六章『僕の腕の痛みよりも』
“第53話 征途へ”
冬の夜空は、黒々とした闇の中央に月を浮かべていた。
空の下を、黒鉄の列が進む。
鉄の鎧鞍を装着した馬に乗る男は、唐突な電子音声に眉をしかめた。
『──伝令、伝令。ギース元帥本部隊。こちらタンシー少尉先遣部隊。水の都内部に、混乱なし。避難は既にほぼ完了し、民は統制下にあります』
(混乱なし? ……妙だ……)
耳元の通信機に手を当て、赤茶けた髭をなぞる。ギースは、ひと呼吸置いて通信のスイッチを押した。
「──先遣。周辺に、異変はないか」
『敵軍増援の動きあり。加えて、都の外壁より強い〈煌力〉反応を感知』
「増援の数を教えろ。〈煌力〉の種別、反応規模は?」
『部隊人数、百を超えます。〈煌力〉種別、〈蒼魔煌〉。規模は不明。都内部にも分散反応あり』
「出処を探れい。奴らの動向もだ」
低い声が落ちる。『了解』の応答を受け、ギースは視線を上げた。
前方、闇の彼方に沈む都の輪郭線。──まだ静かな未来の戦場。
「……予期しておるようだな。こちらの進軍速度も、考えうる脅威も」
その男の横顔を見る若者が、ひとり。
茶色いふわふわの髪と、四角い眼鏡が印象的な青年。
彼にふと視線を向け、男は、試すような笑みを向ける。
「若人、ディオル。どない見るか?」
「あ……ええと。そう、ですね……」
隊列の脇を進んでいた青年が、ぎこちなく馬の手綱を引いた。
からかい混じりに求められるまま、考えを口にする。
「……〈ミラス〉で、飛空艇での空襲例ができてしまった訳ですから、公国側が警戒を強めるのは当然です。恐らく、彼らは──攻撃を受ける前提で、準備をしていた筈……」
「準備、か」
「ええ。特に、外壁沿いに感知された〈蒼煌力〉の反応……」
ディオル──否、実名・シエルは思い出す。
〈結社〉に入る前の頃のこと。
適性試験の場でメアリが出してくれた、水流の盾。炎を防ぎ、刃を鈍らせる、あの特殊技……。
「防御系の術に、似ている。けれど……」
迷う瞬間。
言葉を紡ぐその表情を、月光が白く照らす。
「ある程度、攻撃への備えがあるにしても、群衆が静かなのは不自然です。増援の数も少なすぎますし……それらに関係なく、民が守られると“知っている”動きに近い。だからなにか……、こちらの想像以上の対抗策があるのかもしれません。僕は、そう思います」
ギースは答えず、ただ都を見た。
内心、なにかまずい返答をしたかとシエルが焦った瞬間、耳元で電子ノイズが鳴った。
「あ、……また通信です」
『──通信。こちら〈柿色の商会〉。結社のボス、聴こえておりますか?』
聞こえた内容に驚く。商人・フラークの呼びかけだ。
通信機は、他者宛のものもすべて聞こえる仕組みのようだった。であれば、発言は慎重になるべきだ、と、現状偽名を用いているシエルは一層気を引き締めた。
耳慣れたアルトの声が聞こえた。
『──聞こえている。用件を』
『はい。都の懐に無事潜り込みました。いやはや、水の都の表通りは実に平和ですよ。まるで、嵐の前の静けさ……』
『フラーク伯』
笑いを含んだ呼びかけ。老商人のたわいごとを嗜めるような色を含んだそれに、通信も緩やかに返った。
『……まあ、我々も焦ることはないですぞ、ギルド長。貴女様の求める〈侵入経路〉をご用意いたしました。東口の手前側──北東寄りの林。まずはそちらまで、お越しください』
フラークは陰で動き、作戦通りに、ことを進めていた。
都侵入──結社の戦闘員の役割が近い。通信のやり取りに耳を澄ませる。
『確認だ。北東、林。侵入手段は』
『〈地下水道〉ですよ……経路の目印に、青い塗料を塗った瓦礫を置いておきましたゆえ……』
『了解した。助かるよ』
『しかし、“彼ら”は備えております、……ご留意をば』
通信が途絶えると同時に、夜気がひときわ冷たく感じられた。
ギースが馬に乗ったまま、魔銃を片手に構え、示す。
「出番じゃな。任せたぞ!」
ニヤリとして告げられた激励に、シエルは力強く頷いた。
そして、思いついたように、通信のスイッチを押して、返事した。
『──ギース元帥も。皆様、ご武運を』
『──連合軍に栄光あれ』
『……栄光あれ……!』
仲間から、周囲の人々から、同時に激励が返った。
〈帝国軍〉本部隊は、続けて北門へと向けて街道沿いの進軍を続ける。黒鉄の列はやがて夜の底へ溶けた。
振り返った青年は、もう一度前を向き直した。まだ、胸が熱い。
残されたのは林へ向かう少数の影──シエルたち〈結社〉のグループは、遊撃部隊だ。
北東寄りの林は、都外郭からわずかに外れた窪地にあった。冬枯れの枝が重なり、今夜の月明かりを阻んで影を落としている。
先頭のボスの影が、立ち止まる。
そこには、瓦礫の山があった。霜の上に崩れた石材と、捨てられたぼろい酒樽。その内のひとつに、不自然な青の塗料。
