夕刻の手紙


三幕『あいつの仇を討つ』


 
  

 真っ白い制服に、赤と金のきらびやかな装飾が施されている。照明を浴びて光る長杖と、金の髪。濁りを帯びた碧眼を歪めて、男は笑った。
 
「われこそは、エスタール王国教会本部専属、ノウス教皇様だがね」
 
 ルナンは「知るか」と、即答する。自分に様付けする男はろくな輩ではない。
「大胆だったな。昼の騒動は」
「国政の覇権を争う私たちの争いの高尚さ……、そこらの民間人にはわかるまいね?」
 ノウス教皇の台詞は要するに、国をモノにしたいがために、姑息な手で王と民を困らせているのである、と、ルナンは解釈した。
 
「種明かしとは、お優しいことだ」
 一歩一歩、相手のほうへと踏み込んで行くルナンには、ただならぬ迫力が纏われている。教皇は見るからに嫌な顔で杖を振り、追い払う仕草をとった。
 
「罪人は、おとなしく引っ込んでいればよかったものをな……!」
「人を罪人呼ばわりか。お前とは初対面のハズだが?」
「騎士団員から耳にしたよ。【黒銀の殺戮者】――随分と手こずらせているようじゃあないか」
「殺戮だと? その情報が、俺を見ただけで分かったと?」
 
 青年の怪訝な反応を見た教皇は、長杖をタイルに打ち付ける。二度、高らかな音が鳴った。
「これ以上の問答は、無駄だよ。もしも今日、君がどうしても捕まりたいというのなら、また違う話ができるがね」
 その音を合図としたかのように、周囲の雰囲気が乱れた。ぞろぞろと騎士が近付いてくるのを五感に感じて、ルナンは業を煮やした。
 
「ほざけ!」
「“教会の侵入者”を捕らえよ!」
 
 相手が戦闘体制に入ったと見るや、青年が力強く右手を掲げた。
 
「闇を……思い知れ!!」
 赤と黒が混ざったような、不気味な物質が、右腕を渦巻く。
 手のひらに集結した赤黒い物質は、やがて強い紫に色濃く発光し、横長く離散した。
 
「る……ルナンっ!」
 少女の物言いたげな呼び掛けを背に受けて、青年は威風堂々と前に立つ。
「お前っ、下がっていろよ!」
 紫電の中に出現せしは闇色の大剣。愛刀をその手に取ったルナンは、バネのごとく、大きく跳躍してみせた。
 
「悪あがきはよすんだな! やれぇ!」
 教皇の命令が飛ぶ。
 直後、広大なフロアの扉という扉を開き、王国騎士たちが飛び出してきた。
 手練れと見える、紅白銀の甲冑の男が叱声を放った。
「侵入者めが! 覚悟するがいい!」
 
 ――覚悟をするのは、お前らのほうだ。
 
 ルナンの紫色しいろの瞳に鋭い光が宿る。
 空中で身軽に半身を翻す青年は、二マーレ*約二メートルほど上の目線から騎士たちを見下ろす。
 闇を纏い、愛刀を振り上げる。
 
「邪魔だ!!」
 青年のがなり声が聖堂に響く。
 ルナンの体躯が捻られ、手元が数度に渡って閃いた。斬撃音。
 
「うぐぁあああっ!」
 ひと薙ぎに、数名の騎士が吹っ飛んだ。
 
「なにぃッ!?」
 血しぶきが上がる。青年はその頬と鎧に騎士の血を浴びながら着地した。ひといき遅れて、黒いマントが空中を落ちていく。
「小隊長ぉ~!」
 ある者は柱に背を打ち付けられ、ある者は肩を抉られ呻いている。悲痛な悲鳴を轟かせた者の胸には、血色の傷が斜めにばっくりと刻まれていた。【いにしえの大剣】特有の、見えない剣撃だ。
 
「な……何だ、その魔煌ヴィレラは!?」
 青年は無言だった。
 何も知らぬ阿呆な敵に、一から教えてやる義理も彼には無い。
 ルナンは、ぐるり周囲を見渡した。ざっと見て、負傷三名、前方方向へ騎士は残り九名。
 
「チッ……」
 思わず舌打ちが落ちる。
 まともに斬ってはラチが明かない。ルナンは迫り来る騎士を見据え、瞳の前に素早く得物を構えた。
 
『掃き捨ててくれる! 漆黒の闇よ──! 来たれ、我が元へ!』
 濁音混じりの詠唱と共に、赤紫の物質がルナンの首から肩を伝った。
 空間を泳いだ闇は、美しいサファイアブルーの光彩に変わり、その紫の刀身へと吸い込まれてゆく。
 
「来るぞ! またあの技だ」
「号令、回避準備を取れ!」
 騎士の号令がこだまする。
「あの男、奇妙な技ばかりを……っ」
 今までとは更に違う青年の様子に、後ろに下がっていた教皇が、慌てて部屋の隅へと逃げおののいた。
 
『──我・求めるは黒ノ力・彼を破壊する力──』
 刃がひときわ強く煌めいたのを合図に、筋肉の付いた腕全体を大きく振りかぶり、右足元から剣を左上方向に斬り上げる。
 刃先が地面を抉った。
 
