DR+20


二章『シエルの居場所』


 ────……
 ──……
 
 それからの時間は、あっという間だった。
 残った骸霊ガイレイの骸を片付けてから、みんなで依頼の続きを行った。
 作物の出荷用の梱包がひと段落すると、農家のおふたりには深く感謝された。
「今日はお疲れさま。またきてね、シエルくんとメアリちゃん! 勿論、カレサちゃんも!」
「ファクターさんもな。結社のお仲間さんなら、観光でも待ってるよ」
 そう言って、報酬を手渡してくれた。
 そして、途中で新聞社の取材も受けることになって大変だった。
「ふふふふ。朝刊と来月の特集記事、楽しみにしててくださいね〜……!」
 などと言って、パメラ記者は満足げに帰っていった。
 どんな記事にされるのだろうか、と一抹の緊張感はあるものの、それよりも、無事に共和国の人々の役に立つことができたのだ、という充足感で少年の心はひどく満たされていた。
 
 ただ、一つの大きな不安の穴を除いて。
 
「そうか──〈骸霊ガイレイ〉が出たンか」
 朝の宣言通りに南町に寄ってきたロネに、今日あったことを話した。
 シエルは、依頼で経験したことを交えながら、戦闘のことも報告した。楽しかったことも、不安だったことも。怖かったことも、頑張ったことも。思いつく限りのことを。
 少々長い会話になってしまったが、彼は途中で遮ることなく、聞いていてくれた。
 そして、最後に急にシエルの手の甲をつねった。
「ひょえっ!」
「女に怪我させてるようじゃ、まだまだだなァ」
 ロネは、メアリの右手に包帯が巻かれているのを見て、シエルを叱った。
「すみません……」
「だが、実戦でも逃げなかったらしいな。そこだけはホメてやる」
「……先輩……」
 浮かない顔のシエルが俯く。
 姉・メアリはそれを見て、首を傾げた。いつものシエルなら、ほんの少し褒められただけでもすごく嬉しそうにするはずなのだ。それが、シエル・フィニエルという可愛い弟の性質だった。
 弟が言葉を紡いだ。
「……あの! 帰る前によかったら、“フラメリアの花畑”……、見て、行きませんか!?」
「花だァ?」
「有名だって聞いたから、ぜひ!」
 シエルの提案に、カレサは頭の後ろで手を組みながら答えた。
「アタシはいいケド?」
「何でンなモン、テメェらと……」
「僕っ、どうしても話したいことが、あるんです!!」
 ロネが邪険にしようとした台詞を、少年が遮るように頭を下げた。まるで、駄々をこねる子どものような早さで、だけれど、真剣な仕草で。
「お願いします!」
「……シエル」
 メアリは、弟の無垢な横顔を見つめた。
 ──解ってしまった。弟が彼らに、何を話したがっているのか。
「失礼でなければ、私からもお願いするわ」
 不審げに目配せをした三人。
 そこまで言うなら、と、結社の面々はしぶしぶ頷いた。
 
 
     ◆
 
 
 早くに日は傾きかけていた。天を仰げば、朱を交えて澄んだ春の空が広がっている。
 夕闇に落ちてゆくアルバの町を南に向かうと林道があり、看板通りに行けば花畑はすぐそこだった。
 林を抜けると、視界が開けた。
 橙色に光る雲間から降り注ぐ光が、青い花々を柔らかく照らしている。辺り一帯に植った白と青の可憐な花々がフラメリアなのだろうか、一輪一論が風に揺れて、見事に咲き乱れていた。
 夢のような光景。まさに絶景、と形容するほかなかった。
「きれい」
 メアリが感嘆の声を漏らしていた。
「本当に、綺麗だね……」
 少年が数歩進むと、草花の心地よい感触が五感を刺激していく。
 シエルの頬を一筋の涙が伝っていった。
 心が震え、己の小ささを恥じた。
「……皆さん、ごめんなさい」
 気が付けば、そう口にしていた。
「ど、どしたの? 目とか痛い?」
「ち……違うんです」
 少女の心配の言葉に首を振る。
「僕、皆さんに、まだ言ってないことがあります」
 言わないわけには行かない。
 シエルが出した答えは、それだった。
 この花畑は、南町の集落とも随分離れていた。ここならば、誰かに聞かれるということもあるまい。
「……私も、言えてないわ」
 メアリのその言葉だけで、シエルは彼女にも意図が伝わっていることを確信する。
 
 僕に優しく接してくれた人たちに、嘘を吐いたままで、なにが“仲間”だろうか?
 もう身寄りのない身だ。今更追放されるくらいなんだ、と思う。
 このままじゃ、僕は胸を張って生きられない。
 
