三章『公国を止めるために』
“第29話 貴族と従隷《エグリマ》”
テスフェニア公国の都、ルオシュアン。
ここは街全体が螺旋状に構成されており、今日も湖から汲み上げられた水が噴水、大滝、水路を伝って都じゅうをかけめぐる。
これほどの水源と魔煌の変換技術に優れた街はほかにない。だから、ルオシュアンは〈水の都〉の呼び名で親しまれているんだそうだ。
アーチをくぐった先の教会前広場では蒼魔煌を使った祭りの芸が行われ、すでに多くの人々で賑わっている。
『テスフェニア公国建国記念祭』。
──貴族街の祭りが、幕を開けていた。
集った人々を楽しませた芸者たちが立ち退けば、美しい馬車が到着次第、聖歌隊が歌い出す。貴族街の民衆はみんな笑顔だ。
馬車から降りてきた複数の人──恐らくはお偉いさん──は、兵士にその身を守られながら教会の中へと姿を消した。
のち、かねがね噂を聞いていた軍事演習も披露された。
公国伝統のレイピア剣術の模擬戦に、号令が叫ばれ、その背後では集団による詠唱がとどろく。
『──言霊・信徒は願う・其は言霊を汲み・戦が女神の力を分け与えたもう——|言霊ノ拡大《フラメント=ジュラミス》!』
兵士の声が見事に合わさると、約十人もの兵士たちの手から煌力の光があふれ出し天高く舞い上がった。
「わわ! わっ!」
迫力に気圧される。
光は雲まで届く前に、いくつかの塊になり、結集。若葉色の半透明な輪っかに変化して、広場の空に浮かび上がった。
後衛らしき部隊の魔煌が発動したのを合図に、全員が戦闘態勢を解除。兵士たちはレイピアを鞘に仕舞い、ざざざ、と教会前に整列する。
「隊列、ヨシなのです!」
豪華な銀のヘルムを被った兵士が言った。その隣、金の短髪を陽に晒した大柄な兵士が腰に手を当てて叫ぶ。
「さ──ァ始まるぜェェ──! 実に七年ぶり! 楽しみだなァ!」
彼の後ろに控える青髪兵士は、やや苛ついた様子で鞭を構えた。
「うるさいですよ、ジグマ准尉。集中・要警戒してください」
「アークス! 真面目すぎるのが、オマエの悪いトコだ!!」
「ちょっと、准尉も兵長も、落ち着くのです! これは本番なのですから。ワタシが離れても、いい子にしててくださいねっ」
「ほいほい」
……あれが、領事軍の上層部か。
シエルたちは広場の教会横、ちょうど東隅っこの位置から覗いている。
多数の兵と、一糸乱れぬ機敏な団体行動と、青と白、銀を主とした服装の上層部の佇まい。それらは、観る者を引き込む不思議な魅力に満ちていた。
「見て!」
メアリは前方を見上げていた。
施設の上層階。
先程まで馬車に乗っていたお偉いさんが、ちょうど教会内部の高台から出てくるところだった。大中小、三人の影。彼らは式典用の派手やかな衣服を着込んでいた。
「偉大なるヴェルス大公の、宣言であります!」
快晴の青空の下、屋根のないバルコニー。
高い地声を張った兵士の号令を受けて、金の髪に金の王冠を被った初老の男性は、青い羽織りを揺らしながら歩を進める。
ヴェルス大公と呼ばれた彼は、青い輝きを放つ石を口もとに近付け、語り始めた。
『時は満ちた』
深みのある重低音が響き渡った。
『神暦三九八七年、夏のつき二日。当〈テスフェニア公国建国記念祭〉も、今年で二百回目となった』
彼の声は空から反響していた。
さっき兵隊の発動した魔煌の効果か。あの上空に浮かぶ半透明の輪が光る石と共鳴して、拡声の役割を果たしているのだろう。
『本日はこれほど多くの民が記念祭に集ったことを、我輩はこの上なくうれしく思う。深く……感謝の意を述べるとしよう』
数多の拍手が沸き起こる。
大公は垂れた前髪をひと撫でして元に戻すと、再びもごもごと言葉を落とした。
「して、民衆みなも知ってのとおり、夏のつき二日は我が息子の生誕日でもある。ウォンよ……前に出たまえ」
呼ばれて踏み出した隣の青年が従者から光る石を受け取り、一歩踏み出す。
