夕刻の手紙


三幕『あいつの仇を討つ』


 
  

 レストランを出た三人は、路地裏を抜け、王都の東側まで歩いてきていた。
 ディオルが青年へ語りかけた。
 
「ルナンさん! 教会へ行くのですね! いよいよ!」
「急になんだ、お前は」
「いえいえ。観光といえば、やはり名所巡り。そうは思いませんか?」
 
 観光などは、生まれてこのかた一度も経験したことがないルナンは「知らんな」と受け流した。
 男はなおも楽しげに語り出す。
 
「この王都〈アベルツ〉といえば、真っ白な王城と、その向かいの教会本部ですよ。間近でお目にかかる機会など、めったにないのですから……!」
 道中初めて、ルナンがスーツ男のほうを見る。ものすごく呆れた目で。
「……そこに侵入する、という話を聞いておったか?」
「勿論! いやぁ、年甲斐もなくワクワクしますねぇ」

「…………」
 この男、本当にわかっているのだろうか?
 正直、余計なお喋りをしている余裕はない。ルナンは神経を尖らせて、アールズの気配を辿っていた。
 〈骸霊ガイレイ〉特有の黒々とした気配が徐々に強まる。一行は、教会前の裏庭へやってきた。
 見慣れた茶白ぶち模様の猫が、今は四つ足で駆け寄る。
 
「る、ルにゃ……にゃっ!」
「いい、いい。喋るな」
 ルナンは首を振り、忠実なしもべを制した。
 こいつの前に闇色の方陣がある。面倒を侵して街中でごちゃごちゃ言わずとも、それで充分であった。
 指抜き手袋をはめた青年の手が、かざされる。

『──闇ノ冥門レィ=ルヴニール!』

 彼は転移呪文を唱えた。
 
 
     ◆
 
 
 見上げれば、高い天井。
 卵色の壁に細やかな細工飾り。
 ステンドグラスのバラ窓は、古典的ながらも慈愛の戦女神を彷彿とさせる。
 クルミのソプラノ声が反響した。
「ここが……、教会?」
 広やかなホールは上層階であるからか、それらの小窓からは外の景色がよく見える。
 ひとつ、ルナンが満足に肯いた。
 どうやらうまく侵入できたようだ。
 
 しかし、傍らに立つ男の表情は晴れない。
「これ、一方通行の陣じゃないですか。脱出するときは別な手段がいりますね」
「構うか。隅々まで見て回れば、どうせ帰れるだろう」
「適当ですねぇ」
 
 青年の言葉は、好ましくないものとして聞こえた様である。二人の間に不穏な空気が流れる。
 それを裂くようにして、真ん中に立つ少女がしゅっと屈み込んだ。
 
「ルナンっ、猫ちゃんが!」
 転移後のアールズを撫でるクルミ。
 見た所、男たちの会話の脇で猫のしもべがプルプルしていた。青年は同情に似た眼差しを向けた。
「神聖な教会は、骸霊ガイレイにはキツいか。帰っていろ、アールズ」
「ふぎゅ……ご主人、あとはがんばってくださいですにゃあ」
 
 へたったアールズに顔を寄せ、ルナンが小声で何か囁く。薄い青紫に輝く光が骸霊を包み込み、弾けた。
 ――瞬間。
「きゃあっ!?」
 金髪の少女が足をもつれさせて転んだ、直ぐそば。全員が壁だと思っていた場所に、空間が出現していた。真四角な小部屋が。
「は!?」ルナンは我が目を疑った。
「隠し扉!」
 不幸は連鎖する。立ち上がろうとするクルミの足元が、今度は深部へうごめき、妙な壁扉が自動で閉まっていこうとする。
「え? うそっ」
「させるか!」
 闇を腕に点し、扉を鷲掴みにしたルナンを結構なスピードで床が運ぶ。青年までもが壁の奥へと仕舞われそうになって、ディオルが駆け寄る。
 
「待っ……お二人とも!」
 二人の重量に反応したか、硬そうなそれが無慈悲に閉ざされた。
 みるまにルナンとクルミの姿が隠され、スーツの人影ひとつ取り残された。
 
 
 
 ――……
「なんだ、これは」
 青年が不満がる。
 小部屋に閉じ込められた、実質、絶体絶命の青年と少女は、されど別段焦ることもなかった。
 なぜなら、小部屋には毒煙が蔓延しているわけでもなく、危険な刃物が仕込んであるわけでもない。ただただ不快な浮遊感だけが、気分的にせり上がっているのみだった。微々たる駆動音が止んだ。
 
