夕刻の手紙


三章『公国を止めるために』


 
  

  
 ──……
 ──…………
 
 鳥の声が聞こえる。
 朝も早い出社早々、大型ギルド〈結社〉の面々は薄暗な講堂にて顔を突き合わせる。大部屋は、人々のひそやかな囁き声に満ちていた。
 暫くもせず、燭台に暖かな火が灯される。
「──静粛に! これより皆様には、緊急スピーチを聴いていただきます! ボス。よろしくお願いいたしますわ」
 幹部の女性の叱声が飛ぶ。
 
 講堂のいちばん前。ヒールブーツの音を響かせて登壇した黒髪ロングヘアの女性。高く結い上げた艷やかな髪、背後に赤黒いマントをたなびかせた結社のボスが、恭しく礼をした。
 
「おはよう、諸君。今朝はやや汗ばむほどの陽気であったな。ケウの花も散り、枝には葉を茂らせ始めた。夏は目前に控えている」
 彼女は、簡単な挨拶だとばかりに、皆の顔を見ながら話し始めた。よく通るアルトの声が講堂の中に落ちる。
「今日、諸君に集まってもらったのは、他でもない。今年の夏の決起宣言のためだ」
 ボスは真っ直ぐに前を向くと、右手をグッと握りしめて言い放った。
 
「今より二週間後! 結社全体で〈公国遠征〉に向かう運びとなった!!」
 
 ざわり、と空気が揺れる。
 公国遠征? そんなすぐ? やるのか──以前のスピーチの際には無かった周囲のザワつき方に、シエルは言いようもない異常を肌で感じ取っていた。
 帝国の敵国に、僕は行くのだ。
 大戦の戦火に、巻き込まれに行くのだ。
 脳の芯がそう繰り返す。
 遠征とは、そういうときの為にある言葉なのだから。
 
 結社のボスは、壇上から講堂内を眺め渡した。
 どよめきに揺れた静かになるのを待ち、彼女は再び語り出した。
「何故なのか? ……そう疑問に思う者も、中には居るだろう。近年、〈テスフェニア公国〉は世界情勢を鑑みて、公式行事を自粛していたな。だが、今年は例外だ。ヴェルス大公のご子息が成人する、記念式典のパレードを行う予告がなされている」
 
 彼女は右手を大きく振り払った。
 
「よいか! 『公国の記念式典』、つまり、都を挙げた祭りが行われる──勘のよい者は、なにが起こるか、もうわかっているな?──趣味の悪いことに、〈従隷エグリマ〉を労働させることが、公国貴族どもの伝統のようだからね。また弱きが虐げられる。しかし、同時に! 前に出されるのなら、それは彼らを救うのにうってつけの、好機となり得る!」
 
 聞き覚えのない単語が出てきて、シエルは頭に引っかかりを覚えた。
 
「先輩……〈従隷エグリマ〉って何ですか?」
 ガルニア帝国の歴史書は、官僚である父の書斎で読み漁っていたシエルだが、そんな自分でも一度も読み聞きしたことのない言葉だった。
 従隷エグリマ──組織なのか、人名なのかすらも見当が付かない。
 訊いたものの返事がなく、右を見上げると、先輩・ロネは壇上を睨んだままだった。
 確かに息を吸う音が聞こえた。しかし、変わらず彼の口は閉ざされており、耐えかねた少年が言葉を重ねる。
「あの……」
 真暗な地底を這うような低い声で、彼の喉は唸った。
「黙ッてろよ」
「うっ……す、すみません」
 シエルは我に返った。
 そりゃあそうだ、人のスピーチは真剣に聞かなきゃだめだ。何やってんだ、僕。
 スピーチはやや進んでいた。
 
「警備が厳重になることが予想される──ゆえに〈結社〉では、新たにガルニア帝国側を味方に引き入れることにした。まず第一歩として、この春! 〈逃亡者〉が我が結社に加入してくれている。ガルニア帝国のスパイだと噂を流されているが……、それは国軍による虚偽の情報だ。帝国こそ、我々と志を共にするものであり、公国の暴挙を止めるために必要な戦力なのだ!」
「え……ええええぇえっ!?」
 シエルは腰を抜かしそうになった。
 〈逃亡者〉って、僕とメアリのことじゃないか。
 横から「うるせェ」とまた怒られた気がしたけど、講堂では前に向かって興奮の声や同調の掛け声が飛んできていて、僕らの声はその中に吸われてゆく。
 
 結社のボスは、指を鳴らし火を灯し、見上げるように高く掲げた。
「仲間はここに、大勢いる。心配はいらない! 皆、公国を止めるために! 従隷エグリマの解放のために、私と共に、戦ってくれ!!」
 ゆうに百人。
 結社の講堂を揺るがす仲間の声を聞きながら、シエルは胸が熱くなるのを感じていた。
 少年は生まれて初めて、誰かに自分の力が必要とされていると思えて、嬉しかった。
 
