夕刻の手紙


夏の章『はじめての報酬』


※本編2章の後のお話。メアリ視点、首都ズネアータでの日常回です。よろしければ、どうぞ!

 


 

 
「一匹! ソッチ行ッたぞ!」
「ええ!」
 地を駆ける足音。
 背高な木と、豊かな草花の生い茂る高原地。
 
「──はぁっ!」
 怒声の先で、レイピアの刺突音が響いた。薄紅の髪がふわり宙を躍動する。
 
「ピェ──!!」
「仕留めた! 二羽目!!」
 少女の真白な額から雫が滴る。
 ドスン、と音を立てて倒れたものを、少年・シエルが見つめた。まるまると肥えた体。黒い、つぶらな瞳が徐々に開き──ギラリと輝いた。
 
「ピェエ!!」
 叫び声と同時に、俊敏な蹴りが放たれる。
「いやぁ!! ごめんなさい、やってない!」
 メアリが咄嗟の防御に使った細剣を振り直すより早く。それは鳥脚を踏ん張って、再び走り出していた。
「追いかけて!!」
 馬車顔負けのスピードで逃げる、丸い胴体で首だけ長いやつ。
 シエルは度肝を抜いた。
 
「うわあっ!! なにこいつ速っ!」
「トリだっつッてんだろ!」
「鳥って……」
 大量発生の依頼文句通り、高原地帯一帯、この鳥しか見当たらない。
 まるまるとしたフォルムの胴体。見上げた細長い首の先、長いピンクのくちばしからよだれが垂れている。
 そう。やつらはシエルたちより余程、背が高い。
 
「普通の鳥は、こんなデカくないです!」
「フツーのトリなら依頼こねーンだよ」
「ライチョウ。大型の鳥類だが脚力に優れ、あらゆるものを蹴り殺す。獰猛種だ」
 先輩と幹部の男の説明に、少年少女は心の中で同時につぶやいた。
 
(……それは、聞いてない!!)
 
 心の叫びと言ったほうが正しいか。翡翠の長剣を握りしめながら、年若いシエルは苦言を呈する。
 
「そういうのは、依頼文に書いておいてくださいよ……! 『五羽狩って』じゃ、分かんないです……!」
「そうは言われてもな。今から覚えておけ」
 白髪の男が、ため息をつく。
 
「シエル!」
 メアリの警告の声。
 ピエッと叫びつつ、ライチョウの一羽が猛スピードで少年に突進してくる。彼女の掛け声の直後、爆発音が高原に響いた。
「フッ!」
 ファクターの投げた発火爆薬が二発、ライチョウに見事に命中した。並走していたロネが双剣を構えたまま、幹部に向かって大声で怒鳴った。
 
「オイクソジジィ! 老い先短けェくせに、調子こいてンじゃねェぞ!」
「おーおーよく吠えるな! ケツの青い泣き虫小僧が」
「アァッ!?」
「だから、なんでケンカを!?」
 いつの日かも見た口喧嘩である。なにも戦闘中こんなところで! と突っ込んでいる眼鏡の少年を尻目に、戦況は刻一刻と進んでいる。
 ライチョウは日々増える数こそ少ないが、群れを形成すれば、人を襲うことで知られる危険生物だ。それを知る結社の面々は、対象に向かって武器を構えた。
 
「クソガキどものカバーだ! しくじるなよ!!」
「当然! 皆、迎撃準備! 来るぞ!!」
「──えぇ!」「はいっ!」
 普段は無口なファクターの号令で、少年少女たちは一気に緊張し、得物を握り直す。
 瞬間。
 
『ピギェア──!!』
 集団で囲ってきた鳥がダッシュで跳躍し、丸々とした巨体が空を舞う。蹴りの予備動作を見せた害鳥に、渾身の剣閃が迸る。
 
「オラァッ!」
「はぁっ……!」
「やぁっ──!」
 
 鈍色の双剣、翡翠の長い軌跡、銀の閃光。
 背後で弾ける、炎。
 ほぼ同時に、複数体のライチョウが倒れた。

 続け様、先頭の人影だけが、連続斬りに動きを切り替える。結社の先輩・ロネは、メアリが取り逃して逃げた一羽を、見事に狩り捕えていた。彼はそのまま振り向き、戦った後輩たちを讃えた。
 
