夕刻の手紙


三幕『あいつの仇を討つ』


 
  

 
「殺人事件?」
「シッ、声がでかい」
 すみません、と謝罪を口にするディオルからは、普段の印象的な笑みが消えていた。
 
 ルナン一行は、再び飲食店に来ている。
 路地裏のちんまりとしたレストランだ。
 幼児向けのハンバーグランチ、薄味のパンとクラムチャウダーが運ばれる中、青年は食べ物をパスしていた(ディオルに気が引けるからだそうだ)。飲み物については、クルミは懲りずにオレンジジュース。ルナンは紅茶、ディオルは甘いカフェオレである。
 
「事件と言っても、一夜の争いのことだ」
 店内はアンティークな雰囲気で、心持ちも落ち着けそうだった。
 こんな内容でさえなければ。
 
「おととい、目立った紛争があった。ここから幾らか西にある、小さな工芸の町でだ」
 
 パンをひとくち、飲み込んだクルミが小首を傾げる。
「ふんそう、おおきなたたかい?」
「いいえ。今回は町規模の争いのことですから、決して大きくはありませんね。比較的、小規模な……」
 そこで唐突に黙ったのは、氷のような視線を察知したからだった。沈黙の出元が分かり切っているディオルは、瞳を閉じて肺付近を手の平で抑えた。
「……失礼。続けてください」
 ルナンはもう一度視線でディオルを刺してから、追って語りはじめた。
 
「話を戻そう。町の名は、ラスク。ごく普通の、どこにでもありそうな、小さな町だ」
 
 明るい店が町中に立ち並び、職人の街道が賑わい、女神を奉る教会の鐘が鳴る。夜は酒場に灯りがともり、角には薄暗いスラムがある――そんな、人々がのびのびと暮らす町だった。
 ――そう、ほんの一昨日までは。
 
 異変は、先日のこと。
 ラスク町の何事もなかった日常に、突如として、恐ろしい兵士の波が押し寄せた。
 
 迫り来る黒の軍隊。
 真っ赤な馬の旗印。
 敵国〈ガルニア帝国〉軍の象徴であった。
 
 町の住人は若い男を中心に立ち向かったが、まるで歯が立たず、避難する間もなく殺された弱い女子供も多かったという。それは、『凄惨な殺し合い』というよりは、軍隊による一方的な民間人殺戮だったそうだ。
 
「なかなか……惨い。胸焼けのする内容で」
 聞くなり、ディオルはそんな感想を述べた。きっと、誰もがそう思うだろう。
 
「この話には、まだ続きがある」
「本題ですか」
 ルナンはわずかに頭を上下させてから、ため息を吐いた。
「〈エスタール王国〉の騎士団は、ラスク町の救援に来なかった」
「はい? 自分の国が、他国に襲われているにも関わらず?」
「そうだ。だから、町の見習い――騎士候補生と呼ばれる多くの学生が、前線で帝国の軍隊と戦ったのだ」
 
 騎士候補生。
 実戦など経験したこともない若い集団では、その場を繋ぎ止めるのがやっとだったらしい。
「軍と戦い抵抗する者ほど、着実に死んでいったと聞く」
 
 青年の声が語る内容は、聞く者の背筋をひやりとさせた。
「ひ、ひどい……」「イカレてますね」
 
 しかし、いよいよ一日戦争となったそのとき。
 戦闘状況に転機が訪れたという。
 
「局地の戦場に、ひとりの男が現れ、帝国兵と戦い出したのだ――」
 
 たった一人の加勢で、戦況は変わった。
 その男は、まともではない勢いで帝国兵をなぎ倒し――何十人、もしかすると、百人近くもの兵士を薙ぎ払った。
 男は、数人の騎士候補生たちと共に生き残った後、ひとり姿を消した。
 のちに、かの戦争に加担した極悪人として、その男には“殺人罪”が下された。
 
「そして現在、男は政府に追われている、と……俺が知っている情報は以上だ。ここまでで、何かわからないことはあるか」
「待ってください」
 青年がしゃべっている間にもディオルは黙々と食事を進め、今やスープもカラになっていた。
 物事の奥深くを探るふうに目を細めて、ディオルは呟いた。
「その話は、奇妙です」
「きみょう、なの? でも、ひどい話だったね」
 クルミがいまいち分からなさそうにしていたが、ルナンはそれが健全だと思った。
 ロングスーツの人物が、眼鏡を上げ直して独白した。
 
「帝国軍の一方的な奇襲攻撃に立ち向かった、町の民間人。悪いのは宣言をしなかった軍です。通常、そこまで人の死んだ戦闘地帯では、仁徳の法など無効のはず。では」

 ディオルはゆっくりと、ルナンに問いかける。
 
「軍隊を斬り、民を守り、紛争を止めた人物の功績が、どうして“殺人罪”に問われるのでしょうか?」
 
 伏せて喋っていたところをそのまま埋められたルナンは、
「……鋭いな。お前の洞察力にはお手上げだ」
 自嘲気味に笑った。
 
「そう、本来ならば、違法扱いであるはずはない」
「そっか。おそわれた町の人を助けようとしたんだもんね。その人、わるい人には思えないよ」
 クルミも、うんうんと頷いた。
 
