四章『蘇る不死鳥』
“第42話 秋の終わり”
――――……
――……
やや時を戻して、雪国の執務室。
「――報告します!」
赤と黒の軍服を着込んだ者が、元帥の執務室に立ち入っていた。
〈ガルニア帝国軍〉少尉、ジェンモ・タンシー。
事務関係外の口を滅多に開こうとしないこの者が、こもった声を張り上げていた。
「何用じゃ。タンシー」
「先ほど、ギース元帥宛に、このような文書が……」
手渡された封筒は、宛て名『カーマイン・ギース殿』、差出人が『結社のボス』となっている。……一目でわかる、見覚えのある字面をしていた。
「これをワレが持っとるたぁ、どない言う了見じゃ?」
「えぇ……と。それはですね……」
通常なら国境の検閲を通り、配達局を経て役員から手渡されるはずのそれが少尉の手にあるとは、不遜にもほどがあるではないか。
「おうおう。言うてみい」
タンシー少尉はすくみあがったまま、報告を続けた。
「つい先程なのです。外回廊を通行中、この伝書鳩がまとわりついてきまして……」
彼の服の合わせ襟から、灰色の鳩が顔を出した。当人はほとほと困り顔になる。
部下の心境を知ってか知らずか、伝書鳩は「クルッポー」などと呑気に鳴いていた。
「ホォー。なんじゃ、ワレは鳩の目にも帝国の偉い者とバレたんかのう」
「悪い冗談はよしてくださいよ……」
その間にも、手は受け取った書簡の封を適当に破った。さっと便箋を広げ、中身に目を通す。
「ガッハッハッ! 面白いことを言いよる!」
読むや否や、元帥は文を思い切り笑い飛ばした。
部下がこちらの表情を伺う。
「元帥。文にはなんと」
「ハッハ。鳩に餌をやれ、だと」
「何ですそれは……」
聞く者は呆れ返ったが、決して嘘ではない。
ああ鳩に餌をやっておいてくれ、腹を空かせては道草を食うかもしれないから云々~などと、たしかに最下部に記してあった。追記だけ読み上げればまるで阿呆のようでもあるが、問題は本文。
簡易な挨拶のあとに書かれていたそれは、わが目を疑うものだった。
――夏のつき初旬。我々、結社〈〈恒久の不死鳥〉〉は水の都に攻め入った。
一言で評するなら、“無謀”だろう。
「ちょいと、お喋りする必要がありそうじゃのう」
「どういう、おつもりなのですか」
少尉は額に焦りの粒を浮かべた。
「やかましわい。下がってよか」
「……午後は軍議の予定がありますので、終わり次第お越しください。失礼いたします」
諦め気味の部下の言葉を「おう」で片付けながら、新規の便せんを取り出す。
ペンを手に取り、一つ一つの文字を綴り始めた。
ややあってペンを机上に置く。
雪解けの帝都の天空は、もう青くはない。
再び、厚い灰色の雲に覆い尽くされていた。
黒い軍人は眼光を光らせた。
「仲良ぅしようや。“ギルド長”」
◆
朝の事務室は、日々、結社に出てきた人でごった返す。
依頼をとって行く人、先日の依頼を届け出る人など、さまざまだ。
逆に、午後に結社に来て、事務仕事がてらに夕方更新の依頼をとっていく特殊な形態の人もいる。まあ、シエルもメアリも朝型なので、今のところ縁はないのだが。
「わあ、人いっぱいだな……」
そんな賑やかな事務室の中を覗き見て、シエルは呟いた。
ちょっとあとでいいか、と踵を返して、一階のロビーに降りてゆく。
結局あれから、それらしい証拠は何も得られなかったし、幹部たちに聞いても「知らない」の一点張りだった。もし誘拐が事実であるならば、知らないはずはないのだ。あれだけ大規模な戦闘日程を立てられる人たちが、そう言う情報共有を一切しないはずがないのだから。
「……うー」
シエルは頭が痛かった。
「うー?」
……すぐにこだまが返ってきた。
ちょっと疑問系の、高いトーンでくぐもった声だ。
