DR+20


三幕『あいつの仇を討つ』



 
         ◆
 
「殺人事件?」
「シッ、声がでかい」
 すみません、と適度に謝るディオルからは、あの印象的な笑みが消えていた。
 ルナン一行は、再び飲食店に来ている。
 路地裏のちんまりとしたレストランだ。
 幼児向けのハンバーグランチ、薄味のパンとクラムチャウダーが運ばれる中、青年は食べ物をパスしていた(ディオルに気が引けるからだそうだ)。飲み物については、クルミは懲りずにオレンジジュース。ルナンは紅茶、ディオルは甘いカフェオレである。
「事件と言っても、一夜の争いのことだ」
 店内はアンティークな雰囲気で、心持ちも落ち着けそうだった。
 こんな内容でさえなければ。
「おととい、目立った紛争があった。ここから幾らか北にある、小さな工芸の町だ」
 ひとくち、もぐもぐし終えたクルミが小首を傾げる。
「ふんそう、大きなたたかい?」
「いいえ。今回は町規模の争いのことですから、決して大きくはありませんね。比較的、小規模な……」
 そこで唐突に黙ったのは、氷のような視線を察知したからだった。沈黙の出元が分かり切っているディオルは、瞳を閉じて肺付近を手の平で抑えた。
「……失礼。続けてください」
 ルナンはもう一度視線でディオルを刺してから、追って語りはじめた。
「話を戻そう。町の名は、ラスク。ごく普通の、どこにでもありそうな小さな町だ」
 明るい店が町中に立ち並び、職人の街道が賑わい、女神を奉る教会の鐘が鳴る。夜は酒場に灯りがともり、角には薄暗いスラムがあ――そんな、人がのびのびと暮らす町だった。
 
