夕刻の手紙


四章『不死鳥たるゆえん』


 
  

【地方領主殺害──ヴェルス大公、ついに乱心か】
 
 “神暦三九八七年・秋のつき一日、ヴェルス大公はテスフェニア公国(以下、公国)全域において国家厳戒体制を発令。さらには、来春から食品類に約五割もの税をかけるとの詔が同時に発布されました。
 今後は国政中枢の都〈ルオシュアン〉の警備強化だけでなく、公国の全ての都市に領事軍を派遣する姿勢を明らかにしたとのことです。
 
 同月三日には、税の引き上げに対し反発運動を起こしたカリー伯爵が火あぶりにされ、死亡。大公は公国最大の危機が差し迫っているとして、「この勅命に背くものは何人たりとも殺す」と発言。
 大公のお触れは瞬く間に公国中に知れ渡り、地方では現在保守派と革命派が対立中。多くの民は急ぎ足で物資を買いに走ったとされ、現地では品薄の状態が続いています。ザルツェネガ共和国の経済にも多大な影響がある、と見られており、共和国政府は首都圏の皆様へ厳重なる警戒をと……”
 
 
 
「……ふーん」
 
 結社の事務室の片隅。
 南町アルバに拠点を置く新聞社・アルバクロノスの記事を流し読みしながら、独り少年は考えていた。
 自身が身を置く、この集団ギルドの長のことを。
 
『──〈結社〉は、この大戦を終わらせるためのギルドだ!──』
 
 “結社のボス”……通称にてそう呼ばれる、黒髪赤目の彼女が放った言葉。
 結社・〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉のボスの声色は、自信に満ち溢れていた。何者にも揺るがされないと言わんばかりの、強い光を帯びた瞳。あの目を見ると、なんだか、その言葉を鵜呑みにしてしまいたくなる……そんな力を秘めた人である。
 
 だが、現実はいつだって残酷だ。今、手に持つ褪せた色の情報誌にも詰め込まれている、みにくい争いの世界。日々過激さを増してゆく世相を見て、一体、誰が希望を抱けようか。
 
 ──この〈大戦〉を終わらせる日など、本当に、来るのであろうか……。
 
 
 
「シーエール!」
 ぽんぽん、と天然パーマの頭に触れられる。椅子の背後からの愛嬌溢れる声に、ふっと、意識がこの場に戻ってきた。
 茶髪の少年・シエルが顔を上げると、見慣れた姉の美しい顔があった。
 
「メアリ……」
 彼女は僕の座る椅子に手をかけ、こちらを覗き込んだ。
 大きなアンバーの瞳と、眼鏡のレンズ越しに、目が合った。
 
「どうしたの? 暗い顔しちゃって」
 らしくないよ。と微笑む。長い耳がピョコッと揺れ、朱いセミロングの髪が流れてシエルの頬をくすぐった。
 以前の〈公国遠征〉から帰ってきて、はや数週間が経つ。ハーフエルフであるメアリは、その遠征に行ったとき、異国の兵士から酷い言葉をたくさん浴びていた。そう、ただ朱毛で耳が長いという、それだけの理由で。
 
 シエルは、ちいさくかぶりを振った。
 〈世界大戦〉のことなんて、いちいち考えていたってしょうがない。他ならぬメアリが、こうして明るく居ようと努力しているのだ。僕が落ち込んでいてはいけないだろう。
 彼女の声を聞いて、少年はようやく気持ちを切り替えようとする。
 メアリはシエルの手元に、チラッと視線を落とした。アルバクロノスのニュース記事。
 
「あぁ、それねぇ……」
「うーん……。イヤなニュースばっかだよね! 最近!」
 言いながら、シエルは思わず苦笑する。
 僕はあまり人付き合いが得意な人間ではない。なので、こんな緩い軽口を叩けるのは、メアリ相手だからだ。“ほんとよね〜”とか、そういう同意の声が返ってくるのではないか──と、シエルは想像したのだが、姉の回答はかなり違っていた。
「おかしいと思わない?」
「……え?」
 何が? と言いかけた少年のとぼけた顔をよそに、メアリは事務室の壁を見遣りながら、か細い指を唇の端に当てた。
 
「だって。私たち、あれだけ〈水の都ルオシュアン〉で戦ったのに、〈結社〉の名前を記事で見てない気がするんだけど」
「……ほ、本当だ。確かに、一度も見てない! 今日まで一度も!」
「普通なら書くと思うわ。トップニュースに」
「何か、『書けない事情』があるのかな? パメラさんみたいな記者が書くならより一層、結社の活躍を見逃すはずがない……」 
 
 沈黙が落ちる。
 チクタクと音を奏でる煌力時計レラオクロックの音だけが、事務室に響く。今日は依頼をやろうと思ったら、秘書のレイさんから事務室待機と言われ、絶賛待ちぼうけ中。
 メアリが真顔でこぼした。
 
