夕刻の手紙


『かつての少年』


ロネ視点。元・奴隷身分の少年との交流回。切なくも、ほのぼのあり。『花冷えの逃亡者』三章の番外編、こちらの短編の続きですが、単品でも読めます。宜しければ、どうぞ。

 


 

 
 起きると、真っ白いシーツの海に沈んでいた。
 恐らく熱はない。だが、頭はぼんやりとしている。ひどく、懐かしい夢を見た気がする。〈従隷エグリマ〉だった頃の己と、結社のボスとの記憶の夢。
 
「……クソがよ」
 
 ロネは起き抜けに軽く悪態をついて、準備を始めた。
 外はもう肌寒い。衣類の中から緑のパーカーを選んだ。ズボンを履いて、黒いジャケットを羽織って。
 ベルトに双剣を下げると、ロネは足早に家を出た。
 
 
    ◆
 
 
 天候は晴れ。首都〈ズネアータ〉の灰色の建物のそば。
 玄関先に光る、青い立て看板。
 中庭にて洗濯物の入った大きなカゴを運んでいると、隣の人物が声をかけた。
 
「それにしてもロネくん、久しぶりですね」
「そうか?」
 ボスの運営する孤児院〈ブルー・バード〉。
 元・従隷エグリマとしてボス本人に保護されて、数年間世話になった場所だ。
 ロネは現在は一人暮らしをしている。要は、ここはロネにとって実家の感覚に近かった。
 白髪の混じった黒髪の男が笑う。
 
「こうしてお手伝いをして貰えると、自分も助かりますよ! 本当にありがとう」
「院長、オレはもうガキじゃねェぞ」
「いいや、ボスさんが母なら、自分は父……いや、近所のおじいちゃん? とにかくそんなところです。いつまでも、親代わりだと思ってくれていいんですから」
「…………」
 
 青年は咄嗟に、ぎょっとしたような顔をしてしまった。
 院長・サナリは聖人だ。いつも機嫌よく、聞く限りは体力がないはずなのに、孤児院の仕事を懸命にこなしている。その上、口を開けばこの人たらしなのである。
 なんと言えばいいかわからなくなって、ロネはため息とともに首を振った。
 
「そういうコトを、いちいち口に出すンじゃねェ」
「はは、ごめんって……あ! ホムラ!! またそんなところに登って……!」
 
 院長が振り向いた先。
 目を離した隙に、子どもが細長い木に登っている。もっと登りやすい木なら他にもあるだろうに、ツルツルの木の枝葉にぶら下がっていた。
 急いで向かおうとした院長の肩を、青年は片手で引き留めた。
 
「オレが行く」
 
 悪ぃけどコレ頼む、と大きなカゴを渡して、ロネは走り出す。
 そう広くはない中庭。砂利混じりの土を蹴って、目的の木に片手片足を引っ掛ける。
「……オイ」
 少年の顔を覗く。
 青年は、少年がちょっぴり時間をかけて登っただろう高さを、わずか一瞬で詰めていた。
 
「にょわぁ!」
 驚いて、変な猫みたいな声で飛び跳ねた少年を支える。
「一旦降りンぞ!」
 少年をひょいと小脇に抱え、ロネは危うげなく地面に着地した。
 転けないよう、地面にそっと降ろしてやる。
 特別怪我はないらしい。しゃがんだまま向き直ると、少年はちいさな拳を握った。
 
「す──すげーな、ロネにぃ! なんでそんな木登り上手なんだ?」
「よく聞けよ……、オレは『木登りの天才』だかンな。余裕だぜ」
 白い歯が光る。青年の自信たっぷりな発言を聞き、幼い少年はさらに瞳を輝かせた。
「カッケェ〜!!」
 
 ──まさか、自身もココで昔やってたからなどと、ガキに言えるワケもない。
 青年はいい感じに誤魔化した。
 
「練習すンなら、部屋の遊具にしとけよ。クッション引いてあるだろ」
「むぅ……! 俺、練習してくるっ!!」
 
 走り去っていく少年の背を見て、思う。
 ……アイツまたやりそうだな。
 しかし孤児院、地味に重労働だ。ボスに言って、何人か人員を増やしてもらった方が……いや、そうすると、今度は本業ギルドの依頼が……。
 ロネが顎に手を当てて考えごとをしていると、孤児院の玄関から、見覚えのある少女が出てきた。
 
「なにホムラのやつ。ちょー張り切ってんじゃん」
 帽子をかぶった茶髪の少女。カレサだ。
 
「チビ、起きてたンだな」
「ロネこそ……まだ、寝といたほうがいいんじゃないの?」
 
 青年を見るや、少女が心配そうに首を傾げた。以前の〈公国遠征〉から帰ってすぐのロネの姿を見てしまったからだ。
 
 ロネは市街区の激戦の中で、全身に切創を作っていた。
 治癒の結晶・〈煌力鉱石レラジエジン〉は、万能薬ではない──傷や火傷は塞がったとしても、ダメージ自体は無かったことにはならない。当時、青年は未だかつて無いほどの高熱を出し、フラフラの状態で首都に帰り着いたのだった。
 
