夕刻の手紙


従隷エグリマの少年と結社の女』


幼い頃のロネと結社のボスの出会いのお話。
※普段よりダークな表現、残酷描写を含みます。冒頭3分程度までの部分です。宜しければ、どうぞ。

 

 




 蒸し暑い日だった。
 季節はもう秋のつきだというのに、少年は腰巻きひとつで薄暗い独房に座りこんでいた。
 
 独房、と呼んでいいのだろうか。牢屋、倉庫、見世物小屋……いろいろ囁かれているようだが、こちらの知ったことではない。
 
「青の十八番! 飯の時間だ」
 
 ロネは、青の十八番。そう呼ばれていた。
 それが自分の名称だった。
 
「……!」
 目の前に出されたのはトレーに乗ったもの。
 残飯とも呼べない、ぐちゃぐちゃのものを与えられる。
 
「どうした? 早く食えよ……」
 見張りの兵士たちが、こちらを注視している。
 食欲が湧く見た目ではない。それでも、食わなければ死ぬのだろう。少年は静かに口を付ける。
 兵士たちの笑う声が、独房に響いた。
 
 そこまでは普段と同じ、日常。
 この日は『外』から、音が聞こえてきた。
 きゃあ、わあ、とごく小さく響くそれが、人の声だと認識するのに時間はかからなかったが、少年にはそれがこの上なく不審に思えた。
 この辺りは、貴族街のド真ん中だ。
 毎年初夏の恨めしい祭りの季節でもない。なぜ、ざわざわと声が聞こえてくるのか、意味不明だ。
 
 ドンッ、と独房の扉が乱暴に開けられる。
「〈従隷エグリマ〉ども! 仕事だぞっ!」
 仕事、と言った男は、連日タダの労働を命じてくる管理者で、けれどもいつもと様子が違っていた。
 息を切らしながら、その額には大粒の汗が浮いている。
 鞭だって持っていない。
 
 兵士たちは、管理者の命令で外に駆り出された。
 さらに、男は、牢の鍵を開けると、こちらの鎖手錠を引いて、大急ぎで連れ出した。
 こんな命令はこれまでにない。
 外に出ると、いつも共に働いていた子どもたちが居ない。別の独房のやつらはどうしたのだろう?
 
 何もわからない中で、
「青の十八番。有事の際はお前が俺の盾になれ。これは命令だ! よいな!」
 新しい命令が降りる。
 騒ぎの中で、少年は喉を詰まらせた。
 
「……イヤだ……、イヤだイヤだ……!」
 
 喉奥から掠れた本音が溢れ出ていた。だがそれも、誰が聞くでもない、囁くよりも小さな独白ゆえに許される言葉だった。
 
「何か言ったか!? いいからもっと速く走らんか! 死にたいのか!!」
 
「…………」
 黙って首を振る。それもイヤだ。
 どうせ野垂れ死ぬなら、こいつらの足でも踏んづけてからでないと割に合わない。
 そう遠くない未来、どうせ死ぬならば。貴族にも何にも縛られない存在になって死にたい。
 そんなことだけ考えていた。
 
 次の瞬間。
「っ……!」
 前を走っていた男が、白目をむいて倒れた。
 後ろから火の矢が飛んできたのだ。
 管理者が倒れたので、振り返れば、貴族街の一角は火の海になっていた。
 
「……?」
 その一角は、オレをリルで買った貴族が住んでいた屋敷の位置の記憶、そのままだった。
 
 誰がやった?
 誰かが見せしめにされる? オレが?
 考えはどんどん悪い方に加速していく。
 
「居たぞ──!!」
 声がした。遠くから短い黒髪を揺らし、赤い瞳の女が駆け寄ってくる。
 
「君、大丈夫か?」
 
 少年は眉根を寄せた。
 命令もないのにどうしろと。
 女はカギを持ってニコリと笑うと、オレの手錠や足枷を次々に外して見せた。
 長年外せなかった錠が、こんなにもあっさりと。
 
「これで自由だ」
 女は大きな手で、オレの手を握って、言った。
「行こう!」
 
 行くって、どこへ?
 ──どこでもいいか。それが命令なら。
 
 少年は思考を放棄して、ただ黙ってついていった。
 
 
     ◆
 
 
「今日からここが君の家だ」
 黒髪の女はそう言って、新しい独房を紹介した。
 
 真っ白い壁に、不思議な形の小さなシャンデリア。フカフカのベッド。茶色い机と椅子。
 船に乗ってはるばる違う土地まで連れてこられたと思ったら、突然、こんな新居が与えられたのだ。
 
