DR+20


三幕『あいつの仇を討つ』



「待てー! そっちには行くな!」
「洪水だと、街中だぞっ」
「お客さんは下がってぇ!」
 整備された広大な敷地に映える、美しい弧を描く噴水周り。
 本来なら憩いの場であるはずの広場は、今や動乱かと見まがうほどの様相だった。
 ルナンは重装備の黒衣を翻し、ただちに場を見渡した。
「おかしい」
 周囲は老若男女の悲鳴で満ちている。
 にも関わらず、その中に騎士の号令らしき声がない。
「ここは王都だぞ……」
 〈エスタール王国〉では街の騒ぎとあらば、呼ぶ間もなしに騎士が駆けつける。
 王都アベルツは王の膝元。
 王国騎士団は、法と平和の象徴武力。
 先日のうるさい騎士のように、街の治安を維持する命を下された者が必ずいるはずだった。
 鈍色の髪の下、紫色の瞳がにわかに焦りを滲ませる。
 俺は煩雑な人混みの中を泳ぐようにして、目線をやや高く保ち、向こう側を見ようとした。
 すると、遠目にも王国騎士らしい、赤と白の甲冑服が騒ぎの中心部に集まっている。
 間違いない、騎士団だ。
 ようやく捉えた奴らは、どうやら、広場の中心へと注目する市民に声をかけている。野次馬をしきりになだめているのだと、ルナンには分かった。誰も、“騒ぎの元凶の沈静化”のために動こうとはしていない。
 ――騒ぎが起きても邪魔はせぬようにと、命令されているんだ。
 不穏な結に辿り着いた青年へ、向かい来る足音があった。
「ルナーン!」
「あぁ、居ましたねぇ」
 ソプラノの幼声が俺を呼び、次いで、重低音だが張りのある男の声がした。首元を捻れば、金髪の少女が人並みに揉まれながらも駆け寄ってくる。
 半歩後ろには、くたびれた濃紺のスーツ男がついてきていた。
「随分と早かったな」
「その服装、浮いてるので探さずに済みましたよ~」
(お前が言えた台詞なのか?)
 聞き捨てがたい軽口へ反論するまでの、一拍のラグで硬直する俺を尻目に、男は言葉を重ねた。
「どうです。これが、あなたの気にかかる事件なのですか」
 周囲の声に掻き消されぬよう、やや大きく発された声に、ルナンが返答する。
「直接には関連がないやもしれんが、確信は得た。見ろ」
 ルナンは顎をしゃくり、人混みの向こう側を示した。
 広場中央の噴水まわりが、水浸しとなっている。噴水が暴発したようにも見えたが、それは違った。
「ガイレイが……?」
 そこに、くすんだ橙の毛並みをした虎型の骸霊ガイレイの姿がある。
「はれ? ガイレイは、まちには入れないんだよね。どうして、ここにいるんだろう」
「信じたくないが、あの骸霊ガイレイはどうやら意識を操られている」
「どういう理屈ですか?」
「中央のやつから、妙なチカラを感じる。あいつが犯人と見て間違いない」
 ルナンの言う広場中央、噴水横で騎士に囲まれている人物は、赤線の入った白い制服──騎士の紅白甲冑と似た色合いをしている──王国の聖職者の正装だ。豪奢な飾りのついた、長い銀の杖を持っている。
 周囲の人集りよりも目線ひとつぶん背の高いディオルからは、それらが難なく確認できたようだ。
「ほぉ、あのお方ですねぇ」
「あのひと、しってるの?」
 眼鏡の男は首を振った。
「詳しくは存じません。が、彼の身なりは確か、王国の教皇のものなんですよ」
「きょうこう……」
「簡単に言うと、国の偉いやつだ」
 幼いクルミへ向けた、言葉の変換に慣れてきたルナンは、適当に教えておいた。
「偉いひと? ね、どうして偉いひとが、みんなを困らせてるの?」
 クルミが再びルナンに質問すると、
「そういう奴だからじゃないのか」
 青年はディオルに視線を送った。
「彼は元々、誠実な聖職者として知られていた、と記憶しているのですが」
 昔の記憶ですけどね、と言いながら後ろの男は本人を見やる。
 教皇とおぼしき人物は、なにやら長杖を振っている。魔煌ヴィレラを発動しているようだ。次いで騎士に命令を下した。
「私が折角、軍用を強化しているのだ! 早く済ませ」
 操られた骸霊ガイレイは、軍用などと呼ぶらしい。
『ガルルルウゥ……』
 骸霊ガイレイの口から見たこともない魔煌ヴィレラが放たれ、噴水の水を吸い上げては何かを施しているように見える。一人の騎士がすがるような声音で教皇へ言った。
「こ……これ以上は、できませんっ。噴水の耐久も保たない上、都民の迷惑に! どうか、お考え直しを」
「これでは王の鼻を明かせぬであろう! 責任者は私なのだぞ、黙って言われたことをやれ!」
 怒号を放っている教皇を目に映す限り、ルナンはそれを誠実という単語と照らし合わせる間でもなかった。
「そうは見えんな」
 周囲の人々が騎士に説明を求めるも、まあまあで済まされる一方のようだ。命令されてのことなのだろう、騎士はみな、見るからに疲弊している。無論、骸霊ガイレイたちもだ。
「キシさんとあの子、なんだか可哀そう」
 クルミはいよいよ悲しくなったのか、しょんぼりとしてしまった。
「あの噴水は、この王都全域に流れる水の交差点ではありませんでしたか?」
 各々がなんとも言えない表情で押し黙ると、ルナンが顔を背け、人混みの足元へ声を落とした。
「あれほどまでに腐ったか。笑わせる」
 滲んだ侮蔑を吐き捨てた青年は、苦しそうに呻いた。
「あいつらのせいで、ミザリは……!」
「へぇ~?」
 わざとらしい声が出るディオル。
 青年の口から初めて好意的に発せられた人物の名を、二人は聞き逃せなかった。いかにも、誰? と言わんばかりの熱視線を浴びたルナンは、騒ぎの中で似つかない咳き込みをした。
「来るなら早く来い。置いて行くぞ」
「待ってよルナン! どこ行くの!」
 青年は振り返りもせずに、広場の南西方向の道へと人混みを縫いはじめた。
「どこ行くのってばー!」
 小走りで追い掛けていく少女をさりげなく待っていることは、ときどき歩幅を緩めていることから判る。当人には黙っておいてあげよう、と、茶髪の男はひそかに笑った。