夕刻の手紙


三章『公国を止めるために』


 
  

 
「メアリ。動けるか」
 ロネの問いかけに、メアリが頷く。
 いくら自分程ではないとはいえ、彼女も傷を負い満身創痍のはずだ。
 思案の末、青年は片手に短剣、もう片手に魔銃を握り直した。彼女に視線を向け、語りかける。
 
「オレらの元を離れンな。……いいか? クソ兵士どもの狙い、あんたにすり替わッてら。護られンのはシャクだろうが、今は我慢しろ」
「ちょ……、ロネさんだって酷い怪我でしょ? 傷は塞がったとはいえ、出血多量だし……!」
「カン違いすンな! ダレが突っ込むっつッたよ」
 メアリの噛み付くような反論を受け、それも勘定内と言うように、青年はニィと笑った。
「逃がす為に護るっつってンだよ!」
 メアリを庇うように双剣を構える。
 
「死にてェ奴だけかかって来い!!」
 青年のタガが外れたような怒声を聞いて、寄っていく兵は少数であった。何故か。理由は簡単だった。先程まで、一騎当千をして一方的に兵を薙ぎ倒していた男が、復活を遂げたのである。いかに軍人とて、生き残りたければ誰も近付くまい。
 ロネは短剣で兵を切り伏せながら、仲間の背を借りて物陰からある男を狙撃した。
 
「死ね!」
「ッ!?」
 ガクン、とアークス兵長が片膝をつく。
「さっきはよくもやッてくれたなァ? くたばれボケ!」
「な……」
 脚の腱が切れたのだ。一対一であれば容易いはずの回避行動も、こうまで囲まれて狙い撃ちされれば、避けようがない。
 
 灰髪の青年は、結社の仲間の名を呼んだ。
「シエル!」
「っ──はい!!」
 先輩の声が聞こえる。
 明確な呼びかけは、シエルには指示に聞こえた。まずその兵長を仕留めろ、という、ロネの声が聴こえた気がした。
 最前線のシエルが敵の元へ走り出す、と同時に、ピィ────と鳥の声が空を渡る。
 
『総員撤退! 目的達成だ! 繰り返す。〈結社〉総員、撤退せよ!』
 ボスの号令。結社の笛の音色に紛れて、パァン、と大きな破裂音が複数回鳴り、北側の兵が頭部に謎の衝撃を受けて倒れていくのが見える。
 奇妙な術でも使われているのか。そう感じた准尉は、頭部に腕の装甲を当てながら、部下に話しかける。
 
「ち……おい、アークス。ウチも兵退くぞ。コレ以上の長居は無用だぜ!」
「あ、ちょ……ジグマ准尉!!」
兵長が何か言おうとしたが、准尉は己の部隊を率いてさっさと撤退して行ってしまった。領事軍側だけではない。周辺の結社の仲間たちも、号令通りに撤退を始めている。
 
「行け、シエル!!」
 青年の勘が告げた。このままでは奴にまで逃げられると。
 公国の戦力を削ぐならば、明確に今しかない。
 
「…………」
 兵長、アークスは肩膝立ちのまま、少し離れた前の人影を見上げた。
「動けない、みたいですね」
 日が落ちてきた公国の淡い黄昏の地に、少年の影が伸びる。
 貴族お付きの公国領事軍が、異国の平民相手に膝をつく、という、公国を知る者が見れば絶叫ものの構図であった。
 茶髪の少年はややふらつきながら、美しい金の瞳を瞬かせて、問うた。
 
「話、あるならまだ、聞きますよ。アークスさん」
「腹立たしい、腹立たしいな……、何故言うことを聞かない? こんな屈辱生まれて初めてだ。下等種族の獣のくせに。なあ、死んでしまえよ。いいか? これは命令だよ」
 アークス兵長の残虐な命令を耳にして、メアリは彼を心底哀れに思った。上か下か、人間か獣かの極端な目線でしか、彼は物事を判別できないのだ。
 仲間の隣で、彼女はため息をついた。
 
「……人って、自分が人と思わないものには、こんなに醜くもなれるのね」
「なん、だと……僕たちにそんな口を利いて、許されるとでも思っているのか!」
「そう。あなたの許可なんて、必要ないって言ってるの!」
 朱髪少女の恫喝を聞いて、兵長の言葉はさらに加熱された。
戦女神セリスィ様に選ばれなかった、下劣な獣ごときが!」
 
「もういい加減にしてください」
 冷え冷えとした声の主はシエルだ。
 持ちうる力を振り絞って、剣を構える。
 
「僕らは人間だ。ひとりの人だ! 自分で考えて選んできたから、僕は今、ここに立っている」
 
 足元が、視界が疲労でふらつくのを、気力で抑え込む。
 やはり、こんなふうに煌力レラを使い過ぎては、ダメだ。身体が。負荷ゆえか、久方ぶりに自身の白目が黒くなっているのを感じた。
「ヒ……ッ」
 アークス兵長の表情が、怯えたものに一気に豹変する。
 
「ゆ、ゆ、許さないぞ……! この化け物軍団がぁ!!」
「──許されないのは貴方のほうだ。僕は、貴方がたを許さない!」
 彼は一歩大きく踏み込み、翡翠の長剣を振り下ろす。
「グァあああああッ!!」
 剣が届いた。兵長は胸元をザックリと切られ、断末魔を上げた。
 やった、と結社の仲間たちの歓喜の声が聞こえる。
 
