DR+20


『ひみつのお茶会』


※本編五幕・最終ページ幕間の話。主人公ルナンが倒れた後の、クルミとディオルのワンシーンです。よろしければ、どうぞ。

 


 

「クルミさん。ここに居たんですね」
 開けっぱなしのドアが揺れる。
 低いけれど優しい声をかけてきたのは、茶色い髪の、眼鏡を掛けた人だった。
 心配しましたよ。と微笑む男性の顔を、金髪少女──クルミが鈍い動きで見上げた。
「……ディオル」
 夕刻に差し掛かったほの暗い実験小屋のリビングを照らすのは、小ぶりなランタンひとつ。ぽう、とテーブルで光るランプからずいぶん離れた隅っこで、少女は膝を抱えてうずくまっている。
 丁寧に扉を閉めた壮年の男が、キッチンから問いかけた。
「どうしたんです?」
「ルナン……だいじょうぶ、かな」
 今にも消え入りそうなか細い声で、少女の唇が呟く。
 本日の〈マーキナ遺跡〉探索中のこと。
 共に旅してきたルナンが倒れたのだ。会話中に突然に。
 黒衣の青年は、完全に意識不明となっていた。
 町の救急へ、無線通信を重ね掛けしたシュラの焦った声が今も鮮明に思い出せる。
「お医者さんが診てくださってます。大丈夫ですよ」
「……うん……」
 少女はなおも俯いて、小屋リビングのクローゼットの横で丸まっていた。
 ──相当、堪えているのだろう。
 そう察したディオルは、テーブルの側に立ちながら問いかけた。
「たまには、紅茶など、いかがでしょうか?」
「こうちゃ?」
 王都のカフェでルナンが飲んでいた、ダークブラウン色の飲み物を思い浮かべて、クルミは小首を傾げた。
「ルナンが、のんでたの?」
「あー。いえ、あれはコーヒーですね」
「ちがうの?」
 ディオルは戸棚に並ぶ食器類を眺めながら、静かに首肯した。
「はい。紅茶や緑茶と言ったお茶は、葉っぱからできますが、コーヒーは豆からできるんです」
「コーヒー、のんでみたい!」
「うーん……。クルミさんには、まだ少し早いかもしれませんよ」
「んぇ」
 納得いかない、という表情をした少女に対し、ディオルは苦笑を浮かべる。
「コーヒーはとっても苦いですし、体にもそうよくありませんからねぇ」
「ふーん、そうなんだ」
 男は眼鏡のテンプルを持ち上げて、軽快な口調で続けた。
「しかし、紅茶に使われる葉っぱには、健康によい効果がたくさんあるんですよ。少し疲れが取れたり、心が落ち着いたりですね」
 どこか楽しそうな語り草に釣られたのか、少女の表情にパッと笑みが宿った。
「じゃあ、きょうは紅茶にするね!」
 ませた言い方でお茶を要求した少女に、男が喉奥でくつくつと微かな笑みを漏らす。
「今、淹れてさしあげますね」
「……えへへ、やった!」
 少女が立ち上がって、キッチンにやってくる。
 ディオルは、こっそり小脇に抱えていた紙袋から、新品の茶葉の包みを手に取った。
 包みをランプの横に置き、少し離れた戸棚から茶器を取り出す。クリーム色の、小綺麗なティーセット。
 もしも家の主シュラに無断で拝借すれば、たっぷり怒られても仕方がないところだが、今日は特例である。
 遺跡を出るときに、シュラが「良ければ僕の小屋に泊まっていきな。あと家の日用品は使っていいよ」と、言ってくれたためだった。ディオルは一度断ったものの、「ねぇ眼鏡、まさか僕の良心を無下にする気かい」と長い嫌味が始まりそうだったので、当時は渋々頷いた。
 クルミがひどく悲しんでいて、一言も発さなくなったことに気がついたのは、町への帰路でのことであった。
 ──こうなっては、あの嫌味な彼にも、一度感謝すべきなのかも知れない。
 男は茶器をさっと水で濯ぐと、思い出したように暖炉に近寄って、
あか・集い、照らせ──《篝火》 フラム !』
 魔煌ヴィレラの火を点した。燃え掛けの薪が入った暖炉は、パチパチと音を立て始める。明るくなった台所で、彼は小鍋いっぱいに湯を沸かし始めた。
 テーブルの前に行儀良く座って、その仕草を眺めていた少女が、不意に言葉を落とした。
「どうして、ルナンは、コーヒーを飲んでるんだろう?」
 だって体によくないんでしょ? と呟く彼女に、そうですねえ……、と男が答える。
「決して、わるいことばかりではありませんよ。身体が温まりますし、覚醒効果があるので、眠くなりにくくもなったりします……何よりも」
 ディオルはティーカップを台所に並べながら、口元に笑みを浮かべた。