「るせェ。怪我人はちょっと動いてるくらいが丁度いいンだよ」
 青年が軽く毒づく。
 呆れた様子の少女は、手をひらりとやって返した。
「あっそー。無理してほしくないなぁ、って、ボスもキミ宛に言ってたぜ」
「……ハッ」
 
 どの口が。あの日も、民間人解放の先導をしていたのは、“結社のボス”その人だったろうに。
 ……そういえば、ボスは。裏で何か別の仕事があると言っていたが、そちらは成功したのだろうか。
 オレはオレで、確認したいことがあって出て来たのだ。
 ロネは思い出したように問うた。
 
「ところで、新入りのチビはどこにいる? 白い髪のエルフのヤツだ」
「あぁ、ユートくんのこと……? 多分、裏庭の端っこにいるよ」
「端っこだァ? ンでそんなトコに」
「アタシに聞かないでよぉ……」
 
 だって、いつも答えてくんないんだもん。
 言ってカレサはどこかへ行ってしまった。

「成程」
 気掛かりだったのは、遠征で助け出された少年のひとり。
 青年は声を張り上げた。
 
「院長! 悪ィ、オレ新入り・ ・ ・の顔見てくる!」

 院長は、洗濯物を干す片手間に振り向いて、朗らかに笑った。
 
「……えぇ! どうか、お願いします」
 
 
 
 ────……
 ──……
 数年経てど変わらない、孤児院の中を、青年は静かに通り抜ける。
 裏手に出て、青空の下に少年の姿を探すが、なかなか見つからない。
 
 それもそのはず、少年はひっそりと身を潜めていた。
 日差しも届かぬ、建物横の木屑置き場の隅に、べったりと、腰を降ろしている。細身に纏う半袖服は、既にあちこち土に汚れてしまっている。
 白髪の少年──ユートは、まるで捨てられた子犬のような姿で、そこにいた。
 
「オイ」
「……!」
 呼び掛けてみると、少年はチラッとこちらを見た。赤み掛かった長めの白髪は日陰に包まれ、神秘的な光を放って見える。髪から伸びる、長いエルフの耳が、大きくぴくりと揺れた。
 
「コッチ、座るぜ」
 ロネは、出来る限り低くしゃがんで、両手を広げるジェスチャーをして見せる。
 
「敵じゃねェ。安心しろ」
「…………」
「テメーは、ソコ、好きなンか?」
「…………」
 
 返事はないが、青年は、順繰りに言葉を重ねていく。
 
「なあ、遊ばねェのか?」
「それか、眠いのか」
「……本。読んでやろうか?」
 
 やはり、どれも返事がない。
 ロネは最後にとっておいた問いを投げた。
 
「メシでも食うか?」
「……!」
 少年が微かに顔を上げて、目を瞬かせる。
 先ほどのホムラ少年より控えめな、だがしかし、確実に期待の眼差し。
 ロネはニッと笑った。嬉しそうに頷きながら、立ち上がる。
 
「ちょっと、待ってろ。美味いモン作ッてやるからよ」
 
 ロネは室内へとズカズカ歩いて行くと、窓枠に手をかけ、中庭に顔を出した。
 孤児院院長の後ろ姿に向かって、叫ぶ。
 
「院長ォー! 台所借りるぜ! あと肉!」
「あ、ええ! よかった。お好きなだけどうぞ〜」
 
 中庭の枯れ葉を掃いている彼は、またもや笑顔で快諾してくれた。
 昼食にはまだ早い時間なのだが、弱ったガキが腹を空かせているなら、話は別だ。ここでは昔から、そう決まっている。
 
 ロネは食物庫から食材を取り出した。
 
 牛肉。ベーコン。卵。ペッパーソルトに香辛料。
 
 肉塊を切り分けて、二人用の軽食分にする。
 結構豪華な食い物の盛り合わせだが、野暮なことなど誰も言うまい。
 掛かったリルは、あとで払っておけばいい。買い出しも担当すれば、きっと、院長に喜んで貰えるだろう。
 
『──あか・爆ぜろ──・〈篝火フラム〉!』
 
 サッと鉄板に火を点ける。 
 食材を焼く途中で、ロネは、ハタと気がついた。
 
 今更だが……まだ、オレはアイツに“名乗っていない”のではないか?
 結社のボスはともかく、オレには一応、ちゃんとした名前がある。名乗りを省いたのでは、心を開かれなくて当然だ。今回はオレから喋らなくては……。
 
 あれこれと己の自己紹介を考えていたら、肉はあっという間に焼き上がった。
 柿色のきれいな皿に盛りつけ、隣で焼いていたものをそっと重ねる。ぷるんとした黄身の卵に、カリッと焼けたベーコン。その上から、ペッパーソルトや香辛料を軽く振ってやる。
 
