夕刻の手紙


五章『あの日の戦争』


 
  

 煌びやかな光が天井から降り注ぎ、個々の立食テーブルに並ぶグラスを鈍く輝かせていた。豪奢な金の装飾と大理石の床に囲まれた会場は、今や祝宴ではなく、戦のための策謀の場となっている。
 続けて、結社の秘書が口を開いた。
 
「それでは、改めまして」
 秘書、レイミールが、そばに立つ軍人を手で示した。
 広い肩に軍服を張りつかせ、赤茶の髭を生やしたその男。
「こちらは、今回の特別な来賓のお客様。カーマイン・ギース元帥です。このお方は──」
 
 しかしギースは、彼女の声を遮って、腰元の剣つばを鳴らし周囲を威圧した。
「要らん! 〈ガルニア帝国軍〉の名を知らぬ人間など……、この場には居るまいな。万が一にも居れば、捨て置くがいい」
 
 軍人の鋭い叱声と眼光──まるで、この場の誰もが自身の兵であるかのような物言いに、会場の空気が一瞬で支配される。
 隣に立つ結社のボスは、相変わらず紅い瞳に微笑をたたえ、頷いた。
 
「レイミール。ここはギース殿のお心を汲んで、情勢から伝えようか」
「かしこまりました」
 
 レイミールは視線を落とし、淡々と、語り始めた。
「まず、軽く情報を整理いたします。皆様もよくご存知の通り、今現在、〈ガルニア帝国〉と〈テスフェニア公国〉が戦闘中ですね」
 彼女の手には、議事進行のためのやや大きな帳面が握られている。
「俗に言う〈世界大戦〉──この戦いは、公国側の開戦宣言以来、約七年前の冬から続いています」
 小柄なレイミールの声は繊細なソプラノのトーンで、聞く者の心に確かな緊張をもたらした。赤いカーペットの舞台の上、シャンデリアの光が彼女の金の髪を白く照らし、冷たい印象を与えている。
 会場の前列付近で来賓席に鎮座する重役たちも、固唾を飲んで耳を傾けた。いくつか空いているのは、ギースやフラークたちの席なのだろう。
 ギースが息を吐く。
 
「あん時の公国の言い分も大概なモンじゃった。やれ、帝国軍人がヴァリア公殺っただのと。餓鬼の妄言もええとこばい」
「そう。ヴァリア公の暗殺……。公国あちらは、ガルニア帝国が法を破ったのだ、と糾弾していましたね。しかし、実際に帝国軍の姿があったという目撃例は無いそうで、真実は謎に包まれています」
 レイミールも彼の言い分に首肯する。帳面に視線を落としたまま。
 
 
 メアリの小さな声が、重苦しい空気をわずかに揺らした。
 
「……シエル。“ヴァリア公”って、誰だったかしら?」
 こわばったシエルの耳に届く、温度のある彼女の声。
 シエルが振り返ろうとすると、そこには長身の男が近づいてきていた。
 
「覚えとらんのか?」
「…………ッ!?」
 
 思わず、ふたりでギョッとする。
 メアリのさらに背後。会場の光に包まれたファクターが、彼女に耳打ちをしたのだ。
 
「公国の前の大公だ」
「きゃ……ファ、ファクターさん?」
 なんと、彼は灰色のスーツを着ている。〈結社〉総出の正式な場なので当たり前なのだが、普段だらしない人が正装していると全然別人に見えてくるのだから、不思議だ。
 
「もうっ! 急に脅かさないでよね……!」
 小声でぷんぷん怒るメアリ。美人な姉はそれすらも可愛らしい。
 どことなく存在感の希薄な塩顔の男は、むすっとした様子でため息をついた。
 
「すまんな。薄いおっさんで」
「そんなことは言ってない! でしょ」
 年甲斐もなく皮肉を口にする幹部のおじさん相手に姉が噛み付いている横で、シエルは過去の記憶を辿っていた。公国の開戦の話。前大公・ヴァリア公の暗殺について──。
 窮屈なスーツを軋ませ、顎に手を当てて、つぶやく。
 
「──確か、記念式典で暗殺されたんだ。一本の、大きな矢で狙われて……。それを、“帝国軍がやったんだ!”って公国が言って、戦争が始まった。そうですよね?」
「正解だ。よく勉強しとるようだな。心配いらなかったか?」
 どうやら、親切心で口を挟んでくれたらしい。シエルが見上げたファクターの横顔は、優しいものだった。
 姉が萎縮したように言の葉を落とす。
 
「……私……、ダメね。すっかり忘れちゃってたわ」
「ずいぶん昔だもんね……」
 シエルはまだ十歳の頃の出来事。教会の日曜学級で習った記憶が、今になってぼんやりと甦った。
 ふと、居心地の悪さに周囲を見ると、大人たちにちらちらと見られていた。小声のやり取りが、張りつめた場の中ではかえって浮き立つ。視線に気がついたふたりと幹部は、今一度口を閉じて、議論進行の行く末を見守った。
 
 
 ボスの目が細められ、声が低くなる。
「あの、愚かな公国貴族どものことだ。どうせ、お得意のホラでも吹いているのだろう。決定的な証拠が出ない以上は、これを疑うべくもない!」
 
 紅い瞳に灯った苛烈な敵意は、会場の温度をむしろ重く下げるかのようだ。
 もちろんです、とレイミールが相槌をうつ。
 
「我々の目的は『公国貴族・エーデル家による王政の打倒』、そして『従隷エグリマの身分制度を撤廃させること』。──そうですね?」
 ボスの方をレイミールが見遣る。長が言葉を継いだ。
 