「きっとあの味が好きなのでしょう。苦くて、香ばしくて。他のどれとも似ていませんから」
 沸かした湯をポットに少量入れ、カップにも注いでいる。
 術の効果ですぐに熱湯になった湯は、キッチンに仄かな蒸気をのぼらせていた。
「コーヒーを飲んだら、眠たくなくなるんだ……」
「巷では、そう言われておりますね。私も実感してますし」
 男は茶器の取手を揺らしてから湯を流しへ零すと、茶葉を手早くスプーン三杯分入れる。そして、改めてそのポットへ湯を注いだ。
「だから、ルナンは倒れちゃったのかな?」
「というと?」
 唐突すぎる少女の言葉に、男は視線をやって問うた。
「ルナン……、ほんとうは、コーヒーを何度も飲まないといけないくらい、眠たくって、いっぱい、しんどかったんじゃないかなって……」
「…………」
 男は二の句が継げなくなった。
 少女が幼顔にこれほどまでに暗い影を落としているのを、初めて目にした。
 彼女の小さな唇が歪む。
「わたし、全然気がつかなくて……。悩んでたこと、ちゃんと知ってたのに……あんなに、わたしの心配をしてくれたのに。つらいの、ルナンのほうだったのに……!」
 年端も行かない子どもが、他者の苦しみを考えて落ち込んでいる。加えて自身の力無さを、深く後悔すらもしている。
 その事実が、ディオルの内なる心を容赦なく穿った。
「クルミさん」
「う……! ふぇ……ぅゔう〜……」
 瞳に大粒の涙を溜めて、泣くのを我慢している少女に、手を伸ばす。
「よし、よし」
 男は、少女の頭を優しく撫でてやった。
「辛かったんですね。クルミさんは本当にお優しい」
 我慢の境界が決壊したように、少女が泣き出した。
 悲鳴にも似た、大泣きの声を聞きながら、ディオルはしばらく少女の頭を撫で続けていた。
 低い声が、とつとつと語りかけた。
「ルナンさんは……むしろ、心配をかけたくなかったんだと思いますよ。彼のことです。もし……私たちにあれ以上心配されたら、なんと言っていいのか、わからなかったんでしょう」
 大泣きして少しは気が晴れたのか、少女が服の袖で目元を擦って、相手を見上げる。
「ん……。ルナンにも、わがらないこと、ある?」
 ディオルは、懐から紺色のハンカチを取り出して、クルミの涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をぎこちなく拭ってやりながら、答えた。
「ほら。彼、ちょっぴり素直じゃないところがおありですから。目を覚ましたら、ぎゅっと抱き締めてあげるといいです」
「ぎゅってしても、いいのかな……」
「ええ。心配したんだって、伝えてあげてください」
 男は微かに含み笑いをした。もし抱擁などされると、あの青年はほんの少し戸惑うに違いなかった。
「さ、そろそろできますかね」
 泣き腫らしているクルミにハンカチを持たせて、ディオルは台所へ戻った。カップのお湯を先に流しへと零す。
 思ったよりも時間が経ってしまった。茶葉を蒸らしすぎたか、と思ったが、まあ少しくらいは誤差だろう。
 温めたそれぞれのティーカップへ、ゆっくりと紅茶をそそぐ。フルーティーな、優しい香りが漂う。
 仕上げにミルクとシロップを好きなだけ入れて、カップを二つ、テーブルへと運んだ。
 見れば少女は、クシュ! とか言いながら鼻をかんでいる。
 ディオルは思わず笑ってしまいながらも、紳士的に紅茶を差し出した。
「どうぞ。カモミールティーです」
「ありがと……ぁ、あつっ」
 ディオルも少し悩んでから、少女の左隣の椅子に腰掛ける。少女の歳だと、火傷するかも知れない。向かいよりも、近くにいてやった方がいい。
「よく、冷ましてくださいね。“ふーふー”するといいです」
 かつて、故郷でお茶をそうしたように、少女へ伝える。
 クルミは、ディオルの言った通り、ふーふー息を吹いて茶を冷まし、端っこからひとくちだけ口に含むと、目を見開いた。
「ん! おいしい……」
「甘いでしょう?」
 ディオルの手によってとびきり甘く味付けされたカモミールティーは、クルミの好みの味だった。
 男も一口含んで、特製の甘さに満足げな表情で頷いた。
 二人はほっと息を吐いて、暫しのティータイムを過ごすこととなった。

 


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