「中々やるじゃねェか」
「……そっちこそ」
 流石ねと、メアリは微笑んだ。彼の実力は目を見張るものがある。
 現場には五羽のライチョウが倒れた。攻撃的な群れは、散ったようである。
 
「オイ、包んで持って帰ンぞ」
 灰色髪の青年が声を上げる。
「うそっ! こんな大きい鳥を!?」
 どうするの? と口元を覆うメアリを尻目に、ロネはファクターを見やった。
 
「決まってンだろ、なァ」
「ああ。行きつけの酒場に引き渡す」
 男たちがニヤリと笑う。ゼエゼエと肩で息をしていた少年はバッと顔を上げて、無垢な瞳を輝かせた。
 
「食べられるんですか! この鳥!」
「美味いぞ」
「おおお!」
「シエル……、嬉しそうね」
 釣られてメアリの口元から笑みが溢れる。──私の弟は、おいしいものに目がないのである。
 
「よっし! 帰ろうぜ!」
 先輩の号令を受けて、結社一行は荷馬車にて首都への帰路についた。
 
 
     ◆
 
 
 結社、二階。広めの事務室内にて。
 月末に呼び出された新人ふたりの前に、他ならぬ、結社のボスが立っていた。存在感のある紺のロングコートが揺れる。
 黒髪赤目の彼女は、にっこり笑みを讃え、あるものを差し出した。
 
「ふたりとも! 今日は渡すものがあるよ♪」
「ボ、ボス。これは……」
 赤茶色の封筒。その細長さと、ずっしりとくる重み。
 触れただけで分かる。これは、紙幣の束だ。
 
「依頼の報酬だ。受け取れ」
「ありがとうございます!」
 メアリが深く頭を下げる。
 
「あと、研修がんばったご褒美もまとめて、ね♪」
 新人たちにボスがウィンクしてみせる。頑張りを認めてもらった証拠のようで、なんだか誇らしい。ふたりが重ねて礼を言うと、結社のボスは、笑顔で何度も頷いた。
 
 
 
 ボスたちがギルド長室に戻って行ったあと、長机の隅で少年は呻いていた。
「うぉぉ……」
 封筒の厚み。以前受け取った初期費用より、多く感じるのは、気のせいではないのだろう。恐る恐る封を切ろうとしたのを、細い指が咎めた。
「結社で開けるものじゃないでしょ? シエル」
 メアリの手である。少年は焦って言葉をこぼした。
「あっ、そっか。でもさ、実感湧かなくて……。僕、こんな、ちゃんとお金もらったの、はじめてだし」
「んー。それもそうか……」
 
 〈結社〉に迎え入れてもらった際。祝いと言ってボスに大金を手渡されたときは、メアリもシエルも驚いたものだが、あっという間に新生活の予算としてそれは消えていった。
 首都ズネアータでの生活は、村出身の少年少女には想像もつかない程に、お金がかかった。つきに一度徴収される国税。何気ない治療費、家賃、食費に雑費──。裏を返せば、共和国の首都はそれだけ交易が豊かで、便利なモノで溢れかえっているのだ。
 今回こそは、自分の手で稼いだ『はじめての報酬』と言える。
 メアリは閃いた。
 
「じゃあ、明日、お買い物に行きましょうよ!」
「買い物に?」
 首を傾げるシエルに向かって、ずいっと肩を寄せて、指を立てた。
「確か、お休みだったでしょ。街で色んなものを見て、好きなもの買ったら、きっと楽しいと思うわ」
「……なるほど!」
 シエルの実家にはまともな小遣い制度がなかった。多分、彼にはまだ、適切なお金リルの使い方がわからないのだろう。
 そう考えたメアリの誘いを受け、シエルは目を丸くして笑った。
 
「いいね!」「でしょー?」
 ふたりは笑顔で顔を見合わせた。
 
「ン、買いモン行くんか」
 事務室に居合わせた灰髪の青年が、声を掛ける。
「よかったら、ロネ先輩も行きましょうよ!」
「オレもか?」
「もちろん。私たちの見張り役なんでしょ?」
「見張ってはねェけど……」
 少年少女の言葉に、彼はどことなく意味ありげに首を振った。
 さらに、帽子の少女・カレサも、事務カウンターの奥からひょっこりと顔を出す。
 