「今回、『王国教会が帝国軍と水面下で繋がっている』という話を耳にした」
「〈ガルニア帝国軍〉が……」
「うむ。ガセではないと思う。事実、政府が動かなさすぎているだろう。絶対に裏がある」
 聖なる権威である教会が、敵国の得体の知れぬ軍と手を組むなど、あってはならないことだ。
 ディオルは押し黙ってから青年に問い直した。
 
「つまり、その件であなたは王都を調べていたと」
「そういうことだ」
 即答した青年に対して、壮年の男は、彼とは別の確信を得ていた。
 ──ああ。軍隊を斬った男は、やはりこの青年だ。
 そう考えれば、全ての辻褄があう。だが、本人に言えるはずもなく、呆れたように言葉を返す。
 
「無茶苦茶ですね……」
「黙れ。無茶でもなんでも、俺はやる」
「決意は固いわけですか」
 店内のカウンター奥で調理の実演が始まったのを横目に見ながら、旅人は、どうしようもないなと指を組んだ。
 料理の実演を見ていた少女がつぶやく。
「そっか。じゃあ、ルナンは、ほかの誰かのために悩んでたんだ」
いな……」
 少女は彼に優しく微笑んだ。
「いい人なんだね。きっと。聞かせてくれて、ありがとう」
「別にお前のためではない……。いいか。とにかく! お前らがなんと言おうと、行くからな!」
 
 力むルナンに、クルミがちょっと困った顔をした。
「ねえでも、まだ猫ちゃん帰ってこないよ?」
「まあな?」
 いまいち格好のつかない青年に場が和んだのを見ながら、ディオルは話題をついだ。
 
 
 
「では、ついでです。手短に、私の都合もお話させて頂きましょうか」
 この男の都合とは、依頼についてということか。
「助かる」
 ディオルはにっこり笑った。
 
「まず、私の依頼は『南東の〈陣機械クロムディア〉遺跡での護衛』です。主にルナンさんに守っていただければ、万が一も充分ですね」
「こちらは問題ない」
 俺たちも遺跡に用があるしな、とルナンは言った。

「もう一つ、遺跡の前にやらなくてはいけないことがあります。それは、協力者を探すことです」
「きょうりょくしゃ?」
「ええ。行く先は陣機械クロムディアばかりの古代遺跡……のはずですが、私には、そういう専門的なことは分かりません。ですので、次の都市で知識のある方に同行を願いたいのですよ」
 
「クロムディア、はやく見たいな!」
 ルナンはひっそりと眉根を寄せた。
 陣機械クロムディアは、現代では一応非合法なものだ。なので、クルミの感想はあまり大声で言うものではないのだが、今は置いておいた。
 
「要するに、次の街に行き協力者を仰いでから、遺跡へと探索に行くという……む?」
 ルナンはそこで言葉を切ると、「来たか」と一声発した。
「どうされたんです?」
 否、と首を振る。テーブルの上に手をかざして、青年は呪文を唱えた。
 
「魔を通じ、汝、魂の扉開け──〈言霊窓フェンシレス〉」
 聞きなれない形式の古代魔煌ヴィレラを発動すると、紫の手袋を覆った手の平からヴァイオレット色の鏡が現れ、特徴的な猫声が響いた。
〈ご主人さまー! 見つけましたにゃー!〉
 言霊窓フェンシレス……特定の契約を交わした骸霊、しもべとの脳内のやりとりを現実の声に再現する呪文だ。
 
「どうやら、手掛かりが見つかったようだ」
「タイムアップのようですね?」
「うむ。依頼の内容もよく解った。王都を抜けた後、南東方面の街へ向かわせて貰おう」
「お願いします。ま、例の協力についての交渉は、私がやりますね」
 
 店の料理の実演が終わり、とろとろのクリームシチューが出来上がる頃には、双方、同意が得られた。
 店内には、心地よい香りが漂っている。すっかり満腹になったクルミが、楽しそうに笑った。
 
「えへへ、ギルドギルド!」
「ああ……」
 青年は、ギルドと聞いて思い出す。
「そういえば、名乗っていなかったな」
「あっ、ほんとだあ!」
 クルミが、ぱっと笑顔になる。
 
「はい? お二方の名前なら、伺いましたが……」
 男の言葉に、青年と少女はちらりと顔を見合わせ、ちょっぴり笑い合ってから向き直った。
「旅ギルド〈闇夜の流星〉。お前の依頼、しかと請け負った!」

 




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