DR+20


一幕『旅をしたい』



「そっかぁ。キシさんかぁ」
 一通り滑らかな毛並みを撫で終えた少女は、再び浮かぶ疑問に好奇心を捕らわれる。
「あいつらも、持ち場の仕事に熱心なことだな」
 一見これほど平和な街の“治安維持”などとうつつを抜かして、率先してやるべき事が他にあるだろう。どれほど腑抜けた集団なのかと、ルナンは内心腹を立てた。
「ギルドとキシは、違うんだよね?」
「ああ。民間職と公務職だな」
「働く人にはふたつがあるってこと?」
 まさかそこからわからないとは思ってもみずに、ルナンは思わず言葉に詰まる。
「うーん、キシは偉い側のひとたち?」
「そう理解してくれていい」
 また難解なことを考えるしぐさをしたクルミは、突然、合点がいったように言い放った。
「それならわたし、ギルドがいいな!」
 今度は、ルナンがよくわからない顔をする羽目になった。青年が言葉でたずねる前に少女は続ける。
「あのひとたちじゃないほうがいい。わたし、ギルドがやりたい!」
「なに?」
 唐突なことを言う奴だ。
 いぶかしげに見てくるルナンに、クルミは大仰に話した。
「わたしたちでギルドをするの。こうやって旅をして、ヒロさんたちみたいに困ってるひとをたくさん助けて、わたしの記憶もさがすの!」
「ほう」
 つまり、俺が“ギルド”を結成し、こいつの記憶をさがして、気侭に好きな場所へ旅すると。
「それは……」
 ──この五年間、俺がしようと思っても、人との繋がりの無さ、そして年齢によって、出来なかったことだ。
 この少女にしては上出来で、魅力的な提案ではないか。
「検討しておいてやろう」
 もしかすると、少女は今日の小さな冒険で、ずっとこのことを考えていたのだろうか。
「ほんとっ? できるの!?」
「お前、人を誘っておいてな」
 意図せぬ苦笑いが漏れる。
「ギルドって、どうやって作るんですにゃ?」
 アールズが身を乗り出した。
 世間的には一般的なことでも、少女と骸霊ガイレイには縁遠い話だろう。
「簡単だ」
 幼い頃に一通りの常識は学んでいるルナンにはわかる。
「十八歳以上の大人と付き添いが二人居れば、街外れのギルド支部で手続きし、登録できる」
「とうろく」
 クルミとアールズがポカンとした顔で見てきたのを受け流すかのように、ルナンは窮屈にしていた背筋と両肩でぐんと伸びをした。
「やるならば明日だ。今日はもう、日が落ちた」
 ギルドの名前さえあればすぐだな、と独りごちる青年。
 すると案の定、クルミとアールズは待ちきれないというように、翌朝つくるギルドの名前を考案し始める。
 辺りはすっかり真っ暗だった。
 空は色を失い、遠い山並みの輪郭線は薄れ、暗闇の大空で無数の星が輝きを放つ。
 普段よりも夜空が一層と輝いて見える。不思議な感慨に包まれたそのとき。
 黒の上空にひとすじの光が迸った。
 息を呑むような——鳥肌を感じるのも束の間、いくつの光の雨が天の壁に降りそそいだ。
 強く、弱く、輝きを放つ光が深い夜を照らしてゆく。壮観。
「うわぁ。綺麗!」
 青年の暗い瞳に映り込む光の筋は、己が自然の光景に惹かれ込んでいる事実を全身に染み渡らせた。
「すっごーい! すごいよ!」
「まるで夜空の虹みたいだみゃー!」
「ど、どうしよう猫ちゃん。わたし、考えてたの全部忘れちゃった!」
「ボクもにゃっ!」
 唐突に夢が醒めて、時が動き出す。
 反動でわーにゃーと余計にうるさくなった横のやつらを差し置いて、ルナンは見慣れていたはずの暗い夜空に感動を覚えていた。
 俺にとって、こんな夜にも浮かぶ因縁の言葉。
「闇、を入れたいな」
 ぽつり、と発せられたその声に、二人は顔を見合わせる。
「闇というなら、ご主人! 今日は月の出ない夜。闇夜の日ですにゃ」
 ゴロ、良くないですにゃん? と獣が胸をはっている。
 アールズの出した助け船に、ルナンは先刻の光を思い出した。
 夜空を煌々と流れてゆく、あの流星群を。
「闇夜の流星……」
 クルミがわっとあえぐ。
「それ、ルナンっぽい! すごいカッコいいよ!」
 漆黒の闇夜に煌めく、一筋の流星——これ程にも人の心を惹きつけてやまない。
「あんなふうな存在なら、幸せだろうな」
 ルナンはそんな理想を言葉にして、夢物語を言っていると思った。
「じゃあ、なろうよ!」
「何に」
「なろう。いっしょに」
 言葉の意味くらいは理解できる。
 こいつは俺に、人助けのためのギルドを一緒にやれと言っているのだ。
「俺がか」
「うん。ルナンも“さがしもの”、さがしに行こ!」
 思えば最初から、俺は急いていた。
 白昼見た悪夢は、これまでに何度も夢に見ていた。悪魔のような男になぶられ、人生が転落したあの日のこと……朝も、夜も、そしてこの先もきっと、繰り返し鮮明にまぶたに浮かぶだろう。浮かぶうちは、報復以外の道など到底見出せない。
「やっぱり、イヤかなぁ」
 クルミ。あの日、遺跡で俺を救った幼い少女によく似ている……こいつを連れ出した理由は、たったそれだけのこと。
 冷静に考えれば、縁もゆかりもないだろうこの少女を助ける義理など、ないとも断言できる。
「お前は、俺が断ったところで、この先行くあてがあるのか?」
「あ……」
 少女は不安げな顔になって、縮こまった。
「…………」
 だが、俺が言う“復讐”という目的は、言ってしまえば、雲を掴むような話なのだ。
 【あの男】はどこに居るかすらわからない。ましてや勝てるのかなどと、見当もつかない。
 どうせ夢物語ならば、この少女のアテのない記憶と一緒に探してやったって、それも無駄な時間ではないだろう。
 これからは盗人として生きるのではなく、職を持ち、国を出て仕事を探せる。
「悪くない」
 願ってもない、突然の好機だった。
「そんなお前と、俺は旅をしたい」
 本心を伝えると、少女は出会ったときと同じ、満面の笑みを咲かせた。
「わたしは昔の私をさがしに、旅をしたい!」
「ご主人さま! ここは、気合いを入れておく場面ですにゃあ」
 青年は二人のために、とびきり格好つけて拳を上げた。
「〈闇夜の流星〉・行くぞ!」
「おーっ!!」
 
 
 
 騒がしさが収まった頃、ルナンが問うた。
「しかし随分戻りが早かったが、アールズ聞いてもいいか」
「にゃん?」
「お前、もしや、俺の後をそのままつけてきたのか?」
「もちろん! 屋根の上を、まっすぐ付けてきましたにゃー!」
 再び威張るアールズ。
「もしかして、すぐキシさんに追いつかれちゃうんじゃあ」
 クルミさえ気づいて、小首を傾げた。
 ルナンはぐっと喉を詰まらせてから、息を吐く。
「仕方がない、このまま最寄りの洞窟まで突っ走るぞ!」
「ええーっ」
 泣きそうな顔をしたクルミ。
 月の無い闇夜。一日じゅう歩き通して疲れた少女を、青年がその背におぶるはめになるのは、もう少しあとの話だ。
 今はまだ真っ暗な草原を、二人と一匹は駆け出した。