DR+20


三幕『あいつの仇を討つ』



 
         ◆
 
 高い天井、卵色の壁に細やかな細工飾り。
 ステンドグラスのバラ窓は、古典的ながらも慈愛の戦女神を彷彿とさせる。
「うわぁ~、ひろいね!」
 広やかなホールはどうやら、一階ではないようだ。
「よし。上手く侵入できたようだな」
 ルナンが満足に肯いた。しかし、傍らに立つ男の表情は晴れない。
「これ、一方通行の陣じゃないですか。脱出するときは別な手段がいりますね」
「構うか。隅々まで見て回れば、どうせ帰れるだろう」
「適当ですねぇ」
 青年の言葉は、好ましくないものとして聞こえた様である。二人の間に不穏な空気が流れる。
 それを裂くようにして、真ん中に立つ少女がしゅっと屈み込んだ。
「ルナンっ、猫ちゃんが!」
 転移後のアールズを撫でるクルミ。
 見た所、男たちの会話の脇で猫のしもべがプルプルしていた。青年は同情に似た眼差しを向けた。
「神聖な教会は、骸霊ガイレイにはキツいか。帰っていろ、アールズ」
「ふぎゅ……ご主人、あとはがんばってくださいですにゃあ」
 へたったアールズに顔を寄せ、ルナンが小声で何か囁く。薄い青紫に輝く光が骸霊を包み込み、弾けた。
 ――瞬間。
「きゃあっ!?」
 金髪の少女が足をもつれさせて転んだ、直ぐそば。全員が壁だと思っていた場所に、空間が出現していた。真四角な小部屋が。
「は!?」ルナンは我が目を疑った。
「隠し扉!」
 不幸は連鎖する。立ち上がろうとするクルミの足元が、今度は深部へうごめき、妙な壁扉が自動で閉まっていこうとする。
「え? うそっ」
「させるか!」
 闇を腕に点し、扉を鷲掴みにしたルナンを結構なスピードで床が運ぶ。青年までもが壁の奥へと仕舞われそうになって、ディオルが駆け寄る。
「待っ……お二人!」
 二人の重量に反応したか、硬そうなそれが無慈悲に閉ざされた。
 みるまにルナンとクルミの姿が隠され、スーツの人影ひとつ取り残された。
 
 

 ――……
「なんだ、これは」
 青年が不満がる。
 小部屋に閉じ込められた、実質『絶体絶命』の青年と少女は、されど別段焦ることもなかった。
 なぜなら、小部屋には毒ガスが蔓延しているわけでもなく、危険な刃物が仕込んであるわけでもない。ただただ不快な浮遊感だけが、気分的にせり上がっているのみだった。微々たる駆動音が止んだ。
「と、とまったの……? 動いてた?」
 少女の高い声。
 ウィーン。と言って、卵色の扉――壁とも呼べる――が開いた。
 向こう側には、似たような教会の内部が見渡せる。ルナンは唖然としながらも、少女と共に重い足取りで小部屋から出る。
 二人が退出したあと、扉は再び閉まり美しい壁に戻っていくのを、ルナンは見ざるを得なかった。
 馬鹿らしい。こんなことがあっていいのか。
 ルナンの常識はまた一個、ぬり替えられた。
「はうぁああ~」
 青年に腕を掴まれている少女が、ぺたんと座り込む。
「無事か、お前」
「うぅ……うん、へいき」
 驚いた反動か、うずくまり震えてはいるが、少女の身には何事もないようだ。ルナンは上のほうに向かって声を飛ばした。
「おいディオル、ディオル! 聞こえるか!?」
 大声で繰り返すと、時を置かずにくぐもった声が返ってきた。
「えぇ! どうやら、無事のようですね」
 ディオルにも、とくに変わったことは無いらしかった。青年は続けた。
「ああ。だが、そちらには戻れなくなってしまったようだ。俺は予定通り証拠を探すぞ!」
「では、私は上層の奥を探って来ます。これほど、大掛かりな施設なら、本来の移動設備か何かがある筈ですから」
「任せたぞ!」
 終いにディオルの声は聞こえなくなり、革靴の足音が遠ざかっていった。
 アールズの見つけた魔煌ヴィレラの陣――仕掛けられた罠、という可能性も視野に入れるべきだっただろうか――と青年は勘繰ったが、どちらにせよ正面以外から内部へ入る方法は、あれ以外なかっただろう。
 リスクのない侵入などあり得ない。徒労ではないと己を納得させてから、青年は一枚の巨大な扉をくぐった。
 少女を背中側に連れ、現在のフロアを観察する。
 通常よりも奇抜な、金銀の聖堂に見えた。
 すこし静粛な気持ちになる、聖なる空間。
 絵画の描かれた太めの支柱が、このフロア全体を支えている。まわりには、深いオレンジに輝くロウソクがあった。
「……ミザ、リ」
 その燭台の十字架を見たとき、ルナンの過去の記憶が呼び覚まされた。
 