「と、とまったの……? 動いてた?」
 ウィーン。と言って、卵色の扉――壁とも呼べる――が開いた。
 向こう側には、似たような教会の内部が見渡せる。ルナンは唖然としながらも、少女と共に重い足取りで小部屋から出る。
 二人が退出したあと、扉は再び閉まり美しい壁に戻っていくのを、ルナンは見ざるを得なかった。
 
 馬鹿らしい。こんなことがあっていいのか。
 ルナンの常識はまた一個、ぬり替えられた。
 
「はうぁああ~」
 青年に腕を掴まれている少女が、ぺたんと座り込む。
「無事か、お前」
「うぅ……うん、へいき」
 驚いた反動か、うずくまり震えてはいるが、少女の身には何事もないようだ。ルナンは上のほうに向かって声を飛ばした。
 
「おいディオル、ディオル! 聞こえるか!?」
 大声で繰り返すと、時を置かずにくぐもった声が返ってきた。
「えぇ! どうやら、無事のようですね」
 ディオルにも、とくに変わったことは無いらしかった。青年は続けた。
 
「ああ。だが、そちらには戻れなくなってしまったようだ。俺は予定通り証拠を探すぞ!」
「では、私は上層の奥を探って来ます。これほど、大掛かりな施設なら、本来の移動設備か何かがある筈ですから」
 
「任せたぞ!」
 終いにディオルの声は聞こえなくなり、革靴の足音が遠ざかっていった。
 アールズの見つけた経路――仕掛けられた罠、という可能性も視野に入れるべきだっただろうか――と青年は勘繰ったが、どちらにせよ正面以外から内部へ入る方法は、あれ以外なかっただろう。
 リスクのない侵入などあり得ない。徒労ではないと己を納得させてから、青年は一枚の巨大な扉をくぐった。
 
 少女を背中側に連れ、現在のフロアを観察する。
 通常よりも奇抜な、金銀の聖堂に見えた。
 すこし静粛な気持ちになる、聖なる空間。
 絵画の描かれた太めの支柱が、このフロア全体を支えている。まわりには、深いオレンジに輝くロウソクがあった。
 
「……ミザ、リ」
 その燭台の十字架を見たとき、ルナンの過去の記憶が呼び覚まされた。
 
 

 ──……
 ────……
 あれは、太陽が真上から傾いた頃だった。
 オレンジ掛かった金髪を風に吹かれ、ラスク町の外れにぽつんと立っていた、シスターの後ろ姿を。
 
 その女の前には、墓があった。
 女は墓参りの最中だった。木製の十字架が、寄せ集めの土の上に突き立っている。それはまるで、子どもの作ったような、不恰好な墓であった。
 それでも墓は墓だ。中には誰かが眠っている。通り際、俺は胸に手を当て、追悼していった。女の深い藍色の瞳はなぜか驚いていた。
 
 その夜、情報収集のため酒場に寄れば、昼間のシスターの姿があった。
『すごく嬉しかったんだ。あのお墓に追悼してくれたの、君が初めてだったからさ』
 ひとしきり隣で喋り倒してから、彼女はそう礼を言った。影を見せたのはそれきり、底抜けに明るく騒々しい人物で、俺の嫌味やささいな愚痴など、ものともしない女だった。
 
『ふーん、ルナンくんね。万事しっかり覚えた!』
 いつからか俺は、彼女の前では、彼女の前だけでは、嫌味など言わなくなっていた。
 それから毎日のように、酒場で落ち合う日々が続いた。
 
『ほら! 美味しいもの食べて、元気になって。笑って強く生きていれば、幸せはやって来るんだから!』
 
 ────……
 ──……
 
 
 
 あの笑顔に、どれほど救われただろうか。
 すべてが走馬灯のように脳裏を駆け巡って、ルナンの喉を詰まらせた。
 
 ──ミザリ。お前は紛争の日、帝国兵に命を奪われてしまったのか。
 俺の剣は、間に合わなかったのか? ……あんなに大勢の、人間を斬ってまで。
 
 ここ数日、ずっとこの身に焼きつけている問いだった。何度も何度も、己に問い正すうちに、ルナンはだんだん気を急いてきた。
 
「くそ、この教会を管理している奴さえ見つかれば……」
 能力を使った直後で、ルナン自身、感性の疲弊に気がつけなかった。
 わずかな大気の振動を肌に受けたそのとき、バッ、と青年は聖壇のほうへ振り向いた。
 
「叩きのめせる、と。そう言うのかね?」
「だ、だれ……!?」
 
 杖をつく音が聖堂内にこだまする。
 身構えた少女とともに見た先。聖壇の隣の扉から来たであろうその男の姿は、昼間に広場で見たお偉方であった。

 




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