四章『蘇る不死鳥』
“第38話 湖畔の町・ザイア”
高い山が見下ろす、石造りの集落。
吹き抜ける秋風は涼やか。鳥たちが湖畔をなめらかに低空飛行してゆく。
大きな湖の水面が波たって、降り注ぐ陽の光をきらきらと反射した。
「綺麗……」
馬車の窓から遠景を見たメアリが静かにつぶやく。
湖畔の町・ザイア。今回の依頼場所だ。
ちょうど昼過ぎ。町の馬小屋脇に馬車をとめた一行は、地面に降り立った。
灰色髪の青年が、ぐうっ、と伸びをする。
「フー、長かッたな」
「四刻はかかるわね」
レイミールは馭者に礼を言い、部下の青年に同意の声を返した。その隣で、シエルとメアリは町の景色に見とれていた。
「シエル、見て、あそこ。おっきな水鳥がいるわ!」
メアリの指差す先には、ピンク色の鳥がいる。身長はシエルの半分くらいはありそうだ……確かに大きい。
「ほんとだ」
「かわいいわね!」
うん、と少年は頷く。
大きな湖の方面は木々と水面が印象的で、ココが前線に近いとはほとんど感じさせない。
「オイ、町のほう行ってンぞー」
突然ロネの低い声が聞こえて、メアリが驚いたように彼の方を見た。
「ちょっと、待ってよ!」
「声掛けただろォ?」
「んもう! 一緒に行こうとか言えないの!?」
「知るかよ!」
半ば喧嘩みたいになりながら、ふたりは小走りで町へ向かって歩いてゆく。
「はは……」
珍しく、なんだかメアリのほうが妹みたいだ。
姉の新しい一面を発見し、ふっと笑みが溢れる。シエルは一旦後ろを振り返った。
「レイさん! 僕、先行ってて大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫。軽く準備してから、すぐに向かうわ」
馬車の積荷からトランクを取り出していた金髪の秘書は、少年に手を振った。
仲間に置いていかれないよう、少年は地面の土を強めに蹴って、走ってゆく。町の出入り口と思しき石畳が、小気味よい靴音を鳴らしはじめる。
建物の奥にふたりの姿を視認し、軽く手を挙げた。
「ふたりとも、待……っ……!」
言いかけて、少年は目を剥いた。
「……これは……」
街角の衣料店。
一見なんでもないはずのその場所だが、頑丈そうな石の屋根の一角が焼け焦げて崩れてしまっている。普通の町では、あり得ない光景だ。
その店の主らしきエプロン姿の老婆を見つけて、恐る恐る声をかける。
「な、なにがあったんです?」
「あれま。……その制服、結社の人? なにもかんも。あったもんじゃあないさね」
少し腰を曲げていて、軽く杖を付く初老の女性だ。ひとつの団子にまとめられた白髪と、年輪の刻まれた表情。だけども視線はぶれずに、はっきりとした印象の人だ。
「これ……兵士の仕業ですか?」
シエルの問いに、建物奥に居たロネが先に答えた。
「聞いたろ。ザイアは前線に近けェ。大方、砲撃と大型の魔煌が飛んできて、ブッ壊されたンだろ」
「公国のやつらはいつもこうだ。人だろうが町だろうが関係なしなのさ、腹立たしい……。ほら、あっちでもやってるだろう?」
老婆の声に見れば、焼け焦げた家々が、路地の奥で立ち尽くしていた。
壁が焼けた商店、窓ガラスの割れた教会、広場の奥のさらに奥、湖沿いに積まれた瓦礫の溜まり場。見上げるほどに大きくて、瓦礫がまるでひとつのモニュメントみたいになってしまっている。
そこの片隅で遊ぶ子どもたちの後ろ姿。そして、補修作業のため工具を握る大人たちの姿。
町は戦火の中にあった──それが、重たい空気から伝わってくるようだった。
「公国と帝国の戦いに、なんでうちらが巻き込まれきゃならんのかね。どれもこれも、共和軍のせいさねぇ」
「……そうね。立場も表明しないまま、帝国に資源だけ渡してるんだものね」
メアリの落胆の声が落ちる。
ガルニア帝国とザルツェネガ共和国は、昔から海を超えて貿易をしていた。ガルニア側が、細かな諸島を抱える島国で、資源に恵まれないせいである。異なる種類の魚や作物から、剣や爆薬などの加工品まで、今も多くを取引している。
両国は切っても切れない関係にあり、そのせいで、共和国の町も被害を受けているのだ。
姉の隣で、シエルは呟いた。
「〈マルス村〉みたいだ……」
帝国でも、同じようなことが起きていた。
シエルの故郷の村、マルスもまた、戦火に晒された。国境の海沿いに位置する集落であったからだ。
向こうでも、瓦礫の山はそのままにされることが多かった。廃材と破片がそこらに散らばっているから、子どもらはよく怪我をしては、親にひどく心配されていた。──シエル少年の場合は、両親が完璧主義の官僚だったため、まあ、こっぴどく怒られたのだが……。
「ふるさとのお話?」
後ろから声が聞こえた。レイミールだった。
「あ、はい……。初めて軍隊が来たあとは、まさにこんなでしたね……」
「……もし、依頼が古傷を抉るような形なら、ごめんなさいね。辛かったら、すぐ言ってね」
