五章『あの日の戦争』
“第50話 焼けおちた村”
ひとつの補給基地を制圧した帝国軍は、数名の捕虜を護送しながら街道をさらに南へと進んでいた。
今日の夕刻の太陽は赤く、地平線の端で燃えているかのようだった。戦地での血の煮えるような興奮も数刻たてば消えてしまい、多くの兵士たちはただ無言で馬に乗り進んでいる。鉄靴の音と馬の鼻息だけが、うるさい風音のなかで聞こえていた。
遠くに遺跡のようなものが見えた、と思った。しかし、それが妙に新しい。木屑が混じっているのを見て、初めて、廃墟ではないかと認識を改めた。
「……な」
地面にクレーターのようなものと、赤黒い雫を引きずった跡。
シエルはさらに、認識を改めることとなった。
「ここは、ミラスと呼ばれた村ですね」
地図を片手にタンシー少佐がつぶやいた。到着の合図とともに、馬をとめる。
世界地図の上では、公国領の北方にある農村のひとつ。だがいま目の前に広がるのは、あまりにも痛ましい光景だった。
村は、焼けおちていた。
まだかすかに硝煙の匂いが残っている。
屋根のない、柱だけの家。半ば崩れた石壁、割れた窓枠から垂れ下がる、いびつな形の布。四角い小屋は黒い炭のようになり、井戸さえ半壊している始末。
「…………」
誰も、なにも言わなかった。
シエルの背後で、メアリは悲痛に顔を歪めた。
村道のあちこちに、住民が置いていったらしい荷物は転がっていた。焦げた衣服らしきものや壊れた家具。つい昨日まで、誰かがそこに暮らしていたことを示すものばかりだ。だが肝心の人々は見えない。
避難できたのか、それとも――……
「こ、この町に〈軍〉は居なかったんですか……?」
シエルは思わず、そう訊いた。
帝国の村ですら、常駐の軍人がいた。こんな、ほぼすべてが全焼するまで戦うなど、正気の沙汰とは思えなかった。
「敵が勝手に滅んどる。喜べ」
「……元帥……」
ギースは、事実を告げるかのような口調で言った。
ボスが口をはさんだ。
「ギース殿。空襲だね? これは」
「よう知っとる。最新式の飛空挺による新型兵器ばい。ここの連中の大半は、どうやって死んだかもわからんかったじゃろうな」
「町の者を不用意に巻き込むのは、よしとしないな。私は……。少なくとも、戦いには関係ないだろう?」
彼女のわずかに咎めるような声に、ギースは低く笑った。
「んな考えではよくない。──マルス。帝国西の小さな漁村だが、奴らは攻めて来おった」
マルス、の村の名前に青年がぴたりと止まる。
……公国兵の襲撃。シエルの故郷が襲われたことを、ギース元帥は知っている。
男は大仰に続けた。
「仕方があるまいな? 向こうからしたら攻めやすかったわけでな……自分が構わずやるなら、“やられる覚悟”があるもんじゃ。──違うか?」
「報復というわけでもなさそうだね。ギース殿」
そう、ことさら静かに問う。
「向こうが勝手言っとる戦争じゃ。使える手は総て使い、勝つまでよ」
「人の道から外れようとも、か」
「おう。貴様の助けたがったガキどもでも、必要とあらばやらねばならん。戦はそういうもんじゃ」
両者の話は平行線であった。
あくまで理知的に話してはいるが、一歩違えば協力関係が決裂するのでは、という冷ややかさが滲んでいた。
「そうかい……覚悟は固いようだね」
ボスは一拍置き、視線を壊れた村に巡らせた。
「先を急いだが、日暮も近い。近くで野営の準備をしようではないか。こちらの者に指示を出してくるよ」
そう言い残し、彼女は踵を返した。
荒れ果て、焼け落ちた村の中心で、ギースの声が再び響く。
「おー、少なくともここに居たはずの連中に殺されることはないんじゃ。貴様らも少しは安心して過ごせるじゃろう」
「……安心?」
シエルは、思わず相手の男をギッとにらんだ。
「そうじゃ。警備のひとつも居るようであれば困るが、そうでない。全員死んだ。ひと安心いうやつじゃ」
「人が死んでるんですよ。大勢です。それが、安心できるわけ、ないじゃないですか……」
怒りと悲しみが混ざった声が、震えていた。
