四章『蘇る不死鳥』
“第40話 真実を求めて”
分厚い雲に覆われた、薄暗い朝。
朝一番に〈鉱山地区〉を出立し、首都ズネアータへ帰還したふたりは、そのまま休む間も惜しんで結社の事務室へと駆け込んだ。午前の人波がすでに引いたあとの静けさの中、壁際に掲げられた依頼ボードに目を走らせる。
「あ、あった!」
シエルの声が跳ねた。
指先でつまみ上げた依頼用紙には〈アルバの林にて、レインボーキノコの採集〉と記されている。内容の細かいことは分からない、けど。植物の採集なら、自分たちだけで遂行できそうな仕事だと思えた。
「幸先いいわね」
メアリが小さく笑む。彼女の笑顔に、シエルの胸の奥は温かさで満たされた。
背後から、深いため息が落ちる。
「ンな急いで、どうすンだよ」
気だるげな声。ロネのものだった。
シエルは紙を握り締めたまま、慌てて言葉を返した。
「だって……ぼ、僕だって、なにか役に立ちたいんですよ……」
「……昨日のオレの話、聞いてたか?」
青年の視線は鋭く、問いただすというより試すようであった。少年は勢いよく答えを返す。
「とにかく、やる気満々なんです! だから、結社の依頼行ってきます! 今日も!」
「ンじゃ、暇だし、オレも行ってやろうか」
「いいです!! ……メアリと行くんで!」
シエルはぶんぶんと首を振り、拒絶の色をはっきりと見せる。
そして、ぴゅーん、と音が聞こえそうな速さで事務室を飛び出していった。
「なんだアイツ?」
残されたロネが、怪訝な顔をして吐き捨てる。
青年の横顔を、金髪の秘書がじっと覗き込んだ。
「なにか嫌われるようなこと、した?」
軽い口調に、ロネはむすっと黙り込む。レイミールの蒼い瞳が悪戯めいた光を帯びているのを知りながら、睨み返すことしかできなかった。
──指示を出して嫌われるのも、上司の役目。
その言葉をいつか吹き込んだのは、ほかでもない彼女だ。冗談交じりに語られたその教えは、頭では理解している。だが、実際に目の前の少年少女にどう接していけばいいのか、未だに掴みきれない。
己もいつか、まともな上司と呼べる存在になれるのだろうか。
ロネが見上げた空は曇天で、今にも泣き出しそうだった。
────……
──────……
先輩の苦悩などつゆ知らず、結社の若者たちはアルバ行きの馬車に乗る。
首都から半刻とかからぬ南町。ジルド港から来る人々には大変な手間だろうが、結社のシエルたちなら、軽い用事の合間にでも寄れる距離だ。
「こんにちは!」
ふたりは、農家のソフィーに元気に挨拶をした。
「あら、ふたりとも! こんにちは。どうしたの今日は?」
黒髪のご婦人・ソフィーは変わらぬ笑顔で迎え入れてくれる。
「たまたま別件の依頼に来たので、寄ってみました」
「近くの採集依頼なの! だから、このあとまた町の林まで行く予定」
「あらそう! 会いに来てくれて、ありがとう! 嬉しいわぁ。でもうちの人、ちょうど昨日から港まで行ってしまったの……入れ違いだったわねぇ」
「そうなんですね」
ゲラルトの方はいないらしい。少し肩透かしを食らったが、それでもシエルは胸を張った。
「シエルくんは、ちょっと見ないうちに大きくなったねぇ! また背が伸びたんじゃない?」
「そ、そうです……?」
不意打ちの言葉に、シエルは照れくさそうに頬を掻く。
「言われてみれば、高くなってるわね。前は、私とそんなに変わらなかったのに」
今度みんなと背くらべしてみましょうね、とメアリが広がりかけた会話をまとめる。
ソフィーは、類を見ない褒め上手の婦人だった。放っておけば延々と周囲を持ち上げ、時間が過ぎてしまう──それ自体はすごいことなのだが。
シエルは胸を軽く叩くようにして、思い切って本題に踏み込んだ。
「あ、あの。ソフィーさんは、〈結社〉によく依頼をくださってるんですよね。結社のボスの噂とかって、こっちでもよく話題になりますか?」
「うーん、……ボスさんにはいつもお世話になってるわぁ。そりゃあもう、いつでも噂よ。強くてかっこいい女性よねえ、おばちゃん憧れちゃうわ」
「あ……っ」
──だめだ。これはまた無限に褒め言葉が広がってしまう!
