三幕『あいつの仇を討つ』
余裕のない青年を見て相手の男が笑った。
「正しくは、エスタール王国教会本部専属、ノウス教皇様だがね」
「知るか」
ルナンは即答した。自分に様付けする男はろくな輩ではない。
「大胆だったな。昼の騒動は」
「国政の覇権を争う私たちの戦いの高尚さは、たかが民間人にはわかるまい?」
ノウス教皇の台詞は要すると、国をモノにしたいがために姑息な手で王と民を困らせているのである、と、ルナンは解釈した。
「種明かしとは、お優しいことだ」
一歩一歩、相手のほうへと踏み込んで行くルナンには、ただならぬ迫力が纏われている。ノースは、見るからに嫌な顔で追い払う仕草をとった。
「罪人は大人しく、引っ込んでいれば良いものを」
「お前とは初対面のはずだが。人を罪人呼ばわりとはな」
「騎士団の隊員から耳にした。【黒銀の殺戮者】――随分と手こずらせているようじゃないか」
「殺戮だと? それが俺を見ただけで分かったと?」
青年の怪訝な反応を見た教皇は、長杖をタイルに打ち付ける。二度、高らかな音が鳴った。
「これ以上の質疑は、無駄だよ。もしも今日、君がどうしても捕まりたいというのなら、また違う話ができるがね」
一連を合図としたかのように、周囲の雰囲気が乱れた。ぞろぞろと騎士が近付いてくるのを五感に感じて、ルナンは業を煮やした。
「ほざけ!」
「“教会の侵入者”を捕らえよ!」
相手方が戦闘体制に入ったと見るや、青年が力強く右手を掲げた。
「闇を……思い知れ!!」
赤も黒もない交ぜになった不気味な物資が右腕を渦巻く。手のひらに集結したものは紫に色濃く発光し、横長く離散した。
「る……ルナンっ!」
「お前、下がっていろよ!」
少女の物言いたげな呼び掛けに応える余裕はない。
紫電の中に出現せし、闇色の大剣を手に取ったルナンは、バネのごとく大きく跳躍してみせた。
「悪あがきはよすんだな! やれぇ!」
教皇の命令が飛ぶ。叫びを聞いたか、広大なフロアの扉という扉を開き、騎士たちが飛び出してきた。
「侵入者め、覚悟するがいい!」
――覚悟をするのは、お前らのほうだ。
叱声を放った、騎士として手練れと見える者を三マーレほど上の目線から見下ろす。闇を纏い、愛刀を振り上げる。
「邪魔だ」
ルナンの低音が聖堂に響く。
青年の体躯が捻られ、手元が数度に渡って閃いた。斬撃音。
「うぐぁあああっ!」
直後、数名の騎士が吹っとんだ。
「なに!?」
「小隊長ぉ~!」
ある者は柱に背を打ち付けられ、ある者は肩を壊して呻いている。
悲痛な悲鳴を轟かせた者の胸には、血色の傷が斜めにばっくりと刻まれていた。【古の大剣】お馴染みの剣戟だ。
「な……何だ、その魔煌は!?」
青年は無言だった。
何も知らぬ阿呆な敵に、一から教えてやる義理は無い。
倒れた騎士の真横に着地したルナンは、ぐるり周囲を見渡した。ざっと見て、負傷三名、前方方向へ残り九名。
「チッ」
口が舌打ちをしていた。
まともに斬ってはラチが明かない。ルナンは迫り来る騎士を見据え、瞳の前に素早く得物を構えた。
『掃き捨ててくれる……漆黒の闇よ……』
重苦しい濁音と共に、赤紫の物質がルナンの首から肩を伝った。
空間を泳いだ闇は、美しいサファイアブルーの光彩に変わってその刀身へと吸い込まれてゆく。
「またあの技だ、来るぞ」
「号令、皆、回避準備を取れ!」
騎士の号令がこだまする。今までとは違う青年の様子に、後ろに下がっていた教皇が慌てて横へと逃げ慄いた。
『黒ノ力・来たれ我の元へ! 喰らえ!』
刃が煌めいたのを合図に、腕全体を一捻りし、右足元から剣を左上方向に振り切る。
刃先が地面を抉った。
『トゥ・レィスド=《闇ノ剣撃》!!』
たった一言の呪文。大剣の描いた軌跡から、巨大な青紫の衝撃波が出現した。
それは前方をくまなく覆い、あっという間に広がる。
「ぐうっ」
「うぎゃあぁあっ!」
若い騎士たちは、為すすべなく衝撃波にしてやられた。全員、魂を抜かれたかのように倒れ伏してゆく。