「──暇ね。すごく暇だわ。だからこんなこと考えちゃうのよ」
「あー、うん、いや、そうなんだけど」
「……私って最悪だわ……忘れて、今の全部」
「暗! 急にどうしたの!?」
 ……急じゃないのか? 実はものすごく落ち込んでいるのでは? と慌てて立ち上がったシエルの視界の中で、灰色の扉が開いた。
 上背の高い人影。ロングブーツから鳴る、ヒールの靴音。
 素晴らしい着こなしのロングコート。扉を閉めて振り返る黒髪の下に、真っ赤な瞳が輝く。
 ふたりの前に現れたのは、結社のボス、その人だった。
 
「ボス……!」
「やあ、ふたりとも。待たせたな」
 
 シエルは、彼女をつい二度見してしまった。
 ひらりと手を振るボスの背後を。
 彼女の後ろには、大抵誰か──秘書のレイミールか警備のお兄さん──などが居るのだが、今日は誰もついていないのだ。街中で彼女がひとりで現れるのを、シエルは今日初めて見たほどだ。
 結社のボスは、少年の奇異の視線などものともせず、それぞれの目を見て語りかけた。
 
「この間の遠征は、ご苦労だったね。おかげさまで、民間人救出の作戦も無事成功し、公国に少しばかり痛い目を見てもらうこともできた」
 この間の、とは〈公国遠征〉のことだ。彼女は一呼吸置いて、その胸元に手を当てた。
「君たちには、直接礼を伝えたかったんだ。ずいぶん、ロネたちが世話になったようだから。改めてだが、戦ってくれてありがとう」
 彼女がゆるやかに会釈をする。
「あ、いえ……! 僕は、な、何も……」
 
 返事を返そうとした、瞬間。
 アークス兵長の必死の碧眼が、シエルの脳裏をよぎった。青い髪。銀の甲冑。奪った命の姿がまぶたに浮かぶ。何も、というには重すぎる、選択の結果。
 
 ──ボス。僕は、本当にあれでよかったんでしょうか……?
 
 少年は一度開きかけた口を、閉ざした。
 ……僕はボスに向かって、何を聞こうとしてるんだ。お礼を言ってくれている上司に、そりゃないだろう。
 
「あの、ボスさん」
 代わりに、隣のメアリが心配げな表情で一歩進み出た。
「助けた子たちの、様子は?」
 ボスはひとつ頷いて、静かに告げる。
 
「快方、だよ」
「そう。よかった……!」
 安心して息を吐く朱い髪の少女を見て、組織の長たる者は長いまつ毛を伏せた。
 
「今回の依頼は、今のふたりにはピッタリかもしれないな」
「……僕と、メアリに?」
 彼女はまた、ゆっくりと首肯する。そして、片手に持っていた一枚の用紙を軽く掲げた。
 
「君たちには、この復旧依頼を担当してもらう」
「復旧依頼……?」
「なんというべきか。〈大戦〉と、遠征余波の収束依頼……かな? ま、戦闘はメインじゃない。看護や救援と思って貰えばいいよ」
 
「聞いての通り、この度の依頼は少し特殊なのでね。幹部をひとり、レイミールかファクターを同行させよう」
「なら、安心、ですね」
 シエルは眼鏡のブリッジを押し上げながら、内心かなり救われたような気分になった。
 やはり大人が同行すると安心感が違う。
 豪雨で傘があるか無いか、くらい違う。
 
「同時にロネにも同行させる」
「ロネ先輩も!?」
 シエルは思わず小さくガッツポーズした。
 上司と先輩が来てくれるなら、怖いものなしではないのか! もう、傘どころじゃない。屋根だ。
 ひそかに嬉しがるオーラを出している少年の隣、姉は首を傾げた。
「ロネさん、もう平気なの?」
「本人が暇を持て余して、あちこち歩き回っているようなのでね。そろそろ復帰してもらおうかな、と」
 
 シエルはちょっと口元を緩めた。
 病み上がりでまだ〈結社〉に来れなくて、怖い顔で街をゆくロネ先輩を想像する。
 
「ちょっと先輩らしいですね」
「そうだな」
 ボスもフッと笑った。
 そして、結社の長は少年少女に向き直り、依頼用紙を差し出す。
 シエルが用紙を手に取ると、黒髪赤目の彼女は、よく通るアルトの声で告げた。
 
「君たちは、まだ若い。どんどん外に出て現場を知って欲しい。これが今私に出来る、最大限のことだよ」
「……はい!」
 
 少年少女は頷いた。
 ふたりに向けられた、秋の依頼──これが〈結社〉の存在を揺るがす大きな転換点になるとは、まだ、誰も予想だにしていなかった。
 
 
 
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