 ──……
 ────……
 あれは、太陽が真上から傾いた頃だった。
 オレンジ掛かった金髪を風に吹かれ、ラスク町の外れにぽつんと立っていた、シスターの後ろ姿を。
 その女の前には、墓があった。
 女は墓参りの最中だった。木製の十字架が、寄せ集めの土の上に突き立っている。それはまるで、子どもの作ったような、不恰好な墓であった。
 それでも墓は墓だ。中には誰かが眠っている。通り際、俺は胸に手を当て、追悼していった。女の深い藍色の瞳はなぜか驚いていた。
 その夜、情報収集のため酒場に寄れば、昼間のシスターの姿があった。
『すごく嬉しかったんだ。あのお墓に追悼してくれたの、君が初めてだったからさ』
 ひとしきり隣で喋り倒してから、彼女はそう礼を言った。影を見せたのはそれきり、底抜けに明るく騒々しい人物で、俺の嫌味やささいな愚痴など、ものともしない女だった。
『ふーん、ルナンくんね。万事しっかり覚えた!』
 いつからか俺は、彼女の前では嫌味など言わなくなっていた。
 それから毎日のように、酒場で落ち合う日々が続いた。
『ほら! 美味しいもの食べて、元気になって。笑って強く生きていれば、幸せはやって来るんだから!』
 ────……
 ──……
 

 あの笑顔に、どれほど救われただろうか。
 すべてが走馬灯のように脳裏を駆け巡って、ルナンの喉を詰まらせた。
 ──ミザリ。お前は紛争の日、帝国兵に命を奪われてしまったのか。
 俺の剣は、間に合わなかったのか? ……あんなに大勢の、人間を斬ってまで。
 ここ数日、ずっとこの身に焼きつけている問いだった。何度も何度も、己に問い正すうちに、ルナンはだんだん気を急いてきた。
「くそ、この教会を管理している奴さえ見つかれば……」
 能力を使った直後で、ルナン自身、感性の疲弊に気がつけなかった。わずかな大気の振動を肌に受けたそのとき、青年は聖壇のほうへ振り向いた。
「叩きのめせる、と。そう言うのかね?」
 青年の後ろでクルミが身構える。
「だれ……!?」
 杖をつく音が聖堂内にこだまする。
 聖壇の隣の扉から来たのであろうその男は、広場で見たお偉い方だった。
 ルナンは少女の三歩ほど前に立ち直した。
「教皇様のお出ましか」
 ふ、と鼻で息をつく。
 むやみに目立つ、裾の長くゆったりとした上衣。灰色の髪を、聖職者にありがちな帽子が覆っている。
 〈エスタール〉では見慣れた制服だが、それは、普段見るものよりも豪華な飾りが施されていた。
「ほおー、良く知っておったな。褒めてあげよう」
「要らん」
 低く唸ってから、ゆらりと一歩を踏み出す。