謎の危機感を覚えたシエルの隣で、メアリが助け舟を出した。
「ソフィーさん。よかったら、結社の活動についてとか……聞いたりしないかしら?」
「そういうのだったら……。やっぱり、パメラちゃんたちのほうが詳しいと思うわ」
「ありがとうございます! パメラさんにも、挨拶行ってきます!」
「もう行っちゃうの? ──そうだわ、少し待って」
朗らかな婦人は自身の手を合わせると、畑脇のログハウスに戻って、箱型の包みを持って出てきた。
ふたりに対して、そっと差し出す。
「これ、どうぞ。うちで焼いたパンプキンパイよ。よかったら持って帰って? カレサちゃんや、結社の皆さんにもわけてあげてね」
温かな差し入れを受け取り『ありがとう』と礼を告げると、ふたりは本懐の目的地へと足を向けた。
──新聞社〈アルバクロノス〉──共和国の情報発信を担う地方拠点の一つであり、その重厚な扉を前にして、シエルの心臓は自然と高鳴る。以前はパメラ記者とだけ話したので、ここに来るのは初めてだ。
受付でパメラに話がある旨を説明すると、無事に室内に通されて話をすることになった。
ウェーブの暗髪を靡かせて、褐色肌の愛らしい記者が出迎えた。
「お久しぶりです、おふたりさん!」
「パメラさん、お久しぶりです。あの……失礼ですが、そちらの方は?」
「ヨハン・グラディじゃ。もう長年、新聞社の長をやっておる」
白髪混じりの壮年の男性が名乗りを上げる。
「は、はじめまして……」
その威圧感に、シエルの声はかすかに震えていた。新聞社の彼は接しづらい雰囲気をまとっている。
通された四人席の椅子に腰掛ける。
自己紹介と挨拶ののち、少年少女は話をした。ソフィーに聞いたのと同じように、“結社のボス”について何か目立った噂はないか、と。遠征の件や、公国について情報がないか、と。
ヨハンが眉を顰めているのと対照的に、パメラは終始真剣な表情で聞き入っていた。
聞き終えると、パメラ記者は、首を傾げるようにして問いかけた。
「おふたりは、なぜそんなことをお気にされているのです?」
「それは……だ、だって。僕、思ってしまったんです。僕は結社のボスのことを殆ど知らない。立場の話じゃありません。例えば、ご本人の人柄とか、活動で大切にしているものとか──」
言葉を探し、握った拳に力を込める。
「──〈従隷〉の件も、そうです。詳しい説明は、僕らに何ひとつしてくれませんでしたから。つい、気になってしまって」
「なんじゃ、馬鹿馬鹿しいな。そんなことか?」
ヨハンは気を害したように言葉を吐き捨てるも、隣の手に制される。
「待ってください、ヨハンさん……従隷……遠征……」
パメラは小さくつぶやいたあと、ふたりをまっすぐ見た。
「おふたりは、シエルさん、メアリさんですよね?」
「は、はいそうです」
「実は、初夏の頃の〈結社〉の演説、わたくしどもも拝聴しておりました。ボスさんの堂々たる遠征の宣言、素敵でしたよね」
記者は息を整え、しかし次の言葉をためらわなかった。
「結社では、今年〈逃亡者〉を迎え入れたとおっしゃっていましたね。そのときわたしは『なんだか誘拐じみているな』、とも感じてしまいました」
「…………」
シエルの思考が止まる。
──誘拐された? 僕たちが?
