三章『公国を止めるために』
“第26話 ロネの過去”
◆
二週間後。
山々は遥か遠く──真昼の太陽にキラキラと光る海。それらに囲まれた商店街と教会。
『これより、〈公国遠征〉の作戦会議を行う!』
ズネアータの東。〈ジルド港〉の片隅にあるちいさな教会で行われた遠征会議。
メンバー全員に伝えられた目標は、こうだ。
『貴族に囚われた人々を救出する』
救出対象は、多くが小さな子どもだ。
彼らの捕まっているテスフェニア公国に向かい、複数部隊に分かれて、水の都ルオシュアンに潜入する。公国の祭りが始まったあと合図をするから、兵士たちを倒し、〈従隷〉を助けて帰る。
彼女の語り口は滑らかで、慣れた様子だった。
「大規模な戦闘が予想される。だが……〈従隷〉の解放は、我が〈結社〉の大義でもある。確実に成功させるぞ!」
「おお──!!」
雄叫びが教会を包み込む。
シエルは唇を引き結んだ。会議現場は、ものすごい気迫だった。
沸き立つ現場の影で、一人の人物が、教会を出ていくのが見えた。灰色の髪に、緑の制服。ロネ先輩だ。
「すげーブッ飛んでるなぁ! やっぱアタシも行きたいよー」
「カレサは留守番組だ。私がいない間、皆と一緒に結社を頼むよ?」
「うえーん! なんでさー!」
前の席で椅子を揺らしてジタバタ暴れている少女を嗜めるボスの姿が見える。
その隣。ボスの補佐を終えて、ちょうど出口に向かって歩き出した秘書の姿。
……やっぱり、どうしても気になることがある。
「あの……、レイさん」
「アラ、どうしたの?」
黒ふち眼鏡の少年は座ったまま秘書の顔を見上げて、小声で問いかけた。
「先輩にも聞いたんですけど。〈従隷〉ってなんですか?」
秘書はぎょっと目を剥いた。
「……アナタ、ロネにそれを?」
「あ、はい。答えはもらえなかったんですけど……」
「そう」
秘書は憂げに、長い金のまつ毛を伏せた。ステンドグラスの美しい光が彼女を照らしている。
聞いたらいけないことなのだろうか、と不安になりながらも、少年は続けた。
「ボスの話を聞いてる限り、『悪い貴族に拘束された人』ってことですよね?」
少年の言い方を聞いて、レイミールは首を振った。
そして、少年の肩を掴んで告げた。
「シエルくん。〈従隷〉は、身寄りのない、不運なコのことだと思いなさい。それが、一番正しいわ」
「……は、はい! 分かりました」
ふっと手を下ろして、隣を見やる。
「メアリちゃんも。今聞いたわね?」
「え、ええ」
有無を言わせない空気。
ふたりはほんの少し、顔を見合わせた。〈従隷〉が、ロネと無関係な存在ではないのだろう、と思わざるを得なかった。
……
…………
青い晴天の空の下でジルドの港町を出港した、結社の大型船。
「わぁあ……、風が気持ちいいですねぇ」
船内の窓から、シエルが笑顔で顔を出す。
さっきまでいたはずの〈ザルツェネガ共和国〉のジルド港が、どんどん遠くなっていくのが見える。
高い空を、真っ白な鳥が飛んでいて。夏も目前という雰囲気だ。
世界はこんなに平和そうなのに、向かう先は〈テスフェニア公国〉……大戦の主戦国なのだから、世の中ってフシギで、残酷なものだ。少年はそんなことを思った。
「おっと……」
ふと眼鏡が飛ばされそうになって、急いで目元を押さえ、顔を引っ込める。
「シエル、だいじょぶ?」
「平気平気。ちょっと乗り出しすぎちゃった」
姉に、はにかみながら答える。
船内を見やれば、大きな船の操縦席に向かって指差し叫ぶ男たちがいた。
「行くで──! 出発進行や──!!」
「オオ──!!」
茶色味がかった金髪の青年と、バンダナを巻いた大男の姿。
ロネが叫び声を上げた。
「なンでテメェらが居ンだ!?」
彼ら、ルドルフとヴェルダムは、鉱山地区の男たちだ。結社の一員というワケでは全くない。
だがルドルフは、さも当然という勢いで喋り始めた。
「えぇだって! 酒場で飲んで次の日ゆっくり帰ろうとしたら、ギルド長がスピーチやるって言うんやん? そんなん聞くしかないやろ!」
「スグ帰れよ」
「そしたら、なんとびっくり! 公国に遠征行くとか言うてるやん。これは行くっきゃないやろ」
「そうだぜ! 置いてくなよロネ、野暮野郎がよぉ!」
男たちに一気にまくしたてられて、青年はカッとなった。
「クソが! 帰れよ!!」
「なんや冷たいなぁ!」
「大体、仕事はどうしたよ? ルドは現場がある。ヴェルダムのほうは店放っとけねェだろ」
真っ当であるはずの問いを投げるも、
「後輩に引き継いできた。ばっちりや」