横目で視線をやると、後ろ手に書類を持ったメアリが立っていた。
「シエル。今朝も記事に頭ぶつけて、どうしたの?」
「わかっててそうやって聞くんだからさー……なんでもないよ」
「なんにも、なかったのね。知ってるわ。私もさっき読んできたし」
「もう読んだって!?」
少年は思わず驚いた。
メアリは早起きだ。髪を編み込みで結う時間があるんだから、間違いなく、相当な手練れである。
一方シエルはというと、後ろ髪を紐でくくりつけて、眼鏡をかけるだけなのに、毎日約束ギリギリの時間になってしまう。
「そうよ」
迷いない即答。この可愛い姉は、シエルより早くニュースペーパーを街角で購入して、読んでくる時間さえあったというのだ。
「……メアリはすごいなぁ」
「そう? ──まあ、思うところがあっても、少しずつ知っていけばいいわ。人間関係ってそんなものよ」
記事についての話とは少しずらしたような言い方であったが、シエルはその意図を汲んだ。
彼女は〈結社のボス〉について言っているのだ。闇雲に調べまわっても意味がないと。
「そうかな」
「でも。もしこの先、シエルが危ない目に遭いそうになったら許さないわ」
「え、僕を?」
「いいえ? 相手が誰であっても、その人を許さない」
「ははは……頼もしい……」
「当然よ! 私はシエルのお姉さんだもの」
彼女は手元の書類をシエルに向かって提示した。
「ねえ、シエル、今日はこの依頼はどう?」
「お。討伐かぁ。よく先輩たちに取られなかったね」
「ウルフの討伐ですって」
「シエルも鍛えなきゃって思ってたでしょ?」
「……うん!」
勿論、とシエルが席を立った、瞬間。
ゴウ……、と大きな音がした。
地響きにふたりの体が大きく揺れた。
「うわぁっ!?」
「きゃあっ!!」
人々のどよめきの声が聞こえてくる。
見れば、換気のためかロビーの窓が空いていて、そこから強い風とともに喧騒が入ってきているのだ。
「なんの騒ぎ……?」
動揺したメアリが窓の外の声に耳を傾けた。
明らかに、外で何かが起こっている。普段では起こり得ないような、何かが。
「僕、外見てくる!」
シエルは勢いよく走り出した。
「私も」とメアリがすぐさま後に続く。
正面玄関を突き破るように飛び出すと、街角の人々が一様に立ち尽くし、ただひとつの方向を見上げていた。
「な──!?」
視界を覆うのは、空を裂くように進む巨大な影だった。
雲の切れ間から姿を現した、異様なほど大きな船。海を進むはずの構造物が、空の雲を割きながら漂っている。
船体の両脇からは幾枚もの羽根のような金属板が伸び、パタパタと律動を刻みながら大気を押し返していた。膨大な数の翼が、細いオールのように船から空中へ広がり、全体を浮かせている。
軋みを含んだ重低音が空気を震わせ、街の屋根瓦までも細かく震動させた。
天空は瞬く間に奪われ、まるで昼間に夜が落ちてきたかのような影が広がる。
「飛んでる!」
「……船……? あ、あんなの、ありえないでしょ……」
頭上を覆う巨体が、さらに濃い影を町に落とす。
──次の瞬間。
轟音が鳴り響き、辺りに悲鳴が満ちる。街の奥へ。遠い西側の大地へと巨大な砲撃が飛んだ。
シエルは右手で素早く曇り眼鏡を外し、眩しさに目を細めながら、船体の中央に貼り付けられているものを凝視した。
黒々と塗りつぶされた四角の布に、赤い馬の紋。──結社の鳥を思わせる意匠でありながら、明らかに異なる──生まれてから幾度も見てきた、その国旗。
「帝国軍だ」
声は、低く掠れていた。
秋の終わり。強風に乱れた水滴が頬を打つ。
寒々しい秋空が、今日も少年たちの上で泣き出していた。
四章 完(2025.08.17 サイト版)