二幕『引き受けてください』
「はい、ルナンさま、で宜しいでしょうか? 付き添いは、クルミさまとアールズさまですね」
最終確認の言葉に、個々の意気揚々とした返事が聞こえる。その様子を見て、受付嬢はふわりと微笑んだ。
「では、No.14676、旅ギルド〈闇夜の流星〉で登録させていただきます。設立おめでとうございます!」
「ふっ」
「やったぁー!」
ここはギルド支部受付所。昨夜を明かした一行は、早速ギルドの登録に来ている。
目立つ銀髪と金髪に、くすんだ白髪が並ぶ。
「…………」ただし、最後の一人はすごく顔色が悪くて無口だった。
「これで名実共にみなさん、ギルドの人間ですよ。“これ”と共に自覚をしっかり持ってくださいね」
手渡されたのは、黒い箱に入った小さなピンバッジ。
箱ごとそれを受け取ると、ルナンはバッジを良く見もせずに蓋を閉めた。
「俺がギルド設立、か」
それは、ルナンとクルミの“さがしもの”の記念すべき第一歩だ。
「他にもわたしたちみたいな人がいたら、いっしょに旅してみたいなぁ」
「それもそうだな」
人数は多いほうがいい。
と、いうよりも、ルナンはひとりで少女としもべの面倒を見るかと思うと、若干気が重かった。
「ギルドメンバーを加える前に、設立したみなさんで『ギルド三カ条』を考えておいてくだされば」
「ギルドの掟というやつだな」
「ええ、なるべくお早めに。基本的には、活動内容やメンバーの志に関することです」
「みんなの約束ごとだよね! わたし考えるね!」
「だから、後で構わないと」
それからというもの、ギルド員を加えるなら各地に展開するギルド支部へ報告を、だとか、政府とギルドは対局関係にあるので振る舞いに気を配ること、だとかいう説明を程々に聞き流してから、ルナンは最も気になることを尋ねた。
「では、旅ギルドの依頼はどこで受注するものなんだ?」
依頼とはつまり仕事のことだ。これがないとギルドは成り立たない。当然である。
受付嬢は困惑した顔になって、やんわりとした口調で内容を告げた。
「それがですね……」
時は日中、見渡す限り青々としたフィールド。
今日も気持ちのいい晴天の陽射しが眩しい。
「えへへ、嬉しいなぁ! ほんとに旅に出れちゃった!」
「変化(へんげ)で人数なんとかなっちゃうんだにゃあ、ボクもお役に立てて嬉しいにゃ!」
少女の高く結わえた金髪が揺れて、ピンクのワンピースがひらめく。その胸に抱かれたヘンテコな猫──骸霊・アールズは、お日様を浴びて夢見心地、穏やかな光景だった。
そんな景色を、一歩前を歩く禍々しい漆黒の後ろ姿が乱す。
「あの受付嬢め、適当なことを吹きおって」
昨日買った保存食をかじる青年。
乾いたパンの感触が舌でざらついて、かろうじて空腹の慰めにはなっている。
「そうそう。依頼、わたしたちで探さなきゃいけないんだってね~」
「ああ、人の多い場所へ向かう必要があるが……」
ちなみに昨晩は洞窟で一夜を過ごしたが、洞窟内はかなり冷え込むため、黒マントを毛布代わりとしてクルミに譲った。
結局ルナンはろくに眠っておらず、さらに先日からまともなものを食べていない。
「ご主人さま、足元ふらふらにゃ。お体ダイジョウブですにゃ?」
「問題ない。それよりも早く王都へ行かなくてはな」
港町から南へと下ってきているので、このままエスタール王国の首都へ向かおうというところ。ルナンは疲れていた。
「このバッジ、わたしが付けてもいいかなぁ!」
「勝手にしろ」
少女が相変わらずピクニック気分で楽しそうに騒いでいると、
「きゃっ!」
