『ひみつのお茶会』
────……
──……
テーブルの端っこに置かれたしとしとのハンカチをよそに、オレンジ色の焚き火が燃えていた。
ふーふー冷ましながら少しずつカップに口をつけている。
ディオルは眼鏡越しに、少女の横顔を眺めていた。
──この少女は、自分自身のことをちっとも解っていない。
ふと胸についたのは、そんな言葉だ。
酷い言い草だとは思う。
しかし、謎多き記憶喪失の少女と、闇者の青年は、ディオルに対してそれほどまでに『幼い』印象を与えていた。
記憶喪失の少女は、過去のことはもちろん、自分自身の感情すらもまだコントロールできていない──実はそれは、あの黒衣の青年にも、全く同じことが言えるのだから。
彼女らに、告げねばならないことがある。ディオルは紅茶を飲みながら、静かに口を開いた。
「実は、もう少しでここを発たねばなりません」
「たたねば?」
「出発するんです。また一人で旅に出ます」
「えっ……」
少女は、あからさまにがっかりした顔をした。
「そんな顔をしないでください。永遠の別れじゃないんですから」
「やだよディオル! いっしょがいいよ〜」
少女はあろうことか、ディオルの右腕の服をがっしと掴んで、ぶんぶん揺さぶり始めた。
「ええ、ちょっ……」
まずい。下手したらスーツが伸びる。
ディオルが謎の危機に瀕していると、ガチャっと目の前の扉が開いた。
「うーわ。何やってんだよ。最悪な眼鏡だな、ほんと」
「──シュラさん!?」
家の主の帰還である。
目元が赤いクルミを見て、緑髪の美青年、シュラは声を荒げた。
「駄目じゃないか、この変態! そんな小さい子泣かせてさぁ!」
「わお。なかなか厳しいことを仰る……!」
濡れ衣もいいところだ。何より。この町、サイフェルについたときに、少女に対して最も辛く当たっていたのはこの緑の青年の方だと言うのに。
「相変わらず気味が悪いな。きみの敬語は」
が、そんな過去のことはさっぱり気にしていないらしい。素知らぬ顔で、緑の青年が問いかけた。
「ねえ眼鏡。旅に出るって? どこに?」
どうやら、扉の向こうまで会話が聞こえてしまっていたようだ。男は緩く首を振った。
「いえ……、まだ正確に決めたわけではありませんが。〈テスフェニア公国〉か〈クレルヴィ首長国〉なんていいなと思っていますよ」
「テスフェニアだって?」
シュラが眉を跳ね上げる。ディオルは爽やかな笑顔で答えた。
「ええ、有名じゃないですか。華やかな水の都とか」
「……まあね」
口数少なく、シュラ特有の嫌味が飛んでこないところを見るに、公国について何か思うところがあるのだろう。案外嘘が下手な人だ、と考察しながらディオルは話題を逸らした。
「あぁでも、ルナンさんたちは、クレルヴィの方がいいかも知れませんね」
「なぜ、そう思うんだい」
「騎士団にケチをつけられてるんですよ、彼」
言葉を選び、団と揉めたようなニュアンスで語ると、彼は合点が行ったように得意満面で返した。
「へー。だとしたら、王国と同盟関係の公国に行くと、ほぼ確実に騎士団からいちゃもん付けられる訳だ」
「その通り。ですので、ルナンさんには手紙を渡そうかなと思います。しっかりと! クレルヴィの遺跡をお勧めさせていただきますよ☆」
「クレルヴィの遺跡……ね」
見事に会話を操ったディオルは、自身の行き先を掘り返されぬよう、念を押してゆく。
「そうだ! 忘れないうち、早速文を書きましょうかねぇ。シュラさん、ここのペンをお借りしても?」
「どーぞ、汚さないでね」
「ありがとうございます。手入れして返しますねぇ」
「当然!」
一言もふた言も多い青年の毒を聞きながら、ディオルはランプ横のボックスに備え付けられた羽ペンをインクに浸して、使う準備を始めた。
緑髪の青年が、少女に向かって声をかける。
「きみ。僕は急ぎの用事があるから小屋を開けるけどさ。万が一、そこの眼鏡に酷いことを言われたら、おいおいルナンに言うんだよ。わかってるよね?」
「うん! だいじょうぶ!」
「ならいいや。じゃーね」
「またね!」
少女は、小柄な青年の背中に手を振って見送った。
彼女の姿を見て、ディオルは今更思い出す。
そういえば、少女はぐずって自分を引き留めていたはずなのだが、今はもう落ち着いて紅茶を飲みなおしている。
周囲の話ぶりを見て、安心したのだろうか?