「大丈夫、です。ありがとうございます」
シエルは口許を引き結んだ。
──僕は、弱い僕を乗り超えなきゃ。そうでなきゃ、僕のなりたい“強さ”は遠いままだ。
「すまん、レイさんか!? 早速だが、コッチの手当てしてくれ!」
遠くからの声に振り返ると、家屋の玄関から手を振る姿があった。立て看板には〈診療所〉と書いてあった。
「了解よ!」
レイミールが手を振り返す。ロネは手を上げて彼女へ言った。
「オレ、急いで修理の方行ってくる」
「私も行くわ!」
「そういや、メアリは建物修理とかは初めてだろ?」
青年が改めて訊くと、朱髪少女は自信ありげに両手をぐっと握った。
「実家ぐるみで何度か教わった経験があるの。看板とか、石レンガの食事処の補修をして……。お世辞かもだけど、職人並みだって褒められてたんだから!」
ロネは何度か瞬きした。
よほど意外だったのだろう。しかしすぐに、口角の片側だけ持ち上げて、どこかキザな笑みを浮かべた。
「……そうかよ。泣き言言わずについて来いよ」
「ええ!」
町の補修に向かったふたりを見送って、シエルとレイミールは診療所のほうへ向かう。
まばらに落ちる小さな瓦礫の隙間を縫うように、古びた診療所の前へとたどり着いた。
「ノイドさん、状況は?」
レイミールが玄関の扉を開けながら声をかけると、スーツの上に汚れた白衣を羽織った中年の男性が振り返った。短い黒髪に茶色い瞳。額にはじっとりと汗をかいていて、目の下には疲労の色が濃く刻まれていた。
「いや……一昨日夜の襲撃でひどいありさまだ。人手も薬も、ちっとも足りやしない。……おや、そちらの方は?」
男の視線がシエルに移る。
「今年からのコなの。シエルくん、この方はこの町の町長さんよ」
途中からは、横に立つシエルに向けた言葉であった。
少年は男性の顔を見てから、ちょっと考えて、頭を下げた。
「こんにちは。〈結社〉の、シエルです。よろしくお願いします」
「やっ、シエルくんだね。僕はノイド・ゼスラード。気軽にノイド町長って呼んでくれよ」
町長はにこやかながらも、どこか焦りの滲む笑みを貼り付けていた。
「えぇ……の、ノイド町長さん……?」
シエルは少し戸惑いつつ、復唱する。
「今日はよろしく!」
町長は大きく、頷いた。
小さな挨拶が交わされたあと、レイミールがトランクケースを手前に持ち直し、シエルに視線を向ける。
「シエルくん。物資を渡すから、作業に当たって欲しいわ。応急措置可能だって話だったわね」
「あ……実は僕も帝国で手当てをした経験なら……」
「よかった。じゃあ、ここではわたくしの真似をしてちょうだいね」
「はい!」
──…………
鉄のような匂いが漂う、狭い診療所の一角。
臨時に設えられた治療台の上に、ひとりの中年男性が座っている。男の腕には、赤黒く腫れ上がった化膿の跡。血を洗い流し、包帯だけ巻かれて放置された傷は、広範囲にじわりと膿を滲ませていた。
「ちょっとしみると思うのだけど……がんばってちょうだいね」
レイミールはそう声をかけると、瓶から消毒薬をコットンに沁みこませ、慎重に男の腕へと押し当てた。
「いでっ……」
ピリ、と空気を裂くような鋭い声が漏れる。
シエルもまた、手首に近いほうを同じように素早く手当する。ピンセットを持つ手が震えそうになるが、眉根を寄せて懸命に処理を進める。
レイミールが、患部の腕をふき取りながら、目を伏せる。
「……ごめんなさいね。本当なら、もっと早く公国の動きに気がつけたら、ここまでの事態を防げたかもしれないのに」
「気にすんな……こっちだって色々、手が足りなかったんだよ」
無理に笑おうとする男に、小さく微笑み返すと、彼女は新しい包帯を手に取った。
シエルも包帯を手にして、端をそっと押さえながら、患部を包み込むように巻いていく。強すぎても、緩すぎてもいけない。レイミールの小声の指示を聞き、よく観察しながら手を動かす。──幸い、国境を越えても、薬品や包帯の取り扱いというのは大差ないらしく、問題なく作業を進めることができた。
やがて、ぐるりと巻き終えた包帯を留めると、レイミールはそっと手を引いた。
「これで、少しは落ち着くと思うから。薬はここの方にありったけ渡しておくわ。明日までは、水に濡らさないでね」
「助かる」
男性はレイミールに頭を下げると、続けて少年に顔を向けた。
シエルも上司よりはやや遅れてだが、手首付近の処置を完了していた。
「坊やも、ありがとう。助かったよ」
「いえ。……僕は、なにも」
──僕は、なにもしていない。ただ、言われたとおりに依頼作業をこなしているだけだ。
そんな少年の内なる声をかき消すように、若い男性は少し笑った。
「そんなことないさ。ずいぶん、楽になった。いい仕事ぶりじゃないか」
シエルの瞳に光が宿った。
「あ……、ありがとう、ございます」
誰かの役に立てると、嬉しい。
単純なことだが、そう思えることが、少年にはとても貴重なことに感じられた。