四章『蘇る不死鳥』
“第41話 仲間の本心”
「あれ。ボスだ」
カレサがロビーの玄関側を指差した。
「へ……」
シエルとメアリが顔を向けると、訓練場のある地下から、黒髪サイドポニーテールの人影が現れるのが見えた。
あの髪型は──間違いなくボスだ。
ひとりで結社を出ていく背中を、少女は小首を傾げて見た。
「こんな夕方から、どこ行くんだろ?」
「ほんとですねぇ」
少女とともに、姉弟ふたりも思わず目を奪われる。ややあって、姉の方が先に視線を外し、年下の少女に向かってにこりと笑って言った。
「よし! 遅くなっちゃうし、私たちもそろそろ帰るわ。またね、カレサちゃん!」
「オッケー! 気をつけてね〜」
弟の背中を片手で押しながら、結社の玄関口に向かう。
手を振る少女の見送りを受けながら、メアリは小声で囁いた。
「シエル。彼女を追いかけましょう」
「──……!? それは……」
「大丈夫よ。あのロネさんだって、昨日は私たちのことこっそり尾行してたんだもの。文句言わせないわ」
「そ……そうかなぁ」
そうなんだけど、それとは違うような。
シエルは返答に悩む。
「私に任せて。考えがあるの!」
「……無茶は禁止だよ?」
「いいから、ついてきて!」
メアリはシエルの手を取った。
少年は僅かに目を見開く。
握り返したその手が、なぜか以前よりも小さく頼りなく感じられて、胸がざわついた。
◆
ふたりは薄暗いズネアータの町中を駆けてゆく。
軒先の灯りが濡れた石畳を照らし、街のざわめきの中に飛び込んでいく。
その先に──黒いコートを纏って歩む、ボスの背中があった。
「居た!」
「どうする気? メアリ……」
「決まってるわ。聞くのよ、直接」
「ぁえぇ!?」
──なんて単純なんだ!
思わず裏返った声を出したシエルは、姉の真剣な横顔を見て言葉を引っ込めた。
「私が彼女の後をつけるから、シエルは見失わない程度の距離でゆっくりついてきて。私はタイミング見て声かけるから」
「なんで? それなら僕が行くよ。先に言い出したのは僕なんだし」
「シエルだと、子ども扱いされちゃうかも。そうでなくても、見ようによっては変質者よ。違う? ていうか、それ以外ある?」
大人っぽい結社のボスの後ろへ無断でつきまとう僕。変質者か……。
「……否定できない〜……」
それは確かに怪しさ満点だ。なんなら、軍に通報されてもおかしくない。
そうでしょ。とメアリは言って続けた。
「もし、私がバレたら、シエルは後ろで隠れて会話を聞いてて」
「わかった。けど、忘れてないよね? ここはズネアータだ。治安悪いし、もしメアリに何かあったら、すぐ前出てくからね僕」
「あら〜、心配性ねぇ」
「メアリがそれ言う……?」
そうして言葉を交わすうちに、空から冷たいものが一滴、二滴と落ちてきた。やがて、大粒の雨が石畳を叩き、ズネアータの街全体を覆い尽くす。
メアリはシエルの手をそっと振りほどき、雨に濡れるのも構わずに走り出した。
シエルは少し遅れて後を追い、周囲を警戒しながらその背中を見失わないようにする。人々は軒下にはけて行っている。これなら壁沿いに急いで追いかけても、多少は不自然ではない。
背高い影が、細い路地へと入ったときだった。メアリの先を行く黒い影がピタリと立ち止まった。振り返ったボスの赤い目が、闇に浮かんでいた。
「愚か者よ。何用だ」
その手にはすでに抜き放たれた刃があった。雨粒を受けて煌めく光が、細い路地を瞬く間に凍りつかせる。
「……なんだ、メアリ。君か」
緊張に喉を鳴らすメアリの前で、ボスはわずかに口端を緩める。
「驚いたよ。こんな日暮れ時に、かくれんぼかい?」
皮肉めいた微笑を、メアリはその目に映していた。
──待って! ボスさん!
