DR+20


序幕『目的と記憶』



 眩しい光を見た。
 昼下がり。青々とした一面の草原が輝く。
 そこで幼い少年が、友達と追いかけっこをしている。時々転んだり、負けたら膨れて不平不満を言いながら。
 夕陽が傾くまで、飽きもせずに少年たちは走り続けていた。
 臆することなど何一つない。
 底抜けに明るい笑顔を浮かべて、遊んでいた。
 少年にとってこれが当たり前の日常だった。
 だが、悲劇はいつだって突然訪れる。
 西日が沈もうとしたその瞬間、前を走っていた友達がフッと消えた。
「……え?」
 辺りからは全ての光が無くなり、少年は暗闇に独りで取り残された。
「待てよ! なんで俺を置いて行くんだよ!」
 いつもの景色は、もうどこにもない。
 同時に、心のどこかでこれが“夢”だと確信する自分がいた。
 ここがあの古代遺跡ではなく、真っ暗で灯りもない場所だったから。
 これは、俺の心が創り出す悪夢だ。
 悪い夢だと知っていても、俺にはこの記憶こそが恐怖の対象だった。
 うろたえる少年の背後に、いつのまにか白い男が立っていた。
「銀の少年よ、可哀想に。きみは心に大きな孤独を宿しているね……」
 慈悲深い声の主のほうを見て、少年は息が詰まった。作りモノのような顔の右半分には、気分の悪くなるような色の痣が広がっていた。
 幽霊のようにも見えるその男は、背筋が凍る程冷たい微笑を浮かべて、こちらに語り掛けてくる。
「私がその心を癒してあげよう」
 あの日の不思議な少女は、助けには来ない。
「……なに、を……」
 舌が喉奥へと張り付いてしまって、言葉すら上手く紡げない。
 男のどす黒く光る鎧が軋む音を立て、黒いマントが揺れた。低く、優しい声音が反響する。
「さあ、おいで。我が手の内に」
 男が差し向ける白い右手には、ひどく禍々しい闇色の大剣が握られていた──
 
『――――やめ、ろ……。頼む……、やめてくれぇ――――!!』
 

 
 

「──俺は、幼かったな」
 銀髪の男は、晴れ渡る蒼空の下で独りごちた。
 そこには見渡す限りの緑が一面に広がっている。真上に昇りきった太陽は、温暖な気候をより一層心地良く染めていた。
 光はやはり眩しい。
 それは心から慣れ親しんだあの頃と何も変わらないが、それでも全てが決定的に違っていた。
 この地も、俺自身も……そして周囲も。
「久しぶりの町にゃ! 港町だにゃ~!」
 二足歩行の猫──すなわちアールズが短い足でぴょんぴょんハネている。跳ねる度に首元の大きな鈴が鳴り、ルナンとお揃いの黒いマントがなびいた。
「みなとまちっていうの!? わたし初めて!」
 そのうしろ、美しい少女の流れるような金髪を風が揺らしている。
 そいつも適当な鼻歌交じりにときどきスキップなどをしながら、猫を駆け足で追いかける。
「えへへへ、風も気持ちいいね! わ~い」
「元気なやつだ……」
 言い掛けて、野原の異変を察知する。ピタリと静止したのちに叱声を放った。
「待てッ!」
 少女が歩くちょうど横に異空間からの干渉を感じ取った俺は、素早く前進した。
「ニャッ」
 アールズが四つ足で少女に駆け寄る。あいつも気が付いたらしい、こういう時だけは使える奴だ。
 ルナンは前のめりになってつま先で土を散らせると、
『――あか・集え――《火ノ軌跡》フラムド
 小さく呟く。斜め下に向かい右腕を大きく真一文字に振った。
「――ギギィッ!」
 質量を伴った奇声が二つに割れるのを目で確認する。片脚を踏ん張り小さくスライディングした。
 あおむしの胴体に蜘蛛の足を持つ害虫らしきものが、足元で力無く倒れてゆく。見れば、薄紫の穴開き長手袋をはめたルナンの腕の軌跡に合わせて、鈍い赤色の残留物質が残っていた。
「ふぅ……」
 ルナンは両手をはたいた。
「が、ガイレイ!?」
「ぶじでよかったにゃあ」
 ほっこりした表情の三毛猫の隣で、少女があぜんとしている。
 ぜんぜん気がつかなかったらしい。
「危ないぞ。せいぜい気を付けろ」
 この骸霊ガイレイは出没率が高いうえに、皮フに火傷の症状を出させる毒液を吐く。念のため、注意を促しておいた。
「ご主人さま、また、説明足りてないにゃ」
 ぐちをこぼすアールズ。言ってやるだけ良いだろうが、という意思を込めて軽く睨むと猫は震えて黙った。
「ほわ。やっぱりここにも出るんだぁ」
 この常にボンヤリとしている少女を守らねばならないと思うと、気が重くなる。俺は今日一日の予定をつつがなく終えることしか考えたく無いのだが。
「次から、こいつの護衛はアールズに任せることにする」
「ボクが護衛にゃ!?」
 思わぬ抜てきにしもべは口をぱくぱくさせている。余程意外だったのか。
「しゃんとやれ。わかったな」
「ボボボボク、一生懸命やりますにゃ!」
 励ましておくと、茶色いぶち猫の威勢のいい返事が返ってくる。ルナンも頷いた。
「なら安心だねぇ」
 心底ほっとした様子で少女が笑う。
 俺たちは存外信頼されているようだった。
「先が思いやられるな」
「そーでもないって」
 にこにこえがおの少女。ところで彼女のシルエットは、ちょっとヘンだった。
 黒いTシャツに少々大きさの合わない黒ズボン、素足に紺色のサンダルという幼い顔とは妙にアンバランスな身なりなのである。
 なおかつ、それはルナンにはずいぶんと見覚えのある格好だった。
 思わずぐらり、と眩暈に襲われる。
「ルナン、どうしたの? だいじょうぶ?」
 因みに、こいつにとって俺は今日が初対面のはずらしい。
「……どうもこうも無い」
 脳裏に浮かぶ例の悪夢もさることながら、俺は若干疲れているようだ。
 そんなルナンの気疲れなどすこしも気が付かない様子で、ひなたを映した桃色の瞳が話しかける。
「そうなの? ねえ、町って人がいっぱいいるんだよね。お友だちとか、できるかな~」
「できるにゃ! ボクらも、もうトモダチにゃ!」
 無論、と言わんばかりにアールズがでかい声で割って入った。
「ほんとう!? やったぁ! はじめてのお友だちだぁ!」
 目の前でお友だちなるものが成立し、調子付いた化け猫が少女の足にピョンピョンまとわりつく。
「トモダチ~♪ トモダチにゃん~♪」
「きゃーっ! もう! 歩きにくいよ~!」
 ルナンは眉間を押さえた。
 ガキくさくて敵わない。
 何故俺がこんな子守をしているのか。
 時刻は、ほんの数刻前にさかのぼる。