夕刻の手紙


三幕『あいつの仇を討つ』


 
  

 冷たい路地。
 足早に歩く青年について行くと、辺りはシックな外観のバーや宿屋の立ち並ぶ裏通りになっていった。
 先刻の、出店や客引きの声が飛びかう商店街を抜けたようだ。
 少女が路地裏を見渡す。
 
「うわぁ、暗いね」
「ここなら、人目につくまい」
 ルナンは足を止めて再確認した。今は人通りもほとんどない。
 
「あのー、何をなさるのです?」
 ディオルが疑問を口にすると、ルナンは男を二度見してから、見てとれる程度に顔を引いた。
「あ、お前が居たか」
「なんですかその反応」
 眼鏡の男が不満をもらす。青年は、横目でしばし睨んだあと「仕方がないな」というふうに、男から顔を背けた。
 鼻筋の前に二本指を添え、すっと息を吸い込む。
 
「――我――契約を重んずる者なり……」
 詠唱とまったく同時に、左首筋の呪詛が妖しい色を放つ。ルナンの周囲に温風が吹き抜け、マントを持ち上げた。
「……其こそは、我に使役されし意を示せ! 器を形成せし主命を与うる」
 漆黒の足元がほのかに光を発する。
 
「汝、今時空を超え、我に従え――出番だ! アールズ=シェルミク!!」
 
 右手を振り払った青年が低く叫ぶと、前方へと黒いモヤが集まり、最後に人間の顔くらいの塊になって弾けた。
 そこには、ヘンテコな猫が現れていた。
 三毛色の毛並みにぎざぎざのヒゲをした獣が、まるっこい胴体で鈴を鳴らした。
 
「ルナンさま~! お久しぶりですにゃあ~!」
「その名を呼ぶな馬鹿者が!!」
 飛びついてきたデカい毛玉を、ルナンは半歩下がるとブーツの底で蹴飛ばした。
 いてて、なんて呻くアールズに、クルミがその手を取って立たせてあげた。
「猫ちゃん。さっき街の前でお別れしたばっかりだよ?」
「そうにゃん? なんでか、久々なかんじがするにゃ」
 ほのぼのと会話するクルミとアールズを眺めて、ルナンは独り零した。
 
「やはりか。王都の中心部は、〈骸霊ガイレイ〉避けの結界が張られていない……」
 
 高い城壁があるから十分ということか、外側だけに似たような仕掛けがあるのか、何にせよアールズを召喚できたことで得た情報は多い。
 
「ど、どういうことですか? その三毛猫は一体……」
 疑問符まみれのディオルに、クルミがすかさず持てる知識を披露した。
「あのね。猫ちゃんはガイレイさんなんだよー」
「は~、そういうことでしたか」
 ディオルは興味深げに頷いている。骸霊ガイレイ、の単語で獣耳をぴくりとさせたアールズが、長い尻尾の毛を逆立てて仰天した。
「ニャ? 町中なのになんでボク平気なんにゃ!?」
 同じ質問に二度答えるのが、ルナンは面倒になった。
 
「今は気にするな。それよりアールズ」
「ル……にゃ、ご主人さま、なにかご命令ですにゃ?」
 先ほどの広場の騒ぎ。王国の教皇が御乱心と来れば、調べるべき場所はひとつであろう。
 ルナンはアールズに要件を伝えた。
 
「うむ。今は〈教会本部〉の周辺を調査して貰いたい」
「教会ホンブ、あの高くてベルのついてる建物ですにゃ」
「そうだ。あの場所に、正面以外から入りたいんだ。その経路を出来れば探って欲しい。やれるか?」
「お安い御用にゃ! 早速行ってきますにゃあ」
「頼んだぞ!」
 ニャッ、とひとつ鳴いて、しもべは振り返らずに走り去っていった。
 