『喰らえッ! 〈怨嗟ノ剣撃トゥ・レィスド=ダークシェイド〉!!』
 響く、仰々しく旧い形式の呪文。
 大剣の描いた軌跡から、巨大な青紫の衝撃波が出現した。
 波動は前方をくまなく覆い、あっという間に広がる。
 
「ぐうっ!」
「うぎゃあぁあっ!!」
 若い騎士たちは、為すすべなく衝撃波にしてやられた。全員、魂を抜かれたかのように倒れ伏してゆく。
 
 古代魔煌オールドヴィレラ相手に、普通の防御などするからである。対抗呪文を唱えれば良いものを。無知とは恐ろしいな、と思いつつ、ルナンは、己の額からどっと汗が噴き出すのを感じていた。
 
 盛大に息を吐いて呼吸を整え、広間の左をぎろり、と睨む。
 文字通り『王国騎士から一太刀も浴びることのなかった』青年の、紫色の瞳と首筋の赤黒い呪詛に見つめられ、教皇は青くなって唾を呑んだ。
 
「ば、バケモノめ……!」
 バケモノ──及び青年は、再び大剣を構えると地を蹴った。ひと駆け足で相手の目の前に襲来し、
「…………」
 鋭利な大剣の先端を、そいつの眼前に突き付けた。目元から鼻筋へ、スルリと刃先を滑らせる。
 
「ヒッ! それだけは……!」
 教皇はぐったりと力無く、杖を床に置いた。
 命まで奪う必要はない。震える男を一瞥したルナンは、鼻先へ向けた刃を静かに下ろす。
 
「お前も一応、人間だからな。殺すつもりは」
 口を開いた青年の視界の端に、
「んなっ!?」
 閃光がチラついた。
 
「……許せなどと、この私が言うとでも思ったか!」
 咄嗟に真後ろへ飛び退いたルナンの鼻先を、光の球がすり抜けていった。かなりでかい〈魔煌ヴィレラ〉だ。光球は右へ流れていき、壁に衝突すると大爆発を起こした。  
 ルナンは今度こそ冷や汗をかいた。
 当たったら、ただでは済まない一撃だった。
 教皇は、あのわずかな間に時間差で爆発する型の術を設置していたのだ。〈教皇〉とは名ばかりでなく、それなりの実力者である、と認識を改める必要があった。
 
「愚民風情が、私を愚弄することの意味。まだ、解っていないようだな」
「貴様……」
 
 ルナンの中にどす黒い感情が蘇りかけたとき、上のほうに新たな気配が漂った。
 目線だけで上階を見遣れば、例の紺色スーツの男が、息急き切って膝に手を置いているところだった。
 
「すみませーん! 大変ですっ」
「どうした!」
 走ってきたのであろう、ディオルは分かりやすく額を拭いながら、叫んだ。
 
「この教会、陣機械クロムディア仕掛けです!」
 王国育ちのルナンにとって、それは衝撃的な内容だった。
 
陣機械クロムディア? そんな馬鹿な!」
 
 ――〈陣機械クロムディア〉は、俺たちの生活に全く不要である。
 というのが、民間人の共通意識である。戦闘兵器・不慮の誤作動などを起こす危険なものだと、皆、幼い頃から教会の日曜学級で教えられているからだ。
 他国は知らないが、少なくとも王国の普通の町では、まったくというほど見たことがない。
 
 それが、〈戦女神セリスィ〉を奉る〈エスタール王国〉教会本部が、あろうことか〈陣機械クロムディア〉仕掛けとは。
 
「……何かの間違いではあるまいな!?」
「間違うわけないでしょう……〈魔煌ヴィレラ〉でのあらゆる制御は不可能です。私たちにはどうにも出来ません」
「じゃ、じゃあ、わたしたち閉じこめられてるってこと!?」
 
 背後でクルミが叫ぶ。
 近くから教皇の低い声が聞こえた。
 
「その通り。この教会の建築構造に気がつくとは。素晴らしい仲間がいるらしいな」
「なに?」
 根が生真面目かつ、その手の知識に疎いルナンには、ディオルとノウス教皇の言っている内容がうまく飲み込めないでいた。閉じこめられた、という一点のみが、青年の思考をのみ込んだ。
 
「待ってくださ──ルナンさん、後ろ! 後ろです!」
「ところで、余所見をしていていいのか?」
 ディオルの警告を聞き届けたと同時に振り向いたが、遅かった。目に飛び込んできたのは、少女が背中から大の男の腕で覆われる姿だった。
 
「ひゃう、いやっ、なに?」
(しまった……!)
 男は首周りを固め、クルミを片腕で完全に拘束すると、その頭部に杖の先端を押し当てた。
 
「お前……何を、している」
 
 ――己の能力において、唯一知るあの〈大技〉を放つと、人間は疲弊するものらしい。ルナンは今、召喚した大剣をその手に維持することで精一杯だった。
 瑠我が相手を殴るのが先か、相手が杖から初級魔煌フラム・シャールでも発動するのが先かとなると、クルミの安全は保障できない。
 
「大層マヌケなのだな。【黒銀の殺戮者】は!」
「いたいっ! 離して!」
 少女が両手を使って、教皇の腕をポコポコ叩いたりつねったりしているものの、非力なお陰でぜんぜん効き目なしだった。
 
「クルミさん……!」
 ディオルは上層からしばし迷い、元の奥側へと戻って行った。おそらく、通路を見つけて戻って来る気だろう。

 




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