二章『シエルの居場所』
“第22話 フラメリアの花畑”
────……
──……
それからの時間は、あっという間だった。
残った〈骸霊〉の骸を片付けたあと、みんなで依頼の続きをこなした。
出荷用の作物の梱包作業がひと段落すると、農家の二人は深く感謝してくれた。
「今日はお疲れさま。また来てね、メアリちゃん、シエルくん! 勿論、カレサちゃんも!」
「ファクターさんもな。結社のお仲間さんなら、観光でも喜んで待ってるよ」
「こちらこそ、世話になった」
ファクターが報酬を受け取る。依頼は無事完了した。
それだけではない。途中で、新聞社の取材も受けることになって大変だった。
「ふふふ。来月の特集記事、楽しみにしててくださいね〜……!」
などと言って、パメラ記者は満足げに帰っていった。
どんな記事になるのか一抹の不安はあるものの、それ以上に、共和国の人々の役に立てた、という充足感で少年の心はひどく満たされていた。
──ただ、ひとつ。大きな不安の穴を除いて。
「そうか……〈骸霊〉が出たンか」
朝の宣言通りに南町に寄ってきたロネに、今日あったことを話した。
シエルは、依頼で経験したことを交えながら、戦闘のことも報告した。楽しかったこと、不安だったこと。怖かったこと、頑張ったことも。思いつく限り、すべてを。
少々長い会話になってしまったが、ロネは途中で遮ることなく、黙って耳を傾けてくれた。
そして、最後に急にシエルの手の甲をつねった。
「ひょえっ!」
「女に怪我させてるようじゃ、まだまだだなァ」
ロネはメアリの右手に巻かれた包帯を見て、シエルを叱る。
「すみません……」
「だが、実戦でも逃げなかったらしいな。そこだけはホメてやる」
「……先輩……」
浮かない顔をした少年が俯く。
シエルの様子を見た姉・メアリは、首を傾げた。いつもなら、ほんの少し褒められただけでもすごく嬉しそうにする子なのに……。
ぽつり、弟が切り出した。
「……あの! 帰る前に、“フラメリアの花畑”……、見て行きませんか!?」
「花だァ?」
「有名だって聞いたから、ぜひ!」
シエルの提案に、カレサは頭の後ろで手を組みながら答えた。
「アタシはいいケド?」
「どっちでも構わんぞ」
「何でンなモン、テメェらと……」
ファクターの同調を却下せんとしたロネの言葉を遮るように、シエルが頭を下げた。
「僕っ、どうしても話したいことが、あるんです!!」
言って、少年はより深々と頭を垂れる。
まるで、駄々をこねる子どものようなしつこさで。だけれど、真剣な仕草であった。
「お願いします!」
「……シエル」
メアリは、弟の無垢な横顔を見つめた。
──解ってしまった。弟が彼らに、何を話したがっているのか。
「失礼でなければ、私からもお願いするわ」
結社の三人は不審げに目を見交わすが、そこまで言うなら──と、頷いてくれた。
◆
早くに日は傾きかけていた。天を仰げば、朱を交えて澄んだ春の空が広がっている。
アルバの町を南に向かうと林道があり、看板通りに進めば、花畑はすぐそこだった。
林を抜けた先で、視界がふわりと開ける。
茜色に染まる雲間からこぼれ落ちる陽光が、辺り一体の花々を優しく照らしていた。風に揺れる可憐な青い花が、“フラメリア”なのであろう。一輪一論が寄り集まって、見事に咲き乱れていた。
「きれい……」
メアリが小さく息を呑む。
シエルもまた数歩、花畑へと進み出た。草花の柔らかな感触が靴底から伝わってくる。まさに絶景と呼べる景色に、心の奥まで洗い流されるようだった。
「……皆さん、ごめんなさい」
気づけば、頬をひとすじの涙が伝っていた。
「ど、どしたの? 目とか痛い?」
「ち……違うんです」
カレサの心配の言葉に首を振る。うまく言葉にならない思いが、胸を締めつけた。
「僕、皆さんに、まだ言えてないことがあります」
今、逃げてはいけない。
シエルが出した答えは、それだった。
この花畑は、南町の集落とも随分離れている。ここならば、他の誰かに聞かれるということもあるまい。
「私も。いつかは言わなくちゃ、と思ってた」
メアリの静かな言葉に、シエルは彼女にも意図が伝わっていることを確信する。
──嘘を吐いたままで、仲間だなんて言えないだろう。
今更追放されるくらい、構うもんか。優しい彼らを騙したままでは、きっと僕は、僕自身を嫌いになってしまうから。
少年は告白した。
「僕、〈逃亡者〉なんです」
メアリだけが頷く。今にも泣き出しそうな顔で、弟の言葉の先を継いだように言う。
「今朝のことも──、私の嘘のせいで、みんなに迷惑をかけちゃったわね」
「違う! 元はと言えば、僕のせいなんだ。僕が勝手に帝国を出るって言ったから、メアリは僕を心配して……」
「その嘘を、つき通してって言ったのは、私だわ! 全部シエルのせい、なんて言わないで……!」
ふたりの切羽詰まったような口論に、結社の面々は言葉を失っていた。
