DR+20


二幕『引き受けてください』



「おい、クルミ!」
「んぇ?」
「依頼を探すんじゃなかっ、た、のか……」
 何かがおかしい。
 クルミは話しかけると大抵明るく返事をするはずだが、今回の声は変にくぐもっている。不審に思い横から覗き込むと、少女の前にはオレンジ色がたくさん転がっている。
 何故か皮だけ転がっていたりした。
「……まさか」
 嫌な予感は外れない。
「ん、んむむ」
 振り向いた少女の口にはみかんが詰まっていた。
 つまみ食い。
 本日二度目の悪夢である。ただひとつ違うのは、こちらが現実である。
(変にもそもそしていると思った……!)
 俺が軽く頭を悩ませているあいだも剥いた五つめを食っている。
 やばい。
 やめてくれ。
「こんにちは。いい買い物日和ですね」
 長身の客は、こちらに向けてにこりと笑顔を貼り付けた。
「んー!」
 ルナンはクルミの肩を掴み、みかんから遠ざけながら、相手を見極めるように眉をひそめる。
 この辺りではまず目にすることのない、薄い黄色の瞳を覆うやや大きめの眼鏡。好き放題に跳ね回った茶髪と、長身に纏った紺色のロングスーツ。
「悪いが、怪しげな輩は御免だ」
 ピシ、とした印象を受けるはずのその身なりは、ヨレやシワが目視できることから、相当着込まれているようだ。
「怪しげだなんて心外ですね」
 眼鏡の男はほとほと困り顔になった。
 すると横からどうにもおめでたい紅白頭の女の店主が、
「ちょお客さん困るでぇ!」
 ようやく異変を感知したようで、あっと少女の眼前に人差し指を突きつける。
「勝手に食べてもうたらアカンがなぁ~」
「ん、だって美味しそうで……きっと買えるかなっておもったから」
 当の少女はというと、ほんとうに申し訳なさそうに縮こまっている。
 いいかお前ら。今、一番困惑しているのは俺だぞ。
 ルナンの混乱は深刻だった。
「ところで、千五百リルな!」
「なに?」
 いたって何気なく、結構な数字を聞いた気がした。
 頬杖ついて、もう片手をひらひら振っている店主。
「ニイちゃん保護者やろ。みかん五個代、払うたってや~」
(みかんが五つ、千五百リル?)
「ぼったくりかァ!」青年が全力で突っ込む。
「んなことあらへん! これ貴族栽培のミカンやさかいね」
「ふむ、なるほど」
 貴族栽培は高級品だ。
 少しばかり目を離しただけで、厄介なものを食ってくれたな。
「ふ、ふえぇ、ごめんなさい」
 それはたぶん顔に出ていた。
 ルナンの脳内でカチカチと計算が為される。
 元の所持金、五千リル弱。こいつの身繕い金に約四千リル。次いで食料費に約千リルの使用は、どちらも止むを得ず必要な消費だったと思う。
 そして今回のつまみ食い費が、千五百リル。
 現在の有り金、数百リル。
「これは」
 足りない。どう考えても不足している。
 主にクルミの存在のお陰で持ち合わせがない。
 しかし、無知すぎる子どもに罪を背負わせるのは、あまりにも酷というものだ。
 つまり俺としては、手慣れたあの手段を取るしかない。
「これは……殺るしか……」
 殺るのはやりすぎか。
 恐喝か?
 そもそも、街中での強行策はさすがにまずいか。
 金銭が天秤に掛かったルナンの思考回路は、あらゆる意味で尋常ではなかった。
「否。旅ギルド存続を掛けて……!」
「えっ? なになに?」
 ――いくぞ、と強行策を取ろうとしたそのとき、
「どうかなさいましたか?」
 隣の男が口を挟んだ。
「聞いてやアンサン、この客めっちゃトロいで。ほんの千五百リル出すのにー」
「ところであなた、それ、ウソですよね」
 男の断定的な発言への理解が間に合わず、青年の脳は硬直した。
「はっ?」
「ほうら。この認可マークは、隣国で採れる一般素材のもの。国境をまたぐとはいえ、値段はせいぜい百リルほどでしょう」
 青年に突き付けられたのは偽りの売値だと、男が指摘した。
 言われてみれば、一部の売り物にはそんなマークがついていた気がする。
 ルナンの淡い記憶にも蘇った。
「騙すつもりだったのか?」
「はぁん、ウソとちゃうわ。流暢な商売トークやいわんかいな! あー、ネタばらしされてしもた~」
 ……それは立派な詐欺だろう!
 己の浅知恵にも呆れ返ったルナンは顔を覆った。
「ついでにお尋ねするんですけど。このワッペン、どのお店でも定価・五百リルでしたよ」
「あ! せやった!」
 いかにも、今の今思い出したような言い草でそろばんを弾き始める商人。
 敬語の男はさらに滑らかに言葉を紡ぐ。
「正規のお値段を偽るのは如何なものか。あなたの商業ギルドに、利用者としての声明を出すべきですかねぇ」
「あ~もうほんまメンドっちい客やなぁ」
 赤と白毛の商人は悪びれる様子もなく、分かりやすい舌打ちが聞こえそうな態度で高らかに手を鳴らした。
「しゃあない、特別にまけたるわ! ワッペン四百五十リル、ミカン五個で四百五十リル! 持ってけコソ泥っ!」
「はぁい、ありがとうございまーす」
 満足げな笑みになって財布を開く男。
「お……」
 本来ならコソ泥呼ばわりに文句をつけたい場面だが、ルナンも手持ちでギリギリ払える値段に交渉されたのを見て、内心感心した。
 リル通貨を交換して、交渉を終えた客たちは去っていく。
「ほん~ま、大赤字やわぁ」
 商人はしつこくぼやいていた。
 