 
 
 ──…………
 
「遠征、本当に行くんですね」
 講堂を出て、呟いた少年の言葉に、メアリが反応した。
「シエル、知ってたの?」
「あー、うん。まあね。こないだ、ファクターさんから聞いて……」
「──へーえ?」
 事務室の一室に響くヒールブーツの音。
 背後には、”結社のボス”その人が立っていた。
「ぼっ、ぼぼぼボス……!」
 シエルはすくみあがる。ボスがニイと笑みを浮かべるカオは、いつ見ても迫力がある。……なんというか、アヤシゲな感じの。
 
「私は、機密事項のひとつだと言ったハズだが? ファクター」
 前に立つファクターが怪訝な表情で応えた。
「こうも突然確定になるとは思わなんだ……一応聞くが、いつ決まったのだ?」
「昨日」
「……相談も無し、か……」
 悪びれずカラッと返された声に、大きなため息が漏れる。
 
「安心しろ、実行自体は昨日の今日というわけじゃないしな」
「当たり前だろう。しかしな──二週間後なんぞ、目と鼻の先に等しいぞ」
「うん。それゆえ、今週は書類仕事に集中するよ。ファクター、お前は……」
「船の手配とスケジュールの担当、だな」
「その通りだ。後、経費の会計も。サボってはいけないよ」
「言われんでも」
 彼女は隣に佇む金髪秘書に笑みを向けた。
「レイミールは……事務と、例の計画案を」
「かしこまりましたわ」
 
「それから、ロネ」
 ボスが振り向いて、ロネと目があった。
 顔をあげた青年は、どこかバツの悪そうな顔だった。
 対して、結社のボスは赤い目を細めて微笑んで見せた。
「お前は、可愛い後輩の面倒を見てやっておくれ?」
「……、アァ」
 少年は意外さを感じた。
 彼女、結社のメンバーに次々に指示を出していたから、てっきり先輩にも大きめの事務とかあるのかな、と思っていた。それが僕らの面倒見役とは、なんとも地味なことである。
「じゃ、あとは頼んだよ」
 ボスは手を振ると、事務室を出て、自身の執務室に戻っていった。
 広い事務室の片隅で、バタバタと忙しなく働く幹部たちを見ながら、少年は静かに息を吐いた。
 
「……おおごとなんだなぁ」
「ね」
 メアリが同調する。彼女は、そのままロネのほうを見た。朱い髪がさらりと肩を流れていく。
「ロネさん、遠征って毎年行ってるの?」
「…………」
「ロネさん?」
「──ア?」
 いつもの喧嘩腰ではない。
 魂がどこかに抜けていって、今やっと戻ってきたみたいな表情だった。
 少年が彼の肩を軽く叩く。
「先輩、メアリ今、遠征について聞いたんですよ。毎年あるのかって……」
「オウ、遠征な。あるこたあるが……〈結社〉全体で公国の街に向かうのは二度目だろうな」
「ふうん。その公国の街って、どんなところ?」
 メアリが小首を傾げる隣で、シエルも彼に視線を注いだ。『公国遠征に行く』とボスが言っていたからには、向こうの土地柄がどんなものか知りたいのは、少年とて同じだった。
 
 ロネは眉根を寄せながら答えた。
「ルオシュアン。〈水の都〉ッて呼ばれてる。クソ貴族が偉そうにのさばる、どうしようもねェ街だ」
 青年の語る声には徐々に力が入り、鼻筋に沿って、顔に深いヒビが入る。
「湖から汲み上げられた水が、町じゅうの水路をぐるぐる流れてる。ンで、領事軍が、あちこち見張ってやがる……ッ、とにかく、キメェトコなンだよ」
 
 ふたりは息を詰めた。
 〈水の都〉について語るロネの声色には、手で触れるような憎悪の色が滲んでいたからだ。
 
「そ、そうなの?」
「ウソ教えるかよ。……悪ィ、先に依頼準備してくる」
 額を押さえながら場の席を外した青年を、ふたりが控えめに見送った。
 
 
 
「えっと……聞いた?」
「うん。ロネ先輩、変だったよね」
「私、びっくりしちゃった。……考えごとかしら」
「…………」
 姉の呟きを聞きながら、シエルの心は暗雲に覆われつつあった。
 
 僕はテスフェニア公国について、ほとんど何も知らない。だが、あの強くてキビしい先輩がああまで考え込んでいたのだ。それだけでも、公国がどれほど厳しい環境なのか、想像に難くないように思える。
 気づけば、少年の脳裏には、ロネやメアリの顔と一緒に、ボスの顔が浮かんできた。
 彼女ならどうするか。己は、どう立ち回るべきなのか。考えながら、シエルは遠征までの日々をギルドの依頼に打ち込んだ。