一幕『旅をしたい』
「なんやあのー。今は具合悪かったかいな?」
青ざめてこちらを気遣う商人。ルナンもさすがに悪いことをした気分に苛まれた。
「あ、ああ。取り込んでいた。すまんかった」
商人はようやくその男の素の表情を見た。もっと言及するなら、意外と紳士的な謝罪に驚かされた。
「ええけどさぁ」
初対面で凄まれたその強面に似合う、老けたような銀の髪色。ところどころに瞳の紫と似た色が散らばる全身。
首元から背中を覆う真っ黒なマントと黒の下衣、ベルトの付いたブーツが、この男の存在の重みを主張してくる。全体的に黒いせいで、白い鎧のような上衣だけが随分と際立っていた。
「兄ちゃん、イカツイ格好してんなぁ。もしかして狩猟ギルドやってる?」
「いや、別にそういうものでは……お前は、商人だな?」
対してルナンは話題を逸らそうとした。
「そらーな。ワイも商人ギルド入ってるかんなぁ」
いつまでも辛気臭いカオをする男は商人にあらず! あっけらかんな口調の彼は図太かった。明るい茶髪は、同じく茶がかったつり目ぎみの目とよく似合っている。
「お兄さんも、ギルドのひと?」
「せや。近い・安い・美味いがモットーの商人ギルドメン、ヒロっちゅうんや! 嬢ちゃんも宣伝よろしく!」
軽快な口調も相まって、ヒロはとても気前のいいお兄さんに見えた。
「ヒロお兄さんだね。よろしく!」
すっかり馴染んだ少女はいつもの笑顔だ。
「ああ、兼業として、情報屋もやっとる」
「商人ギルドで、情報屋?」
ルナンは曖昧に疑問符を浮かべた。
「世界各地をウロウロしとるで、自然とな」
「個人で各地をまわっているというのは、旅ギルドとかいう職ではなかったか?」
旅ギルド……個人で世界をまわり、各地で便利屋のごとく何でも依頼を受ける“流浪の民”的職業だ。
「ちゃうねん。しょーみ、旅ギルドか商人ギルドに入るかで迷ったんやけど、商人のほうが収入ありそうやし! ワイの性にも合ってる気がしたんや」
「そういう事もできるのか。なかなか手堅いな」
「せやろ?」
男二人は世間話ながらも意気投合した。
「ほわ、たべものたくさん売ってる。すごーい」
ルナンとヒロが世間話をしている間にも、少女は素材のあちこちに目移りしている。
「ウチの店は料理も出すで。なんでも言うてーや!」
「これ、なんだろ……」
少女はどうも品物に興味津々らしく、途中から話も聞かずそわそわしている。
「気になるものでも、あるか?」
「う、うん。いろいろ、教えてほしいの」
些細なことでも、記憶に結び付く可能性はある。遅まきに頭を冷やしたルナンは、申し訳なくも商人に理解を求めた。
「すまん商人。冷やかしはせんのでな、少し見ていっていいか」
「大歓迎や! ゆっくり見ていきぃ」
「ありがとう。ヒロお兄さん」
少女はふたたび、品定めをするみたいに商品とにらめっこしはじめた。まるで、初めて店に連れられてお店の商品を手から離さないような、幼児そのものの表情をしている。彼女の頭には疑問がいっぱいの様子だ。
「このお肉は、なんていうの?」
「鶏もも肉」
どうやら少女は、ところどころで字が読めていない。
「この葉っぱは?」
「レタス、しろ菜、ほうれん草」
ひとつひとつの単語を、少女は噛みしめるように頷きながら聞く。どれも知らない言葉ではないようだった。
「この硬いのも、たべもの?」
少女が言うのは、素材そのままで積まれている小さな実のことで、硬そうな殻を被ったもの。
「胡桃。この字は、クルミと読む」
値札の場所を指差して、ルナンは説明した、その三音を聞くや否や、少女は目を見開いた。
「あー! それっ!」
手でパンっと音を鳴らす。
「むむ?」
咄嗟に、ルナンにはその反応の意味が分からなかった。
両手でグッとこぶしを握り、キラキラと瞳を輝かせる少女。
「あのね。わたしのなまえ、クルミ!」
「本当か?」
怪訝な顔でルナンは聞き直した。
そんな思い出し方があるか? いや、ないだろう。
「だとおもうの!」
自信満々に言い放つ様子を見るに、どうも冗談ではないらしい。
「くるみ、クルミ、胡桃……うーん! しっくりくる響き!」
「そうなのか」
仮にこれが本名だとすると、やはり少女の記憶は完全に失われたわけでは無さそうではないのか。希望が見えてきた。
ルナンが考察にふけっていると、クルミのほうから不満の声が耳に届いた。
「ねぇー、おなかへったよー」
「あぁ」
そういえばルナンは、朝一番から古代遺跡の探索に出かけたっきり、まともなものを口にしていないことに気がついた。
「なんや兄ちゃんら、まだ昼飯食ってないんか! もうそろオヤツの時間やでぇ? ちゃんと食わなぁ」
「うわーん! おーなーかーすーいーたー!」
さっきガン無視してしまったせいか、駄々の捏ね方が数倍増しである。
「ごはんごはん! 早く食べないと死んじゃうよぅ!」
(言葉の割には元気そうだが?)
実際俺ひとりなら一日くらい飯を抜いても構わないのだが、成長期であろう少女はそうもいかないだろう。
ギリギリで飲み込んだ嫌味の代わりに、ルナンは注文を述べた。
「ううむ、仕方ないな……五百リルほどで一食、頼む」
商人はニッと笑った。
「ほいよ!」
クルミは、少し遅いお昼ごはんを食べさせて貰えることとなった。
「いっちょあがりィ!」
数刻も経たずして、料理は出てきた。
「ヒロのシンプルランチ! オムライスとオレンジジュースなぁ」
ほかほかと湯気が立ち上っている。
見ると黄色くふっくら焼けたオムライスの表面には、ケチャップで波のイラストが描かれていて、美的センスを感じられる。港沿いの所以だろうか。オレンジジュースは生絞りのようだ。どちらも魔煌が使用されている。
待ちきれない、といった様子でクルミがスプーンを入れた。
「んむー! おいふぃい!」
お気に召した様子の少女は一皿をぺろりと平らげ、ルナンは備蓄の携帯食糧を買い足しておいた。
「ワイんとこは保存食の種類あんま置いてなくて悪いんやけどな、ほな、これな」
へらっと笑ったヒロは、乾パンとチューブ状の保存食を多めにくれた。ルナンは数百リルと交換する。
「否。とても助かる」
きっちりズボンの右ポケットから金を支払う青年。
「ほいほい、まいど!」
今日は何かと出費がかさみ、ルナンの懐は極寒の候になった。
「はぁ……」
リルがほぼ尽きたのをどう補充しようかと頭を巡らせる。
脳裏には「盗む」の次辺りに「働く」という選択肢が出て来たが、俺が新規に入れるギルドなど果たしてあるものか。
ため息をつくルナンをじっと見つめていた少女は、本人に尋ねずにはいられなかった。
「ルナン、どうしたの」
「む」
「んあれっ?」
クルミの問い掛けになぜか商人が反応して、すっとんきょうな音を上げた。
「ルナンって、なんやどっかで……兄ちゃんの名前が、ルナンっちゅうんか?」
能天気で無駄にでかい声でそう呼ばれたそのとき、バザールに異変が起こる。