DR+20


三幕『あいつの仇を討つ』



「ふう。こんな者どもにあの計画を狂わされたとあっては、とんだ誤算だ」
「“計画”とは、ラスク襲撃の話だろうな?」
 知らないなぁ、というそぶりなど偽りだと分かっていた。
「おまえは、何故あの町にこだわる?」
 すぐにミザリの姿が目に浮かんだ。
 ルナンは歯を食いしばると、相手に凄んでみせた。
「俺は、あの町に住んでいたことがある」
「ほほう、そこまで取り乱すようでは。その町に、君の友や恋人でも居たのかね?」
「……違う。これ以外の何でもない」
 教皇はいやに笑った。
「さてさて。嘘はいけないな、ルナンくん。君は顔に出すぎる。この子どもと同じくらいにね」
 そう言って少女の首を腕できつく締める。
「やだっ、くるしっ……」
 ルナンは強く、剣の柄を握り直した。一瞬の憂いを断ち切り、相手を睨みつける。
 嘘はどちらだ。国民を裏切っておいて偉そうに!
「お前らがラスクを潰した主犯だろうが! そいつを離せ!」
「なに君こそは“虐殺犯”なんだろう? 捕まるのが筋というところだ」
 教皇がいよいよ腕に力を込め、少女が苦しそうに喘ぐ。ルナンが強行突破を考えた、刹那。
 
 どこからか、一迅の風が吹いた。
 暖かな、春を想起させる風だった。
 
「おやおや。一体、誰に向かって仰っているんです?」
 ディオルだ。教皇のほんのすぐ左側、片手に硬質な輝きを持ち、奴は襲い来ていた。
 ルナンは思わずフロアを確認した。
 来たとき閉まった扉も開いておらず、上へ通ずる扉もない。上層十五マーレほどに見える、ひと二人分は入りそうな柱の隙間から飛び降りるには、少々高さがありすぎる。
 スーツの男がどうやって現れたのか、青年には分かりそうになかった。
「はぁッ……!」
 迅速に姿勢を低め、右のこぶしを男の脇腹へ落としこむ。
 ゴキッ。
 と、不快音が鳴った。
 頭上の痛々しげな声音など知らん顔で、ディオルは奴の背後にまわる。無防備な首下へ、躊躇なく左ひじを叩き入れた。
「ぐっ、ハ」 
 そして背後の手が教皇の長杖をはたく。するとどういう訳か、豪華な杖が区切り目でポッキリ折れた。一方の脇を固めて、そのまま流れるように左手を太い首筋に添える。
「ぷはあっ」
 力が緩んだとしって、腕から抜け出しよろめくクルミを、急ぎ青年が保護。
 教皇の首筋に押し当てられたディオルの左手には、携帯式の果物ナイフが見えた。
「おっと動かないでください、栄えある教皇様」
 この間、ほんの一瞬だ。
 明らかに素人技ではない。ルナンは開いた口が塞がらなかった。
 教皇も同じである。
「あ、悪党め……!」
「それはそれは。ですが、さっきの絵面。誰がどう見てもあなたが悪党でしたよ」
「ん?」
