DR+20


三章『公国を止めるために』



 ザルツェネガ共和国の首都・ズネアータ。
 日が暮れた闇の中に浮かぶ街の灯りは、毎晩、夜遅くまで消えることはない。
 今日、大通り脇の小さな酒場は、大勢の客で賑わっていた。
「ほな! シエルくん十八歳のお誕生日を祝って〜!」
「カンパーイ!!」
 カラン、と大小様々なグラスがぶつかる音が波のように広がった。
 酒場の奥まった場所、縦長いテーブルの上。肉料理、サラダやベーコンチーズなどのオードブルが所狭しと並ぶ。
 テーブル端のお誕生席に座るのは、くるくるの茶髪が印象的なあどけない少年。──シエル・フィニエルは、眼鏡越し、タンブラーのようなグラスの中身を、じっと見つめていた。
 乾杯の音頭を歌った金髪の男が、少年の顔を覗き込む。
「共和国のウイスキーは濃い目やからな。ゆっくり飲みやぁ」
「は、はい! いただきます……」
 珍妙な抑揚をつけて言われた言葉通りに、シエルは両手でグラスを傾けてひとくちだけ、口に含んだ。
「どや?」
「ふむ、……フシギな味ですね。喉がピリってしました」
「それ多分アルコールだろ」
 そう吐き捨てるように突っ込んだのは、灰色髪の青年、ロネだ。
 彼は、乾杯のあとに、すでにジョッキグラスを半分空にしていた。先輩はお酒が好きなんだな、と思いながら、シエルは首をかしげる。
「そうなんですか? でも、いやな味じゃないです」
「そかそか! 口に合うならよかった」
 大らかな金髪男の奥から、姉の優しい声が聞こえた。
「おめでとう、シエル。今日から大人の仲間入りね!」
「えへへ……、ありがとメアリ」
 少年は照れくさそうに、ふにゃりと、はにかんだ。
 年齢としては成人した今日も、シエルの笑顔は、無垢な少年そのものだった。
 小さな酒場に突如として豪快な声が響き渡る。
「さぁ、注目!! 今日はこんな物を持ってきたぜぃ!!」
 立ち上がって、木製の椅子にドカッと足を引っ掛けた背の高い男が、一枚の紙を掲げた。
「なにそれ。ニュースペーパー?」
『ココ!──〈結社〉の新入り少年少女、町を襲った骸霊ガイレイを見事撃退!』
 男が指差した箇所を見れば、先週の骸霊ガイレイの群れと戦った際の記事がコラムとして書かれているではないか。
 シエルはすっとんきょうな声を上げた。
「わーっ、凄い! 本当に載ってる!」
「なんか恥ずかしいわ〜」
 薄紅のロングヘアを耳にかけて、頬を赤らめるメアリを横目に、ロネはハンと鼻で笑った。
「チッちぇー記事だなァ」
「そう言ってやんな、誇れることだぜぇ?」
「ヴェルダムは甘いんだよ。イロイロと」
 ロネと、職人風のバンダナ男がやいのと言い合っている。
 金髪の前向きな男──ルドルフが「よっ! 期待の新人ちゃーん!!」と掛け声を寄せた。そのまま向かいへ語り掛ける。
「しかしロネ、俺らも呼んでくれてありがとうなぁ!」
「そりゃ……コッチのセリフだぜ? 遠いとこ来てくれてサンキュ、リーダー」
「折角のオフやのに、”リーダー”はやめてやぁ」
 よく見ると、生え際は僅かに茶髪で、毛先が金髪のその男は、パンを片手に困ったように笑う。
 ロネがイタズラな笑みで返した。
「ンじゃあ、ルド」
「あら? ルド……ルフさん、だったわよね?」