今朝の軍人騒ぎを思い出しながら、ロネが重い口を開いた。
「テメェら。〈逃亡者〉──ガルニア帝国のスパイだって、言ってンのか?」
冷え冷えとした声がシエルの心を刺した。少年は俯き、弁解すらも放棄して答える。
「そう思われても、仕方ないです。帝国が外の国で嫌われている以上は……」
「無断で帝国を出た人は、みんな〈逃亡者〉と呼ばれているわ。それ自体が、罪に問われる法律があるの。……それだけ」
メアリは淡々と真実を語った。
長らく、黙って話を聞いていたファクターが頭を掻く。
「〈罪人〉とはそういう意味か……」
帽子の少女、カレサはふたりを交互に見つめて言った。
「ねぇ、どゆこと? シエルもメアリも、いいやつだよね?」
「いいやつ……ですか?」
「そーだよ! アタシとジジィのこと、助けてくれたじゃん!」
小さな彼女の言葉に、メアリは首を振る。
「そんなの、普通のことよ。目の前で襲われてる人が居たら、誰だって──」
──助けるわ。
メアリの言おうとした台詞を、結社の先輩であるロネが遮った。
「フツーじゃねェよ。むしろ、震えて助けに行けねーヤツのほうが、多数派だ」
「…………」
ふたりは、いよいよ、なにも言えなくなってしまう。
かつて自分たちを守ってくれたロネが言うと、妙な説得力のある言葉であった。
「お前さんらは、私が殴られたことを、やけに気に病んでおるようだな」
ファクターがやんわりと問いかける。
「……はい」
「やはりな……マァ、軍人どもは〈結社〉をつつく口実がひとつ増えたのみにすぎない。私の顔を殴られる程度で済んだのなら、安いもんだ」
「済んだ、って」
シエルが見上げたファクターの顔には、まだ腫れが残っている。それを『安く済んだ』と笑ってしまえる彼もまた、強い人だと思った。
そんな少年の目を背高い青年が覗き込んだ。
「オイ。この話、ボスは知ってンのか?」
「は……はい。ボスとレイさんには、成り行きで……」
青年は、少年の眼鏡越しの瞳をジッと睨んで、それからフイと逸らした。
「──なら、いい。なァジジィ。そうだろ?」
ファクターは無言で二度、頷いた。
静かに周囲を見渡し、場の空気を一変させるごとく、告げる。
「結社〈恒久の不死鳥〉幹部権限により告ぐ! お前さんらのこれまでの努力に免じ、〈逃亡者〉であること、身分を偽っていたこと──すべて、不問とする!」
さざ波のように揺れる美しいフラメリアの海の中に、堂々たる宣言は落とされた。
「また、我々は今後一切、〈逃亡者〉の件については外部に口外せぬと、ここに誓う。構わないな?」
気怠げなファクターらしからぬ、真剣な青い眼差し。
カレサとロネが、笑顔で首肯した。
「お安い御用だぜ」
「もち、オッケー♪」
シエルとメアリは、どちらからともなく顔を見合わせる。
夢じゃないよね、と、確認するように、メアリは白い両手で弟の手を取った。
温かくて、心地よい。夢ではない。
メアリの口から、言の葉がするりと抜け落ちた。
「シエルの居場所は……、ここでもいいの?」
弟は、帝国に居場所がなかった。
実家は複雑で、紛争で一時は心を病んで、私の家に来てからも、どこか他人の家にいるような──実際そうなのだけど──息苦しいような表情をずっとしていた。
シエルにとって、自身を認めてくれる場所は、あの世界には無かったのだ。
彼女の問いに答えたのは、カレサだった。
「なにさ! いいに決まってんじゃん!!」
「……メアリも、だろ?」
「え……?」
ロネが初めて、彼女の名前を呼んだ。
「〈結社〉はな、ンな行き場に困ってるヤツを突き放したりはしねェよ」
仲間の言葉が、胸の奥に深く響いた。
気付いたら、メアリも泣いていた。
これまでの罪悪感や恐れが溶けて、涙が堰を切ったようにあふれ出す。
「あ……、あ、ありがとうございますっ……!」
「ごめんなさい、ありがとう……! 本当に、ありがとう……」
シエルは四角い眼鏡の下から、涙を拭いながら必死に頭を下げた。
風が吹いて、花びらが舞う。ふたりの涙を、春の風が優しく包んでいた。
少女は、ちょっぴり誇らしげに笑った。ロネも目を閉じ、静かに笑みを浮かべる。
ファクターも、どこか穏やかな目元でふたりを見守っていた。
「フゥ……やれやれ。そうと決まれば、これを結社全体に周知しなければな。忙しくなるぞ」
ふたりの涙がようやく落ち着いてきたころ。
帽子の少女が明るい声で仲間に語りかけた。
「そういやロネ、聞いてよ〜!」
「アァ……?」
怪訝そうなロネに向かって、カレサは心底楽しそうに言い放った。
「シエルがさ〜、来週十八のバースデーなんだぜ!」
「ハ!? マジかよ!」
聞くや、ロネは目をカッ開いた。
なんでオレには教えなかったンだ! と少年はなぜか食い気味で責められて。
話はいつの間にか『シエルの誕生日を祝おう!』という流れに変わっていき、結社の面々の帰りの馬車内は、もっぱら、バースデーパーティの計画トークで持ちきりだったのだという──。
二章 完