 ノウス教皇はディオルを至近距離で横目に見るや、その顔面をしげしげと凝視した。濁った色の碧眼と、眼鏡越しの薄緑の視線がかち合う。
「おまえ、どこかで……」
「ノウスさん。喋る余裕が、まだおありなんですね」
「ひぃっ」
 老いた首にナイフが食い込む。つ、と一筋の血が流れた。
「この人、どうしますか? いえ、法的にどうにかできる方では、ありませんけど」
 ディオルの問い掛け。
 息を整えている少女が、青年の後ろに下がる。ルナンは剣を一振りし、瞳だけで前を見た。
 答えは決まっているようなものだった。
「どけ、ディオル」
 また一歩、そいつに向かって足を運ぶ。
 ルナンの背後に鬼気迫るものを見たディオルは、
「……知りませんよ」
 とだけ言い残すと、拘束を解いた。男と青年はすれ違った。
 中央横、大きな柱へ追い詰められた相手に、青年が詰め寄っていく。
 教皇は手を泳がせたが、探した武器は使い物にならない形で地に転がっていた。
「や……やめろ! 私はこの王国の教皇だぞ!? 私をどうにかするなら、政府の重鎮が黙ってはいない……!!」
 未だに喚いている哀れな権力者は、まともに見れた顔ではなかった。しかしルナンは、決して目を逸らすことなく片手のみを周囲に示した。
「離れていろディオル。クルミを頼む」
「はい」「ルナン……っ」
 ふたつの声は、青年の背へ届いた。
「こ、の……コノ、汚れた罪人めぇ!」
 狂った声も、聞こえた。
 足元手前で杖の上部を踏んづけ、ルナンはそれを斜めに蹴飛ばす。
 もとは長杖である装飾には、日々の生活に見慣れた、十字架の刻印があった。
 ――あいつの仇を討つ。
 ミザリの育った町へ、大切な家族の墓へ、今度は美しい花を手向けられるように。
 汚れた俺に出来ることは、これくらいだから。
「覚えておくといい」
 漆黒のマントが男の身を包み、暗色の甲冑は光を反射する。銀髪の隙間から、紫色の瞳が教皇を見た。
「俺はいずれ、復讐を果たす男だ――」
「う、うあああっ」
 おぞましい殺気を帯びた銀髪の男。得物を構えた青年に、渾身の煌力レラが集積する。
「おおおおおおおおお……!!」
「ヒイッ……おい、止せおまえ! よせ! こんなことをしても無駄だ!!」
 わかっている、と青年はこぼす。
「お前ひとり居なくなろうが、どうせ似たような配下がここを継ぐ。独り冥土は辛かろう? ならば」
 剣を振り上げる。
「この腐った本部もろとも……消え去るがいい!!」
 ルナンの刃が切り裂いたのは、奴の頭上、太めの石柱だった。豪快な破壊音。
 地響きが起こり、壁が見事に崩落した。建物全体が軋んでいる。
「くっ……」
 男が少女を横抱きにして、崩れた空間まで後ずさると、ギリギリで飛び降りていった。
「きゃあああぁー!」
「ひいいっ、やめろ、やめろおおおおおっ──」
「おらァアアアアアッ!!」
 
