夕刻の手紙


六章『僕の腕の痛みよりも』


 
  

※以下は物語上、R12程度の暴力表現・差別表現などを含む内容となります。ご了承ください。

 

 


 


 ────……
 ──……
 ひたすら、のぼっていく。
 街中の坂を。急な石階段を。近道と思しき梯子を。
 
「はあ……はあ……」
 
 東への道を急ぐ。
 シエルの息はわずかに上がってきていた。
 しかし、どれだけ歩いてもたどり着く気がしない。強いていうなら、景色の街並みが若干豪華になったかな、というくらいの変化。
 前のメアリが声を上げた。
 
「ファクターさん! 行き先の東教会って、どの辺りなの?」
「もう、見えているぞ。ほれ」
 問われた幹部の中年男は、先頭を小走りしながら指差した。
 先を見れば、はるか先の高台に、背の高い、真っ白な尖塔がいくつか立っている。
 
「まさか……あれ……!?」
 メアリは目を丸くした。
 大急ぎで走っても、半刻はかかりそうな場所にある。そのうえ道のりは上り坂。
 シエルも青ざめた。
 
「遠すぎるぅ……!」
「マー……。東教会は水の都ルオシュアンの中枢だからな。逆に、西と南のほうは、下り道だ。もう着いているやも知れんぞ」
「えーっ、そんなあ」
「嘆く暇があれば、足を動かせ。そのうちへばっても知らんぞ」
「へばりませんよ!」
 
 ……仲間に遅れをとりたくないのだろう。
 いまだ元気にわめいている青年に笑みを漏らしながら、ファクターはボソッとつぶやいた。
 
「私が、一番にへばる」
「なんでですか!!」
 
 もうっ! こんなところでふざけないでー!! と、朱髪少女の叫び声が周辺にこだまする。
 東行きのシエルたちは、作戦ミッション遂行のため、都の過酷な道のりをひた走っていた。
 
 
 
 
 ────ロネSide.────
 
「……アークス……!」
 ロネの声は重く、低く、掠れていた。
 祭壇の前を横切るように、ゆっくりと歩く難敵──アークス少尉は肩をすくめて笑った。
 
「どうした? 都の結界プロテクターを壊しに来たんだろう?」
 
 礼拝堂の奥は薄暗い。
 長椅子が整然と並び、色ガラスの窓から淡い光が落ちている。
 ロネは足を止めたまま、視線だけをゆっくり動かす。
 前に二人。左右一人ずつ。背後にも複数。
 ──いる。
 小さな気配が、いくつもこちらを狙っている。
 呼吸が浅くなる。視界の端で、ルドルフがわずかに剣を引いたのが分かった。ヴェルダムは低く腰を落とし、周囲を睨んでいる。仲間全員、この密室で囲まれてしまった。
 
(……数、四、五……いや、もっとか)
 
 静寂の中で、衣擦れの音がひとつ。
 ──もう、来る!
 
「ルド、逃げろ! 攻撃するな!」
 低く、短く。
 その瞬間、影が蠢く。長机の下から、細い腕が伸びる。ナイフの軌道。足首を狙う剣閃。
「ウォわあ! あぶなッ!」
 ルドルフは横に跳ねた。刃が床のカーペットを切り裂く。
 
「攻撃すんな言うたって! ……そんなもん、どうしたら……」
 同時に、彼の頭上。高い窓枠のカーテンから落ちる影。
 
「ルド坊!」
 ヴェルダムが駆ける。振りかぶって、大ぶりの仕込みハンマーを斜め上に薙ぎ払う。
 ハンマーの細い柄の部分が、脇腹に直撃。弾かれた子どもの身体が床を転がる。
 男ヴェルダムはアークスの顔を睨んだ。
 
「おいおい! ウチの若い衆ばっか狙ってやがるなぁ? 野郎!」 
「攻撃すンなっつッたろ!!」
「ロネ坊! お前も馬鹿野郎だ!! それじゃ奴の思うツボだぞ」
「やから、峰打ちか……」
  
 それしかないわなぁ、と苦笑しながら、ルドルフが頭をかく。
 吹き飛ばされた子どもが蠢く。
 手をついて起き上がったのは、感情のない目だ。迷いがまったく感じられない。
 
「あははっ、やっぱり、斬れないんだ?」
 アークスの声が、遠くで響く。
 一人の少女の肩に手を置き、彼は囁いた。
 
「命令だ。あの男を、殺せ」
「は……は、はぃ……」
 少女はぎこちない動きで剣を構えた。
 震える手。浅い呼吸。
 
「やれ!」 
 鞭が鳴る。乾いた音が空気を裂いた直後、子どもたちの動きが変わり、一斉に踏み込んできた。
「チッ……!」
 ロネは舌打ちしながら、一歩だけ下がって身構える。
 物理的には、絶対に勝てる。距離感覚も、動きも、全部見える。
 
 ──だが。斬ることは……出来ない。
 
 飛び込んできた刃を、ロネは抜き取った鞘で弾いた。
 不慣れな衝撃が腕を走る。
 次の瞬間、子どもたちが一斉に動いた。多数の足音。低身長、低姿勢の突撃。
 
「ぐぅ……ッ!」
 ルドルフとヴェルダムも戦闘に徹している。
 ロネは歯を食いしばったまま、ダガーを引く。防御に徹する。
 刃を受ける。弾く。体を捻って、避けに徹する。
 数が多い。その上、全員が捨て身の特攻だった。
 ナイフが頬を掠めた。熱が走る。血が滲む。
 