「ちょー! なにイイ話してんのー!?」
「えっと、街に買い物に……」
「アタシも行く〜!」
 バンザイで参加表明した少女に、メアリは首肯した。
 
「もちろんよ! 出発時間は……そうね、〈十の鐘〉のときでいいかしら?」
「う、うん」「いいぜ」
 あれよあれよという間に、休日の予定が決まっていく。
 
「集合は? 結社前?」
「いンや。オレが順番に迎え行く。最近、治安悪ィからな」
「オッケー!」
「じゃあ、明日の朝ね」
 
 また明日!
 彼らは手を振って、その場を解散した。
 
 
     
 ──……
 ────……
 朝、起きて。顔を洗って、襟付きの白いワンピースを着て。
 メアリはいつもように髪を編み、簪かんざし二本でくるりとまとめる。このお団子ハーフアップは、可愛くて動きやすくて、お気に入りの髪型だ。
 リップをひいて、家を出る。
 すでに見知った顔ぶれが、彼女を待っていた。
 
「オッハヨー!」
「おはよう……ございます?」
「ふふ。おはよう、みんな!」
 大きく両手を振ったカレサの後ろ。ロネは、挨拶代わりに軽く手を挙げる。彼は、私服の赤いシャツを着ていた。
「あら! ロネさん、オシャレ!」
「あんたもな。……それか、このチビに言ッてやれ」
 青年の言葉に彼の右下を見ると、ボブヘアの少女は、オレンジのチュニックに黒のレギンスを着込んでいる。
 
「カレサちゃんも、今日は大人っぽいわね!」
「へへ! でも、メアリには勝てないなぁ〜!」
 ちいさな少女もはにかむように笑う。
 カレサの後ろで、弟・シエルが半分隠れて立っている。上下真っ黒の質素な服に、ジッパーのワンポイント。背高い少年を見上げながら、カレサは肩をすくめる。
「でもさ、シエルはいつもと同じ〜」
「あはは……」
「まあ、シエルだからねぇ」
 シエルは昔から服を選ぶのが苦手だった。〈結社〉の制服を選ぶときだって、変なデザインのものを選びかけたほどだ。それもまた、素朴な弟らしいと思う。
 首都の雑踏の片隅で、メアリは指を組んで、言った。
 
「さっそくお買い物ね! 行きたいところとか、ある?」
「そーだな。とりあえず、パーッとカジノとか……」
 ロネの提案に、メアリは焦りに頬を真っ赤に染めて止めた。
「だ、だめっ!」
「即答かよ」
 弟が賭博に目覚めても困る。メアリは姉として、ロネの趣味をシエルに教えるのだけは、断固阻止せねばならなかった。
 
「ロネはいっつもリル溶かしてるからな〜」
 ボブヘアの後ろで腕を組みつつ、からかうように言ったカレサを、ロネが即時で制する。
「チビは黙ッてろ」
 女の子は一度、ぶー、という視線で青年を刺して。
 それから、パッと明るく笑ってみんなを振り返った。
 
「なぁなぁ! じゃあ、『雑貨屋』はどうっ? 見てて楽しいモノがいーっぱいあるんだぜ!」
 
 
 
 ──雑貨屋。
 地元民であるカレサの案内で辿り着いたのは、黄色い外装の、ファンシーなお店だった。
 ベルを鳴らして中に入ると、店内はこれまた色とりどりの商品に彩られていた。カラフルなお皿。ティーポット。小ぶりな観葉植物、ぬいぐるみまでもが綺麗に飾ってある。
 
「素敵!」
 メアリは目を輝かせた。店内は広くないけれど、夢のような場所だった。
 しばらく巡ってもまるで飽きがこない。
 そんな中からシエルが見つけたのは、一枚のハンカチだった。
 
「ウシ……!」
 肌触りのよさそうな滑らかなハンカチの角には、横向きの牛の刺繍があしらわれている。
 
「ウシさんがどうかしたの? シエル」
「僕、ウシに憧れてるんです」
 横から、カレサが首を傾げた。
 
「……なんで?」
「だって、食べても美味しいし、でっかいし、ミルクも生み出せるし……」
 すごくないですか? とごく真顔で言った少年に、カレサも真顔で返した。
 
「よくわかんないけど、ウシ好きなんだねってことは分かった」
「コイツ気がきかねェンだよな」
「それ、ロネが言う?」
「オイ、どーいうイミだよ」
 突っかかりかけた青年に、メアリがくすっと笑って肩をすくめる。
 
