四幕『旅ギルドなんて嫌だ』
「どういうことなんだ、アレは……」
ルナンは遺憾であった。なにがとは、言わずとも。一連の会話すべてだ。
「ヘンだったよね。キシさんのお話」
そして、クルミがちゃんとフォローを入れてくれたことだけが救いである。
門をくぐると、そこは薄暗いトンネルとなっていた。
こんな分厚い空洞を掘る必要があるとは、一体どんな街なのだろうか。ルナンは思考を巡らせた。
「あなた、顔は知られていないようですね? 特徴も大分おかしかったですし」
「あんなのルナンじゃないもん」
少女が唇を尖らせてふくれている。
「どこかで情報が食い違ったり、誇張されたりしているのだろう。まったく」
これだから、伝達なんぞあてにならん、誰が逃げ足だけは速いロリコンだ! とぶつくさ言っているルナンを適当に流して、ディオルは状況を考察しているようだった。
「そういえば、名前が伝わっているのかどうか、聞きそびれました。あの様子では全然でしょうが」
「そうだな……。だが、街中では俺の名を呼ばない方向で頼む」
いつか言ったのと似たような台詞を、青年は繰り返していた。
「なんで?」
「ただでさえ追われているんだ。あとで目撃情報と重ねられると、厄介だからな」
「そっか、キシさんに見つかっちゃうね」
「ですねえ~」
そんな打ち合わせをしながら、薄暗い通路の終点を迎えた。
早朝の冷たい風が吹き抜ける。
一拍置いて、目がくらんだ。
ホワイト掛かった透明な視界によって──強い光を浴びたのだ、と感じ得た。
はじめに目にしたのは、電光案内板。黄緑色に輝きを放つそれは、宙に浮いている。
隅々に導線が張り巡らされた道路、奥のチェーンと同期して動く床。
鋼、ゴム、謎の金属。
鉄製の冷たい雰囲気が、街の建造物のすべてだった。
「陣機械が王国で、ここまで馴染んでいるとは……驚きです!」
何かが吹き上げる機関音がする。隣の男ディオルによる感嘆の声が鼓膜をすり抜けていった。
目が、釘付けになっていた。
エスタール王国の遠景に入り混じる、白いモヤ。空の青を覆い尽くさんばかりの白煙が、都市の異質さを際立たせていた。
「なんだ、この奇妙な街は」
「かっこいいところだねぇ!」
二人の感想はシンプルなものだった。
あまりの光景である。ルナンは続けざまに疑問が湧いてきた。
「こいつらに、魔煌という概念は無いのか?」
魔煌といえば、戦闘に限ったことではない。暮らしの代名詞でもある。火も水も風も、生活に必要な術は、人間ならば誰でも学び、扱えるものだ。
「街もここまで来ると、逆に魔煌が必要ないですかね……」
重機の鈍い音が、間隔をあけて鳴り続けている。夜の街に響けばさぞ格好がつくだろうという、小気味の良い音だ。
人工の陣機械が、サイフェルの代名詞というわけか。このような街が、王都アベルツから馬車で丸一日ほどの距離にあるなどと……、とても信じがたい。
「あっ!」
クルミのか細い指先が、上のほうを指し示す。
金の髪が揺れ、淡い光を跳ね散らした。
「見て見て! 木のうえに、明かりがついてる!」
少女の視線の先、立ち並ぶ街路樹の上にはフクロウ型の街灯り。内側からゆらゆらと金色に輝いている。人工っぽい感じではない。
「あれは、朱魔煌の応用か。否、光の古代技術なる可能性も……」
「なるほど。魔煌学問も、一応利用されてはいるのですねえ」
青年の予想はディオルの言葉によれば正解らしい。
陣機械と自然が一体化して、共存している。それは、近未来すらも感じる景色であった。
遠景の煙が一際大きく噴いた。
「でもここ、ちょっとだけ……怖いなぁ」
「えぇ……」
「危険なのは、間違いないな」
少女の恐怖感は、別段変わったものではない。解らないものを不審に思う、ある意味当然の感情だ。