先ほどは〈従隷〉を攻撃しなかったから、よい軍人かと思ったが、やはりこの人は信頼できない。ボスとは決定的に何かが違う。シエルは、うまく言葉にできない違和感を感じ取っていた。
メアリが隣から口を挟む。
「ちょっといいすぎよ。彼、元帥なのよ?」
シエルはそれを聞いて、メアリにだけは言われたくないな、と思った。
僕の引き留めを今まで聞かなかったのだから、姉を見習って今回ばかりは自由に言わせてもらおう。
力強い視線を保つ青年に、ギースが興味深そうに目を細める。
「小僧、面白いこと言いおるな。名を名乗れよ」
「こちらです」
迷いなく差し出したのは、新しい共和国の身分証。偽名〈ディオル・カラーン〉の名前の入った偽造書だった。
「ディオル。ディオル・カラーン! えらい古風な名じゃな。覚えた。気に入ったぞ」
「…………はい」
身分証を懐に仕舞いながら、青年は瞳を伏せる。
……うまくいった。嬉しい、けど……胸がちくっとするな、これ。
もしかしたら、メアリはずっと、こんな気持ちだったのだろうか。
異国の地で、僕を守るために、こんな嘘つきの痛みをひとりでいくつも抱えてきたのだろうか。
だとしたらそれは、僕の弱さの罪だろう。
当のメアリが進み出た。
「じゃあ、私も覚えておいて。“フィリア”っていうの。この子の姉よ」
「兄弟か? にしては、似とらんのう」
「いとこの姉よ! 元帥さん」
「元気がええな! よか、あの小生意気な長にこの部下ありじゃ」
ガハハ、と大仰に笑うギースの声音に疑いの色は感じられない。
シエルはこの日、初めて人に明確に嘘をついたと感じた。
ただ、ボスが喜んでくれたらいいな、と思った。
…………
……
そのあとは、帝国軍と結社で肩を並べて、瓦礫の片付けをした。
砕けた石材、焼け落ちた梁、生活の痕跡だったはずの木片や布切れが、無秩序に足元を塞いでいる。軍人たちは言葉少なに、それらをどけ、仮設テントを立てるためのわずかな平地を作っていった。
前線の空気が重苦しかった。それは、戦う相手が目の前に居なくても、まったく変わらなかった。
ふいに水滴が落ちてきて、シエルは上空を見上げた。
空が、泣いていた。
殺戮の兵器が降った土地を濡らす雨。
ひとつの村を、すべての平穏を覆い尽くす真っ黒い雨だった。
前線の空は濁っている。ズネアータの雨空よりも、マルスの雪空よりも。ずっと。
「……なんでだよ……」
気付いたら、シエルの目に涙が滲んできた。
この村が“敵”とは、思うことができなかった。
……ここには普通の人の暮らしがあったはずだ。
「青年。はやく、この戦いを終わらせよう」
振り向くと、背後に黒髪の女が立っていた。
「……、ボス」
「我々にできる最良のことは、それだけだよ」
僕は嘘をついた。戦う理由は。結社の噂は。この村は……。
今、言いたいことがたくさんあった。聞きたいことも山ほどあった。
だがシエルはその中から、ひとつ、根源的なものを取り出した。
「……〈ヴェルス大公〉を本当に、その……、殺さなきゃ、だめなんでしょうか?」
小さな問いかけが落ちる。
「ほう……」
感嘆の声を漏らし、彼女は『続けろ』と先を促した。
「アークス少尉が死んでいなかったって知ったとき、僕、どこかでホッとしてしまったんです……例え、敵だったとしても、死んでしまえば、悲しいんだと思って」
ボスは黙ったまま、答えない。
「なにか、なにか他に、方法はないんでしょうか? ……これ以上戦わなくて済む、誰も傷つかないような道は──」
「……それは」
僅かに震える、怒りを帯びた声。
青年が見上げたボスの赤い目は、どす黒い闇を宿していた。
「それはもし、『君の姉』が殺されていたとしても、君は同じことを言うのか?」
「……な」
なんでそんなことを、と言おうとして、シエルは咄嗟に言葉を飲み込んだ。
聞くまでもない。殺されたのだ──彼女にとっての大切な『誰か』が。
絶句したシエルに背を向け、彼女は静かに告げた。
「……君は、ひとつ。重大な思い違いをしている。人の悪というものを。意地汚なさというものを。誰かがやらねば、弱きは奪われ続けるだけだ」