四幕『旅ギルドなんて嫌だ』
“第23話 御伽噺”
夜には少し早い、夕闇のとき。
昼から夜を繋ぐ静寂の瞬間。世界は、徐々に闇に呑まれてゆく。一帯の木々は枯れ果てて、禍々しい黒い大地の続く平野。ここに緑はおろか、小動物の一匹たりとも見つけることは叶わない。
そこに、一冊の本が、浮いていた。
黒い空間の中で、ひとりでに次々とページを捲るその書物──。常人なら、目を疑うやもしれぬ光景であったが、その前に【長い白髪の男】が立っていることにより、言いようもない説得力を内包していた。
現実的な血の気を纏っていない。夢うつつの景色。
男の薄い唇から、低い声が漏れ出る。
『──今はむかし……』
────そのむかし、〈闇者〉と呼ばれる異界の使徒がおりました。
〈闇者〉は、世界を滅ぼさんとして、この地を侵略しました。
彼は数多の従者と異形──〈骸霊〉を引き連れ、美しい大地を荒らし、人々の命を奪いました。
闇の使徒の野望は成されるか、と思われたそのとき、天から〈戦女神〉が舞い降りました。
彼女が光の力を振るえば、たちまち大地は蘇り、緑がめぶき、悪には制裁を与えました。
長い、長い戦いの末、〈闇者〉は〈戦女神〉に討伐され、世界はあるべき平穏を取り戻しました。
その後──、〈戦女神〉はその手で巨悪を遺跡に封印しました。彼女は今もどこかで、この世界を見守り続けています。
めでたし、めでたし────。
色白い男が、そっと手のひらを返すと、ひとりでに宙の本が閉じた。
飾り気のない表紙を愛おしげに見つめるその男。
「ああ。いつ読んでも、とても、すばらしい英傑譚です」
幽霊のような男は、噛み締めるように囁く。
どこか懐かしい内容の本の冒頭文。
村の子どもがひとりで読むには難読で、大人が読むには、少し幼稚なおとぎ話。
「そう……すばらしくて」
男が白く長い指先に力を込めた、瞬間。本は黒紫のモヤに包まれ、瞬く間に塵と化した。塵は虚空へと消え、無に還る。
白髪の男──【闇者】その人は、口許に半円の弧を描いた。
「つい……。皆殺しにしたくなる」
おぞましいまでの狂気に、大気がわななく。細まる右目に浮かぶ赤黒いアザが、じわりと光った。
背後で女の影が揺れる。
「スローグ、変わらないのね。私、この姿にもそろそろ飽きてきたわ……」
「じゃア今度、代わりを用意すればいーさ。いくらでも居るんだしサ」
背丈の小さな影もまた、ケタケタと笑う。
志を同じくする従者たちの声に、スローグは微笑を漏らした。
「フフ……人間は弱い。餌をちらつかせてやれば、いとも簡単に欲に屈する」
「あのオトコみたいに?」
「あれは期待はずれ、でしたが」
男の返事に、女の影は高揚の色を乗せて語った。
「“教皇”っていうんだもの。もおっと強くって、面白い見せ物を想像してたのにねぇ」
それは、主たる男が見つけた獲物のことだった。
現状の立場に物足りなさを抱え、苛立ち、くすぶっていた男。
教皇はチカラを欲していた。一時的に大量の〈煌力〉を与えれば、凡庸な男は歓喜し、そのチカラを私欲に利用し破滅した。
哀れな男は〈銀の少年〉の血肉となり、糧となったのだ。
「けれども少し『溜まった』。そうでしょう、アルメス」
「そうだけどぉ──」
まるですがるような、しかしお遊びのような声で彼女が続ける。
「この調子じゃあ、また何十、何百年とかかってしまうわ。私、そんなの嫌よ……」
「ならば、さらに純度の高い人間から〈煌力〉を奪えばよいのですよ」
「そのトーリ!」
少年の影がキッパリと同調し、手を振ると、大きな結晶が姿を現した。
〈煌力〉の生命力の溜まる半透明の欠片。人の悪意を映したような黒色をしている。
「ニンゲンの〈煌力〉、たんまり集めないとナ!」
幽霊男が首肯する。
「無論です。我らが復活した以上、あれを討つ日も近い」
我らには、討たねばならぬ宿敵が在る。
いにしえより討つべきものが在る。
人自身の欲も。人々の抱く信仰も。醜悪で、露悪的で──そして、美しい。
〈あの少年〉の抱いた野望も、そうだ。〈少年〉は、私を殺すのだという。この私に、いつか復讐を果たすのだと!
「ああ。もっとだ。もっと、激しく争わせないと……」
ぞくり、男の背筋が震えた。
色褪せた鈍色のマントが揺れる。
白髪の男は異様な笑みを貼り付け、夕闇の空に言の葉を飛ばした。
「人の孤独、欲望、願い──。すべてが、我々のチカラとなる──……!」
◆
──ディオルSide.
エスタール王国、科学街サイフェル。
王都アベルツを抜け出した三人は、かの街へと黒鉄のバイクを走らせました。
私ことディオルと、青年と、少女。夕刻の茜に染まる空をバックに、どどん! と三人乗りです。
「日が落ちる前に、一旦休息を取ろう」
そう言い出した青年。
彼の名は、ルナン。突風を受け、紫の目を細めていました。
こちらなんか向いて、よそ見すると危ないですよ。
「道中で休息というと、野宿になりますか」
「えっ?」
彼の背中にしっかりと抱きついている小さな女の子。
クルミという、少し変わった名前の少女です。
高く結い上げた金髪が可愛らしい。高い声が続けます。
「どうして? 今日は、このまま行かないの?」
日が落ちたとしても、我々が乗っているのは自動式の〈陣機械〉。ライトでもつけて走行すれば、到達が困難な距離ではありません。
乱される銀髪をそのままに、ルナンさんは言葉を返しました。
「深夜に辿り着いても、都会は高い宿代酒代を請求されるだけだろう」
「私はなんでも構いませんが、お金の心配なら要りませんよ?」
支払いますから。と、言外に言い含めたのですが、彼は低い声を吐きます。
「ならば、俺はその辺りで野宿がいい。気楽だ」
「…………」
気楽。強気な発言のわりに、ハンドルを持つ手が震えていました。
「じゃあ、そうしよ! みんなでいっしょに休憩!」
ほんの少し私が黙っているうちに、クルミさんの一言であっさり決定。
一番後ろで立ち乗りな私としても、まあ、その提案はありがたい。
「あす朝、街に入ることにする。予定はある程度練っておこう」
「了解です」
夕刻。私たちは、崖下で野宿をしました。
悪くない夕食でしたね。獣肉の果実添え焼きや、野草のスープ。彼は多彩な朱魔煌も使える上に、即興料理も振る舞える模様です。ちょっぴり肉がパサついているのは、ご愛嬌。
深夜も〈骸霊〉が湧き襲ってきますので、男二人交代で見張りをしました。
それを差し引いても、ルナンさんの睡眠は、浅かったように思います。
朝方に出立します。
大型の黒いバイク。乗り心地は今日も快適です。
「気持ちの良い朝ですねぇ」
心地よい、淡い陽の光。
朝日を遠目に見やりながらの道中は、心をどこか晴れやかにします。
「今日は協力者を見つけ次第、万全で遺跡に潜るぞ」
「うんっ! ディオル、依頼がんばるね!」
「はいはい」
口元に笑みを浮かべる。
──さて。〈古代遺跡探索〉依頼の協力者は、うまく見つかるのでしょうか?
〈戦女神〉様にでも、お祈りしておくことにしますかね。