一幕『旅をしたい』
────……
彼はわたしと家族みたいに親しく接した。
目にかかる銀の髪。難しいことを思ってるまゆげ。
このひと、出会ったばかりのはずなのにな。
古びた遺跡で、わたしを見つけたんだって。
彼が問い掛けた。
『俺はお前を知っている。お前はいつ、記憶を失くした?』
それはきっと、わたしの知らない私。
「わからない」と、首を振ってみせる。
すると彼は俯く。
暗色の瞳を伏せたのち、わたしの目を見つめ直した。
『──ならば、俺がお前の記憶を取り戻してやろう。俺がお前を救おう』
今度こそは……。
彼の唇は最後にそう呟いたように見えた。
「うん!」
わたしを助けてくれるなら、わたしも、あなたを助けるよ。
そう心に決めた。
これは彼とわたしのおおきな約束。
オオキナ、陽光ノ物語。
────……
◆
色濃い山々の連なる緑豊かな地、エスタール王国。
この国の中央の王都は、強固で巨大な壁に囲まれていた。王都の外から唯一、確認できる建造物は、そびえ立つ教会本部のみ。今日も戦女神の安らぎのため壮麗なる鐘の音色が鳴り響き、刻の訪れを各町に告げ続けている。
これだけ豊かな国であるから、生活に必要とする物質もさまざまだ。
ゆえに、王都からほんの数ケルト離れた港からは、日夜を問わず物資が運ばれている。港町ロレークにおいては、貿易船の影が絶えることもない。
「久しぶりだな……」
まさか今日、ここに足を運ぶことになろうとは思わなかったものだ。
【ようこそ! 出会いと別れの町、ロレークへ】
木製の歓迎アーチをくぐれば、港はずれのストリートは人集りで賑わっていた。
立ち並ぶ露店から熱気がたちのぼり、道なりに進んだ先は丸い円となった場でより大規模な商店が開かれている。大衆の一人になって、連れの金髪少女は嬉しさからか歓声を上げた。
「わぁ〜! ここがみなとまちって言うんだぁ!」
「はぐれるなよ」
ルナンはざわめきに満ちた街中をやや警戒しつつ、注意を飛ばした。
貿易町にはあらゆる出店がある。
飲食店、本屋に道具屋、ぱっと見てもよく分からない怪しい店も散見する。
「あれ、なあに?」
白く細い指の伸びた先から、香ばしい香りが漂ってきた。
「いらっしゃーい! さくさくのアップルクッキーだよ〜」
「くっきー! わたし知ってる!」
少女が小走りで駆け寄ると、店の女性はこちらに笑顔を向けた。商品棚のとなり、琥珀色の練り物——作りかけだろうか——の上へ、ひらりと片手をかざす。
「——朱・美味しく焼き上がれ〜——《火ノ聖歌》!』
売り子が魔煌を紡ぎ終えると、彼女の手の平に焔が渦巻き、ガーネットのごとく輝いた。
「きゃー! すごい、きれい!」
見ると、味気なさそうな小麦がこんがりクッキーへと姿を変えている。生地には真っ赤な林檎のペーストが挟まれていた。
「おい、落ち着け」
すっかり心奪われたらしい少女の肩を持つ。
「ひとふくろ五百リル! 観光のおともにいかがですか〜?」
「たべたーい!」
「だからやめろっ。すまんが、菓子を買う予定は無いんでな」
「ザンネン! また来てね」
売り子には断っておいた。少女が横からぶーぶー言っているが、ここは聞く耳持たずだ。
ルナンは大きくため息をつき、独り早足で歩き出した。
「ほぇ、ちょっと! ルナン!」
嗜好品など、ほいそれとは買ってやれない。
出店通りを早めに切り抜けたほうが、などと思考を巡らせていると、
「ルナーン! 待ってよー」
少女が後ろを追いかけてくる。
「……それについてなんだが、あのな」
ルナンはここが街のど真ん中であることを思い出して、どうしてもひとつ注意しなければいけないことがあった。
「街中で俺の名前を呼ばないでくれ。聞かれると困るんだ」
「なんで? 名前、あって困るものじゃないよー」
「そういう問題ではなくてな……」
ひそめた声で話しながら道角の露店まで来ていた二人の客に対して、気持ち良く売り込みをする商人がいる。
「へいらっしゃい! そこの兄ちゃん、エエもん見てかんかー!」
「……あぁ?」
いきなり話し掛けられたルナンは、思わず物凄い形相で振り向きギロッと凄んでいた。
「ヒェッ!?」
なんの罪もない哀れな商人の奇声を尻目に、ルナンは「いいか、ここでは絶対に俺の名を呼ぶな。絶対だぞ」と少女へ念を押した。わかった、と少女もうなずく。