「あだ名やで。ルド! のが呼びやすいやろ? ほら、メアリちゃんもそう呼んで!」
「な〜に口説いてるんだぁっ!? ルド坊!!」
「そーだァ! 抜け駆けすンなよォ!」
「へへ! そうだそうだぁっ!」
 メアリは鉱山地区でお世話になったルドルフの名を確認しただけだったが、それがあらぬ火種となったようで、男達がわぁわぁとルドルフを野次りはじめた。
 最後に、ボブヘアの可愛い少女まで野次に加わっているのは、謎だったが。
 責められた本人が軽くホールドアップする。
「ちょタンマ! ちゃうやん!? 丁度今から、俺の現場の面白トークで盛り上がるトコなんやで!?」
「青いな……」
 葉巻を愛煙しながら、壮年の男、ファクターがつぶやいた。物静かな彼は、鉱山住みの男達の隣で完全に空気と化している。
 絵に描いたような職人の黒髪男がガッツポーズした。
「ご希望なら、おれの鋼のハナシ聞いていけよ! 鍛冶場の鍛造ってのはよ、熱い金属と一対一で向き合って鍛え上げて行く、そりゃもう最高の仕事なんだぜぃ!!」
「まあ、そうなの!? 私、剣の作り方って聞いたことないわ」
「うぁー! ちくしょ〜……でもちょっと中身気になるやん……!」
 ヴェルダムに話題を取られることが悔しくてたまらないらしい。ルドルフが頭を抱えている。
 メアリは弟に問いかけた。
「ね、シエルも気になるんじゃない?」
 問いかけるも、返事がない。
「シエル?」
「…………Zzz」
 少年のいびきを聞いたロネが、危うく料理を吹き出しそうになりながら、叫んだ。
「コイツ、もう寝てやがるぞ!!」
「うせやん! いつの間に!?」
「あー……坊や、ウイスキー全部飲んでらぁ。酔っ払っちまったな、こりゃ」
「弱スギじゃん」
「ええ!! どうしよ〜シエル! 私お誕生日ケーキお願いしちゃったわよ!?」
 いよいよ机に突っ伏していく少年が、メアリに向かって口を開いた。
「うーん。みん、な……」
「起きた? シエル?」
 そして彼は、腕を枕にしてつぶやいた。
「……おいしい……」
 ロネが真顔で「イヤ、寝言だな」と首を振ると、ルドルフがチキングリルを頬張りながら提案する。
「んー、しゃあない! もしあれやったら俺らが代わりに食べよ? だってほら、起きへんねんもん」
「テメーは自分が食べたいだけじゃねェか」
「んもー! シエルのバカー!!」
 涙目でカクテルを煽る紅髪の彼女を見上げて、ひとり未成年としてジンジャーエールを飲んでいる少女・カレサは、ぽつりと訊いてみた。
「……なーメアリ。良かったら、シエルの昔話とか教えてよ。アタシ気になるなぁ」
「んぐ──ぷはー!! いいわよー! シエルはね、小さい頃、もっともっと可愛かったの! 彼、実は甘いものが好きなんだけど、故郷の日曜学級に、こっそり焼き菓子を持っていったことがあって……聞きたい? これ」
 メアリは寝落ちした弟にぶつけられない想いを乗せて語り始める。
「おっ、姉ちゃんイケる口かぃ!?」
「ええなぁ! ほな、順番にトーク回そや!」
「待たんか、まずそこの主役を横にしてやれ。おーい店主!」
 こうして、シエルのお誕生日会は、まさかの主役不在で、しかし大いに盛り上がった。
 首都ズネアータの酒場の柔らかな灯りは、夜遅くまで、煌々と灯っていた。
 