子どもとは、つくづく自由な生き物である。
「……クルミさん。ひとつ、お尋ねしたいことが」
「なあに?」
ディオルは、便箋を広げながら彼女に問うた。
「ルナンさんとは、どうやって知り合ったのですか?」
ずっと気になっていたことだった。
ルナンは、クルミの親にも兄妹にも見えない。さらに言えば、旧知の仲でもなく、少女には記憶がないと言うのだから、側から見れば不思議な二人組だ。
「ルナンはね、遺跡にいたんだよ」
「ほほう」
「わたしが遺跡にいたときにね、おおきな骸霊がどかーん! って出てきて、ずばっ! っと助けてくれたの!」
「そうなんですね」
かなり感覚的な説明だった。
これは求めている答えは期待できないな、と感じたディオルは、文の宛名を書きつつ、優しい相槌を返すに留まった。
クルミが彼の真似をして質問を返した。
「ディオルは、どこで育ったひとなの?」
「さあ。よく覚えていません」
「ほえっ?」
「どうだったか。歳をとってしまって、もう、随分と昔のことですから……」
壮年の男からすれば、いつも通りに話題を逸らしただけ。
しかし、少女は深刻そうな顔で、男の目を見た。
「ディオルも……むかしの記憶が、無いの……?」
どくん、とディオルの心臓が脈打った。
「……いえ」
──ないわけが、ない。
忘れたことなど、ただの一日もない。
戦い続け、血にまみれ、疲れ果てた──しかし同時に愛情に溢れた、かけがえのない日々のことを。
たった一言、嘘をつけばよいのに、今のディオルにはそれが出来なかった。
「じゃ、ぜんぶ忘れちゃったわけじゃ、ないんだよね?」
少女のソプラノの声を聴きながら、壮年の男は観念したように羽根ペンを置いて、眼鏡を押さえる。
ああ、困った。この子は本当に聡い子だ。聡いゆえに、知らないでよいことまで知ろうとする。
ディオルは現状の答えを探しながら、言葉を紡いだ。
「では……。あともう少し、旅をして……」
少女が真っ直ぐにディオルを見つめて、その先を待っている。
「クルミさんの記憶が蘇ったり、今よりメンバーが増えて、立派なギルドになった、そのときには……私からクルミさんに、昔話をしましょうか。どうです?」
結局逃げの一手になってしまったが、少女は答えを喜んだ。
「じゃあじゃあ、わたしもむかし話、するね!」
「クルミさんも?」
「うん! わたし、ぜったいに思い出すから! お紅茶いれて、またふたりで話すの」
「そうですか。それは、いいですね」
「あと、ハンカチも返すね!」
「覚えてたんだ……ですねえ」
うっかり敬語が外れながらも、男の口元に薄い笑みが溢れた。
この幼い少女に嘘をつくのは簡単かも知れないが、その一時的な嘘の仮面姿は、長くは続けられない。そんな予感がした。
少女が底抜けに明るい笑顔を浮かべて、小指を差し向けた。
「ディオル、やくそくだよ!」
「ええ。約束です」
二人はそっと小指を交わした。
◆
それから、三日後。
ルナンは無事に目を覚ました。
壮年の男のアドバイス通りに、再会のハグを済ませた少女は、にこにこ笑顔だった。
「えへへ。じつはディオルとも『やくそく』しちゃった〜!」
それは、シュラに誘われて小屋の階段をばたばたと降りていったとき。廊下を歩きながらクルミがぽろっと零したひと言だ。
「……なに?」
んふふ〜、と、例の三毛猫そっくりの間抜け面で表情筋を緩ませているクルミに、ルナンは目覚めたばかりの頭をフル回転させ端的に問い詰めた。
「おい、どう言うことだ。俺に詳しく教えてみろ」
「だーめ! やくそくは、ひみつなんだもん!」
「あっ、こらっ!」
バタバタ! と走り出した少女と、彼女を追いかける大の銀髪男が廊下とキッチンを横断していく。
「待たんか! 待て、と言って……!」
「きゃあーいやー!!」
「きみたちー! 人んちを走り回るなぁ!!」
家の主が怒って、鳥の声と羽の音が辺りに響く。
愛しく穏やかな一日のはじまり。
今日だけは、ルナンの心配の種が増えた朝でもあった。
(2024/08/01 END)
初の2ページ短編でした。見てくださってありがとうございます。
クルミは、ルナンが見てないところで人知れず泣いてたんじゃないかな、と思っていました。
過去を思い出せない・人の役に立ちたい。でも、まだ立ててない。
そんなことを、大人のルナンたちが思っているより、彼女は彼女なりに悩んで、考えながら日々成長している。
対してディオルは、色々どう思っているんでしょうね……。いつか、当人の口からちゃんと聴いてみたいです。