「おれぁ、隣の道具屋の旦那に店番頼んだぜ? 商いは助け合いよ!」
またもや、誠実な友人たちによって、堀を埋められてしまっていた。
ヴェルダムが拳を握って熱弁する。
「だいたい、ロネ坊や姉ちゃんらまで頑張ろうってときに、黙って見てるなんて、男じゃねぇだろう? おれらも力一杯、戦わせて貰うぜ!」
「……チッ……知るか知るか。せいぜいオレの足引っ張ンじゃねェぞ」
青年は吐き捨てるように告げると、ズカズカと歩いて船内を出ていった。
「ウオオ……どうしたよぉ? ロネ坊の奴」
「こないだからあんな調子なのよ。困ったわよね」
メアリが肩をすくめる。
ルドルフは、緩やかに手を振って応えた。
「しゃあないわ! 一人になりたいときだってあるやろ! なあ、ファクターさん」
「あーあー、騒がしいぞ! 私は忙しいのだ、今は!」
ファクターの操縦術に興味が移ったらしい、鉱山の男たちは船の舵取りについて話し始めた。
本当なら、シエルとてそこに混ざりたかったが、何となく大騒ぎする気分にはなれず、椅子にぺたりと座り込む。
先輩は、従隷と、何があったんだろう? 直接聞くのも嫌がられるかもしれない。だけどどうにか、いつもの、明るいロネ先輩に戻って欲しい。
気持ちばかり沈む中、少年は彼の思考に思いを馳せていた。
──ロネSide.──
独りで外に出て。
甲板から、海を、無性に拝んでやりたくなった。
どこまでも青い海を。
──青はテスフェニア公国の貴族の色だ。
かつてそう語った人間の偉そうな口ぶりを思い出して、灰髪の青年・ロネはどうしようもなく、胃の辺りがむかつくのを感じていた。
──青の十八番。今日からそれがキサマの名称だ。誇りに思え。
──〈従隷〉ども! 労働の時間だ!
──この、役たたずのクズが!! 今スグ死にたいのか!?
記憶の中の男の怒鳴り声がこだまして、青年は耐えきれず、船の手すりを強く握り込んだ。
オレは、公国貴族の所有する〈従隷〉だった。
〈従隷〉は、公国の身分制度の最底辺──獣同然の身分だ。
特別な事情はない。クソみてえな親にリルで売り飛ばされた先が、たまたま異国の貴族だった。それだけ。
幼い頃のオレは、ひたすらに、劣悪な環境下で働き続けていた。
この密航船に初めて乗った日のことは、今でも覚えている。世の中の右も左もわからない、ガキの自分を乗せたこの船は、確かに自分の人生を大きく変えてくれた。
ロネは手首を撫ぜた。
左の手首に掛かる赤と緑のミサンガ。オレを救ってくれた人──結社のボスが、十七歳の誕生日に贈ってくれたものを。
「誓ったンだ。必ず、強くなるって」
今度は、自分の番だ。
誰かを救い、その人生をよりよくする番だ。ボスがそうしてくれたように。
そう思うのに、公国に向かうことを考えるだけで、手がこわばる。足がすくむ。
これでは有事の際に動けなくとも不思議ではない。
自身の不調がわからないほど、己はバカにはなれなかった。
……オレは、こんなんじゃ駄目だ。今は後輩も居る。もっと確りしねェと……。
「焦っているんじゃない?」
青年が振り向く。
彼女の肩口の金髪が海風になびく。
甲板の背後に立っていたのは、レイミール・フォン・サラリア、その人だった。
「……ンだよ」
「ほんのちょっと、聞こえてしまってね」
「盗み聞きすンな」
「イヤね。これでも心配しているのよ? アナタの直属の上司としてね」
「別に焦ってねェし、心配もいらねェ。むしろ、今から公国のクズどもをブッ飛ばせるかと思うと、せいせいしてンだ」
レイミールは黙って彼の言葉を聞くと、静かに語りかけた。
「わたくしはね、ロネ……。公国のことなら、大抵のことは頭に入っているわ。それこそ、水の都ルオシュアンの地図も、街並みすらも、ある程度は把握している」
「だから何だよ」
「けれど、ロネは違う。アナタが知っているのは、貴族街のうちのほんの一角だけ。地の利がない……これは戦地において、圧倒的不利を意味するわ」
「…………」
ロネは二の句が継げなくなる。レイミールは、昔、公国に住んでいた人間だ。
彼女は青年に向かって、毅然とした口調で述べた。
「だからせめて、周りを頼りなさい。人と協力すれば、取れる選択肢は増えるものなのよ」
小さく舌打ちが落ちた。
それが例え上司からの提案で、正論のひとつだとしても、聞き入れることは到底出来なかった。
「……オレが決めることだ。口出すンじゃねェ」
レイさんは分かってねェ。誰かに頼るなんて、弱いヤツのすることだ。
船内に戻る青年の背中を、美しい碧眼が静かに見つめていた。