 
     ◆
 
 
 翌日。三人で結社に向かう、大通りの道すがら。
「ひぃぃぃ!!」
 昨夜の話を後から聞かされた少年が、この世の終わりみたいな声で叫んだ。
「なんで!! なんでそのとき起こしてくれなかったのさ!」
 シエルは顔を真っ赤にして、怒っていた。
 何故なら、姉の話によると、お誕生日会で自分が寝ている間に、幼い頃の恥ずかしい思い出をバラされているときたものだ。
 
 焼き菓子持って行って、学級担任のシスターさんと分け合いっこしてた話なんて、別にしなくたっていいじゃないかっ!!
 
 ……いや、飲み会を無下にした自分に非があるのは分かっているのだが、それにしても恥ずかし過ぎて、耐えられたものではない。
 結社の玄関をくぐりつつ、メアリがつんとした態度で答えた。
「起こしても起きないのよ、酔っ払ってるんだから」
 ロネが頭の後ろで手を組みながら、騒ぐ少年を睨んだ。
「過ぎた話だろ? 諦めろよ、クソガキ」
「ガキじゃないですー! っていうか、もう一歳も違わないじゃないですか!」
「ハッ、テメーはそういうトコがガキだっつってンだよ!」
 眼鏡のベビーフェイスで怒る少年を、笑って小馬鹿にしている青年の構図。
 ハタから見ると同レベルである。
 賑やかな人たち、とほほえんだメアリの白い手が、結社事務室の扉を開く。
 
「おはようございます〜」
 出迎えた白髪の男性は、気だるげな瞳で若者三人を捉え、挨拶を返した。
「アー……はよう。お前さんら。では、早速行くぞ。講堂に」
「ファクターさん、え、こ、講堂?」
 話が見えない。
 焦って聞き返した少年に、壮年の男は、ふわあっと欠伸をした。
「……緊急スピーチ、なんだと。朝から」
「また!?」
「またとかではない。いつもの、だ。あれのことだから、どうせ突飛なことを言い出すぞ」
「幹部としていいんですか、そのセリフ」
「ボスさんの言うことが分かるの? ファクターさんは」
 少年少女の後ろで、緊急か、と灰色髪の青年の掠れた声が一言落ちる。
 聞きながら、幹部・ファクターは、呻くように言葉を零した。
 
「わからん。解ってたまるか。……結社のボスあれは、猪突猛進の化物だからな……」
 
 
 
 ──……
 ──…………
 
 鳥の声が聞こえる。
 朝も早い出社早々、大型ギルド〈結社〉の面々は薄暗な講堂にて顔を突き合わせる。大部屋は、人々のひそやかな囁き声に満ちていた。
 暫くもせず、燭台に暖かな火が灯される。
「──静粛に! これより皆様には、緊急スピーチを聴いていただきます! ボス。よろしくお願いいたしますわ」
 幹部の女性の叱声が飛ぶ。
 
 講堂のいちばん前。ヒールブーツの音を響かせて登壇した黒髪ロングヘアの女性。高く結い上げた艷やかな髪、背後に赤黒いマントをたなびかせた結社のボスが、恭しく礼をした。
 
「おはよう、諸君。今朝はやや汗ばむほどの陽気であったな。ケウの花も散り、枝には葉を茂らせ始めた。夏は目前に控えている」
 彼女は、これが簡単な挨拶だとばかりに、皆の顔を見ながら話し始めた。よく通るアルトの声が講堂の中に落ちる。
「今日、諸君に集まってもらったのは、他でもない。今年の夏の決起宣言のためだ」
 ボスは真っ直ぐに前を向くと、右手をグッと握りしめて言い放った。
 
「今より二週間後! 結社全体で〈公国遠征〉に向かう運びとなった!!」
 
 ざわり、と空気が揺れる。
 公国遠征? そんなすぐ? やるのか──以前のスピーチの際には無かった周囲のザワつき方に、シエルは言いようもない異常を肌で感じ取っていた。
 帝国の敵国に、僕は行くのだ。
 大戦の戦火に、巻き込まれに行くのだ。
 脳の芯がそう繰り返す。
 遠征とは、そういうときの為にある言葉なのだから。
 
 
 
       -Next comming soon!!