ルナン一行の眼前に突如、液体のようなものが降り注いだ。
「――上か!」
乾パンの残りが片手からこぼれ落ちた。
突然の襲来に、危機感を覚える。
地に落ちた無色の液体は、赤く青く色を変え、形を変え、最後に濁った黒になり膨れ上がった。空を覆い、辺りは真っ黒に染まる。
「なっ……」
夜よりも暗い空。ぐるりと視界を回せば、背後にいたはずのクルミとアールズの姿は無かった。一面黒の空間には、誰もいない。
そこで、嫌でも解ってしまう。
──これは夢だ。あの白昼夢だ。
「……来るなら来い! 【スローグ】……!」
「クク……」
禍々しいまでの存在感。
黒々とした長い髪。
妙に長いそれから覗く、濁り切った赤の瞳がこちらを見据えている。
「スマナイ、少々空間が歪んでいテねェ」
このザマだ、と笑うそいつは、忌々しい【あの男】では無かった。
だが、一歩動けば殺すと言わんばかりの威圧感を持った、女だった。
「何者だ。答えろ」
ルナンは鋭く問うた。
こんな妙な空間に誘えるということは、どんな理由があれ『危険人物』には違いがない。
「キミのチカラを、知っている。だから、キミに興味があル」
漆黒の長い髪、赤い瞳が光る不気味な女。
歪んだ空間の中、妙な口調で語り掛けて来るそいつは、紺色の制服のような衣服を身に纏っている。黒の空間に溶け込む色合いだった。
「なんだと?」
「ルナン・シェルミク。今はもう、闇に堕ちた、闇を振るう存在」
「こんな闇(もの)は要らん。【奴】に必ず返す」
「フフッ、アハハハハ……ッ、不可能ダヨ」
大口で笑う女の顔に、否応なしに腹が立つ。
「黙れ! 無理かどうかは俺が決める!」
吠えるも、目の前の奴はさも愉快そうに笑うだけだった。
「救われたケれば、殺せ。人間を殺せ。憎いモノを、悪を……思うがままに殺せばイイ。コノ私モ──」
「俺の望みは“復讐”のみだ。不必要に民間人を巻き込む気はない」
迷い無く『復讐』と口にしたルナンの表情を見て、相手は嬉しそうにニヤついた。
「ルナン……。その名は既に、闇と共に在る」
女の顔がぐにゃりと湾曲して、長身があらわになる。白い頬に──薄気味の悪い──赤黒いアザが現れた。黒い髪は、いつのまにか透き通るような白の長髪に変わっていた。
漆黒のマントが翻る。
「私には分かるよ……」
「……【スローグ】」
ひどく優しい声音が、冷えた耳元に吹き込まれた。
「フフ……殺戮の生を歩め。ルナン……!」
ルナン・シェルミク。
……ルナン。
ルナン!
「ねえ、ルナン! ルナンってば!」
耳元で落ち着きのないソプラノが響く。
次いで肩が揺さぶられる感覚で、体がぐらついた。
目蓋を上げれば、目の前に白と茶色のぶち模様がある。
「……は」
「ご主人さまー!」
猫特有の金の瞳は、目覚めの視界に眩しい。
「あ、ルナン気づいたっ! よかったぁ~」
金縛りにでも遭ったかのように、全身が軋む。
片ひざをついたまま、ルナンは隣で屈んでこちらの肩を持つ少女の姿を見た。俺を絶望の淵から救った少女の存在。
「俺は何を?」
「あのね、ルナンが立ち止まったと思ったら」
妙な液体が降ってきたことを青年は思い起こしたが、少女の答えは違った。
「急にひざをついて、すごく苦しそうにするんだもん。びっくりしちゃったよ」
――夢、まぼろし。
あの体験はやはり形の無い夢幻であって、現実ではないのだ。
そうとは分かっても、不気味な奴らの姿が、声が、脳髄の中で繰り返し現れるような感覚に見舞われ、ルナンの心が晴れることはなかった。
快晴の青空が俺を嘲笑っている。
「ご主人さま、大丈夫ですにゃ?」
「問題、ない。先を急ごう」