
「僕は、シュラ。この街に住んでる理系の庶民、かな」
 怒りの矛先を仕舞ったシュラはどこか大人びて見えた。
「そっかぁ……。お話ありがとう、シュラ!」
 クルミは一段と愛らしい笑顔を咲かせた。
「シュラか。改めて、先ほどは粗相をして悪かったな。水に流して貰えると助かる」
 ルナンは真面目に謝ったが、これを聞いた男の目は点になっていた。
 ふっ、と鼻で笑われた。
「久しぶりだよ。きみたちみたいな嫌えない馬鹿に会えたのは」
 体の横に拳を表返す仕草。左手首に、妙ちきりんな腕輪が見えた。
 馬鹿とは、好意と受け取ってよいのだろうか。
 そう思っていたところ、深みのある声音が言った。
「若き陣機械クロムディア研究者……“若年の天才”シュラ・エーデル」
 振り返ると、紺色スーツ姿の男が、シュラを見据えていた。
 合点がいった、そんな様子だった。
「あなたの呼び名と、フルネームです。シュラさん、違いますか」
「そうかい。きみは知ってたか」
 シュラは、一気に冷めた声で肯定した。
 正直、何のことだか分からぬルナンは、本人へ聞き返す。
「若年の天才?」
 何をしているやつなのか。主語がないではないか。否、ディオルは陣機械クロムディア研究者と前置いた。差し詰め、その手の専門家というやつか。
「身内の研究者が呼び始めた、ぼんやりした二つ名さ。勝手に広まって、僕は迷惑だよ」
 本人は曖昧に苦笑しているが、要するに、秀才なのでは。凄いなこいつ。
 座学を好かないルナンは尊敬した。
 スーツ男は、殊更にっこりと笑んで尋ねる。
「シュラ・エーデルさんだということは、“持って”ますよね?」
「なんのことかな」
「当然、マーキナ遺跡の調査権です。陣機械クロムディア研究の著名人なんですから」
 交渉再開、とルナンは見た。
 ふとクルミはどうしているのかと思うと、ちゃんと隣にいた。
 大人二人の話で、頭上にはてなマークを浮かべている。相変わらずで良かった。
「……きみは、僕の名と腕が目的かい」
 ディオルが詰め寄るにつれて、シュラの顔つきが険しくなってきている。
 雲行きがまずい。そう感じた俺は迷わず援護に入った。
「こいつは只の旅人だ。遺跡に用があるのは、むしろ俺たちの方でもある」
「一般人の、きみたちが?」
 そんな、胡散臭そうな目はやめてほしい。
「事情を話すと長くなるのだが、どうしても奥地まで行かねばならない。盗賊まがいのことはせぬ。遺跡内に、入れてさえくれれば良いんだ」
 シュラの沈黙が否定ではないことを願う。
 俺は右の拳を胸に当て、頭を下げた。
「どうか、お前の力を貸してくれ」
 ディオルとクルミが続いて頭を下げる。
 男はむず痒いらしく、頭を掻いた。
「……それ、僕の知識をタダで売れって話じゃないよな?」
 頭を上げてみる。しょうがないな、と前置きが聞こえたのは、空耳だったかもしれない。
「あ。報酬自体は、私が出します」
「数千リルでなびくとか思ってないだろうね」
 茶髪の男に対してだけ、やたらと風当たりの強いそいつはジト目になった。
 長身を活用したディオルが、ひそやかに耳打ちをする。ほんの一瞬の説明だった。シュラは口の端を歪めていたものの、見るからに顔色が変わった。
「えぇっ!? ……ほ、ほんとだろうな?」
 シュラが本気でビビっている。何を提示したのか知らないが、効果てきめんである。
 ディオルは一歩離れると、どんと胸を叩いた。
「はい。万が一、報酬に偽りがあった場合、指名手配してくださっても構いませんよ!」
「うわー……本当だったら乗ってもいい条件なんだけど、あいにく用事があるんだよね」
「おや、そうなんですか」
「シュラ、依頼、むずかしい?」
 少女のソプラノが問う。
「実は、大至急進めないとならない研究があってね。君たちに悪いからこっちに知人を寄越そうかな」
「あなたの知人なら、研究者の方ですか」
「シュラのおともだち?」
「まあ、僕のツテだ。知識は保証するよ」
「本当か!? 助かるぞ」
 ルナンが息を吐いた。
「で、引き受けたときは、僕らはどういう形式で仕事になるんだい?」
 シュラはこちらへ、聞き直してきた。
 ルナンは真っ直ぐに相手を見る。
「依頼という形だ。旅ギルド・闇夜の流星に協力して貰いたい」
「──ハァ? 旅ギルドだって!?」
 力強い声だ。また嫌な顔をされたかと錯覚したが、ルナンはすぐに思い直した。
「……信じられない。前言撤回」
「な……」
 尋常ではない、恐怖の色。
「前言撤回だよ」
 そう二回繰り返した。
 シュラの表情は、得体の知れぬ畏怖を宿していた。
「ええ……」
「ふ、ふえ? でもさっきおともだち居るって」
「……ごめん。あいつも巻き込みたくないや」
「そうか……」
 何か思うところがあったのだろう。他の二人も、考えの追い付かない顔をしている。