 ──王国教会本部は、崩壊した。
 
 豁然の出来事、それはまさしく王都中の人々を沸かせた。華美な王都がまるで地獄の一丁目である。
 崩壊とともに、頂にあったはずのベルが落ち、最後の鐘の音を鳴らした。
 風を纏ったディオルは、少女を石畳みへ下ろす。
 クルミだけが、一部始終をその目で見ていた。よたよたと、教会の端くれであった石塊に歩み寄り、口元に手を当て放心する。
「うそ……」
「あの人なりのケジメ、そういうことです」
 眼鏡越しの壮絶な景色を仰ぎ、ディオルは呆然とした。
 ……自分には、到底出来やしない。
 戦闘力や技術力の問題ではない。彼の揺るがぬ意志の強さが、ディオルには眩しかった。
「ルナン、大丈夫だよね?」
「来る!」
 クルミの心配げな声に混じって、確かな気配を感じた男が身構えた。
 派手な音を立てて割れた窓から、黒い塊が飛び出してきた。
 窓を突き破り現れたのは、なんと、大型の陣機械クロムディアに乗ったルナンであった。青年は空中から陣機械ごと着地すると、黒い塊がなかなか厳しい──壊れそうな──ノイズを立てた。
 右手に握られていた大剣が、虚空へ消える。
「ふぅー」
「ええっ、ルナンなにそれ!」
「これは、瓦礫に紛れて落ちてきた……鉄の馬だ!」
 息を吐き、知る言葉を尽くす青年。
「バイクっていうんです、それは! 動かしたのですか?」
「うむ。発進が分からんので、剣で背面の壁に攻撃を与えた! 一応動いたぞ!」
 そんな、滅茶苦茶な。
 ディオルは辛うじて、口にせずとどまった。
「正しい使い方はご存知で?」
「いっ……否、呪文か何かがあるのか?」
「いえ、失礼します。まずレバーはここ、左右のレバー奥は軽く握る!」
「よし来た!」
「ひょわっ」
 年長男の的確な指示に、ルナンが従う。ディオルは少女を青年のすぐ後ろに乗せ、青年の両手足の位置を確認し、ボタンを押すと頷いた。
「しっかり跨って。左足を銀の位置で踏む! 右手を手前に捻って起動、待機――」
 モーター音が鳴り始める。車体が揺れると同時に、男は後列に飛び乗った。
「右手奥は離して――ハイ、動きますよ!」
「おお! おおおおっ」
 それは呪文も足の動きもなしに、緩やかに走り出した。
「わ、わ、ほああぁすごい!」
(いけるっ!)
 黒鉄の馬は徐々に速度を増し、野次馬のたかる街中を暴走してゆく。
「わああなんだあれ!」
「クロムディアだー! 危ないぞー!!」
 思いのほか、否、やはりと言うべきか。陣機械クロムディアは多くの人目を浴びた。
 コイツは馬車など目にもならぬ速さを発揮し、あっというまに街の南出口へと差し掛かった。
 ちょうど街を出る手続きをしている奴らがいたせいか、検問所がオープンだ。好機とみて速度を上げたところ、慣れてなかったせいで舵を取られる。立ち乗りしているディオルが勘付いた。
「轢きますよ~☆」
「どけ、どいてくれえええ!」
 ちっとも落ち着きのないハンドルカーブ。
「う、うぎゃああっ!?」
 危機一髪で人を避けきる。完全に怯えきって腰を抜かす民間人を見やり、ルナンは若干、心を痛めた。
「すまぬ、許せ!」
 呆気にとられた門番たちも、直ぐに遠ざかってしまう。
 ルナンは、暴れ馬の如く左右に揺れる“未知なる鉄の塊”にしがみつくのに精一杯だった。
「こうか!」
 持ち手を握り直し、肘を張って重心を落とす青年。バイクはようやく軌道に乗ったか、弱めな駆動音で草原の上を滑らかに疾走する。
「きゃー! 何これ、速い!」
「……ふふっ、くっ……」
 開放感に浸るクルミに続いて、ディオルは含み笑いをすると、
「あっはっはっは! とんでもないですねぇ、あなたたち!」
 急に破顔一笑された。ルナンは遺憾だった。
「なっ……」
「ますます、気に入りましたよ。これだから若い人は大好きです」
「えへへ。わたしも、ディオルすき~!」
 クルミの笑顔に例の営業スマイルを返してから、ディオルは前方へ声を掛けた。
「このまま行きましょう。ほら、四刻の方向へ。アクセル!」
「分かった! 分かったから、揺らすな!」
 なんとかまともにハンドルを切れるようになった青年が、喧しい男を制する。
 俺たちは王都を後にし、広い草原に出た。
 
 
 
 夕暮れに響く走行音。
 日はすっかり傾き、空は真っ赤に染まっていた。地平線が美しい。
「今度いくのは、どんなとこかなぁ」
 ソプラノの声を聴く。鮮やかな茜色の空の奥に、底抜けに明るい彼女の面影を見た気がした。
(これで、良かったのだろうか。ミザリ)
 ひとつの大きな決着を果たして、ルナンは肩の重荷が降りたような気持ちだった。いつまでも、温かな思い出に縋ってはいられない。
 俺は、進まねばなるまい。
 過去に決着をつけ、一歩ずつ前へと。
「次の街は、とっても珍しい場所だと、聞き及んでいますよ。なんたって〈王国一の研究都市〉ですから」
「ほんと? ねぇルナン、楽しみだね!」
 青年は言葉を返すため、大きく息を吸った。
 遠い日に繋がる記憶を探す旅路へ。運命を共にした少女と共になら、たとえ幾つ失おうと、また進める。進んでみせると、ルナンは己の心に誓った。
 右手がアクセルを力強く捻る。
「ああ。行こう」
 
 ――すべては、【奴】への復讐のために。