DR+20


三幕『あいつの仇を討つ』



 冷たい路地。
 足早に歩く青年について行くと、辺りはシックな造りのバーや宿屋の立ち並ぶ裏通りになっていった。
 先刻の、明るい店や客引きの声が飛びかう商店街を抜けたようだ。
「うわぁ、くらいね」
 少女がきょろきょろする。
「ここなら人目につかないな」
 ルナンは足を止めて再確認した。まだ昼間ゆえに、人通りもほとんどない。
「あのー、何をなさるのです?」
 ディオルが疑問を口にすると、ルナンは男を二度見してから、見てとれる程度に顔を引いた。
「あ、お前が居たか」
「なんですかその反応」
 眼鏡の男が不満をもらす。青年は、横目でしばし睨んだあと「仕方がないな」というふうに、男から顔を背けた。
 鼻筋の前に二本指を添え、すっと息を吸い込む。
「――我――契約を重んずる者なり……」
 詠唱とまったく同時に、左首筋の呪詛が妖しい色を放つ。ルナンの周囲に温風が吹き抜け、マントを持ち上げた。
「……其こそは、我に使役されし意を示せ! 器を形成せし主命を与うる」
 漆黒の足元がほのかに光を発する。
「汝、今時空を超え、我に従え――出番だ! アールズ=シェルミク!」
 右手を振り払った青年が低く叫ぶと、前方へと黒いモヤが集まり、最後に人間の顔くらいの塊になって弾けた。
 そこには、ヘンテコな猫が現れていた。
 三毛色の毛並みにぎざぎざのヒゲをした獣が、まるっこい胴体で鈴を鳴らした。
「ルナンさま~! お久しぶりですにゃああ~!」
「その名を呼ぶな馬鹿者が!」
 飛びついてきたデカい毛玉を、ルナンは半歩下がるとブーツの底で蹴飛ばした。
 いてて、なんて呻くアールズに、クルミがその手を取って立たせてあげた。
「猫ちゃん。さっき街の前でお別れしたばっかりだよ?」
「そうにゃん? なんでか、久々なかんじがするにゃ」
 ほのぼのと会話するクルミとアールズを眺めて、ルナンは独り零した。
「やはり。王都の中心部は、骸霊ガイレイ避けの結界が張られていない」
 高い城壁があるから十分ということか、外側だけに似たような仕掛けがあるのか、何にせよアールズを召喚できたことで得た情報は多い。
「どういうことですか? その三毛猫は一体……」
 疑問符まみれのディオルに、クルミがすかさず持てる知識を披露した。
「あのね。猫ちゃんはガイレイさんなんだよー」
「は~、そういうことでしたか」
 ディオルは興味深げに頷いている。骸霊ガイレイ、の単語で獣耳をぴくりとさせたアールズが、長い尻尾の毛を逆立てて仰天した。
「ニャ? 町中なのになんでボク平気なんにゃ!?」
 同じ質問に二度答えるのが、ルナンは面倒になった。
「今は気にするな。それよりアールズ」
「ル……にゃ、ご主人さま、なにかご命令ですにゃ?」
 どもるアールズに用件を伝える。
「うむ。今回は教会本部の周辺を調査して貰いたい」
「教会ホンブ、あの高くてベルのついてる建物ですにゃ」
「そうだ。あの場所に、正面以外から入りたいんだ。その経路を出来れば探って欲しい。やれるか?」
「お安い御用にゃ! 早速行ってきますにゃあ」
「頼んだぞ!」
 ニャッ、とひとつ鳴いて、しもべは振り返らずに走り去っていった。
「いってらっしゃーい」
 一部始終を見守っていた二人のうち、若干老けた印象の男は、とくに青年を注視していたようだった。
「しかしあなた、いまどき《召喚術》なんて使ってらっしゃるんですねぇ」
 男が可笑しなものを見る目でそんなことを抜かすので、ルナンは強い口調で言葉を返す。
「見ての通りだが。どうかしたのか」
 ディオルはなにやら思案するのをやめると、感服の声を発した。
「驚きましたよ。通常、野で人間を襲う骸霊ガイレイが、あれほど従順に命令を聞くなんて」
「しもべ自体、世間では珍しいそうだな」
「ええ。あの召喚も、古い魔煌ヴィレラの一種のようですし。どんな方法で捕まえれば、あんなふうになるんです?」
 心底驚嘆しているらしい男の考え方こそが、いわゆる“一般的”なのだろう。
「さて。俺の知ったことではない」
 やや下を向いたルナンの心境をどこまで理解したか、ディオルは浅く息をついた。
「猫ちゃん、もうずっと向こうに行っちゃった」
「うむ。あいつが調べをつけるまで、時間が出来たが」
 どうしたものか、とルナンは顎をさする。
「ねぇねぇルナン」
「む? なんだ」
 少女は、ぶんっと両手をバンザイしてこう言った。
「おなかへったー!」
「おま……」
 呆れたルナンが見返した。
 しかし少女は手を下ろすと、途端に悲しそうになり、その表情に青年は言いようもない違和感を覚えた。空腹を訴えるわりに、いつもの天然じみた顔とは違っていたからだ。
「ねえルナン。だいじょうぶ?」
 ルナンは言葉の真意をはかりかねて、こぶしを握り締めた。きっと今の俺のほうが酷い顔をしていた。
「何のことだ」
「ルナン、ずっと悩んでる。出会ったあのときから、ずーっと……だから、大丈夫かな、って」
 こいつは、出会う以前の俺を知らないというのに「ずっと悩んでいる」のだと、何を根拠に言っているのか。
 クルミは幼い両手を胸に当てた。
「ルナンの調べてる事件って、さっき言ってた名前のひとが関係してるの?」
「なにを、言って」
「ぜんぶ、繋がってるんだよね。わたしと会う、いちにち前に」
「それは」
 青年のだんまりは、図星だ。
「ほお」
 少女の意見らしい意見を初めて聞いたディオルが、声を上げて感心した。
「わたし、ルナンしか知らない辛いことなら、一緒に知っていたいの」
「…………」
 ルナンは絶句した。
 まさか、少女にすらここまで把握されているとは。
「なるほど? 私も、クルミさんに同感ですよ。最低限の説明は欲しいですねえ」
「なっ、お前までか!」
 ディオルすら少女に同調してきたことは、ルナンにとってかなり意外であった。
「お願い、教えて。わたし、なんでも聞くから」
 いよいよ真正面から切り出され、ルナンは、心の奥底で揺れる感情の波が、不思議と鎮まっていくのを感じていた。
「もう、いい。早く来い」
「ほえ?」
 硬く握られていた己のこぶしは、いつのまにか緩んでいた。
「ひと通り話そう。近場を探す。だから、来いと言っているんだ」
 俺は恐らく、あの日以来“聞かれたがって”いた。
 一人で過去を背負うことに疲れ、限界近くまで精神を蝕まれていることに、ようやっと己は気が付いたのだ。これ以上迷うことはなかった。
 ルナンは先頭を切って歩き出した。
「本当に、構わないのですか?」
「ああ。ただし、飲み食いはお前の奢りだ」
 青年はぴしりと言い放ったが、対して「勿論です、これも依頼の一環ですので」などと嬉しそうに言う男と、「ありがとう! やっぱり二人ともいい人だね!」だとか喜ぶ少女の声は、凍えた青年の心をどことなく温めた。