DR+20


二幕『引き受けてください』



     ◆
 
「お待たせ致しました」
 窓際の四人席に、橙色のジュースがひとつと、コーヒーカップがふたつ運ばれて来る。
 スーツの男と向かい合わせに席へと着いたルナンとクルミは、いかにも都会といった店内の雰囲気に浮き足立っていた。
「ルナン、これはたべていい?」
 ヒリヒリしている頬をさする少女。
「ああ、こいつもこう言っているし大丈夫だ。もし何か問題が起きれば、俺がなんとかする」
「そっか! よかったぁ」
 ちなみに、ルナンの言う“なんとか”とは、闇討ちまたは逃走のことである。
 少女はやはりおいしそうに、ちまちまとジュースを飲み始めた。
「いいひとだね、おじさん!」
「おじさんではありませんよ。おっと、申し遅れましたね」
 ミルクと砂糖を追加したカップの中身をゆったりと混ぜていた男は、慌ててスーツの内ポケットから四角い束を出す。
 手のひらサイズの紙をテーブルの上に提示してみせた。
「私は、ディオル・カラーン。どうぞ、ディオルとお呼びください」
 落ち着いた振る舞いでそう名乗る。
「わかった! ディオル、あのね、わたしはクルミっていうの!」
「フフ、そうですかぁ。可愛らしいお名前ですね」
 ディオルは懐から小袋を手に取ると、白い塊を鷲掴み、カップの中へぼとぼとと投入してゆく。それらがマシュマロであると認識すると、ルナンは異様な光景に顔をゆがめた。
 この男のやることなすこと、あまり親しみが湧かない。
「異国の人間……のように見えるが、砂漠の出ではなさそうだな。お前は隣国〈テスフェニア〉辺りの出身か?」
「ええ、まあ。どんな旅人も、敵国に赴く程の物好きはそう居ません」
 旅人は目をつむって、ため息を吐いた。
「で、貴方はルナンという名のギルド主……ですよね?」
「そのくらいは判るだろうな。お前は元々、何をしていた人間だ?」
 これでは腹の探り合いだ。
 率直に会話ができないのはお互いについて未知過ぎるせいだろう。
「元・しがない輸送ギルドのメンバー、というところです」
「そして、今は抜けて旅人を?」
 男は笑ってうなずいてみせる。
「ようやく本題に入れます。実は、探しものがあるのですよ」
 右手でつい、と眼鏡のブリッジを押し上げた。
「私、訳あって調査したい遺跡があるのです。つまり、歴史ハンター! とでも思って貰えれば!」
「ほう」
 ルナンも古代遺跡とは深く関わりがある。
 案外熱心に語る男の様子に、ルナンは真面目に話を聞いてやろうという気になった。手元のブラックコーヒーに口を付ける。
「この国には遺跡が多いと伺いました。しかしあいにく、場所がさっぱり分からないのです。ここから東方角の街近辺に、遺跡が存在するとも聞いたのですが」
「俺は、この国の遺跡のひとつを、探索したことがあるぞ。北東のな」
「おや! もしかして知ってたり?」
 食い付くディオルに、ルナンは己の知識を辿って話をした。
「アレは、あまりお勧めできんがな。ただ、俺が本の知識で知る限り、南東の山岳部には陣機械クロムディアじみた遺跡があるはずだ」
 陣機械クロムディア……人工学で動く装置。民間では非合法な上、宗教でも禁忌物に当たる。
 ルナンも間近で見たことはない。
「南東に陣機械クロムディア? いいですね! それはかなり、私の求めてた情報ですよ!」
 青年は、虚を突かれた。
 細目な目を見開いて、それからはにかむように笑顔を見せるディオルの自然な表情は、この男の当初の印象をまるで裏切るものだった。
「ありがとうございます。おかげさまで、いい探索が出来そうですよ」
「それは、良かったな。では」
 会話も締めどきだ。と言わんばかりにルナンは、さっさと飲み物の残りを煽ろうとする。
 男が、今までよりも一段ほど低い声音で切り出した。
「折り入って、お二人にご提案があります」
 青年は、まだ何か――と問いたげな眼差しを向ける。滑らかな低音がそれに答えた。
「私の旅路に付き合う、というのはいかがでしょうか」
 つかの間の沈黙。
「何故、俺がお前について行かねばならんのだ?」
 周囲の雑談と少女がジュースをすする音だけが、共通して聞こえている。
 男がカサ増しした飲み物──カフェオレ? を、美しく飲み干した。
「あなた、さっき露店で旅ギルドの存続がどうとか言ってたじゃないですか。資金繰り、お困りなんですよねぇ?」
(すべて、聞かれていたか)
 声に出していたのだから無理はないとしても、この男、目ざといな。
「それは俺個人の問題だ。まあ遺跡には興味があるが、お前のペースに合わせてやるほどヒマではない」
「では、私の遺跡探検にでも付き合ってくだされば、内部の情報も手に入る。そして報酬も支払いますよ。どうです?」
「報酬? それはつまり」
「ええ。私的には、五十万ほどで手を打ちたいところなんですが」
「ごじゅっ……」
 とんでもない金額を聞いてしまった気がしたルナンは軽くむせた。
 確かに遺跡の探索には危険が伴うが、そこまでして得体の知れない相手に護衛を頼む感覚は、ルナンには分かりそうもなかった。
 ディオルは居住まいを正して指を組む。
「私の依頼、引き受けてくださいませんか」
 口当たりの良い珈琲を一口含みながら、青年は考えた。
 少女の記憶と【あの男】にまつわる手掛かりを得るために訪れるべき各地の遺跡。
 いずれ、この国の遺跡だけでも、手当たり次第に調べねばならないと思っていた。ディオルはそれを“仕事”として依頼してやろうと言う。
「ふむ」
 奇妙な縁だ。こんな巡り合わせは二度もめぐってくるものではあるまい。
「よかろう。俺で良ければ引き受けたい」
「本当ですか!?」
「ただし、条件がある」
 ルナンは視線を外し、窓辺に向かって呟く。
「俺はこの王都アベルツで、確かめねばならないことがある。ひとまずソレに付き合って貰おう」
「王都で? 何かあるんですか」
 ディオルが不可思議そうに苦笑いしたところで、ジュースの効果か、大人しくしていた少女が、窓の外へと声を荒げた。
「ルナン、ルナン。お外の様子がおかしいよ」
「ああ。気付いている」
 見れば、遠目に見える大広場でなにやら騒ぎが起こっているように見えた。クルミはずっとそちらに気を取られて話を聞いていなかったらしい。
 よく確認できないが、騒ぎの渦の中心には何者かが居る。
「おや。あれは王国の……」
 瞬間、広場からの轟音に耳をつんざかれた。
「きゃああー!!」
「えっ……?」
 店内が一気に騒然とする。
 気付かぬ者はいない。真っ青な濁流の吹き上げる広場の景色が、ガラス越しの視界に映った。
「ふん。一悶着ありそうだな」
 カップの残りをひと息に煽って席を立つ。
「馳走になった。先に行っているぞ」
「わ、わたしもいく!」
「おおい、せめてお代を払うまで待ってくださいよー!」
 焦った男の低い声も、乱暴にこじ開けた扉の鈴の音も、青年には聞こえない。
 既に、どす黒い怒りの渦がルナンの心を蝕み始めていた。