「クソ!」
 蹴りで一人を弾き飛ばす。軽い身体が長椅子にぶつかり、鈍い音を立てた。
 しかし彼らは倒れない。すぐに立ち上がる。
 
「……いいだろ? それ・・
 アークスの声が、愉快そうに歪む。
「すっごくよく出来てる。痛みも反抗心も、ちゃあんと“抜いてある”んだ……」
「こんの、外道がぁーっ!!」
 
 ルドルフが叫びながら男に切り掛からんとする。
 鞭が、さらにもう一度鳴った。
 すぐそばにいた子どもが、アークスの前を遮るように走ってくる。
 
「……はぁっ!? 何して……」
 〈従隷エグリマ〉の子どもは、アークス少尉を庇ったのだ。
 直後、突き出された短剣が、ルドルフの腹を深く裂いた。
「ぐぅうっ……!」
 血が床に落ちる。
 
「ルド!」
 ロネが振り向く。
 その隙に、別の少年の剣がロネの腕を切り裂いた。
 熱い痛み。袖が赤く染まる。
 ヴェルダムが叫びながら一人を弾き飛ばすが、次の瞬間、足を斬られて、咄嗟に膝をついた。
 
「ちくしょう……!」
 礼拝堂の中で金属音が鳴り響く。
 だがロネの剣は、決定的な一撃を出せない。
 斬れない。
 相手は子どもだ。
 アークスの笑い声が響く。
 
「ほらどうした? 結社のお犬様。そいつらは兵士だぞ」
 ロネは荒い息を吐いた。
 少年少女がこちらにナイフを向けている。
 目は笑っちゃいない。薄暗く怯えている。脅されて、無理に命令に従っているだけだ。
「…………」
 ……そういえば、ユートも、前はあんな目をしてたな。
 孤児院の少年の顔を思い出した、瞬間。
 ロネは剣を下げた。
 
「聞け! クソガキども!」
 子どもたちが一瞬動きを止める。
「お前ら……〈従隷エグリマ〉なんだろ?」
 
 ロネはゆっくりと右腕の袖をめくった。
 焼き付いた印が、露わになる。
 礼拝堂の灯りの中で、赤黒い茨十字の紋章が浮かび上がった。
 子どもたちの目が、初めて揺れる。
 
「オレも同じだ。……従隷エグリマの身分のガキだった、だが今、オレは自由だ! こんな野郎に従う必要なんかねェ!!」
 
 がなるような言葉が落ちた瞬間。
 アークスの笑い声が爆発した。
 
「ははははッ!」
 神聖な祭壇の前で男は腹を抱える。
 
「そうか。そういうことか。なるほどな」
 ゆっくりと顔を上げる。アークスの表情は今は氷のように冷たい。
 
従隷エグリマ上がりのゴミが、自由だと? 笑わせるなよ」
「…………」
「お前ら獣の命はなぁ、弱くて無知で、本来なんの価値もない……。それを、僕ら貴族が、うまく“使ってやってる”んだ」
 礼拝堂の空気が、凍る。
 
「身の程をわきまえろ」
 ぐわん、とロネの視界が揺れた。
 昔、何度も聞いた罵声。
 
 ──〈従隷エグリマ〉ども。獣。道具。
 ──オレは……。
 
 その瞬間。後ろでルドルフの荒い呼吸が聞こえた。
「……ロネ……!」
 血の苦痛に満ちた声。
 ヴェルダムが歯を食いしばって立ち上がる。
 
「……ロネ坊、俺らがついてる! 全員、ついてるぞ!」
 
 ロネはゆっくりと息を吸った。
 胸の奥に残っていた何かが、今になって確かに熱く燃えている。
 剣を握り直し、アークスを真っ直ぐ見る。
 
「オレは──」
 低い覚悟の声。
「オレは、結社〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉所属、ロネ・ウッズベルト!」
 
 宣言にも似た名乗り口上が、場に落ちた。
 子どもたちは、皆、一様に動きを止めた。武器を落とすものも居た。
 アークスの笑みが消える。
 
「獣でも従隷エグリマでもねえ。オレたちは……」
 
 ゆるく首を振りながら、双剣が静かに構えられる。
 金属音。床を蹴った音。剣閃が、走る。
 邪魔するものはもういない。子どもたちの剣を弾き飛ばしながら、ロネは一直線に祭壇へ突っ込む。
 
 ──決して一人じゃねえ。オレだけじゃない。シエルも、メアリも、後ろのダチも、ガキどもも、ボスも。
 
 闘志のままにロネが吠える。
 
『──あかァ・豪炎来たれ・其は汝ら貴族への怒りッ……──』
 
 怒りの唄。煌力レラの細かな粒子が、流星のように一筋の剣筋を追う。
 
「おい! やめろ! こんな筈じゃあ……え、従隷エグリマども! 早く動かないか!!」
 
 アークスは対抗の術も忘れ、助けを呼んだ。
 しかし、軍の意向を無視し、部下も連れていない男に従うものは、もういない。
 唄が完成した。
 
『──〈怨嗟の剛腕フォティア=クラーク〉ッ!!』
 
 左手が光を纏う。ロネが発動した火の塊は、空中で巨大な握り拳のように変形。人の意志を得た炎が、聖堂の祭壇ごと敵を殴打せんと迫る。
 轟く爆音。
 煙の中で、アークス少尉の悲鳴が礼拝堂に響いた。
 
「命の価値を……、他人が勝手に決めてんじゃねェ」 
 
 土臭い煙幕の中に立っていたのは、まごうことなき、一人の人間であった。
 
 

 


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