三章『公国を止めるために』
“第33話 正反対の強さ”
瞬間、一迅の風が吹いた。
少し冷えた、春を想起させる風だった。
「先輩!!」
大空から舞い降りたのは、茶髪の少年だ。大きく跳躍したシエルが、翡翠の長剣を振りかぶった。
「なにっ!?」
「ロネ先輩! 通ります!!」
断りのつもりだろうか。大声で叫んだシエルは、ロネの腕を跨ぎ、青髪兵長の肩めがけて太刀を振り下ろした。
「ぐぅ……っ!!」
アークス兵長は、ロネの首に突き付けた剣先を止め、刃を切り上げて防御姿勢に回らざるを得なかった。
やや間に合わず、剣が食い込んだ銀の鎧の隙間から血が吹き出す。
「…………」
地に伏せた青年が、目線を動かした先。ぼやけた視界に、うっすらと茶色の天然パーマが映って、ロネは片方から弾かれたように地面を転がった。
「バッ……、野郎! 来ンな!!」
片膝立ちで無理に喉元から捻り出した青年の指示に対して、シエルが返す。
「嫌だっ!!」
慟哭にも似た声。重力に従って降りたシエルが、叫びと同時に兵長の細身の体を吹き飛ばす。
「ハ……!?」
【来ちゃ駄目! 下がりなさい!】
母の言った言葉。僕を嫌っていたはずの厳しい母さんが、紛争の死に際に放った言葉。
「そうやって言って、みんな死んでいく……!」
両肩を振るわす少年の背後で、ロネは目を剥いた。
コイツは、なにも小馬鹿にしている訳ではない。恐らくは他者の死に立ち会い、本気で言っているのだ。
「逆賊のクズめが……! 余計な邪魔しやがってさぁ……」
兵長に向かい立つ少年は、罵倒には応えず、翡翠の剣を構え直した。
背後から、複数の声がした。
「ロネー!!」「みんな無事!?」
男女の声だ。
鉱山地区の男たちと、レイミールの姿。大勢の結社の面々。
道中で分かれ、都の逆側から進んでいたB隊の仲間が、次々に駆けつけた。
「来やがったな……!」
兵長の注意がシエルたち増援に向いたことを察知したロネが、不意に准尉に斬りかかる。
「ラァッ──!」
「ウオッ!?」
ハッキリ言って、ジグマ准尉は油断していた。普通はあれだけ血を失えば生き物は動けない。だが、この獣どもは動いてきた。いっそ気味が悪いほどのしぶとさで。
思わず力の緩んだ准尉の腕から、メアリを力づくで引っ張り出す。火傷跡に溶けた腕が軋んで、青年の全身に強烈な痛みがはしる。
「ゴホッ……」
「ロネさん!」「おい……」
無理に動いたせいで、ロネが吐血した。増援に来た男たちがジグマの大剣に応戦。彼らの元に幹部・ファクターも同時に到着し、ふらついた青年の腕を支えた。
レイミールが若者二人のほうを見、その傷の多さにぎょっとする。
「ふたりとも……!」
「こっちは大丈夫です、レイさん!」
シエルの声に、レイミールは緊張の面持ちで頷いた。
暗色のフードを被った秘書・レイミールは、捕らわれの少年の元に救援に来ていた。立てる? と問うと、白髪の少年はただ無言で頷いた。
「もう大丈夫よ。一緒に行きましょう!」
秘書たちが複数人の〈従隷〉を連れ、街の東方向の路地に向かって走ってゆく。彼女が呼び掛けた。
「シエルくん! ここのみんなをお願いね」
「雑魚ガキどもが! 行かせるかぁ!」
アークスが迫る。
シエルはその言葉に二倍、いや、十倍奮い立った。自分はこの春成人して、もうガキ側じゃないのだ。
迫り来る兵に向かって少年は剣を振るった。
「ハァアアアッ!」
ここでなにも出来ないなんて嫌だ! ──そんな大人になったら、僕は胸を張って生きられない!!
刃同士がぶつかる。押し合いながら、シエルはギラギラと燃えるような目で相手を見据えた。
「今、強くなれないと……! 僕は死ぬほど後悔する!!」
「じゃあ、後悔させてやるよっ!!」
剣の音が響く戦場で、ファクターは瀕死のロネに向かって問いただした。
「おい。お前さん、あいつがなにを言ってきたか、知っとるか!?」
(……あの、ファクターさん、お願いです! 少しでいいから、僕と一緒にレイさんを援護してください!)
男が何故だ、と問えば、シエルは眩しいまでの瞳で訴えた。
(人手が必要なんです!)
(大至急です。B隊と合流を急ぐ必要があります。ロネ先輩も危ない!)
(このままじゃ、みんなを助けられない!)
