DR+20


序幕『目的と記憶』



 …………
 ……
 
「みてみて! けむりがもくもくしてるよー!」
 そして刻は昼下がり。天空は晴れ。
「あれか。海沿いの船や、工場だな」
 ルナンたちは、思わず走り出したくなるような見晴らしの良い野原を歩いているところだった。
 色々と思案した結果、少女にはまず人里を見て貰うことにした。
 二度も俺とあの古代遺跡で会ったのだから、一度は港の近辺を訪れている可能性が高かった。
 記憶が戻ることを期待して、港町を目指す。
「懐かしいにゃ~」
 アールズが懐かしむ。俺たちが以前訪れたときと、町の遠景が変わらぬゆえである。
「せいぜい、やむを得ぬ買い出しくらいしか用が無いからなぁ」
 久々だ、と呟いて、雲に紛れ流れてゆく煙をながめる。
 こんなにも天気が良いと、少し穏やかな心持ちになってしまうものだ。
 一方少女は、自分の斜め後ろでじわりじわりと迫ってくるカベを見つけてしまった。
(なにあれ?)
 いちばんヘンなのは、アールズもルナンもまだ気がついていないところ。
 それを見比べてから、そのでっかいカベが大きな土台に乗って動いているのをじっと観察した。
「ねぇ、ここ、たてもの?」
「にゃ? まだ町じゃないにゃんよ」
 なにをおかしなことを、と思ったルナンがそちらを見れば、信じられないくらい近距離に迫るでかい家が視界いっぱいに飛び込んできた。
「なんだこの!?」
 丸いテントのような風貌をしたそれは、濃いピンクや赤、青、黄色で非常に目立っていた。
「悪趣味な移動家屋だな」
 ルナンは長い間この辺りで暮らしているが、野原にこんな奇妙な家があるのは見たことがなかった。
 しかも、俺が気付かない程的確に気配を消して近づいてきていたのだ。不審なこと、この上ない。
 何故気付けなかったのか。
「俺は……疲れているな」
 ふと、横で金具同士が接触する鈍い音が落ちる。
「こんにちは~」
 少女が勝手に虹色のドアを開けていた。
「おいっ! 少しは警戒を」
 家の中には色とりどりの布が吊るされており、多くの棚には雑貨らしきものが並ぶ。
 やわらかそうな毛や、キラキラのアクセサリーを見て少女はいよいよ心惹かれた。
「わぁ、かわいい! お店?」
 立て看板に〈商人ギルド認可店〉の証明文書があったから、ルナンはほんの少し警戒を緩めた。
「例のギルドか」
 商人ギルド……商売をすることに特化した者が属する民間団体だ。他国の認印が押されているものを見るのは、ルナンにとって珍しい。
「ご主人、ここは一体なんの?」
「シッ、来た。ちょっと引っ込んでろ」
 ルナンはアールズを店の外に摘まみ出して、急いでドアを閉ざした。
 そこへ店の者と思わしき気配がひとつ、奥からやってきた。
「いらっしゃあい!」
 最初に印象づいたのは、頭よりも数倍大きな純白のキャスケットだ。煌めく金の髪はクルミよりも少し薄めに照明を反射し、長い三つ編みが後ろに垂れて青いリボンを揺らしている。
 美しい深緑の瞳がこちらを見据えていた。
「俺のブティックへようこそぉ!」
「俺?」
 ルナンの想像よりもだいぶ雄々しい声。
 主に俺の微妙な視線などものともせず、酔いしれた口調でそいつは続けた。
「ああっ、今日は黒いボーイとお揃いの女の子か! クールアンドキュートだね。はじめまして」
「はじめまして、ぼうしのひと」
 少女がのんきに挨拶する。
 ルナンは、初めて出会うタイプの人間のテンションに戸惑いを隠せなかった。
「えーっと、お前がこの店の店主で間違いないのか」
「そう、店主。当店にはこのブロウア・アートしか居ないわ」
 頭と帽子を上下に揺らして、店主が笑った。
 俺は入り口で気になったものについて訊ねてみる。
「この店が、商人ギルド認可取得をしたんだと?」
「えぇ。そうじゃなきゃ営業できないわん。珠算さえできれば案外簡単なのよ」
「ほう」
 ぎるど。にんか。しゅざん。
 難しいことばに頭がちんぷんかんぷんの少女も、がんばって会話に加わろうとした。
「ぎるど? ギルドって、お店のこと?」
「少し違うな。この際だ、教えてやる」
 そうこぼして指南する青年は結構、常識人っぽい。
 この世の中に存在するありとあらゆるサービスは、もちろん、仕事をする民間人たちの働きによって支えられるものだ。
 
