三章『公国を止めるために』
“第30話 怒りの反乱”
シエルは背高い彼の顔を見上げた。
「ファクターさん。なんとか早く、助けられないんですかね」
「もう少し辛抱しろ」
「辛抱って! そんな時間……」
彼は隣で焦るメアリの肩に手をやった。
「信じろ」
幹部の男が言った、直後のことである。
「ウィル様!」
兵の制止の声が聞こえてきた。
『……氷塊・わが血に応えよ――』
〈魔煌〉の詠唱が重なっている。教会のバルコニーから身を乗り出す赤毛の少年の周囲が薄青く光った。
『飛べ! 〈蒼空の礫〉!』
氷のつぶてが広場にいる兵長の防具に直撃。
献上の儀として戦う子どもをせっついていた兵長は「誰だ」と教会を見た。
「っえ、あ……?」
〈従隷〉の少年は泣き顔のままぽかんとしている。残忍なやり合いは一時的に止まっていた。
シエルは一瞬、貴族の誰かが実は結社側だったのか? などと錯覚しかけたが、その考えはまず捨てる。そんな簡単にお偉いさんが身分の低い人間に味方できるのであれば、自分たちはここには居ないだろう。
一巡した思考をすっぱ切るタイミングで、大仰に金髪貴族が立ち上がった。
「ウィル。どういうつもりだ!」
あの大らかそうな殿下だ。しかし、演説のときとは一転して、彼は声を荒らげていた。
赤毛の少年貴族は反論した。
「だってアイツは、ち、父上の所有する〈従隷〉ではありませんか!」
「その父上が、好んで〈演舞〉に出しているんだ。その意味が分からないのか」
「ですが兄上っ……」
貴族たちの声は広場に響いている。拡声器を切っていないようだ。
「──もしや、哀れんでおるのか?」
「!」
赤毛の少年の視線の先。
彼の父であり、一国を統べる者──ヴェルス大公が、悠然と座っていた。
「アレは我々とは異なる生物だ。食用の獣を哀れむ者は、おらぬだろう。ウィル、おまえは食す側だ」
「……それは……!」
王族貴族の論争が激しさを増したときだった。
広場の外から、幾つかの叫び声が聞こえた。距離のせいかその声は小さかったが、次いで嵐が巻き起こった。広場全体に砂埃が舞い、大噴水や人工の大滝の水滴が不自然に宙をはねる。
『我・望むは炎天・荒野・血色の惨劇──』
詠唱が聞こえてくる。唄うは聞き覚えのあるアルトの声。
『──〈炎の砂嵐〉!!』
即死術などではないはずだが、奇妙なことに、兵士たちがバタバタと倒れていく。
砂気のひとつもなかった公国の都に似つかわしくない砂嵐が起こって、多くの兵士が足元をすくわれ、視界を奪われた。
記念祭の実況をしていた銀ヘルムの兵が、三人の王の一族を振り返る。
「襲撃なのです! 大公、殿下! 避難を!」
「嫌だよ。愚民ごときに何故僕らが逃げなくてはならないんだ? 返り打ちにしてくれる!」
「そ、そんな! ウィル様も何か言ってください!」
「……ぼくは父上と共に、教会へ退きます。生き残ることも我らが一族の務め。そうでしょう、父上」
「ふむ……」
側近が持っていた光る拡声器が、ころりとバルコニーから落ちる。
ヴェルス大公は最後にひと言、何かを告げたようだった。
広場の奥側。時計台のある方向から、数多の悲鳴が上がる。
ややあって、それが北だ、と認識した少年はピンときた。レイミールたち別働隊が戦闘を起こしたのだ。フードを被った人影が、金属の高い音や打撃音を響かせながらこちらの兵士を寄せ集め、食い止める様子が見える。
爆発。更に火の手が上がった。人為的な〈魔煌〉の天災。
見上げる遥か天上で、フードを脱いだ人物が口元に邪悪な笑みを飾る。
黒髪赤目の女性──結社のボスだ。
「公国の民よ、聞け──我ら、結社〈恒久の不死鳥〉!! その命惜しくば、散るがいい!!」
教会前広場の動乱が広がる中、隣の背高な男性が唸る。
「総員準備」
低い風音にも似たファクターの声に、個々の得物から物音が鳴る。シエルも剣の柄に手を回した。
「逆賊だぁ!」「キャーッ!」
高い声が耳をつらぬく。靴底の鈍音が鳴る。それらに混じって、ピィ──と、笛の音色が空を渡る。
「制圧・開始!」
「シャアッ!!」
ファクターの号令とほぼ同時。
爆速でダッシュしたロネは、二人の兵士を不意に背後から斬り伏せた。
「待ってたぜェ、このときを……! 死ぬほどなァアアア!!」
各所で次々爆発が起こっていた。街の屋敷からも、火の手が上がり出した。
「万民に自由を……」「鎮まれぇ!」「全部隊、鎮圧せよ!」
楽しげな公国の祭りは一転して、悲劇のような様相となっていた。
『──具現せよ!』『朱・集い灯せ──!』『はぁあっ!』
シエルの翡翠色の刀身が姿を現した。メアリはレイピアを手に詠唱を紡ぐ。ファクターが爆薬を放つ。数多の戦闘員が入り乱れる。
〈従隷〉解放のための戦いが、始まった。
「失せろッ!」