「……ヨシ」
 ロネは口許に笑みを浮かべていた。
 ──完璧だ。コレが嫌いなヤツは居ねえ。
 おまけに、パンも添えてやった。
 裏手の隅っこに料理を運ぶ。
 
「出来たぞ。一緒に食おうぜ」
 特製のステーキとパンを、少年の前に置いた。
 食器には、フォークだけを添えていたのだが、結果、それで正解だったらしい。手にした瞬間、少年は迷いなく肉にフォークを突き刺しながら、すさまじい勢いで料理を食べ始めた。
 
「美味いか?」
 問うても、目を背けて咀嚼するだけ。
 まあ、コレだけ食っているのだから、美味いのだろう。
 ロネは少年の隣に腰を下ろし、自分の分の肉も無造作に平らげていく。
「やっぱ美味ぇな」
 
 表面をこんがり焼いた肉は、絶妙な火加減。まろやかな半熟卵と、ほどよい塩っ気のハーモニー。文句なしに、美味い。
 少年は一言も発さなかったが、ロネの出した料理を、見事に完食してみせた。

 空になった皿を回収しようと、ロネが手を伸ばしかけた――そのときだった。少年ユートが、ベタベタの皿をぎゅっと胸に抱き抱えながら、ロネを見上げた。怯えたように目を震わせる。
 
 その目を見たロネは、一度横に皿を置き、緩慢な仕草でその場にあぐらをかいた。相手の警戒心を和らげるため、わざと無防備な姿勢をとる。
 
「すまねェ。さっきは言い忘れちまったから、今、言う」
 
 青年は、ユートの目を見て告げた。
 
「ロネ、だ。……オレの名前な。〈結社〉にいる、戦闘員だ。クソ軍人とは違う」
 出来るだけ語気が強くならないよう、青年は言葉を紡いだ。
 
「〈結社〉は味方だ。オレからは、ソレを伝えたかった」
 
 少年は硬直していた。ロネに視線を絡め取られたみたいになっていた。

「こぼしてンぞ」
 胸に抱えた空の皿から肉汁が垂れて、少年の服が汚れていく。
 それでも怒る気には、全くなれなかった。
 
 ロネは、皿を抱える細っこい腕を見た。その二の腕には黒い紋様が焼き付けられている。
 〈従隷エグリマ〉の刺青──ツタの装飾付きのバツ印。
 教会の紋様をもじったモノらしいが、由来込みで悪趣味極まりない。
 
「このハナシの根拠なら、あるぜ?」
 ロネはおもむろに上着を脱ぎ捨てた。右の袖を腕まくりして、二の腕までたくしあげる。
 
「コレ、見ろ」
「……あっ……」
 
 少年は目を大きく見開いて、思わず声を上げた。
 ロネの右腕には、ユートとよく似た、黒い紋様があった。
 成長に伴って、大きく形が歪んではいたが、元は全く同じ刺青だった。

「テメーの腕とお揃いだ。そうだろ?」
「…………」
 〈従隷エグリマ〉──身分制度最底辺の、当事者にとっては永遠の鎖にも等しい、呪いのような印を、青年は臆せず少年に見せつけた。
 
「気に病むこたぁねェ。こんなのはアクセサリーみたいなモンだ。なンなら、コッチのが目立つかもな」
 そう言って自身の耳元を指さす。ゴールドの太いピアスが、日中の反射光に輝いている。
「ユートは耳長ェから、もっと似合うと思うぜ!」
 青年は眩しく笑っている。
 少年は俯いた。彼が抱えていた皿は、地面に滑り落ちてしまった。
 
「……ユート……」
「ア? どうしたよ、テメーの名前だろ」
「ユート……」
 
 かつて『白の五番』と呼ばれた少年は、己の名を繰り返した。
 少年の双眼から、涙が溢れてきた。
 
「ユート、兄ちゃんみたいに、なりたい。でも……なれない」
「なれるッ!!」
 力強い断言。
 少年は涙の滴る顔を上げた。
「ほん、とう?」
「オウよ!」
「どう、したら……いい?」
 服の袖を戻しながら、ロネはしたり顔で告げた。
 
「その為に、まずは──服を替えることだ。洒落シャレた男になるこったなァ!」
「や、やだ……」
「オォイッ! 今のは服替えるって流れだったろ!?」
「……追いかけっこなら、する。まけたら、服、かえる……」
「言ったな? やんぞ! 五拍、いや十五拍は待ってやる! 走れッ!」
 
 白髪の少年は、裏庭の光の中へと走り出した。
 
 ……ところで、青年は重要なことを忘れている。
 地べたに置いたままの二枚の皿とフォーク、そして、後片付けをしそびれた台所の惨状を。
 彼が優しい院長に事情を熱弁するハメになるのは、もう少しあとの話である。
 
 
 
 
かつての少年 完(2025/05/14・サイト版)
 


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