夕刻の手紙


四章『蘇る不死鳥』


 
  

 冷たい風が吹いている。
 だが、降り注ぐ日差しは暖かく、首都〈ズネアータ〉の道ゆく人々の服装は、上着から半袖まで各々多様となっていた。
 結社の玄関前で、長袖のジャケットを着た小柄な女性が、ふたりを待っていた。
 
「アラ……ふたりとも、今朝は早いわね!」
「れ、レイさん。おはようございます」
「おはよう、シエルちゃん♡」
 
 肩口で切り揃えられた金の髪、透き通るような白い肌と碧眼。それに、着くずしのひとつもない制服姿は模範的な女上司の姿を思わせる。
 ボスの秘書官であり、結社幹部のひとり──レイミールだ。
 そんな彼女の口から発せられた可愛らしい呼び声に、シエルは首を縮めながら困り顔で言った。
 
「……あの、せめて、“シエルくん”でお願いします」
「おはようございます。ごめんなさいね……、シエルは遅めの思春期なの」
「いや違うよ!」
 姉のからかいの言葉に弾かれたようにツッコミを入れる少年を見て、レイミールは微笑んだ。
 
「メアリちゃんも、おはよう」
 彼女はメアリにも笑みを向けてから、ふいに目を逸らして、少し声を張った。
 
「ロネも。随分と早かったわね?」
「えっ……」
 少年は思わず後ろを振り返る。
 結社の玄関は、大通りの露店通りを丁度抜けた先である。さほど多くはない人通りの中に、灰色髪の人物を探すが、どこにもない。
 
「ロネ先輩なんてどこに……」
 シエルが言いかけた、直後。
 結社脇の路地からぬっと出てきた人影が、大股でこちらに向かって歩いてくる。
 深い緑の制服姿。短髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜながら、舌を打つその人物。
 
「…………チッ」
「先輩!」「ロネさん!」
 姉弟は同時に叫んでいた。
 
「ンだよ。気付いてたンなら早く言え」
 青年の言葉に意味ありげに肩をすくめるレイミールの手前で、メアリが目を丸くして問うた。
 
「いつから見てたの?」
「……さっき」
 ロネは微妙に顔を逸らして答えたが、秘書官は歌うような口調でちょっぴり彼を咎める。
「ウソは感心しないわ。ロネ、アナタずーっとこの子たちに付いて来てたでしょう」
「へっ!? ずっと?」
 
「…………」
 青年は黙った。
 と言うより、発火前の爆弾みたいに、息を吸った。そして大きな声で言い放った。
「しゃあーねェだろ!? シエルもメアリも、どっちも危なッかしいンだよ! 自覚あンのか!?」
 
 シエルは首を傾げた。
「あ、あんまり……」
「……例の一件もありましたものね。それで今日も見てたってコト……」
 レイミールは少年少女が結社に入った初日のことを思い出していた。
 確かにシエルとメアリは、前に街中でゴロツキに絡まれた経緯がある。ロネの休暇と同時に、ふたりだけで自宅から結社に通うようになって少し。ズネアータの治安はよくはないので、今後二度とあのような騒動が無いとも言い切れない。
 
 ──そうだぜ! と手で空を握りながら、ロネは怒鳴る。
「よく覚えとけ! 街中でも要・警戒しろ! そンでオレに余計な手間、掛けさせンな」
 青年は四白眼の目をカッ開いて、後輩ふたりを叱りつけた。
 しかし、返ってきたセリフは、反省の類ではなかった。
 
「そうね、ありがとうロネさん! 元気そうでよかったわ」
「本当に……心配してたんですよ……!」
「……ア?」
 それぞれから感謝の感情を向けられ、面食らう。よもや、自分が心配される立場とは、全く思って居なかったらしい。
 ロネの後輩であるシエルは、黒ふち眼鏡の奥で、大きな瞳をうるうるさせていた。
 
「ていうか、先輩! 僕……嬉しいです。ついに、認めてくれたんですねっ……!」
「ハァ……? 何言ってンだテメェ」
「だって今! 『シエル』って呼んでくれましたよね!」
 シエルは心底嬉しそうに言う。
 以前まで頑なに『クソガキ』と呼ばれ続けた少年にとって、ある意味ではひとつの悲願なのである。
 相反して、青年は呆れたような態度で眉間にシワを寄せた。
 