 同時に、上質な衣服まで与えられた。上も下もしっかりとした素材で、真新しくて、かっこいい、黒い服。
 これも、オレのぶんだという。
 
「どうしたんだい、ロネ」
 前の独房とは似ても似つかない。
 立ちすくんでいたオレに、女は屈んで話しかけた。
 こいつはとんでもない金持ちなのか? 一体、どんな無理難題を突きつけるつもりだ。
 少年はぎろりと、女をにらみつける。
 
「…………だよ」
「うん?」
「……誰だよ」
 
「ああ……。すっかり言い遅れてしまったね。私は〈結社〉というギルドの人間だ。〈結社のボス〉と、覚えてくれればいい」
 
 結社のボスと名乗ったその女は、真っ赤な瞳でオレを見つめる。黙りこくるオレを見てなんと思ったか、慣れない様子で言葉を繋げていく。
 
「ええと……従隷エグリマとして使役される子どもたちを開放しているんだ。君みたいにね」
 
「…………」
 別に頼んでない。イヤだ。うぜぇ。死ね。
 返事を探すが、次々に浮かぶ言の葉は声には出ない。長年そうしてきたせいで、少年は多くの言葉を失っていた。
 少年はふいと顔を逸らしていた。
 
「ロネ。かつて、君の輪についていた名前だ。ロネ・ウッズベルト。そうだね?」
「…………」
 
 青の十八番。
 そう呼ばれないことが、急に薄気味悪く感じた。親に貼り付けられた名前なんて今更聞きたくもない。オレをリルで売り飛ばしたクソ親の付けた、欲しくもなかった名前なんて。
 
「──でも、珍しい。向こうで自分の名前がわかる子は」
 女は安心したような顔で、呟いた。
「ロネ。大切にするといい」
 
 そう言って、その日、謎の女は去っていった。
 
 
     ◆
 
 
「……イヤだ」
 少年がここへ来て、数カ月がたった頃。
 結論から言うと、暫くしても、労働を命令されることはまるでなかった。
 
「なぜだいロネ。私が怖いか?」
「……るせぇよババァ」
 
 女も、周りの大人も、全くなにもしてこなかった。暴言も吐かないし、殴らないし、物も投げないときた。それが心底キモチワルイと思った。
 女は分厚い本を手に持って、笑顔で言った。
 
「今日は字の勉強をしよう。本が読めるようになると楽しいよ?」
「クソババァ!! 失せろっつってんだよ!」
 
 最近はほぼ毎日、こんなおかしな会話をしている。というか、むかむかして一方的に言い返しているだけのような気もする。
 
 ここは〈孤児院〉というらしい。
 ブルー・バードとか言う名前。字は読めなかったので、インチョーに教えてもらった。
 こんなキモチワルイところだが、ひとつ、サイコーなことがあった。
 
「仕方ないな。少し早いが、お昼ごはんにするかい」
「!!」
 少年がぱっと目を輝かせる。
「一緒に食べるか?」
「……!」
 
 しばらくそわそわと待っていると、部屋に料理が運ばれてきた。
 今日は、ステーキ肉が出てきた。緑色の綺麗な皿に乗っている。
 ここの料理はいつも、ありえないほど美味しいのだ。なんと毎日ご馳走が出ると来た。
 
「おいしいね!」
「…………」
 隣で、フォークとナイフを使ってちまちま食べる女の声に耳は貸せず、少年は夢中で肉を頬張る。
 あまりにも美味しいので、なんらかの対価を払わなくていいのが不思議なくらいだ。
 労働も強要されない。
 勉強を執拗に勧められるくらいだ。
 
「最近、髪が伸びてきたな……」
 女が自身の髪をいじる。
 
「…………」
 横目で見れば、公国で出会った頃は短かった女の黒い髪は、今は肩口の近くまで伸びていた。女の黒髪はつやつやで、まるで静かに川を流れる水のようだった。野良犬のような自分とは、全く違う。
 
「また切らないとな。長いと変だろう」
 その台詞に思わず、少年は口をきいた。
 
「……あんたの黒い髪、キレイだけど」
 
 切ったらもったいない、と思った。
 それだけが、正直な気持ちだった。
 
「え?」
 女の赤い目が瞬く。不思議なものでも見たかのように。
 少年が静かに悟った。これまできっと、オレが間違っていた。オレが暫くキモチワルイと思っていたものは、大体、キレイなものなのかもしれないから。
 少年は言葉を吐いた。
 