帽子を手に取ってゆったりと一礼。高い部分でひとつに結ばれた金髪が流れ輝いた。
『先ほど紹介に与った、ウォン・エスト・テスフェニア・エーデルだ。このような節目の日に、齢十八歳を迎えられた奇跡! 心が躍るよ!』
男性は片腕を広げ、背高い体を光に晒した。
『この僕からも日頃の礼を! 本日は誠にありがとう!』
民の歓声が上がる。惜しみなく贈られる貴族たちの祝福の言葉に、彼は上品に手を振り返していた。
なんだか、フレンドリーなお偉いさんなんだなぁ。
シエルはそんな、素直な感想を抱いた。
「きゃあー! ウォン殿下ー!」
前のほうから黄色い声援も飛んでいた。
『ウォン殿下、大人気なのです! さて、続きまして──』
ヘルムを被った側近の案内が響く。
『待つがよい』
しかし、従者の台詞は他でもないヴェルス大公自身によって遮られてしまった。
『失敬。もうひとり、紹介したい者がいる』
部屋の袖から出てきた従者数人と貴族様の間でやりとりが行われる。聴衆がざわめいた。
手違いがあったのだろう。教会のテラスに立つお偉いさんは口論を交わしていたが、ややあって従者が向き直った。
『し、失礼しましたあっ! 先の冬に七つのお歳を迎えられました、エーデル家のご子息・ウィル様からもご挨拶を頂戴いたします!』
進行を受け、大公の左側におわす少年が緩慢な動作で立ち上がる。
小さな彼が帽子を外すや否や、どよめきが周囲を走った。
「――赤毛だ……」
燃えるような、赤。
少年の頭髪はまさしく夕日を連想させる鮮紅色をしていた。
ひと癖もふた癖もある逆立った頭部が隣に立つ大公とよく似ている。
「ンマァほんとに真っ赤だわ!」「やはりウィル様には平民の血が……」「シッ、声が大きい」
ひそひそと囁かれた声は民衆の間で波となって広がっていく。
シエルは訝しんだ。メアリだって薄い紅色の髪だけど――血だって赤いのに、髪が赤くてなにがおかしいのだろう。
赤毛の彼は長いこと低頭していた。
ざわつきがおさまる頃、少年は顔を上げ語り出した。
『晴れの今日、テスフェニア公国建国記念祭』
サファイアブルーの瞳がまたたく。
『こうして式典の場に出席させていただきましたこと、たいへん光栄に存じます。また、本日生誕日であるウォン様には、心よりお祝いを申し上げます。おめでとうございます』
大人びている。幼さの残るアルトの声音は、形式的な内容とあまりにも不似合いなもの。
『来たる新たな一年が、すべての領民にとって実り多き日々となりますように。そして、テスフェニア公国のさらなる繁栄を願い、この祝辞を述べます。……ウィル・アシビ・テスフェニア・エーデル』
長台詞をひといきに言い切った彼は、一歩下がって大きな帽子を被り直した。
羽織りものをひるがえし、大公は語る。
『聞け、民よ。戦女神よ! われら公国貴族の英知、して領事軍の武力。平民の奉公により支えられたわが国の〈強さ〉は決して揺るがぬ――おお、テスフェニア公国に、永遠の栄光あれ!』
ヴェルス大公の堂々たる宣言は、盛大な歓声を巻き起こした。
地を揺るがすような人々の喝采。
目を見開いたシエルの肌が粟立つ。
圧倒的な人望を受ける彼らは、一国の支配者たる権威に満ち溢れていた。
『皆様、お待たせしました! いよいよ、戦女神への献上の儀――“演舞”のお時間なのです!』
いまだ止まぬ山ほどの声に意識を持っていかれる。
『女神様よ。とくとご覧あれえっ! 願わくば、こころよき勝利の目覚めをもたらしますよう!』
なにかが、広場の片隅からふらふらと歩いてきた。
最初は動物かと思ったが、違う。
体のあちこちを、赤黒くはれあがらせた彼らは、どう見ても人間のかたちをしている。
「…………」
目は淀んでいる。声はかすれている。
それは、年端もいかない子どもたちだった。