 魚を釣る者、家畜を育てる者、野菜を栽培する者。
 加工をする者、流通して運ぶ者、商売をする者。
 狩りをする者、病を癒す者、寝床を提供する者。
 
 魚を釣っているだけでは売ることができず、商売をしようにも、商品を調達までするには時間がかかり過ぎるだろう。
 あらゆる職業者たちは、それ単独では生きてゆけない。人は互いに協力し、金銭通貨“リル”を取引して、豊かな生活を送るものだ。
「まあ、当たり前よねぇ」
 ルナンのかいつまんだ説明を聞いて、店主は欠伸をした。
 一人ではできないことを、同じ目的やスキルを持つ者が集って、一緒に作業をすること。
 その職業団体のことを、
「ぜんぶ、ギルドっていうの?」
 少女は口をあんぐり開けて聞き入った。
「そうだ。民間の職業はすべてギルド。なにも店だけではない」
「ほぇ~、そうなんだぁ」
「しっかり覚えておけ」
 世の中では誰もが知っていることである。
 念を押してから、少女の背をやんわり叩いておいた。
「そんな事も知らないなんて、深ぁいワケありみたいね? お兄さんとその可愛い女の子は」
 店主が何かを察した顔でうなずく。ルナンは若干居心地が悪くなった。
「ところで店主。何故、俺たちに近付いた?」
「あぁ! 防護壁プロテクターのせいよ。どうせ目視でしか気付けなかった、とか言うんでしょう?」
「プロテ……なんだと?」
骸霊ガイレイと人に探知させないようにした、町の結界的な魔煌ヴィレラよ。いつも神父様に掛けてもらうわ。この国にはないのかしらン」
 参考書や古文書を読むのは好きなルナンだが、骸霊と共に人間を遠ざけるための魔煌ヴィレラなど、これまで聞いたこともない。
「待てよ。そんな魔煌ヴィレラを掛けたら、確かに安全かもしれん。しかし、店の客足まで遠のいてしまうのではないのか」
 俺の真っ当なはずの問いに、店主は呆れたような口ぶりで返してきた。
「やーね、このハデハデな外装が見えなかったのぉ? 生き物の気配はしないから危険なものには嗅ぎつけられないし、目で見つけた物好きな客は来てくれるのよ」
「なるほど」
 もしかすると、俺の住む〈エスタール王国〉では、そういった強力な術の存在が意図的に伏せられているのかもしれない。
「それは良いことを知った。情報、感謝する。ではな」
「ストップ!」
 去り際を力強く呼び止められ、さっさと退出しようとしたルナンは面食らった。
「なんだ」
「当然ッ! 信じられないの。そんなスウィートレディーに、こんなダサい格好をさせてるなんてね!」
「ほえ? わたし?」
 少女が目をぱちくりさせる。本人はダサいとは思っていないようだ。
 オカマ店主はこの事を由々しき事態だと言わんばかりに、真剣な顔つきで言う。
「この子と服屋に来たのもなにかの縁だわ。服、買っていきな」
「断る」
 ルナンは迷わず即答していた。
 そもそも俺は働いていない。実は、盗んで貯めたようなはした金しか持っていないのだ。所持金、約五千リルあまり。
「いーや! この小さなエンジェルが可哀想よ、可哀想すぎるの! 一人前に見繕ってあげるって」
「お洋服をくれるの!?」
「断れ!」
 少女が期待しはじめたので、ルナンはますます困ってしまう。
「とにかく、今日は町まで急ぎなんだ。俺たちはもうこれで」
 行かせてもらう、という適当な弁解は、
「これで町に!? だめだ! 可愛らしいレディーに、そんな彼シャツを着せて町を闊歩しようだなんて……」
 このキャラの濃ゆい店主に全力で奪われた。
「町のボーイたちが、あらぬ方向に目覚めてしまうわっ!」
「なにをばかな……」
 こいつ、正気か?
 変な方向へ興奮する店主に、頑固なルナンもさすがに押され気味になる。
「ほら、じゃあ今の、綺麗にしてあるっぽい上の服はそのままで可愛くするから! せっかくのエンジェルをなんとか見繕わせてぇ!」
 女の事情は分からないが、上下黒いスウェットで町にくり出してはそんなにいけないのだろうか。
 後生の頼みレベルの金切り声を聞かされて、ルナンはだんだん居た堪れない気持ちになり、
「……なるべく低予算で頼む」
 ついに微量の諦めを伴って折れるのだった。