「ふたりとも、正直者のかわいい男の子だって意味よ。ね、カレサちゃん!」
「ねーっ!」
 元気な返事に笑みを浮かべたが、しかし、男子たちの反応は違っていた。
 
「男にカワイイだの言うな」
「ほんとだよ……」
 珍しく、シエルとロネの意見が合致した。かわいい、というのは万能の褒め言葉だと思っていたが、どうやら違うらしい。メアリはなんだかおかしくなって、思わず吹き出した。
 
「やっぱり、かわいい!」
 
 ──またちょっぴり怒られたのは、言うまでもない。
 
 
 紙袋を抱えて店を出て、シエル一行は首都の大通りに足音を響かせる。
 治安の悪いズネアータといえど、夏の陽光の真下では、街は平和そのものだ。
 
「ンで。次はドコ行くよ」
 あくびを噛み殺しながらロネが問えば、シエルが一歩分前に出た。
 
「……僕、パン屋さんに行きたいです!」
「パン屋、だァ?」
「ドコのー?」
 視線が集まる。茶色い天然パーマを風に揺らしながら、少年は続ける。
 
「ほら。あの、大きな宿屋の隣にある……」
 メアリはピンときた。
「それなら、私も覚えてるわ! こっちよ!」
 
 
 街角の路地。
 レンガの上で腰を下ろしたちいさな少女が、ねじれたパンにかぶりつく。
 
「おいし〜!」
 出店で買ったパンを、みんなで並んで食べる。
 柔らかなそれを齧りつつ、青年も頷いた。
 
「最近、有名なんだよな。ココ」
「そうなの? ほんとにおいしいわよね!」
 少年も何度も嬉しそうに頷く。
 
「僕、このパン、大好きなんです! 甘くて、柔らかくて……。初めて食べた日は、そりゃもう感動しちゃって……」
 語り始めた少年の横顔。
 横一列に並んで座った一行の中で、シエルの言葉の真意を、メアリだけが知っていた。
 故郷のガルニア帝国では、固い黒パンが主流であったこと。〈結社〉を訪れる前日に、路地の小さなパン屋さんで一緒にパンを買ったこと。新生活の不安と希望に揺れていたあの日、この柔らかなパンは私たちの心まであたためてくれたのだ。
 彼女はしみじみと口にした。
 
「思えば、シエルが『このお店に行きたい』なんて言ったのも、はじめてよね」
「そう、かな……そうだったかも……」
帝国むこうには都に行かなきゃ、こんな商店街なかったもんね」
「うん。僕、もっと……いろんな場所に行ってみたいな」
 呟いて、少年は眼鏡の奥の瞳を何度か瞬かせた。シエルの澄み切った瞳が、ひときわ光を帯びた。
 
「この世界には、どんな本にも載ってないものが……まだまだたくさんあるんだ!」
「そうね」
 
 メアリは長いまつ毛を伏せた。
 シエルは、この週明けに成人を迎える。少年は今確かに、大人になろうとしている──けれど、今はもう少しだけ、子どもで居させてあげて欲しい。
 メアリは切にそう思う。ときは戻せないから。十代の季節は、あっという間に、過ぎ去ってしまうから。
 
「私も、一緒に見てみたいわ」
 
 柔らかに微笑む少女は、強く想う──もう居ない父のぶんまで、シエルの家族であろうと。天涯孤独の者同士、唯一無二の家族として。
 その言葉を聞き、カレサが彼女の袖をくいっと引っ張った。
 
「なになに、ナイショ話? 仲間はずれはヤダよ!」
「そーだ! ガキだけじゃどーにもならねェだろ。混ぜろっての」
「え、いや、ナイショってワケじゃ……あいたたた」
 ロネに肩を組まれ、シエルがうめいた。
 みんなの笑い声が溢れる。胸の奥が、じんわりとあたたかい。──〈結社〉は、彼らを決して孤独にはしなかった。
 すっかりパンを食べ終わり、メアリは立ち上がった。
 
「次は、どこ行く?」
 
 風になびくの薄紅の髪。
 服屋さんなんていいかもね、と彼女が言えば、次々と賛同の声が上がる。
 ズネアータに降りそそぐ夏の陽射しが、若者たちの行く先を照らしていた。
 
 
 
 
夏の章 はじめての報酬 完(2025/05/30)


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