その発想は無かった。……けれど、確かに見方によってはそう映る。僕らが意思表示しなければ、逃亡者としての罪を問われるのはボスのほうなのかもしれない。
混乱に息を呑むふたりに、パメラは問いを投げかけた。
「ユート、という少年をご存じですか?」
「公国で、助けた子の名前です……」
彼女は机上の拳をグッと握った。
「そうでしょう──しかし! ある視点では、ユート少年らも『誘拐』されたのです!」
パメラの声に空気が張りつめる。
隣のヨハンが参ったように目頭を揉んで首を振った。だが若い記者は、さらに熱く言論を畳み掛ける。
「逃亡者と彼には、共通点があります。それぞれ外国から来られたことです。──“結社のボス”の、手によってです。ウォン皇子は、無慈悲にも『誘拐』された。公国の地方記事では、そう報じられている。わたしたちも今、裏取りを進めています」
「──で、でも! ユートくんは明らかに助けが必要な子でしたよ!? 現地で見ました。……酷い仕打ちでした。あの救助活動には、意味があったと思います!」
シエルは必死に声を上げる。
「だとしたら、皇子の誘拐にはその“意味”がない。少なくとも、人を助けるためではないですね」
パメラは記者としての目で、冷静に切り込んだ。
その真剣な眼差しに、シエルもメアリも言葉を失う。
「あの人が、意味のない人攫いなどするのでしょうか? 私はそうは思えないのです……。思いたくはないのです。だから、そこに確証を得られるまでは、スクープ記事を書けません。報道記者として、それが最後の誇りですから」
◆
──もう構わないな、こっちも仕事があるんで、出てけ。
無口な長たるヨハンの最後の言葉は、それだった。あまりにも対極的な新聞社内の対応に呆気に取られながら、ふたりは施設を後にした。
〈南町〉の林で事務的に採集を終え、それらの物資と報告書類を結社に提出する頃には、もう日が暮れかけていた。
夕方の結社のロビーは、外の微かな雨音を吸い込んだようにしっとりと静かだった。
ガラス窓の向こうでは街の明かりがひとつ、またひとつと灯り始めている。しかし外には目もくれず、眼鏡の少年はカウンターに両肘をつき、覗き込むような目つきでテーブルの木目を見つめていた。
そんなシエルを気遣うように、メアリがぽつりと呟く。
「結局あんまり収穫なしだね〜……」
「そう、だね……」
落ちたその声は、木の天板に吸い込まれていくように小さかった。
メアリも少年の隣の席に腰掛けて、窓の外を眺めている。今日は午後から小雨が降っていたからか、結社自体の出入りが少ない。皆、早めに帰ったのだろう。
「……メアリ。覚えてる? 結社に入ってすぐ、僕らが鉱山地区に行ったときのこと」
「もちろんよ。あのときは公国の兵士にもかち会っちゃって、大変だったからね」
彼女が苦笑を落とす。
シエルは、溢れでる単語同士を結び合わせるように、とつとつと言葉を繋げていく。
「ボスがさ、言ってたよね。『ヴェルス大公の首を狙ってる』、ってさ。僕、あれは、テスフェニア公国の大公が〈世界大戦〉を始めた主犯だから、あんなことを言ったんだと思ってたんだ」
言いながら少年は胸の奥がひどくざわつくのを感じた。
「……それが、違うのかもしれない。もしかしたら。ボスは、大戦を終わらせたいんじゃなくて──」
……なんていうか。
と、言葉を濁す弟に、黙って話を聞いていた姉が口を開いた。
「この戦いを、収めるんじゃなく、掻き乱したいんだってわけ?」
「そう、──大戦のことを理由に、〈柿色の商会〉みたいな大きなギルドなんかと協力して、何か企んでるとしたら?」
自分の口から出た言葉に、自分自身が怯む。言ったら後戻りできない予感にシエルの肩が震える。
「そのかき集めた戦力を、悪用するつもりなら?」
その言葉を耳にしたメアリの息が、一瞬止まった。恐る恐る問い返す。
「……シエル。今、もしかして……戦争経済の話してる?」