──お疲れさま。おひとりだなんて、珍しいわね。
──……どうしても聞きたいことがあるの。
言おうと考えていた言葉が言葉は、刃を向けられた瞬間に吹き飛んでいた。
こちらに鋭利な刃物を向けるその動きには一寸の狂いもなかった。
恐怖に足がすくむ。それでも、心臓の鼓動を必死に抑えて口を開く。
「いつも、こうなの?」
「……君はいつもそう訊くな。メアリ」
「なんでかしらね。……ボスさんの動きが、あまりにこなれているからかしら」
「それは長としての仕事ぶりのことか?」
「いいえ」
視線をそらさず、メアリは断言した。
「──人をまるで信用してない。敵を常に意識してる人の動きよ。違う?」
「……ひどい言い草だなぁ」
「どっちがよ。人に刃物向けておいて。……怖かったわよ」
刃を下ろす音が、雨に紛れて耳に残った。
「あいわかった。その点は悪かったね」
「……じゃあ改めて、単刀直入に訊かせて。ボスさん。あなた、なにか隠してない?」
メアリの問いに、ボスはにやりと笑った。
「隠しごとのない人間がいるなら、ぜひに見てみたいものだが」
答えにならない答えにメアリは食い下がる。
「──例えば、〈結社〉がどこかのお偉いさんを拉致したこと、とか」
「そうか。その話か」
彼女は否定しなかった。そのことがメアリの心臓を刺した。
当然、会話を聞いているシエルも同様の衝撃を受けた。
「どうしてそんなことを……!?」
メアリの声に悲しみと怒りが混じる。
「ボス!」
叫ぶ声とともに、シエルが曲がり角から姿を現す。
「嘘、ですよね……?」
シエルの声が震えた。この瞬間ほど、嘘だと言って欲しかったことは今まで無かった。
「メアリ。シエル」
ボスはふたりの名を呼んだ。短刀を納め、淡々と告げる。
「私はこの街を、〈結社〉を愛している。……愛すれば、何かを切り捨てなければならない」
「捨てられない人間は、すべてを失うのみだ」
「──…………」
彼女は絶句するメアリに数歩近づいて、長身を僅かにかがめ密やかに耳うちする。
「父上のことは……辛かったね」
「……!」
メアリは悟った。
──初依頼の日。私の郵便受けに父の訃報を入れたのはボスだ。ボスは結社宛の手紙を受け取り、メアリの父が亡くなったことを、唯一知っている。
「君には、わかるはずだ。失う痛みも。守るため戦う意義も」
「……分かるわよ……」
メアリは小さく歯を食いしばった。
母を失った。父も失った。
弟のため、仲間のため、今守るべきもののために、戦おうと誓った。
──だけど。今のあなたの気持ちは、わからない。
振り返ることもなく進む彼女の後ろ姿を、メアリはキッと睨みつけた。
本心を見せず、言葉を煙に巻く。
彼女の裏にある真意をいつか暴かなくてはならない。
──弟の言葉を借りれば。この〈結社〉という方舟の『真実』は、私たちの歩む未来に直結しているのだろうから。
──ボス Side──
追手を追い払い、商談を済ませた黒髪の女は、独り結社に帰る。
降り出した夕立はいつの間にか鳴りをひそめていた。結社の屋上に出て、高い場所から首都ズネアータを見下ろす。
空が曇って、弱い星々は見えずとも。夜の街には人々の暮らす灯火が連なり、まるで地上の星空のように美しい。
その背後にひとつ、柔らかな気配を感じた。
「ボス」
澄んだソプラノが夜気を揺らす。振り返らずに応じる。
「レイミール。首尾は」
「はい。今、地下牢にて眠りました」
秘書は静かに報告を重ねる。
「ウォン皇子は捕らえて以降、公国のことをしきりに気にしておりましたわ。ですが、ご自身のことが新聞にさえ載っていないと伝えると、急に大人しくなりました」
「……当然と言えば当然だ。かのヴェルス大公からすれば──たかが民間ギルドに第一皇子を攫われたとなっては、権威も何もあったものではない」
「そう、ですわね……」
「ヨハンに口封じするまでもなかった」
新聞社の長・ヨハンにだけは、この事実を知らせてある。
知らせた上で、報道は控えるように言い伝えている。
レイミールはボスの言葉に、ほんのわずか視線を伏せた。
「ボス。本当に……よかったのですか?」
彼女の声は夜風にさらわれそうなほど小さい。
その問いに、ボスは初めて半身を翻した。小柄な金髪秘書の立ち姿を視界に入れる。
「王位貴族の誘拐だなんて……過激すぎるやり方。多くの人が反発するかもしれない」
「何を今更」
高く結った黒髪を揺らし、肩をすくめる。
「ガルニア帝国への密航、従隷の救出作戦。〈煌力鉱石〉の秘密裏の取引。──いずれも、世が平和なら、白日の下になど置けぬことではないか」
レイミールは目を細めて言った。
「民衆は馬鹿ではないわ。救助と誘拐は根本的に違う。隠しごとはいずれ日の目を見るわ」
「そうだ。だがね、あの王位貴族を屠る手を必要とする者が、必ず居る」
声がわずかに低くなる。
「飢えた者。不当に虐げられた者──彼らから求められる限り、我々は何度でも蘇る〈不死鳥〉だ」
「……〈恒久の不死鳥〉の名付け親は、もう亡くなっているのにね。ボス。アナタが継いでしまった。本当はそれだけじゃないの」
「口を慎め。レイミール」
冷たく切り捨てる。
結社の創設者こそボスの名となっているが、ギルドネームの名付け親は他にいる。そのことを知るのは、今や結社の幹部たちのみだ。
ボスにとっては、今更触れられたくもない傷跡のひとつだった。
「……ところで。例の〈同盟〉の件は?」
話題とともに気まずい沈黙を破ったのもまた、レイミールだった。
「ああ。〈帝国軍〉の少尉殿は困り顔をしていたが……まあ、ぼちぼち返事が来る頃合いだろう」
短いやり取りのあと、再び屋上に静けさが戻る。
公国も帝国も、今ごろ大騒ぎしているところなのだろう。
大戦に民間の〈結社〉の横槍が入ることは、どこの重鎮も予想だにしていなかったはずだ。
ボスは夜空を見上げた。夕立の雨は止み、かすかながらに夜空が見える。
今宵は満月、数年に一度のストロベリームーンだという。
赤く輝く満月──人によっては不気味に感じられ、また別の人間にとっては、美しいと感じられるだろう。
「血色に染まる夜か、陽の光を映す光か……」
低く呟き、口の端に微笑を刻む。
──物事は捉え方ひとつですべてが変わる。私はこの矛盾に満ちた世界を、ひどく愛しているのだ。