「キレイでむかつくんだよ」
 
 すると、女は破顔一笑した。
「あはは! なんだいそれ」
「わ、わわ、笑うなッ!」
 恥ずかしくなって、机をバタバタ叩く。しかし、女の手に頭を撫でられ、少年は驚いた。
 
「ありがとうね、ロネ。私をキレイだなんて言ったのは、おまえが初めてだよ」
 優しい、撫で方だった。艷やかな黒髪が揺れる。
「伝えてくれて、ありがとう」
 女の瞳が、幸せそうに細められていた。
 
 ──やはり、とてもキレイだ。
 
 少年はその言葉に少し自信を持った。
    
 
 ……
 …………
 それから、少年は字を教わった。
 言葉を学び、暮らしを学んだ。自由奔放に遊び、行きたい場所にも行った。
 
 ゆっくりと、この世界での息の吸い方を知った。
 
 
     ◆
 
 
 朝。深緑の瞳を見開いた少年は、顔を洗っていつもどおり身支度をした。
 かつてはボサボサだった硬質な灰の髪も、今は綺麗に散髪し、毎朝必ず手櫛を通すようになった。
 ロネは今日で、十六歳になった。
 筋力トレーニングでもしようかと、孤児院の裏庭に出ると、後ろから声がした。
 
「やあ、もう起きていたんだな」
「ボス。朝からどしたよ?」
「いやね……」
 
 珍しく朝から孤児院の広間に現れた、黒髪赤目の女。
 ボスは、振り返った青年に、小さな紙袋をサッと差し出した。
 
「改めて、ロネ! 誕生日、おめでとう」
 僅かに目を剥いて、青年が黙る。
 彼女はきょとんとした様子で首を傾げた。
 
「うん? 今日だろう? “冬のつき*二月七十九日十八日”」
「……あ……そうだけどよ……」
 ──確かに、クソ親が言っていた誕生日は、昨年に喋った気がするが。まさか覚えていようとは……。
 
「開けてみな?」
「…………」
 渡された小さな紙袋を開封してみると、中には、一本の紐が入っていた。
 細っこい糸で丁寧に編み込まれた、職人の工芸品のようである。
 
「……紐?」
「ミサンガって言うんだ。願いが叶うという、アクセサリーさ」
「へェ。そりゃ、変わってンな」
「見てよ! 赤と緑だよ。結社の色と、君の瞳の色だ」
 
 よかったら、付けるね?
 ひとこと言って、彼女がオレの左手を取った。
 長い黒髪の隙間から、果実の香水の残り香がする。
 他者に手を預けたことなど、数えるほどもない。そう長くないはずの時間が、随分と長く感じられた。
 
「よし、できた」
 ようやく手が解放される。
 見下ろす左手首には、赤と緑のミサンガが付けられている。アクセサリーとしても、まあ、中々いいセンスだと思う。
 サンキュ、とだけ短く返すと、彼女はうんうんと嬉しそうに頷いた。
 
「今日を一番に祝えて、よかったよ。じゃ、またね」
 彼女が手を振って、踵を返したのを、他でもないロネが引き留めた。
 
「……ま、待てよッ!」
「なんだい、ロネ」
 彼女は長い黒髪を靡かせて、振り返った。
 
 〈結社のボス〉。
 オレを無償で助け出した結社の長。
 人の名は必ず呼ぶのに、自分の名は呼ばせない女。
 オレにすべてを与えて、誰の肩も借りずに、一人で突っ走って行く彼女へ。
 ロネははっきり、告げた。
 
「オレを〈結社〉に入れてほしい!」
 
 彼女はひとつ瞬きをしたかと思えば、向き直って問うた。“おまえはそれでいいのか”と。
 ロネは拳を握って、頭を下げた。
 
「頼む。あんたに借り、返したいんだ」
 
 自分なりに、考え抜いて決めたことだ。
 あの秋の日。何も知らないクソガキだったオレを救ってくれた人。
 オレを生かしてくれた結社のもとでしか、オレはもう、働けないと思ったから。
 これは、オレの一生を賭けて返す恩だ。
 
「……わかった。よろしくね。ロネ」
 
 彼女は微笑して、手を差し出した。
 歩み寄った青年がぎこちなく握り返すと、女の手はすでに、自分の手よりも小さかった。

 
 
(2024/03/07 完結→翌年改稿)


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