五章『あの日の戦争』
“第49話 進軍”
────……
──……
朝の平原は、まだ冷たい。
なだらかな丘の輪郭の向こう。黒鉄の鎧をまとった帝国の軍勢が、ゆっくりと動く。
林の仮設基地から、シエルたち結社の面々はその光景を見ていた。
──ついに、最前線までやってきた。
謎多き〈ガルニア帝国軍〉という存在。そして、彼らと手を組み大戦に挑むこの冬。
結社のボスも関わっている以上、参加は義務である。
これは、シエル自身にとって、あるイミ宿命とも呼べる戦いの幕開けだった。
その重さを噛み締めるように、青年はひとつ大きく息をして、静かに戦場を見た。
帝国軍の規律正しい進軍は……もはや人の列というよりは、巨大な生き物の侵略のようだった。
大軍を率いる大男、ギースその人は、遠目にもひときわ目立つ。腰脇に黒銃と大剣をさし、堂々と最前線を進んでいる。
大量の土のうと杭とで築かれた簡易防壁の向こう側に、〈テスフェニア公国〉軍の先鋒が並んでいた。日の光に白銀の鎧が輝き、青い旗がはためく。
なにしろこの前哨戦は午前。敵方もまた、帝国の軍勢にいちはやく気がついたのだろう。彼らの向こうに、うっすらと見える小さな砦のようなものが、駐屯基地に違いない。
数十、数百もの黒い重装兵──それらがまるで波のように、基地に押し寄せる。
「撃てッ!」
ギース元帥の命令。
次の瞬間、帝国軍の魔煌砲が地を揺らした。三度、四度、発されるごとに空気が震え振動が伝わってくる。
ほぼ同時。公国側の将も叫んだ。
「第一列、撃て──ッ!」
敵軍の魔煌の一斉打撃。
豪雨のように横なぎの火炎弾が降り注ぐ。
だが、ギースは止まらない。
技を読むような視線で、ほんの僅かに進路をずらす。
致命の攻撃を避け、そうでないものは鎧任せに無視する。敵兵が我先にと迫る。前哨のそれらを追うように。
瞬間、ギースが剣を抜いた。抜刀と同時に、前列の敵兵が崩れ落ちる。
「今じゃ、やれぃ!」
背後に向けて告げる。
号令とともに帝国軍の波が流れ込む。
彼の剣は止まらない。流れるように、次から次へと急所だけを斬る。
「おいおい! ありゃあ……」
公国軍の白銀の将が声を上げる。大柄な短髪の男。
「帝国の元帥じゃねーか! まさか俺の代でもお目にかかるとはな……おぉい! 聞いてんのか?」
「……聞いてますって。ジグマ大将。うるさいですね」
シエルは眼鏡の奥で目を剥いた。
遠目にもわかる。
将官の隣──青い髪と白銀の甲冑、特徴的な鞭を持った、その少尉の立ち姿。
「……あ……、アークス……!」
遠すぎて、会話内容までは聞き取れない。
──しかし、……しかし。なぜ、彼がここに? あのとき、確かに死んでしまったはずでは……。
混乱する頭に声が届く。
「やっぱりか。オレが無事で、アイツら貴族の犬どもが無事じゃねー訳がねェ」
「先輩……」
ロネのつぶやく声に、メアリが驚き顔になった。
「ロネさん、知ってたの!?」
「〈煌力鉱石〉の消費は、敵の残機減らしだ。潰す理由には足りてンだろうよ」
「……そ、そん、な……」
シエルは絶望した。
アークス少尉が、生きていたことが、ではない。
──心のどこかで安堵している自分が居ることに。
「なんで……」
答える者は居なかった。
顔を上げた青年の目に飛び込んできたのは、さらに衝撃的な光景だった。
前線に並ばされている影。
最初は、距離のせいで兵の背が低いのだと思った。だが違う。鎧の質も背丈も。最前列に立たされているのは、どう見ても正規兵ではなかった。
「あれ……子どもよね……?」
メアリの声が、かすれる。
少年たちは、帝国軍の陣形へ向かって、押し出されるように前へ進んでいた。
「……ッ」
シエルの喉が、ひくりと鳴った。
眼鏡越しに、アークス少尉の姿がはっきりと映る。
青い髪。白銀の甲冑。整った横顔。
一足遅れていた子どもに対して、鞭が振るわれた。風を裂く音とともに少年の背が跳ねる。よろけた子どもが、そのまま前線に走り出していくのが見えた。
無謀、としかいいようがない突撃を見て、シエルは脳裏に浮かんだ言葉を呟いていた。
「〈従隷〉……!」
確信めいたものがあった。いつのまにか、仮設基地から出て来ていたファクターが言った。
「……昔、聞いたことがある。〈従隷〉を少年兵として戦いに投入するかもしれんと」
「あの子たちが……?」
少年たちは、同じ列に並ばされているはずなのに、扱いが明確に違っていた。
正規兵の背後に立つ彼らには、盾も与えられていない。
支給されている槍は長さがまちまちで、刃こぼれしたものも混じっている。鎧と呼ぶにはあまりに薄い革当て。中には、それすら身につけていない子もいた。
背負っている旗が不規則にはためいている。……囮みたいだった。
「……あの茨十字の紋章。間違いようがねえっ」
剣柄に手をかけて、走り出そうとする。
大きな手が、ロネの手首をつかむ。
「待たんか!」
「ンだよ!!」