「いってらっしゃ〜い」
 
 少女が手を振って見送った。
 一部始終を見守っていた二人のうち、若干老けた印象の男は、とくに青年を注視していたようだった。
 
「しかしあなた、いまどき〈召喚術〉なんて使ってらっしゃるんですねぇ」
 男が可笑しなものを見る目でそんなことを抜かすので、ルナンは強い口調で言葉を返す。
「見ての通りだが……。それがどうかしたか」
 ディオルはなにやら思案するのをやめると、感服の声を漏らした。
 
「驚きましたよ。通常、野で人間を襲う異界の〈骸霊ガイレイ〉が、あれほど従順に命令を聞くなんて」
「しもべ自体、世間では珍しいそうだな」
「ええ。あの召喚術も、古い〈魔煌ヴィレラ〉の一種のようですし。どんな方法で“捕まえれば”、あんなふうになるんです?」
 心底驚嘆しているらしい男の考え方こそが、いわゆる“一般的”なのだろう。
「さて。俺の知ったことではない」
 やや下を向いたルナンの心境をどこまで理解したか、ディオルは浅く息をついた。
 
「猫ちゃん、もうずっと向こうに行っちゃった」
「うむ。あいつが調べをつけるまで、時間が出来たが」
 どうしたものか、とルナンは顎をさする。
 
「ねぇねぇルナン」
「む? なんだ」
 クルミは、ぶんっと両手をバンザイして叫んだ。
「おなかすいたー!」
「おま……」
 呆れたルナンが見返した。
 しかし少女は手を下ろすと、途端に悲しそうになる。その表情に、青年は言いようもない違和感を覚えた。空腹を訴えるわりに、いつもとは様子が違っていたからだ。
 
「ねえ……ルナン、だいじょうぶ?」
 ルナンは言葉の真意をはかりかねて、こぶしを握り締めた。
「何の、ことだ」
「ルナン、ずっと悩んでる。出会ったあのときから、ずーっと……だから、大丈夫かな、って」
「…………」
 こいつは、出会う以前の俺を知らないというのに『ずっと悩んでいる』のだと、何を根拠に言っているのか。ルナンの頭が一瞬理解を拒んだ。
 クルミは小さな両手を胸に当てて、続けた。
 
「ルナンの調べてる事件って、ミザリ――さっき言ってた名前のひとが関係してるの?」
「お前は、なにを言って……」
「ぜんぶ、繋がってるんだよね。わたしと会う、いちにち前に」
 
「それは」
 青年のだんまりは、図星だ。
 少女の意見らしい意見を初めて聞いたディオルが、「ほう」と、声を上げて感心した。
 
「わたし、ルナンしか知らない辛いことなら、一緒に知っていたいの」
 
 ルナンは絶句した。
 少女にすら、ここまで今の状態を見抜かれているとは、夢にも思わなかったのだ。
 
「なるほど? 私も、クルミさんに同感ですよ。必要最低限の説明は欲しいですねえ」
「なっ、お前までか!」
 ディオルすら少女に同調してきたことは、更に意外であった。
 
「お願い、教えて。わたし、なんでも聞くから」
 いよいよ真正面から切り出され、ルナンは、心の奥底で揺れる感情の波が、不思議と鎮まっていくのを感じていた。
 
「もう、いい」
「ほえ?」
 硬く握られていた己のこぶしは、いつのまにか緩んでいた。
「構わん。今更だが……、ひと通り話そう。近場を探すぞ」
 
 己は恐らく、あの日以来、聞かれたがっていた。
 一人で過去を背負うことに疲れ、限界近くまで精神を蝕まれていることに、ようやっと気が付いたのだ。これ以上迷うことはなかった。
 ルナンは先頭を切って歩き出した。
 
「本当に、構わないのですか?」
「ああ。ただし、飲み食いはお前の奢りだ」
 
 青年はぴしりと言い放ったが、それに対して「勿論です、これも依頼の一環ですので」などと嬉しそうに言う男と、「ありがとう! やっぱり二人ともいい人だね!」だとか喜ぶ少女の声は、凍えた青年の心をどことなく温めた。

 





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