「テキトーだ、そんなモン」
「それは正当・ ・という意味?」
「レイさん、今は黙ッてくれ」
「うふふ、そうね。よかったわね、シエルくん」
 
 レイミールがにっこり笑顔で少年を祝福する。
 彼女は知っていた。ロネは仲間側と認めた人間に対して、人一倍律儀な男であることを。シエルは──そしておそらくはメアリも、この半年の働きで〈結社〉の一員として、皆に認められつつあるのだ。
 
「はい!! 先輩、テキトーでいいので、それで呼んでください! もう僕も、ガキじゃないので!」
「……やっぱクソガキだなァ」
「なんで!?」
 
 仲間たちの漫才のようなやり取りを聞きながら、結社の秘書は踵を返し、ハイヒールの音を鳴らした。
 
「ハァイ、積もる話はおいおいね。出発するわよみんな! 続きは馬車の中でするわ」
 
 
     ◆
 
 
 小窓の外を流れる景色は茜色だった。
 木々に色付く鮮やかな赤と黄の葉が覗く。すでに紅葉が始まっているようだ。
 ガタン、と馬車の車輪が小石を踏む。四人がけ──木箱のような座席の上で、シエルは小さく身体を揺らした。
 澄んだソプラノの声が、馬車内に落ちる。
 
「まずは本題から。今回の〈復旧依頼〉についてね」
 向かいの席でレイミールが手帳を取り出した。垂れた金の髪の隙間から、若者の目を見る。
 
「行き先の〈ザイア〉は湖畔の町。湖に面していて、昔は魚市場で栄えていたのよ。だけど……前線に近いせいで、今は町の半分近くが瓦礫の山と言っても過言ではないわね」
「は、半分ですか!?」
「もう、そんなになってンのか」
 話を聞く男性陣が一斉に反応する。メアリは真剣な表情で何度か頷きを返すにとどめた。
 レイミールも、ゆっくりと頷き返す。
 
「もちろん対策は講じているわ。そのために〈結社〉があるようなモノよ」
 
 彼女自身の緊張感によるものか、落ち着き払った口調の端々に少しのトゲが感じられる。
 レイミールはさっと二本の指を立てた。
 
「今日、わたくしどものお役目は、大きく分けてふたつ。ひとつは、壊れた家屋の応急復旧と、瓦礫の撤去。もうひとつは、負傷者の治療と、物資の配布ね」
 
 うーんと唸った朱髪少女は、顎に手を当てつつ問いを投げた。
「……力仕事と、支援の作業ってこと?」
「おっしゃる通りよ」
 レイミールやメアリの問答に対し、ロネは役割分担を述べる。
 
「オレはその力仕事のほう回るから……アー、テメーらはそこの上司に従え」
「いつもありがとうね、ロネ。わたくしは支援を担当するのだけれど……ふたりは、希望とかある? どちらも基本的な補助作業ではあるけれど」
「私、力仕事なら得意よ!」
「僕は……雪かきとか苦手でしたが……怪我の応急処置とかなら、一応わかります!」
 ふたりの返事を聞いて、レイミールは微笑んだ。
 
「じゃあ、それをお願いしようかしら。詳しいやり方は、現地で実際に伝えるわ。急に一人ってことにはしないから、安心してね」
 
 ふと隣を見ると、山々の中から細長い煙が上がっているのが見えた。鍛冶場の煙突からの煙だ。山の頂に近い場所からは、滝が流れている。
 
「アラ、──もう〈鉱山地区ロジュガ〉が見えるわ。早いわね」
「ほぼ通り道沿いにあるかンな」
「前、あちらの方にお世話になったってボスが言ってたわね。ひと言だけ挨拶していく? みんな」
「……イヤ、今回は現地に急ぐべきだ。アイツらも多分忙しいだろ」
「そう、ですね……」
 
 シエルは呟いたまま、小さく口を開けて、遠景を眺めていた。
 今も、あの煙の下で誰かが仕事をこなしている。武器屋の人も、採掘現場の人たちも、一生懸命働いているのだ。
 
 ──みんな、頑張ってるんだなあ。
 
 素直な感想だったが、同時にどことなく自分が置いて行かれているんじゃないか、という気分に陥りかけて、少年は小さく首を振った。
 秘書の目を見て少年は告げる。
 
「僕たちが助けられる人がいるなら、早く行きたい、です」
「その通りだわね。……本当にしっかりしてきたわね、みんな」
 
 照れたように謙遜する少年の顔を、彼女は見た。
 戦火の中にも芽が育つ。新しい人間と、仲間たちの絆。
 得難いものを見ているようで、金髪の秘書官は穏やかに微笑んだ。
 

 




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