「現状、トップの研究者が作る、自然の理を超えたものを……政府が制御して、取り扱っている。考えてみれば、末恐ろしいことです」
ディオルは腰にある剣具の柄を指先で辿り、憂うつげに言った。
「うーん……」
一方クルミは、よくわからない顔をしている。小難しい世間話だ。
「否。危険だからこそ政府が管理する、という考え方もあるだろう」
「お国に任せれば、安全だという意味で?」
感情のこもった男の口調を受けて、ルナンはまさか、と眉間にしわを寄せた。
「そうとは言わん。だが……」
大して考えずに出した正直な考えを、俺は示す。
「規律がないよりはマシだ。放っておこうが、禁忌とされる研究に手を出す輩は必ず存在する」
「……それも、そうでしょうかね」
不服そうに頷く男。笑みを貼り付けていないこいつというのは、やはり珍しいかもしれない。
眼鏡の奥の瞳を、斜め後ろ側から──少女がじっと見つめていた。
「ねえねえ、ディオル」
すっかり興味が移ったのだろう、クルミは不思議そうに小首を傾げた。
「あのね。きょうりょくしゃ? になる人は、どこに行ったら探せるのかな?」
「協力……あぁ、ナイスな質問ですね~。クルミさん!」
ディオルは打って変わって、にっこり笑顔で少女に対応した。ルナンは若干引いた。
陣機械よりも、お前の変わり身の速さのほうが怖いぞ。
「だって、ひと、全然いないよ!」
しかし言われてみれば、今までの街と比べると人通りが少ない。貿易街や王都の人間が多すぎた、ともいうのだが。
「人を探すとなると……やはり〈学びの樹〉ですかね」
「学びの……? 教会学級か?」
「いいえ。まあ、入ればわかりますよ」
そう言ってディオルが手にかけたのは──、
「えっ」
取っ手だ。壁に埋まった木の幹だと思っていたそこが、開いた。
扉の中は、多くの人間でごった返していた。
ルナンは思わず問い詰めた。
「一体何をしたお前!」
「ちゃあんとありましたよ。看・板☆」
そう、論破されてしまった。ルナンは見直しに行きたい思考に駆られたが、微かなプライドが邪魔をしたのでやめておいた。
「そうか」
広大な空間であるにも関わらず、雑多な感じのする場所だ。所狭しと並んだ本棚に、ほぼ隙間なく本が揃えられている。ここはいわゆる〈図書館〉といったところか。
少女が桃色の瞳を輝かせた。
「わぁー! 本がいっぱーい!!」
「おい! あまり走り回るな、危ないぞ!」
はしゃぐ子どもへ注意をかけておくに越したことはない。
どうせ、言っても聞かぬだろう──。そのうちまた何かやらかすのでは、と心配になる。
第一、少女が走ると、ワンピースのすそがめくれ上がって健康的な肌の露出が……、否。俺は何も見なかった。
次にルナンが確認したのは、壁際の本棚に触れながら走り回るクルミの背中。
「あっ」
さらに前方には、別の出入り口から男が一人、入ってきたところである。
「きゃう!」
「……痛ッ」
クルミは、その人物とぶつかった。顔面から。
言わんこっちゃない……。
少女はよろけてから、なんとかバランスを保った。男は痛々しげに横腹をさすっている。
「ふぇ、あ、ごめんなさ──」
中肉中背の男にじろりと睨まれて、クルミは足を竦ませた。
鋼をも貫くに違いない。そう思わせる鋭い瞳だ。
「なんだい、きみ? 田舎臭いよ」
生粋の都会の人間とわかる緑髪の男は、冷たい言い方で少女を突き放した。なんというべきか、機嫌の悪さが剥き出しだ。
この場合、少しとはいえ目を離した俺も悪いな……。
ルナンは少女に駆け寄って、その背に触れた。
「平気か?」
「う、うん」
体には何事もなさそうだ。見知らぬ男のほうへルナンは向き直る。