古代魔煌相手に、普通の防御などするからである。無知とは恐ろしいなと思いつつ、ルナンは噴き出す汗を抑えた。
盛大に息を整えると、左へ首を捻る。文字通り『王国騎士から一太刀も浴びることのなかった』青年の、紫色の瞳と首筋の赤黒い呪詛に見つめられ、教皇は青くなって唾を呑んだ。
「ば、バケモノめ……!」
バケモノ──及び青年は、再び大剣を構えると地を蹴った。ひと駆け足で相手の目の前に襲来し、
「…………」
鋭利な大剣の先端を、そいつの眼前に突き付けた。目元から鼻筋へ、スルリと刃先を滑らせる。
「ヒッ! それだけは……!」
教皇はぐったりと力無く、杖を床に置いた。
命まで奪う必要はない。震える男を一瞥したルナンは、鼻先へ向けた刃を静かに下ろす。
「お前も一応、人間だからな。殺すつもりは」
口を開いた青年の視界の端に、
「んなっ!?」閃光がチラついた。
「……許せなどと、この私が言うと思ったか?」
咄嗟に真後ろへ飛び退いたルナンの鼻先を、光の球がすり抜けていった。かなりでかい魔煌だ。光球は右へ流れていき、壁に衝突すると大爆発を起こした。ルナンは今度こそ冷や汗をかいた。
当たったら、ただでは済まない一撃だった。
教皇は、あのわずかな間に時間差で爆発する型の術を設置していたのだ。教皇は名ばかりでなく、それなりの実力者である、と認識を改める必要があった。
「愚民風情が、私を愚弄することの意味。まだ、解っていないようだな」
「貴様……」
ルナンの中にどす黒い感情が蘇りかけたとき、上のほうに明らかな気配が漂った。目線だけで見遣れば、例の紺色スーツの男が、息急き切って膝に手を置いているところだった。
「すみませーん! 大変ですっ」
「どうした!」
走ってきたのであろう、男は分かりやすく額を拭うと、こう叫んだ。
「この教会、陣機械仕掛けです!」
王国育ちのルナンにとって、それは非常に衝撃的だった。
「陣機械? そんな馬鹿な!」
――陣機械は、俺たちの生活に全く不要である。
というのが、民間人の共通意識としてある。戦闘兵器・不慮の誤作動などを起こす危険なものだと、皆、幼い頃から教会で教えられているからだ。
他国は知らないが、少なくとも王国の街中では全く見たことがない。
戦女神を奉る〈エスタール王国〉教会本部が、陣機械仕掛け?
「何かの間違いではあるまいな!?」
「間違うわけないでしょう……魔煌でのあらゆる制御は不可能です。私たちにはどうにも出来ません」
「じゃ、じゃあ、わたしたち閉じこめられてるってこと!?」
背後でクルミが叫ぶ。近くから教皇の低い声が聞こえた。
「その通り。この教会の建築構造に気がつくとは。素晴らしい仲間がいるらしいな」
「なに?」
その手の専門知識に疎いルナンには、ディオルと教皇の言っている内容の半分も理解できなかった。閉じこめられた、という点のみが、青年の思考をのみ込んだ。
「待ってくださ──ルナンさん、後ろ! 後ろです!」
「ところで、余所見をしていていいのか?」
ディオルの警告を聞き届けたと同時に振り向いたが、遅かった。目に飛び込んできたのは、少女が背中から大の男の腕で覆われる姿だった。
「ひゃう、いやっ、なに?」
(しまった……!)
男は首周りを固め、クルミを片腕で完全に拘束すると、その頭部に杖の先端を押し当てた。
「お前、何を、している」
――闇の黒い能力において、唯一知るあの《大技》を放つと、人間は疲弊するらしい。ルナンは今、召喚した大剣をその手に維持することで限界だった。
俺が相手を殴るのが先か、相手が杖から初級魔煌《フラム・シャール》でも発動するのが先かとなると、クルミの安全は保障できない。
「大層マヌケなのだな。【黒銀の殺戮者】は!」
「いたいっ! 離して!」
少女が両手を使って、男の腕を精一杯叩いたりつねったりしているものの、非力なお陰でぜんぜん効き目なしだった。
「クルミさん……!」
ディオルは上層からしばし迷い、元の奥側へと戻っていった。おそらく、通路を見つけて戻って来る気だろう。