DR+20


序幕『目的と記憶』



 次いで待つこと、数刻。
 女の着替えは長いと風の噂に聞くが、噂に違わず長かった。
「できたー!」
「おいでー、エンジェル」
 ようやく、少女が更衣室から顔を出す。
 次いでカーテンが開いた。
「ほう……」
 出てきた少女は、金髪を高く結い上げて活動的な髪型になっていた。噴水のように横に広がる髪からは華やかさも感じる。
 ひらめくピンクのワンピースは、少女の桃色の瞳とお揃いだ。白のハイソックスを辿ると、焼いたパンに蜂蜜を垂らしたような色をした丸い靴がこちらに歩み寄る。
「えへへ、どうかな?」
 決して派手ではないが、少女の素朴な可愛らしさを引き立てている。ルナンも好印象を持った。
「よく、似合っているんじゃないか」
 かといって、太ももがかなり露出していたので、そこだけ真っ先に目に付いた。俺が袖を塗った服を着ているままで微妙に風紀を乱されると、なんとも言えぬ気持ちになる。
 複雑な心境で顔をあげれば、ニヤつく店主の姿があった。
「さて、おにーさん。鼻の下を伸ばして、この子がそんなに可愛かったかなぁ?」
「やかましいわ」
 小さく歯を食いしばった。この空気を変えなくては。
「ところで、俺のズボンとサンダルはどうしたんだ」
「ああ! あれならマイショップで回収させて貰うよ」
「お前、人のものを勝手になあ」
「大丈夫! 今回の購入価格から買取金をしょっぴいておくからさ!」
「そうか?」
 強引だが、安くなるなら許す。
「肝心の値段はどうなんだ」
 聞いて驚け! と前置いて店主は言った。
「なななんとお値段、三千九百八十リルぽっきり! オドロキのサンキュッパよ!」
 差し引かれた上で、地味に高かった。
 
 
 
「まいど! ありでしたー!」
「ありがとうー、ぼうしのひと」
 満面の笑みでお礼を言う少女とは対照的に、ルナンは思いっきりドアを叩き閉めた。
「二度と来るか!」
 まんまと店主の口車に乗せられ購入してしまったが、今更悔やんでも後の祭りだ。
 衣類は後々必要になったものだから「仕方がない」と己に言い聞かせる。
 再び野原に一歩踏み出して、
「時間を取られた。さっさと行く、ぞ」
「わっ!?」
 二人は思わず立ち止まった。
 見れば、そこには開かれた大きなゲート。さらに奥、石だたみの先には賑やかな店と陽気な人々が群れを成していた。
「わあああ! みなとまちだー!」
「どういう事だ。確か、まだ、かなり遠くに見えたと」
 さっきの店が移動家屋であったことをすっかり失念していたルナンが、ようやく勘付いた。詳細には、「サービスよ!」と意味ありげにウィンクする店主の姿が目に浮かんでいる。
「あの店主、余計な世話を」
 小さく笑って頭痛と共に息を吐くと、背後から迫る音がする。今度こそは気付かざるを得ない、小さなものがまぬけに走ってきた。
「ご主人さまぁ! 置いてくなんてヒドーイですにゃぁ~!」
 例の猫っぽいやつが泣きっ面を晒している。
「アールズ。あれだけの時間、お前はなにをして待っていたんだ?」
「ね、ねねね寝てなんかいませんにゃ! ぜぜぜ全然」
 ルナンの頭痛は酷くなった。
「お前はそれでも骸霊ガイレイか? 冥界に帰って昼寝でもしてろ」
「みゃああああっ怒らないでくださいにゃあ!」
「ガイレイ?」
 少女の記憶で辿る骸霊ガイレイには、大きな竜の頭を持ち突然現れた怪物や、いもむしみたいなクモの姿がある。
「猫ちゃん、動物じゃなくてガイレイなの?」
 アールズは喋ったり二足歩行だったりするけど、なんとなく普通の猫だと思っていた。
「まだ気付いてなかったのか? そら、触ってみろ」
「つめたっ!」
 骸霊ガイレイの冷たい体温は、この世の動物の温度とはあまりにもかけ離れている。
「ボクにはこれがフツウにゃん」
「さて。街に入るゆえ、骸霊ガイレイは本当に異界へ帰って貰わねば」
「どうして?」
 帰る、という単語に悲しい目をした少女に対して、当然という態度でルナンは言った。
「正真正銘、骸霊ガイレイだからな。人間の集まる場所へは近づけられん」
 そういえば、さっきお店の中でも猫ちゃんは居なかった。ガイレイだから、入れなかったんだ。
「こんなにイイコなのに」
「ボクもご一緒したいんにゃけど……うっ、ハナが曲がるウニャ」
骸霊ガイレイは一般的に、人間を襲う。街や店には大概結界が張られているから、骸霊ガイレイは街に近づくと拒絶反応を起こすんだ」
「そっかぁ……ざんねん」
 骸霊ガイレイは危ないから、人間の街に入ってはだめ。当たり前のことなのに、少女はこころがさみしくなった。
「用があれば、契約に殉じてまた召喚する。コイツはその為のしもべだ」
 ルナンは誰に語るでもなく言葉を吐き、静かにしゃがみ込んだ。
 獣の耳元へ囁くように呪文を唱える。薄い青紫に輝く光が対象を包んで、弾けた。
「猫ちゃん! むり、しないでね!」
 少女は淡い光を残して異界へ消えゆくアールズを小さく手を振り見送った。
「気は済んだな? 行くぞ。お前の記憶、および手掛かりの為にわざわざここまで来たのだから」
「うん。行こっ!」
 大空の手前で弧を描くまるいアーチの下を、ふたりは駆けていった。