当時のシエルは矢継ぎ早に言葉を投げて、自身の言葉通りに、兵の壁に苦戦するB隊の元へ駆けて行った。
その彼は今、北側の民間人避難を完了させ、しゃがみ込むロネの前に立っている。
「ファクターさん! 〈煌力鉱石〉を使ってください! 先輩に! 急いで!!」
ロネはハッとなった。
“〈煌力鉱石〉の治癒力は、時間が経つと効果が薄れる”。
そう教えたのは、他でもないロネ自身だった。
「無論。……動くなよ、若造」
ファクターは翡翠色の結晶を青年に押し当てて、呪文を唱えた。
『癒せ──〈煌石ノ奇跡〉!』
光の粒子が弾ける。急激に傷口が塞がってゆく。
「くっ……!」
准尉の大剣を退けて、一時立ち退いてくる者たちが居る。
「おぉい! ルド坊!」
「すまん。コイツら……、思った以上にやばいわ」
それが鉱山地区の男たちであると認識すると、ロネは思わず声に出した。
「テメーらまで──なンで……」
二人は後ろの青年を振り返って、ニヤッと笑った。
「なあ、シエルくんから聞いたで! 独りで広場の前線張っとったんやろ? カッケーなぁ!」
「とんだ野暮野郎だぜ。遅くなったが、ドカンとやらせてくれよ! 足は引っ張らねえからよ」
言って、再び兵に立ち向かっていく男たちの姿。
普段は共に騒いでいる友人たちが頼もしく思えた。
「……バカどもがよ」
ぐしゃりと顔が歪む。悪態つきながらも、青年の口元は笑っていた。
ロネの横で、消えゆく煌力鉱石を握りしめていたファクターが毒づいた。
「バカはお前さんだ、青二才が……散々ヘイト撒き散らしおってからに……、援護する人間の身にもなれ」
「るせェ、クソジジィ」
「私はもう行くが、傷が癒えたら後は引っ込んでおれよ」
「アァ!? オレもまだ戦えるッ!!」
「まっ、待たんか! おまさんも見たろうが、レイの手で救出対象が避難中だ。今に、退却命令が飛ぶだろう」
「ンじゃあ──」
指くわえて見てろってのかよ、と言おうとした青年の言葉を掻っ攫った、声。
「ヴァぁぁァアァァァ!!」
少年の咆哮。まさに獣のような雄叫びをあげて、シエルが兵士の剣を弾き飛ばした。勢いに身体を乗せ、追撃を行う。
アークス兵長の両剣が陽光を浴びて閃いた。剣戟。
「クズ、邪魔だぞっ!!」
弧を描く銀の軌跡が、長い翡翠の剣先が空を舞う。
「ッふ……うぅ……ッ!」
キン、と何度も音を立ててぶつかり合う刃。
剣の応酬は、無限と思えるほどに戦場に鳴り響いた。
「逃がさない、逃がさないよ……ハーフエルフも君らもなあっ!」
「う、ぐぇッ……!」
しかし、シエルがやや劣勢であった。髪の毛束が飛び、掠った鼻先から血が吹き出す。
ひゅう、と息を吸って、少年は叫んだ。
「ロネ先輩、逃げて! メアリを連れて、先に逃げてください!」
「よそ見かい!? 下民の獣がぁ!」
「まだまだァァァァァ!」
明らかに格上である兵長を相手に、シエルは喰らい付いた。怯えながら、大きな金の瞳に涙を滲ませながら、それでも人々を守るために。
「ハハハハハ! 威勢のいい害獣どもよお! 集団自決でもしに来たのかァ!?」
加勢すべきと見たか、准尉がクレイモアを担ぎ迫る。
誰もが危機を察知した直後、彼に黒ローブの男が斬りかかった。
「待ちなやぁ!!」
特徴的なイントネーションとともに両刃の剣が振り下ろされたのを、准尉の大剣が防御した。鉱山地区の男、ルドルフは腕力だけで武器を押し続け、剣同士を弾き返した。
「勝負は一対一やろうがっ!」
「おぉッと! おれはそうは思わねえぞルド坊や! 向こうのが、よっぽど数が多いんだからヨッ!」
彼をさらに後ろから、ヴェルダムの仕込みハンマーが炎を吐きながら連撃した。
やんのか、と悪態つく上位兵を食い止める彼らと、兵長を打ち負かさんとする少年。ロネが前線を立ち退いた分、分散してしまったその他大勢の公国領事軍相手に、一歩も引かない結社の仲間たち。
「…………」
懸命に応戦するシエルたちの後ろ姿を、ロネは、その深緑色の瞳に映していた。
──オレは、『己の力のみで弱きを護る』ことが、強さだと信じてきた。
これはボスの言葉の要約でもあり、さらに言えば、体格に恵まれた“男”として生まれついた者にとっての、命題のようなものだと思っていた。
しかし一方、目の前の少年は、周囲に大声で助けを求めていた。現地の子どもに加え、オレたちまでフォローするために、わざわざ仲間の元を駆けずり回って来やがったのだ。
確実に、目的を十割で達成するために。
考えつきもしなかった方法だった。己の持つ信念とは、正反対の強さ。
強さって、何だ──?
頭に浮かんだ問いは、ロネの熱くなった頭の芯を徐々に冷やしていった。
「……らしくねェ」
軽く首を振る。青年は口元を引き結んだ。