偽装用のローブを素早く脱ぎ捨て、広場を駆ける先駆者の影。
「と、止まれ! さもないと……」
気が動転していたのか、剣を手にしながら口を動かしてしまった兵士に、ロネは壮絶に極悪な表情で笑った。
「……アァテメェ、鞭打ってたよなァ?」
「ヒッ! やめろっ!」
青年が刃物の軌跡を迸らせる。
硬直した兵士の首から、プシャッ、と血飛沫が上がった。
「地獄で詫びろ。ボケが」
ロネの額に赤が降り注ぐ。
兵は倒れ伏せたが、彼の奥でそれを見ている人物がいた。
「ハハハ! オイオイ、活きのイイのが居るぜ!」
金髪の大男、ラザリア・ジグマは、大剣クレイモアを片手に豪胆に笑う。
彼の笑い声に、鬱陶しそうに顔をしかめる若い兵士がひとり。
「あれ。あいつ、僕がやってもいい?」
青髪の兵長、シウム・アークスの碧眼は、海より深い狂気の影を宿していた。
相当に怒っている。面倒を察したジグマが右腕と共に肩を落とす。
「ハァー! ……やんのかァ? アークスが?」
「今、見ましたよね? 僕の部下がやられた。僕の部隊で葬ってやる」
「上官への言葉遣いかよ、ソレが。ベツにイイけどよ」
彼は文句を言いながらも、クレイモアを肩に担いだ。仁王立ちで精悍な笑みを浮かべる。
「ヤバくなったら、手ェ突っ込んでやるからな!」
「……ジグマ准尉の馬鹿な言葉選びにイライラするんですが」
上官の言葉を許可と受け取ったアークスは、左手の鞭を振り払って叫んだ。
「奴を囲め!」
号令を受けて、アークスの兵団が一斉に動き出す。
「クズの逆賊め! 死ねェ!」
せせら笑う兵士を向かいに、ロネは不敵に笑みを刻んだ。
「クズはテンメェだよォッ!!」
叫びながらロネは猛攻を緩めない。
大勢を相手どって、大暴れしている様子を、シエルは無意識に目で追っていた。
「流石はロネさんっ、気合い入ってるわね!」
メアリがレイピアを構え直す。退いた相手の眼前の兵に注意を払いながら、ロネの勇姿を称えた。
「でも……!」
──何か変だ。
シエルの知っているロネは、いつも無傷だった。
最初の適性試験のときは、僕らはほとんど、指一本と触れられなくて。ギルドに入った初日は、街のならず者三人相手に、一方的に太刀を浴びせていた。
鉱山地区で別働隊と会った、と言っていたときも、複数人相手にほぼ無傷で帰ってきている。先輩はそういう人だ。
その先輩が、今は腕からハッキリと血を流している。
『──朱・集い灯せ──』
「ハッ!」
詠唱する兵士に、流れるように持ち替えた左の魔銃で爆撃。僅かに外したようで、兵士は一瞬中断した詠唱を、立ち位置を変えて再開している。狙い直す間を狙われ、近接兵が男に細剣を振るった。
「……チィッ」
魔銃ごと構えを解除し避けるも、避けきれずロネの頬に一本の赤い線が走った。だらりと垂れた血を気に留めることもなく、青年は低姿勢で敵の懐に踊り込む。近接兵が血を吹いて、断末魔とともに倒れた。
青年は振り向いて叫んだ。
「オイ、クソジジィ!」
ファクターが声の方向を見やった。
「何だ!?」
「使えッ!」
ロネは双銃の片方をロックして後方にブン投げた。
危うく取り落としそうになりながら、受け取ったファクターが叫ぶ。
「お……、お前さんはどうする気だ! 青二才が!」
「ンなん要らねェよ、ジジィの介護するよりかマシだ!」
「……強がりおってからに……」
壮年の男が息を漏らす。ロネのことだ。爆薬のみで援護に回るファクターの身を案じてのことだろう。実際シエルやメアリ、ロネに寄ろうとする近接兵の多くは、ファクターたち後衛の爆撃援護である程度軽減されていた。
『──〈朱ノ祈り〉!』
「──ックソが!!」
だが、軽減されてコレだ。相手側の爆撃が飛んでくる。守りに入る暇もなく押し寄せる兵を、青年は双剣を使い捌く。
自分が後方で戦っている間に、先陣を切っていくロネが徐々に傷ついていく。シエルは戦闘思考の隅で考えを巡らせた。兵士一人に苦戦している場合じゃない。だが相手は国家レベルの戦いのプロだ。そもそも、一人以上を相手するのは無理がある。
「先輩! 危ない!」
「黙れェ────!!」
ロネの背中越し、切れた横腹の衣服から鮮血が滲んだ。
上半身を中心に傷が増えている。
「……!」
捌き切れて、いない。
見れば、幼い少年少女たちは未だ数人が拘束されたまま。彼らを助けたいが、教会前は兵士が密集しており、隙などまったくないのだ。
シエルの脳内にけたたましく警鐘が鳴り響く。
このままではいけない。敵の本拠地で持久戦に持ち込まれたら、終わりだ。……逆に、マルス村で持久戦をやって公国の軍隊を退けたように、ここでは自分たちが撤退することになる。
「っ……ごめん、待ってて!!」
「シエル!?」
少年は地を蹴って、全速力で駆け出した。
広場の北の方角へ。必ずここへ戻ることを誓いながら。