 
 
「さっきは助かった。感謝する」
 礼を述べるルナン。
 人出の多い街角を適当にぶらつきはじめた、三人の影が伸びる。青年が危うく商品を強奪するところだったなんて、今は誰も知るよしはない。
「いえいえ。悪行人を叩いてお買い得、まさに一挙両得ですよ」
「あなたは、なにをしてるひと?」
 クルミは素朴な疑問をぶつけた。ルナンがさりげなく制止をかける。
「お前な、初対面の大人にいきなり」
「ははは、構いません」
 ハネた茶髪の男は、袋をがさごそしてからルナンたちに向き直った。
「私はただの、旅人ですよ。さっきも観光土産を買ってたトコです」
 袋から出てきたのは王都のワッペン。
「わぁ! ハトさんかわいい~」
「モノ好きだな」
 平和を表す純白のハトと、それを護る騎士団の赤い剣。緑の葉の縁取り――この国〈エスタール〉の紋章に俺がしばし見入っていると、男は突然それをピッと上に挙げた。
「ところで、先ほどのご縁もなんとやらですし。少しお話でもどうですか?」
 自身の整った顔のほんの横に持ち直すと、ニッコリ笑ってワッペンで空を叩く仕草をする。
「見たところ、あなたはエスタールの国民。地元の方ですよねぇ」
「一体、なんだ」
 助けられたばかりなので、急いでいるからと辞退もできまい。
 男はそれを聞くと、ふっと安堵した表情になった。
「あぁ……この街のこと、いろいろ教えてくださいよ。私、どうもこの辺に詳しくなくって」
 低めの声質が街の雑踏に紛れかける。
 クルミがヒマそうにきょろきょろしているそぶりに気の及んだ男は、左手をひらり表返して方向を示した。
「なに、立ち話もなんです。そこのカフェでゆっくりと」
「えっ、カフェ? いいの!?」
「ま、まて俺の方は」
 今のルナンは金が尽きている。
 銀髪の青年の焦り様を見て、男はおかしそうに気遣ってくれた。
「ご心配なく、私からの奢りですよ!」
「ならば恩にきる。それと」
「ほえ?」
 ルナンが、忘れはしないという風にクルミの頬に手をやる。
「露店の商品を勝手に食うな!」
「ごめんなふぁい」
 少女は弾力のありそうな頬を派手につねられた。