領事軍のいる広場中央部に引きずり出され、怯えているのが遠目にも見てとれる。
「……なに、あれ……」
メアリのか細い声が両耳を素通りしていく。
小さな背なのに、重そうな石造りの彫刻がくくりつけられている。ひとつなぎの上等な布一枚しか纏っていない彼らの細身。棒きれみたいな二の腕、なぞの黒い烙印。
──〈従隷〉。演説でしか聞かなかった単語が、形を伴った現実となって迫った。
「俺は青に賭けるぜ!」「白のほうが強そう」「私、五十万リルのせますわー!」
ゴングが高々と鳴らされる。
十人もの少年少女が一斉にぶつかりあった。
『さあっ、始まりましたー! 最初に青だぁー!』
ある子は前にいる子の腕に噛み付き、体を押して転倒させようとする。そばから別の子が入り乱れ、また殴る。
広場の看板に数字と棒線が書き込まれていく。よく見ると子どもたちの足には青・白に染められた縄が結ばれている。色分けを目印にした、リルの賭け。
一番背の低い子が倒れる。青髪の兵士は「調教が足らなかったかい」などという罵声を発して乱暴に少年の頭を踏んだ。
『白、倒れた! このまま決着がついてしまうのでしょうかー!?』
不毛な殴り合いは終わらないで、ひとりまたひとりと倒れていく。
彼らは一様にやせ細っている。体力が限界なのだ。その肌から鮮血がにじむ。
「いけー!」「損させないでーっ」
民衆が沸いている中で、シエルは言葉を失っていた。
目の前で動いているものが、人間だと思い込むので精一杯で、そうでもしていないと、なにかが崩れてしまいそうだった。
むごくて辛いのに、それなのに、目の前の光景から目が離せない。
「うっ、ぅう……」
攻撃を受けて倒れ伏せた一人の少年の目から、大粒の涙がこぼれた。
「白の五番! さっさと立ちな!」
子は懸命に四つん這いになってはいるが、すぐに押しつぶされる。縛り付けられた石像が容赦なく幼い体を痛めつけていた。
「ヴェルス大公の御前で戦えるんだぞ、誇りに思えよ? ほら! こんなこと滅多にないよっ」
子の脇腹に激しい蹴りが入った。震え、うずくまるばかりの少年に苛立つ兵士と、それを無視して他の子をありったけの力で打ち負かそうとすしている子どもたち。
「なーぜ、動かない……。今スグ殺されたいの?」
無慈悲にムチが振り下ろされる。
「ひっ……い、ぎゃあぁあああああああッ!」
――やめてよ。
そう思ってはじめて、喉がからからに乾いていることを知覚した。
耳鳴りが聞こえる。全身からいやな汗が噴き出している。
会場はなおも沸き立っていた。
誰も彼も、この残酷な実戦を観て、喜んでいるのだ。
「どういうこと……なの、これは」
問いかけたのはメアリだった。当然である。これは、レイミールの言っていた〈従隷〉の定義とは“違う”では済まない。
「…………」
先輩たちは押し黙ったきり、答えようとしない。
「ファクターさん……! 答えて!」
結社幹部の腕を掴む彼女の声が、掠れている。
白髪の彼は普段よりも強い語調で言った。
「〈従隷〉は、年若い労働力。そしてこれは、ただの伝統儀式だ。公国教会前広場、別名〈闘技場〉――ここで従隷の穢れた血が捧げられれば、いにしえに眠る神、戦女神が目覚めるとされる――」
彼は葉巻を吸うときの所作そのままに口もとを覆い、言った。
「──マァ実質、貴族の余興だ」
「……ひどい……」
理不尽が多すぎる。
これが公国か。これが世界か。
「つーか。今日は夏の式典のド真ん中だぜ」
いつになく静かな声音のロネ。彼が握る剣の柄は、微かに震えていた。
「偏ってて当然、ってことですか」
そうだ。今は公国の記念祭の真っただ中。きっと恵まれた身分に浸かり切った人々が中心になっていることだろう。
こんなこと、あっていいはずがない。
現に、あの子たちは苦しんでいるではないか。
子どもたちに思いを馳せた途端、ふしぎと頭の中が冴えてくる感覚がした。