夜目にも目を引くそれは、あの老練な商人の目印。商会が残した、都内部への道標。
「うわ……」
青に染まった樽をどかしてみると、かすかに冷たい風が吹き上がった。
腐水の匂い。石と藻の湿った臭気。
「コレか」
「うん。間違いない」
石造りの縁に、半ば朽ちた鉄格子が斜めに嵌め込まれている。堅牢な外蓋は、すでに外されて瓦礫に紛れてしまっていた。
この先は、薄暗な地下水道だ。
……馬は、置いていくしかなさそうだった。迷っている時間などない。
「……行こう」
ボスの短い号令とともに、ひとり、またひとりと、暗がりの闇へと降りてゆく。
金属製の梯子はすべりやすく、足を置くたびに硬質な音が反響した。下へ進むほどに空気は重くなる。地上の冷気とは違う、湿り気を帯びた密閉特有の冷たさ。
最後の者──ファクターが降りる際にと、樽が元の位置に戻された。光が消える。
完全な闇。
『朱・集い灯せ──篝火!』
次の瞬間、長の手のひらに小さな炎が灯った。淡い光が壁面を撫で、苔と水滴を浮かび上がらせる。
地下の通路は想像より広かった。人が横に三人は並んで歩ける程度。剥き出しの水路に水が流れ、脇に石の通路が長く続いている。滴る水音が反響し、やけに大きく聞こえた。
そろそろ、帝国軍の陽動が始まる頃合いだろう。だが地下では、戦の気配はまるでしない。あるのは、冷たい水の流れる音と、仲間たちの呼吸の音だけ。
先頭が歩き出すと、くぐもった靴の音が連なる。
水路には分岐がいくつもあった。だが要所ごとに、青く塗られた瓦片が置かれている。フラークの用意した導線だ。
ボスが苦笑した。
「いっそ、怖いね。抜け目のないご老人だよ……」
「アラ……口調は、柔らかくてよ。わたくしのように」
「抜け目のなさは、レイミールも同じくらいはあるかな?」
「まあひどい」
結社のツートップが小声で談笑しているのを、メアリが横からムッとした目線で刺している。彼女は緊張しているのだと遠目にも分かった。
やがて、後方から苛立った声が漏れた。
「オイ、例の。ありゃどういうことだよ……」
ロネだった。なんの脈絡もなく尋ねられて、シエルは首を傾げる。
「あれって?」
「とぼけンな。さっきのギースの野郎との会話だよ。ディオルって誰だよ、嘘ばッかつきやがって」
「野郎って。あ、いや、そのー、ちょっと色々ありまして……」
語尾が濁る。
ボスの頼みで名前を親族のものに偽っていて、それで近づいて、いずれ〈逃亡者〉の制度について聞き込みたい……などと、どこから説明してよいかもわからない。
水滴が天井から落ち、肩に当たった。数歩の沈黙ののち、ロネが鼻を鳴らす。
「……また、例の〈逃亡者〉絡みのことか? テメーも難儀なモンだな。嘘の名前名乗って、何になるンだか」
「あー……あと、メアリも。フィリアらしいですよ今は」
「そりゃレイさんから聞いたが……待てよ、他の連中は、コレ知ってンのか?」
足音が一拍ずれた。
当人は小さく肩をすくめる。
「ええ……? 今頃伝わってると、思います。たぶん……」
「甘ェ!」
「うぅわっ」
狭い水道に反響して、声がやけに大きい。
流石の先輩もまずいと思ったのか、少し近づいて小声で続ける。
「……戦闘中はどうすンだ。咄嗟に偽名なンか呼んでらんねーぞ」
「先輩は“クソガキ”って呼んだらいいんじゃないですか?」
「根に持ちやがって。そういうハナシじゃねえだろ? 軍が都に入ってこないとも限らねえ。遅かれ早かれ本名がバレる」
「そのときはなんか、上手いこと誤魔化します」
「オイ」
周囲で低く笑う者もいれば、無言で前を向いて歩き続ける者もいる。
追い越しざまに、ロネの舌打ちが落ちた。
「……最近裏でコソコソやってるみてえだが、あんまナメた真似してっと痛い目見ンぞ。クソガキシエル」
……足すんだ……。
シエルはそんなことを思った。その名が、水路の闇に吸い込まれていく。
コソコソ、というのも、ボスの行動を訝しんでいた件のことだろう。ボスたちを慕う彼からしたら、腹立たしいに違いない。それでもロネは自分の名を呼び、危険を危険と警告してくれている。
「先輩。……ありがとうございます」
当の本人は答えなかった。ただ歩く速度を早めて、前をゆく。
その男らしい先輩の背丈が、いつの間にか自分よりも低くなっていることに気がついて、シエルはちらりと足元に視線を落とした。……水路の水がわずかに増している。
地下水道は、緩やかに上りへ転じていた。遠く、かすかな振動が石壁を伝う。外では、戦闘が始まったのかもしれない。
見据えた闇の先。誰ひとりとして、歩みは止めなかった。
6章 第53話(2026/02/28 〆)
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