 自身の心を奮い立たせ、少年は告白した。
 
「僕、〈逃亡者〉なんです」
 
 メアリだけが、頷く。今にも泣き出しそうな顔をした彼女が、弟の言葉の先を継いだように言う。
「……今朝は、私たちの嘘のせいで、みんなに、迷惑を掛けちゃったわね」
「メアリは違う! 元はと言えば、僕のせいなんだ。僕が勝手に帝国を出ていくって言ったから、メアリは僕を心配して……」
「その嘘を、つき通してって言ったのは、私だわ。シエルが全部悪い、なんて言わないで……!」
 新入りふたりの切羽詰まったような口論を聞く結社の面々は、一様に考えが追いつかない、とそれぞれ顔に書いてあった。
 今朝の軍人騒ぎを思い出しながら、ロネが重い口を開いた。
「テメェら。〈逃亡者〉──ガルニア帝国のスパイだって、言ってンのか?」
 自身を捕らえるために撒かれた、虚偽の情報。
 だが少年は、弁解を諦めたように俯いた。
「そう思われても、仕方ないです。帝国が外の国で、ひどい国だと思われている以上は……」
「帝国を出た人は、みんなそう呼ばれる。そして、脱国したことを罪に問われる法律が、帝国にはあるの。それだけなの」
 姉は、ただ事実を述べた。
「それだけ、などという情報量じゃないぞ。レイの言った“罪人”とはそういう意味か……」 
 長らく黙って話を聞いていたファクターが髪を掻いて、言葉を溢す。
 少女は不安げな瞳で少年たちへ問いかけた。
「どゆこと……? シエルもメアリも、いいやつだよね?」
「いいやつ、ですか?」
「そーだよ! アタシとジジィのこと、助けてくれたじゃないか!」
「そんなの普通よ。目の前で襲われてる人が居たら、誰だって助けるわ」
 メアリは首を振ったが、それを先輩であるロネが否定した。
「……フツーじゃねーよ。寧ろ震えて助けに行けねェヤツのほうが、多数派だ」
「…………」
 ふたりは、いよいよ、なにも言えなくなってしまう。
 誰よりも果敢に敵に挑む印象のあるロネ先輩が言うと、妙な説得力のある言葉であった。
 ファクターが新人たちに問いかけた。
「お前さんらは、私が殴られたことを気に病んでいるのか?」
「あ……」
「やはりな……。マァ、あの様子なら、睨まれているのは我々〈結社〉のみだ。私の顔を殴られる程度なら大目に見よう」
「程度、って」
 シエルは長身の男の顔を見上げる。頬のアザはガーゼで隠されていても腫れているのが分かって、やはり痛そうだ。その程度、だなんて易々と言えるものじゃない。見てると、むしろ自分の方が痛く思えてくるような怪我。
 そんな少年の目を覗き込んだロネが言う。
「オイ。この話──ボスは知ってンのか?」
「は、はい。ボスとレイさんには、こっちに来てすぐのとき、成り行きで……」
 ロネは、少年の翡翠の瞳をジッと睨んでいたが、すぐにフイとそらされてしまった。
「──なら、いい。なァジジィ。そうだろ?」
 ファクターは彼の言葉を無言で二度、首肯すると、静かに周囲を見渡してから、告げた。
 
「結社〈恒久の不死鳥エタネル・フェニックス〉幹部権限により告ぐ! お前さんらの結社への明確な尽力に感謝し、〈逃亡者〉とやらであること・身分を偽ったことなどは、全て不問とする!」
 
 さざ波のように揺れる美しいフラメリアの海の中で、宣言は落とされた。
 いつも気怠げなファクターらしからぬ、真剣な青い眼差しだった。
 
「また、我々は今後一切、逃亡者それについて外部に口外せぬと、ここに誓う! 構わないな?」
 笑顔で首肯するカレサとロネ。
「もち、オッケー!」
「オ安い御用だぜ」
 あまりに唐突なその宣言に、シエルとメアリはまた、どちらからともなく顔を見合わせた。
 夢じゃないよね、と、確認するように、メアリは白い両手で弟の手を取った。
 温かくて、心地よい。夢ではない。
 彼女の口から、望んでいた言葉がするりと抜け落ちた。
「シエルの居場所は……、ここでもいいの?」
 弟は、帝国に居場所がなかったから。
 実家は複雑で、紛争で一時は心を病んで、私の家に来てからも、どこか他人の家にいるような──実際そうなのだけど──息苦しいような表情をずっとしていた。
 シエルにとって、自身を認めてくれる場所は、あの世界くにには無かったのだ。
 帽子の少女が満面の笑みで答えた。
「なにさ! いいに決まってんじゃん!!」
「……メアリもだろ?」
「え」
 メアリは驚いた。ロネから、初めて名前を呼ばれたような気がした。
「〈結社〉はンな、困ってるヤツを突き放したりはしねェよ」
 結社ここはシエルの居場所であり、同時にメアリの居場所でもある。
 そう言ってくれたような、気がしたのだ。
 胸の奥底から、熱いものが込み上がってくる。それは、悲しみなどではない。これまで抱えていた警戒心や罪悪感が解けて、堰を切ったように双眼から溢れ出した。
 シエルは四角い眼鏡の下から、涙を拭いながら頭を下げた。
「あ……、あ、ありがとうございますっ……!」
「ごめんなさい、ありがとう……! 本当に、ありがとう……」
 ふたりは涙を流して、ありがとうの言葉を繰り返していた。
 彼らを祝福するかのように、春の冷えた風が花びらを舞い踊らせている。
「へへ! 当ったり前だよな〜♪」
「……ハッ」
 少女はちょっと誇らしげだった。ロネも目を瞑って、かすかに笑っていた。
 ファクターも、どこか、穏やかな目許で彼らを見ていた。
「フゥ……。そうと決まれば、結社全体に周知しなければな。忙しくなるぞ」
「そういやロネ、聞いてよ〜!」
 ふたりの涙がややおさまってきた頃。
 壮年の男のぼやきを遮って、帽子の少女が笑顔で言い放った。
「シエルがさ〜、来週十八のバースデーなんだぜ!」
「ハ!? マジかよ!」
 聞くや、ロネは目をカッ開いた。
 なんで前教えなかったンだよ! と少年はなぜか食い気味で責められて。
 あれよあれよと、シエルの誕生日会を開催しよう! と言う話に切り替わっていき。
 結社の面々の帰りの馬車内は、もっぱら、バースデーパーティの計画トークで持ちきりだったのだという──。