 ――そう、ほんの一昨日までは。
 
 異変は先日のこと。
 ラスク町の何事もなかった日常に、突如として、恐ろしい兵士の波が押し寄せた。
 迫り来る黒の軍隊。真っ赤な馬の旗印。
 敵国〈ガルニア〉軍の象徴であった。
 町の住人は若い男を中心に立ち向かったが、まるで歯が立たず、避難する間もなく殺された弱い女子供も多かったという。それは、『凄惨な殺し合い』というよりは、軍隊による一方的な民間人殺戮だったそうだ。
「なかなか……惨い。胸焼けのする内容で」
 聞くなり、ディオルはそんな感想を述べた。きっと、誰もがそう思うだろう。
「この話には、まだ続きがある」
「本題ですか」
 ルナンはわずかに頭を上下させてから、背筋を曲げ、ため息を吐いた。
「〈エスタール王国〉の騎士団は、ラスク町の救援に来なかった」
「はい? 自分の国が、他国に襲われているにも関わらず?」
「そうだ。だから、町の見習い――騎士候補生と呼ばれる多くの学生が、前線で帝国の軍隊と戦ったのだ」
 騎士候補生。
 実戦など経験したこともない若い集団では、その場を繋ぎ止めるのがやっとだったらしい。
「軍と戦い抵抗する者ほど、着実に死んでいったと聞く」
 青年の声が語る内容は、聞く者の背筋をひやりとさせた。味気のないパンをのみ込むふたり。
「ひどい……」
「イカレてますね」
 しかし、いよいよ一日戦争となったそのとき、戦闘状況に転機が訪れたという。
「局地の戦場にひとりの男が現れ、帝国兵と戦い出したのだ――」
 たった一人の加勢で、戦況は変わった。
 その男はまともではない勢いで帝国兵をなぎ倒し――何十人、もしかすると、百人近くもの兵士を薙ぎ払った。
 男は、数人の騎士候補生たちと共に生き残った後、ひとり姿を消した。
 のちに、かの戦争に加担した極悪人として、その男には“殺人罪”が下された。
「して現在、男は政府に追われている、と……以上だ。わからないことはあるか」
「いえ、待ってください」
 青年がしゃべっている間にもディオルは黙々と食事を進め、今やスープもカラになっていた。
 物事の奥深くを探るふうに目を細めて、ディオルは呟いた。
「その話は、奇妙です」
「きみょう、なの? でも、ひどい話だったね」
 クルミがいまいち分からなさそうにしていたが、ルナンはそれが健全だと思った。
 ロングスーツの人物が、眼鏡を上げ直して独白した。
「帝国軍の一方的な奇襲攻撃に立ち向かった、町の民間人。悪いのは宣言をしなかった軍です。通常、そこまで人の死んだ戦闘地帯では、仁徳の法など無効のはず。では」
 ディオルは言葉を選び、ゆっくりとルナンに問いかけた。
「軍隊を斬り、民を守り、紛争を止めた人物の功績が、どうして“殺人罪”に問われるのでしょうか」
 伏せて喋っていたところをそのまま埋められたルナンは、
「……鋭いな。お前の洞察力にはお手上げだ」
 自嘲気味に笑った。
「そう、本来ならば、違法扱いであるはずはない」
「そっか。おそわれた町の人を助けようとしたんだもんね。その人、わるい人には思えないよ」
 クルミも、うんうんと頷いた。
「今回、『王国教会が帝国軍と水面下で繋がっている』という話を耳にした」
「ガルニア帝国軍が……」
「うむ。ガセではないと思う。事実、政府が動かなさすぎているだろう。絶対に裏がある」
 聖なる権威である教会が、敵国の得体の知れぬ軍と手を組むなど、あってはならないことだ。
 ディオルは押し黙ってから青年に問い直した。
「つまり、その件であなたは王都を調べていたと」
「そういうことだ」
 青年は即答した。店内に掛かる曲のジャンルが変わったことに、彼は気が付いていないだろう。
「無茶苦茶ですね」
「黙れ。無茶でもなんでも、俺はやる」
「決意は固いわけですか」
 店内のカウンター奥で調理の実演が始まったのを横目に見ながら、旅人は、どうしようもないなと指を組んだ。
「お前がなんと言おうと、行くからな」
 力むルナンに、同じく実演を見ていたいクルミが水を差した。
「ねえ、まだ、猫ちゃん帰ってこないよ?」
「まあな?」
 いまいち格好のつかない青年に場が和んだのを見て、ディオルは話題をついだ。
「では、ついでです。手短に、私の都合のお話もしておきましょうか」
 この男の都合とは、依頼についてということか。
「ふむ。それは助かる」
「まず、私の依頼は『南東の陣機械クロムディア遺跡での護衛』です。主にルナンさんに守っていただければ、万が一も充分ですね」
「こちらは問題ない」
 俺たちも遺跡に用があるしな、とルナンは言った。
「もう一つ、遺跡の前にやらなくてはいけないことがあります。協力者を探すことです」
「きょうりょくしゃ?」
「ええ。行く先は陣機械クロムディアばかりの古代遺跡……のはずですが、私には、そういう専門的なことは分かりません。ですので、次の都市で知識のある方に同行を願いたいのですよ」
「クロムディア、はやく見たいな!」
 ルナンはひっそりと眉根を寄せた。
 陣機械クロムディアは、現代では一応非合法なものだ。
 なので、クルミの感想はあまり大声で言うものではないのだが、今は置いておいた。
「要するに、次の街に行き協力者を仰いでから、遺跡へと探索に行くという……む?」
 ルナンはそこで言葉を切ると、「来たか」と一声発した。
「どうされたんです?」
 否、と首を振る。テーブルの上に手をかざして、青年はこう呪文を唱えた。
「魔を通じ、汝、魂の扉開け──言霊窓フェンシレス
 聞きなれない形式の古代魔煌ヴィレラを発動すると、紫の手袋を覆った手の平からヴァイオレット色の鏡が現れ、特徴的な猫声が響いた。
《ご主人さまー! 見つけましたにゃー!》
 ruby>言霊窓フェンシレス……特定の契約を交わした骸霊、通称しもべとの脳内のやりとりを現実の声に再現する呪文だ。
「手掛かりが見つかったのか」
「どうやら、タイムアップのようですね」
「依頼の内容もよく解った。王都を抜けた後、南東方面の街へ向かわせて貰おう」
「お願いします。ま、例の協力についての交渉は、私がやりますね」
 店の料理の実演が終わり、とろとろのクリームシチューが出来上がる頃には、双方、同意が得られた。
 店内には、心地よい香りが漂っている。すっかり満腹になったクルミが、楽しそうに笑った。
「えへへ、ギルドギルド!」
「ああ……」
 青年は、ギルドと聞いて思い出す。
「そういえば、名乗っていなかったな」
「あっ、ほんとだあ!」
 クルミが、ぱっと笑顔になる。
「はい? お二方の名前なら、伺いましたが」
 青年と少女はちらりと顔を見合わせ、ちょっぴり笑い合ってから向き直った。
「旅ギルド〈闇夜の流星〉。お前の依頼、しかと請け負った!」