振り向いたロネの顔には焦りが滲んでいた。
その感情を知りながら、ファクターは低い声で叱咤した。
「今、出れば〈結社〉の動きがバレるぞ。それがわからんお前さんではなかろう!」
「……ッ……」
珍しく声を荒げる幹部の男の声に、シエルも肩を落とした。
「そうです。帝国軍も……、後でなんて言うか……」
「じゃあ、私がフードを被って行けば……!」
「メアリはもっとだめだよ……」
ハーフエルフとして目をつけられたメアリを彼らの前に出すことは、最も憚られた。
「じゃあナンだ、指くわえて黙ッて見てろってか? 冗談じゃねえ……」
「僕も助けたい……! けど……」
シエルは歯を食いしばり考えた。
自分たちは、顔も戦闘時の行動も、名前までも、公国側に割れている。
表に露見した時点で、この合同作戦全体の結果に関わる。
その条件下で子どもたちを助けるための方法……。
「おやまあ、困った子たちだ。この長を差し置いて密談か?」
アルトの声が聞こえた。
“結社のボス”その人が、そこに立っていた。
「……いるじゃあないか。顔も名も、完全には割りきれない“稀有な人材”が、ここに」
「ボス、あなたまさか」
ボスがトレードマークでもある高いサイドテールの紐を解くと、漆黒のロングへアが滑らかに流れた。
真っ赤な瞳でフッと微笑む。
「君たちはいい子で見ていな」
彼女は近くの傭兵からひょいと黒塗りのサングラスを手に取った。
「狙撃手、援護を頼む」
あっけに取られるシエルたちを尻目に、サングラスに黒赤のローブ姿のボスが駆け出していく。
「狙撃手からゴーグル奪う雇い主がどこにいるんだあ? こりゃ困った、てーへんだぁ」
棒読みの台詞が宙に浮く。
「遠征のとき居た人……?」
「そう。こちとら傭兵。〈公国遠征〉別行動だった組だ」
見れば、確かにタンカラーのローブには見覚えがあった。サングラスをとると、シエルには誰だかさっぱりわからなかったが……。
「ラムダさん、だったかしらね」
「ビンゴ。今日も仕事するぜ」
黒い得物を担ぎ、男が林の影から影へと走り出した。
シエルたちともボスとも違う方向へ。狙撃手が長物を構えた先で、戦闘は激化する。
瞬間。
「──失礼!」
乾いた砂塵の音が戦場に落ちた。
『──望むは炎・我が意思に従い・障壁となれ──〈灼熱の天幕〉!!』
アルトの声の唄が響く。
地を這うような炎が横薙ぎに走る。
敵陣の最前列、その足元を舐めるように薙ぎ払う。地面を焼き、視界を奪い、戦場を分断する。熱風に弾かれるように、少年兵たちが悲鳴を上げて後ずさる。
後方の将校たちが怒鳴る声も、熱と砂煙にかき消される。
ギースが、一瞬だけ背後を振り返った。
視線が交わる。
赤黒いローブを翻し、サングラス越しに戦場を見据える女──結社のボスは、炎を放った右手を握りながら、応えた。
「ギース元帥。助太刀する」
「阿呆め」
男はすべてを理解したように、口角をわずかに吊り上げる。
ボスが次なる詠唱を放つ。
『──唸れ曇天・閃光・我らに仇なし・咎ある者へ──墜ちろ! 〈雷鳴の火鎚〉!!』
ボスが指を鳴らした。
瞬間、上空から雷が落ちる。
耳をつんざくような雷撃が、少年兵のさらに奥、兵団の足元へと一直線に突き刺さる。土嚢が吹き飛び、後衛が混乱に陥る。
その混乱に乗じて、林から狙撃手が指揮系統の頭に弾丸を叩き込まんとする。銃撃と詠唱の唄がこだまする。
作られた隙を、ギースは見逃さない。
踏み込み一閃。
彼が魔銃を向けたのは、混乱し逃げ遅れた兵のみであった。
「おや。あれは狙わないのだね?」
少年兵たちは武器を落とし、炎を避けるように散り、這うように後退している。
ギースは鼻で笑った。
「言うたはずじゃ、公国の阿呆どもとわしは違うばい」
「……よい武人だな。そなたは」
彼女の火は、まだ燃えている。
強固な炎の壁。──守るための炎だ。
「……誘導したんだ……!」
林からその光景を見ていたシエルは、はっと息を呑んだ。
結社の面々は息を詰めてボスをみていた。
熱が、ここまで届く気がした。
彼女……ボスは前線を、ほんの数拍、掻き乱した。
……その数拍が、誰かの命を分けたのかもしれない。
「なんだあの兵士……女? 記録にもないですよね?」
「参ったな。あの新顔が、ギース並に強ぇとは聞いてねぇ……おい、やれ! 野郎ども!」
公国軍が最後の突撃を命じるが、それはもはや無秩序な突進だった。両軍が激しくぶつかり合うが、たおれた公国兵の血が泥と混ざり、冬枯れの大地に黒い沼をつくる。
帝国軍の魔煌砲が再び轟く。轟音とともに公国軍の陣形が二つに割れ、地鳴りのような悲鳴があがった。重装歩兵が突撃態勢へと移る。刃をふるう一手一手が、敵軍の波を圧倒していく。
「チッ……一旦持ち帰るか……。撤退だ、撤退──っ!」
ついぞ撤退の号令が響いた。
こうして帝国軍は、公国の外部の前線部隊をわずか数刻で半壊させた。戦場には、黒鉄の影の群ればかりが残っていた。