「我々は連合軍を動かすだけではない! この戦いの“意味”を、全世界に示す必要がある!!」
 その一喝が、会場全体にずしりと重く落ちた。彼女は力強く言葉を紡ぐ。
 
「──公国政治の過ちを認めさせる──我らが揺るがぬ意志だ。これを達するための〈合同作戦〉として。我々は、敵都を三段に分け攻略せんとする!」
 煌びやかな場にて、戦略という名の頭脳の刃が、抜かれた。誰もが息を飲未、彼女らの次の言葉を、今かと待っている。
 
 レイミールは帳面に視線を落としながら、対照的に、静かな声で作戦を口にした。
 
「都外部では、陽動。第一部隊こと〈ガルニア帝国軍〉を中心に、南門・北門から一斉攻撃をかけます。これは敵の目を逸らすためです」
 言葉のひとつひとつが明瞭に告げられる。彼女が間に息を呑む音さえも、ひとつのリズムに変わった。
 
「同時に、都内部に侵入した〈結社〉中心の第二部隊が、反体制派とともに暴動を起こす。奇襲です。都の補給線を断ち、城内の士気を瓦解させる……これが、第二段階」
 
「そして最後に──」
 ボスが片手を掲げ、空中でその首をかき切るように動かした。
「合同の第三部隊が、直接大公の玉座へと突入する。人々を虐げてきたヴェルス大公を討ち、〈従隷エグリマ〉制度を終わらせるのだ」
 結社のツートップによる説明が終わると、ひと呼吸の静寂が会議室を包んだ。
 レイミールが、先ほどまでの冷たい表情が嘘のように、ふっと微笑む。
 
「もしご意見などあれば、今、この場で頂戴いたします」
 
 重苦しい空気を最初に割ったのは、やはり、帝国軍元帥ことギースだった。
 赤茶けた髭をわしわしと撫で、低く笑う。
 
「ほぅ、南北両門からの突撃に、都内蜂起か……さほど捻りも無いが、悪くもない」
 壮年の男は満足げに、極悪な笑みを浮かべた。
 
「よかろ。帝国軍が先陣を切っちゃる。ワシらには新型兵器を搭載した〈飛空艇〉がある。空と陸から攻めりゃ、奴らとてひとたまりもあるまい」
 以前、秋の日に飛んだ帝国の船。
 〈飛空挺〉──空飛ぶ異質な大型船は、大量の兵器を詰め込んだ、帝国軍の奥の手であった。結社の公国遠征の知らせを受けて、本格的な侵攻に乗り出さんとしたのだ。
 その侵攻の指示者である元帥が、〈合同作戦〉についても承諾し、今この場で意見している。
 
「派手に暴れさせてもらうけん、楽しみにしとけや。──だが、大人数分の補給と撤退路はキッチリと確保せえよ。陽動にしろ本攻にしろ、そこが“生命線”やけんのう」
 ハ、と豪胆に笑った。
 彼の隣で、これまでいっそ怖いほど黙って作戦を聞いていたフラークが、ようやっと口を開いた。
 
「ええ。補給に関しては、私どもが全面的に請け負って構いません。しかし『都の反体制派を動かす』と、いうのであれば……ひとつ」
 細身の指先をステッキの上で組み、姿勢を僅かに正しながら、老人は柔らかな声で続ける。
「私の商会が内部への物資流入を“装って”事前に情報を流し、共に蜂起を謀ることは可能ですが。これは、老人の意見として受け取ってください」
 その狡猾な申し出に、ボスが笑顔で返した。
 
「素晴らしい案だ、感謝する。ぜひ取り入れさせてもらうよ」
「ありがとうございます。ただその分──戦後の利権配分は、ご理解いただけますね?」
「約束しよう」
「なによりです」
 
 笑顔の応酬。しかし、その裏ではどこまで本心を隠しているか分からない。
 腹黒い男やのう、とギースが吐き捨てると、フラークは肩をすくめて笑った。
 
「戦争とは、いつの時代も算盤ですから……」
 
 ──そこから、華やかな席で交わされたのは、甘い酒と辛辣な駆け引きだった。
 やがてフラークの提案は条件闘争に移り、元帥の要求と交錯した。指揮権限、資源の配分、利益の分配……。そのひとつひとつに、ボスとレイミールは冷静に仲介し、時に押し返し、時に譲歩を見せる。
 交渉は舞踏のようでもあり、刃同士を交える戦いのようでもあった。
 
 
 作戦会議が終わると、パーティ会場はようやっと、もとの姿を取り戻す。重役たちも席を立ち、良質なワインを片手に談笑を始める。メアリの周りには人が集まって、今は商会の人たちと世間話をしている。
 
 その光景をひとりで見つめていると、シエルは強烈に喉の渇きを覚えた。
 幹部から受け取った酒を煽って、少しばかり取った料理を口にしてみるけれど、どれも量が少ないし、大した味がしない。
 
「……やっぱり、苦手だな……」
 
 口からこぼれた言葉は、まごうことなき本音。
 ──帝国主義も戦場も、僕は嫌いだ。
 だから逃げてきた。だけどまた、僕らは戦場に引きずり込まれる。僕個人の意思など関係なく──
 血生臭い帝国。逃げた先の共和国。この煌めく会場と、戦場。
 それらは残酷にも、はっきりと結びついているのだ。
 

 





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