「え、……僕、経済自体あんまり詳しくないんだけど」
「私もよ。庶民的にはみんなそうでしょ……──とにかく。パメラさんが仰ってたことは、きっと正しい。だとしても。仮にビジネス的な観点で見れば、筋は通るわ」
窓の外で風が吹き、看板がカタカタと揺れる。今、ふたりの胸の奥にも、同じような不安の音が響いている。
「ボス……表では『戦争を終わらせる』と言いながら、実は戦争自体のために人を集めてる、ってこと……?」
シエルの肺がきしむように痛んだ。
もしこれが本当なら──自分たちはただ利用されるために〈結社〉に招かれたことになる。
……これ以上、考えたくない。脳が理解を拒む。でも……、逃げちゃだめだ。このことから逃げたら、僕が僕でなくなってしまうような気がする。
シエルはうつむいた。
「先輩も、もしかしたら、集められた人なのかな……?」
「ロネさん本人は、すごくボスさんのこと信じてるようだったけど」
「だよね。“疑ったら殺す!”……くらいの勢いだったよ」
その真似た台詞に、メアリが笑みを零して肩をすくめると、横からひょっこりと少女が顔を出した。
「ロネのこと?」
ふたりは驚いて結社のロビーを振り返る。そこに立っていたのは──
「カレサ先輩!? いつからそこに!?」
「そんな驚くことないっしょー? レイさんの書類のお手伝いしてたの! で、なんの話ー?」
「い、いや……」
慌てて否定しながらも、シエルの心臓は脈打った。
聞かれてたらどうしよう──この疑念を、他の仲間に知られてしまったら……。
少年の内心の焦りをよそに、姉は笑顔を浮かべた。
「ロネさんて結社のボスのこと大好きだよねーっ、ていう話をふたりでしてたのよ」
メアリが即座に嘘を織り込み、さらりとかわす。
シエルは苦し紛れに口角を引きつらせた。
……こういう場面では、やっぱり姉には敵いそうにない。
カレサは合点したように頷き、まるで答え合わせをするように言った。
「あー! あいつねー、ボスのことほんとに大好きだと思う!」
「大好き……なの?」
メアリが首をかしげると、カレサは身を乗り出して声を弾ませた。
「だってロネのやつ、昔、ボス直々に連れられて〈孤児院〉に来たんだよ?」
「そうなんですか」
少女は、まるで昨日のことのように話してくれた。
「アタシはパパもママもジルド港の事故で亡くしちゃったから、教会のシスターと一緒にズネアータまで来たんだけどさ……ロネはカンペキに、ひとりだった。しかも、最初は『公国に戻る』って叫んで暴れてたんだから!」
「公国に……!?」
少年は驚愕した。
ロネの口ぶりからして、彼は公国のことが嫌いなようだった。それなのに〈孤児院〉にやってきておいて〈公国に帰りたい〉とは……。どういう心変わりなのか。
「そうそう! それがちょうど同じつきだったから、アタシとロネは〈孤児院〉の同期なんだぜ! すごいでしょー!」
「あ……『同期』ってそっちの?」
てっきり〈結社〉の同期かとばかり思っていたが、〈孤児院〉の同期と言われればしっくりくる。少女はロネと共に結社に数年勤めるには、まだ幼すぎる。
少女は頭の大きな帽子と一緒に首肯した。
「ロネってば、アタシより年上のクセにボスに迷惑ばっかりかけて! 今は、思うところあるんじゃない?」
「……多分、恩人なのね」
メアリが静かに結論づける。
その言葉を、シエルは反芻するように小さく繰り返した。
──恩人。
「ええ。シエルにとってそうであるようにね。ロネさんにとって、ボスさんはきっと大事な人なんだわ」
メアリは弟へと目を向け、確信めいた声で言う。
「アタシにとってもそうだな! 親みたいな感じ?」
カレサが満面の笑みを浮かべた。
「そっか……。そこはみんな同じなんですね」
シエルはその笑顔に安堵したように呟いた。
他の人にとってどうあれ、結社のボスは、シエルを息苦しい帝国の地から連れ出してくれた恩人だった。そこだけは全く疑う余地もない。想えば、心は少しだけ軽くなった。