「はぁっ……はぁっ……」
 フィン、と剣の刀身が手元から消えてゆく。
 何度も視界がぐらつく。なんとか自身が倒れる前に戦闘完了したことに、少年は安堵していた。
 
 だけど。
「……あの子」
 まだ。僕はまだ、助けを求めている子どもを、ひとり知っている。
 少年は上空を見上げた。赤毛の少年が、こちらを見下げていた。
「シエル、駄目!」
 姉が叫ぶ。仲間たちの背後から、シエルに向かってまっすぐに。
「貴族となんて関わったら、どうなるか! もう分かってるでしょ!?」
 
 少年と、目があった。
 彼はどこか、愕然とした表情をしていた。彼は公国兵数人に守られながら、向こう側──建物の奥へと、消えていった。
 
「僕だって、分かりたいよ……」
 
 もし、僕がもし。帝国生まれじゃなかったら。公国生まれで、あの子の立場だったとしたら。
 その僕は〈結社〉にも助けてもらえなかったのか?
 実の家族も、街の人も、〈結社〉も助けてくれないと言うのなら、あの子のことは一体、誰が助けてくれるんだろう。
 
「……わかんないよ」
 
 シエルは、泣きそうになるのを必死にこらえた。
 ちっぽけな自分が悔しい。世界の大きさが、今は憎い。
 
「オイ! 早く来いよ!」
「行くよシエル!」
 少年は走り出した。声をくれた仲間のほうへ。
 公国の城に背を向けて、結社の面々は襲撃場から逃走した。
 
 
     ◆
 
 
 結社の大型船の上。
「…………」
 ひとりの子どもは押し黙っていた。
 シエルは、彼の姿を見た。
 白髪の少年──かつては首輪に繋がれ、非人道的な重りをその足に括り付けられていた子だ。彼は結社に保護されて、今は紺色のローブを着せられていた。
 船の個室、医務室のベッドの上に佇む少年は、細っこくて、まるでお人形みたいだった。
 ボスが近づいて、片膝をつく。彼女は少年に向かって問いかけた。
 
「少年。気分は?」
「…………」
 少年は口を開いたが、徐々に閉じてしまった。
 無理もない。公国貴族に、軍人たちに縛られた心が、すぐに解放されるわけではない。
 彼女が優しい声色で問い直した。
 
「……自分の名前は、わかるか?」
「白の五番」
「そうか、そうだね。では、今一度聞きなおそう。それよりも、前の名前を」
 少年は、みっつほど瞬きをして、つぶやく。
「──ユート」
「ユート。いい名だ」
 ボスはゆっくりとした仕草で少年の頭に触れた。
 少年、ユートの頭を撫でる。まるで大切なものを扱うように、慎重に。
 彼女は息を吐いた。
「大丈夫。君はもう、自由だ」
 
 
 ────…………
「──シエル、か」
 船の上、甲板の上で、ボスが唐突に呟いた。
「な、なんですか?」
 少年はちょっと震えていた。
 僕は船に弱い。酔うまでの時間はそう長くないから、きっとまたうんうんと寝込む羽目になるのだろう。
 それを知ってかしらずか、彼女は優しい声色で続けた。
 
「シエル。旧い時代の、中央の言葉だ。“空”って意味だよね」
「あ……。はい。そうらしいですね」
「青い空、夕焼け空、夜空、雨空──移ろう空模様は、君の純真な心によく似ているね」
 シエルは驚いた。自分の名前をそんなふうに捉えたコトはなかった。
 言われた瞬間、帝国の寒空のように思っていた僕の名前が、急に光を帯びたみたいに感じられた。
 なんだか、〈煌力鉱石レラジエジン〉でも成せない、温かな癒しを授けてもらったみたいだった。
 
「いい名前だ。大切にしたまえ」
「……はい」
 この人の名を呼びたい。自然とそう思った。
 しかし、彼女自身が“名前が無い”、と言っていたことを思い出し、シエルは必死に言葉を探した。
 ボスの両親は、一体どんな人だったんだろう? ボスは、人に手を差し伸べるとき、何を思うのだろう。
「あの……」
 悩んだ結果、少年は彼女の通り名を、丁寧に呼ぶことにした。
 
「“結社のボス”」
「うん?」
 少年は最大の問いを投げる。
「どうしてあの日、貴方は僕を助けてくれたんですか」
 ずっと疑問だった。僕らを助けて、彼女になんのメリットがあったのかと。
 もっといえば、今回の救出劇も、一歩間違えば仲間を失うリスクを冒してまで、見知らぬ少年少女を助けようとしたわけで。それは、身内の人間を天秤にかける程のことかと、シエルはどうしても思ってしまう。
 ロネの身の削り方を見た後だと、尚更。
 
「君には、身寄りがなかった」
 彼女はつぶやいた。そして、微かに顔を伏せた。
「かつては、私にも……身寄りがなかった」
「……ボスにも?」
 ボスが頷くと、腰ほどまである黒髪が揺れる。女の赤い瞳は、穏やかな海を眺めていた。
 
「親を亡くし、姉もまた家族を亡くし……、心細かったことだろう。シエル。私はね、ただ、そういう子どもたちを救う活動がしたいと思ったんだよ」
 救うために。と、シエルはつぶやく。問いかけというには、その声は小さすぎた。
 ボスは一度少年を見て、笑みを浮かべた。そして、青空を飛ぶ白い鳥に目をやる。
 
「この〈結社〉が、誰かの新しい人生の出発地点であるように──ずっと、願っているんだ」
 
 彼女の凛とした横顔に、嘘の色は纏われていない。
 青い海の真ん中。船の上で。
 少年は、深々と頭を下げた。
 
 辛いこと、難しいこと、この世の中にはたくさんある。自分はまだ、多くのことに思い悩むのだろう。それでも、誰かを助けたいと願い、おのずと動き出した今日。
 ──僕自身の人生の“本番”が始まってる。そんな気がした。
 
 
 
第三章 完(2025/04/26・〆 サイト版)